第二十三話 <生と死の境目>
そのままホルンに入ったフラン軍第八師団は、門の修繕や死体の輸送、敵兵の埋葬、負傷者の手当てや部隊の再編成など、専ら戦後処理にあたった。
ホルンの町の北門から入ってすぐの広場には、兵舎兼物見塔となっている建物がある。
三階までが正方形の四角い建物で、その屋根部分に高い煙突のように物見塔が立っている。
ヒーナは町に入ってすぐに、その塔の付いた兵舎の三階にある一室に通された。
両開きの扉を開けると大きなデスクが正面奥に鎮座し、その背後に町の様子がよく見える大きな窓がついいる。
部屋は綺麗に整理されていて、掃除も行き届いており、なによりかなり広い。
大きなデスクといえど、一つしか置いていないのは贅沢な使い方だと思ってしまう。
ヒーナは正面の偉そうなデスクにある大きな背もたれの付いた椅子に座ってみた。
そこへ、フラン軍の損害と状況をまとめたヤードが入ってきた。
ヒーナは慌てて立ち上がる。
まるでいたずらしてるのが見つかった子供のような態度であったが、ヤードは少し奇妙な顔をしただけで、自分たち第八師団の状況を説明した。
死者が六十名を上回り、負傷者が二十名近く出たそうだ。
死者の遺体は慣わし通り故郷へ運ぶ事にしたが、負傷者、特にもう戦えないような重傷者は首都プリスへ送り、第一師団に組み込んで後、進退を決める。
ほぼ結果報告でヒーナの判断や決断は必要ないのだが、そこまで言うと、ヤードは何か迷っているかのような変な顔をしていた。
それで、ヒーナがたずねてみる。
「…どうかしましたか?」
「重傷者が出ました…」
ヤードはいつもより歯切れが悪そうに言う。
「…はい、すみません…」
ヒーナは暗い顔で下をむいた。
「いえ、そうではないのです、死や怪我などは最初から覚悟の上ですから。ただ…左軍の一部が橋を渡れずに敵中に取り残されましたね?」
「はい、でもセルドさんのおかげで全滅はまぬかれたと…」
「えぇ。そこに死者、負傷者が多いのですが…。その中に、例の、プリス城の中庭で、ヒーナ様に食って掛かった少年がいまして…」
ヒーナはそれでハッとした顔になって、
「今はその彼はどこに?!」
と早口で聞いた。
「傷がひどく、命にかかわるくらいなのですが、取り合えずここの一階に運び込まれて今は手当てを受けています、ですが…」
ヤードの言葉が終わらないうちにヒーナは飛び出し、階段を駆け下りていた。
あの生意気な少年兵。
彼の言葉があったから、ヒーナはまだここにいる。
あの時の彼の言葉はヒーナの迷いの一つを消し去ったのだ。
一階の大広間は既に病院と化していた。
この世界の風習では、給仕係は料理や洗濯、散髪や傷の手当てまで、身の回りの世話から雑事の全てが仕事とされている。
手当てをする給仕係が何人も、お湯や包帯を運び、ひっきりなしに広間を行き来して働いていた。
そんな中に、何人かの少年兵に囲まれ、横たわっている者がいた。
ヒーナが覗き込むと、少したくましくはなっているものの、あの時にヒーナに対して思いのたけを叫んだ、まさにその少年が床に敷いた白い麻布の上に寝かされていた。
顔面は蒼白、唇は紫色、ガタガタと歯の根を震わせ、うつろな瞳でどこを見ているのかも分からない。
彼を囲んでいた少年兵たちは、ヒーナの来訪に気付くと無言で彼女に道を空けた。
少年の傷はひどかった。
顔や足、腕などに切り傷はあるが、そんなものが何とも思えないくらいの致命傷。
それが左肩から胸にかけての裂傷であった。
左肩の肩当てはすでにない。
革鎧の肩から胸までが裂け、赤黒くなっている。
左腕がまだ繋がっているのか疑問なくらいであった。
ヒーナが悲痛な顔で少年の傍にしゃがんで右手を握った。
「ミツカイさま…、役立たずのオレを見舞って頂けるのですか…もったいない…」
少年の口が動いた。
「あなたは立派に役目を果たしていますよ…」
ヒーナは涙ぐんだ。
「オレはもう死にます…もうヒーナ様を守る事はできない…無念です…」
少年の声は周りの喧騒に消えてしまいそうであった。
「あなたが呼び止めたのです。あの時にあんな風に言ってくれたから、私はこの世界に残っているのです。まだ戦いがあります、私を守ってくれるのでしょう?!」
「すいません…ヘボ兵士で…」
突然、ヒーナは息を飲み込んで背筋を伸ばし、姿勢を正した。
そうして一つ咳払いをすると、
「命令です。首都プリスに赴きエリーゼ様の治療を受けなさい。元気になって返って来て、私の近衛隊として仕えなさい。命令ですよ。」
と、偉そうに言った。
少年は安らかな笑顔をしていた。
まもなく、彼の配下の兵だろうか、おなじような年の少年兵が、荷馬車を用意して首都プリスへ向かった。
ヒーナはそれを見送ると、とぼとぼと階段を上って、三階の大きな部屋へ向かった。
ここからプリスまでは急いでも数日かかる。
彼はまだ息があるうちに白いミツカイの治癒の力にたどりつけるだろうか。
ヒーナの階段を上る足どりはとても重かった。
ホルンの町の住人たちはポード軍の侵攻から町を守った英雄を歓喜をもって迎えた。
義勇兵はそんな住人たちの好意に答えるかのように、規律正しく戦後処理に従事した。
ホルンの町から義勇兵志願者が出るほど、ヒーナたちは一躍人気者になった。
