第9話:ラスト・一時間
文化祭終了まで、あと1時間。
どの模擬店も、最後の追い込みに入っていた。
「ラスト1時間! わたあめ、これでザラメ終わりだからな! みんな最後まで声出していこうぜ!」
遠野の声が教室に響く。
クラスメイトは「おおー!」と歓声を上げ、ハイテンションで動き回っていた。
誰も、わたあめ機の前から朔の姿が消えていることに疑問を持たなかった。
「あいつ、またどこか行っちゃったのか?」
誰かが一度口にしたきり、忙しさに紛れて、元々浮いた存在だった彼のことはすぐに意識から外れていった。
遠野だけが、その胸に張り裂けそうな真実を秘めたまま、大汗をかいて笑っていた。
私は、長蛇の列の最後尾を案内