町の宿泊施設の経営者らが宿の提供を申し出た。
厚意に甘えて兵の一部を交代で泊まらせる事にしたものの、ほとんどは町に既存する駐屯施設で過ごした。
ヒーナ自身も、宿には一泊しただけで、他は門から外壁に添って設営されたテントや、町の入口付近にある物見塔付きの兵舎で寝泊まりした。
少女も人気や名声に踊らされることなく、自軍の兵たちと同じように、朝から昼過ぎまでは町の修繕作業や埋葬、負傷者の手当などを行い、午後に戦闘の訓練や練兵をし、日が傾き始めてからは再編成や作戦の会議と、その一日は多忙を極めた。
ただ、食事だけは、町の人々が様々な差し入れをしてくれたので、食べきれずに困るほどの量と種類があり、毎食を飽きずに過ごすことができた。
「うん、美味しい!」
赤黒くなった苺をつまみながらヒーナはグリューがもたらした机上の絵図面を見ていた。
そろそろ日が傾き、闇に包まれようとしている。
外壁に添って設営されたテントに一筋、斜陽の光が入り込み、狭いテントの中をオレンジ色に照らしていた。
その光と、夜に備えて上から吊るされたランプの灯りとに照らされた絵図面には、ホルンから真っ直ぐ北に位置するモナリの町の周辺が書かれていた。
バレイユ川はモナリの町の東側を通って、ここホルンの町に豊かな実りをもたらしている。
ホルンの町の北、バレイユ川の上流にモナリの町がある。
モナリまでの間に橋は一つ。その橋はすでにポード軍によって破壊されていた。
モナリの町を落としているポード軍は、町での決戦を避け、第六師団五千がモナリの西まで出て、小高い丘に布陣していた。
対するフラン軍は第三、第五師団の合計六千の兵で数的には多いものの、うまく攻略出来ずにいる。
既に布陣して一週間は経過しているのだ。
絵図面を眺め、頬杖をついて苺を頬張るヒーナが、次に木製の丸い器に盛られた桜桃に手を伸ばした時、テントにヤードが入ってきた。
「兵の選抜を終えました…百三十六名を入隊させます」
「お疲れ様でした、明日挨拶して訓練ですね」
ヒーナは慌てて姿勢を正し、ヤードの報告を労った。
「これで…我がフラン軍第八師団は一千と五十三名になりますな…」
セルドが髭を撫でながら呟いた。
「新兵はとりあえず補給部隊へ回すとして…後方部隊だった者を主力に割り振る必要がありますね…」
ヤードはそう言いながら、狭いテントの端に置かれた椅子に腰かけた。
「この地図を見る限り、次の作戦は強行突破になりそうです」
桜桃を頬張って、酸っぱい顔をしながらヒーナが続けた。
「ヤードさん、どの部隊にも平等になるように兵を振り分けて下さい」
ヤードも桜桃を一つ口に入れたところで、
「分かりました」
と言って立ち上がり、部隊長たちを連れてテントを出ていった。
テントに残されたヒーナは、酸っぱい桜桃の種を吐き出しながら、頬杖をついてテントの出入口を眺めた。
――― やはり、強行突破しかないか… ―――
ポード軍の第六師団長はミツカイである。
背はヒーナより少し低いくらいで、白い肌、茶色の髪と茶色の瞳だそうだ。
名は「雪」とだけ呼ばれていた。
銀色の光の柱に包まれふわりと降ろされた彼女の能力は、その名の通り雪を降らせるというものであった。
戦場にちらちらと舞う粉雪を降らせる事も、戦場を厳冬の吹雪で凍てつかせる事も、拳くらいの雹を降らせて人を死傷する事もできる。
のみならず、手のひらから拳大くらいの青白く光る球を発射し、その球が当たった者は身体も着ているものも全て粉雪になってしまうという力もある。
そして何よりも恐ろしいのは、彼女はその力を使うより、戦略や戦術を駆使してポード軍を勝利に導いてきた事だ。
計略をもってモナリの町を陥落したのも彼女であった。
「この橋以外に渡河出来る方法は何かあるんですか?」
部隊編成の話を終えてテントへ戻ってきた隊長たちにヒーナがたずねた。
隊長たちは背もたれも無い丸い椅子に腰掛けながら、机上の絵図面を覗き込む。
ホルンから半日ほど北上すると畑もなくなり、大小様々な沼の周りに、草や低木が生い茂る湿地帯になる。
その湿地帯を回り込むようにして更に一日ほど北に行くと、地面が乾燥し始めて雑木林になってくる。
湿地と雑木林の間には、まるで境界線のように、街道が東西に敷かれ、その東を流れるバレイユ川には橋が設置されていた。
この橋は今回の軍事行動でポード軍に破壊されている。
さらに雑木林を回り込んで北に行軍し、一日半でモナリに到着する。
モナリまではホルンからおよそ三日の距離で、ポード軍に落とされた橋は丁度その真ん中にあった事になる。
「この絵図面にはないのですが…」
覗き込んでいた伝令隊長のガモが口を開いた。
彼の両親はこの辺りの出身だという。
「モナリから南に半日ほど行った場所は雑木林ですが、そこに雑木林に入る隘路があって、川沿いに漁村があります」
ガモいわく、その漁民に頼めば、川向こうへ渡してくれるだろうとの事であった。
聞いていたヒーナの目が輝く。
「それで行きましょう!」
翌日、ガモ率いる十人程の部隊が馬に麻袋を吊るして、ホルンの始まり橋を渡り川の西側を北上した。
そして、その次の日、フラン軍第八師団はホルンの町を出撃する。
ホルンの東側の橋を渡り、バレイユ川沿いに北上した。
ホルンの町救出から既に十日経っていた。




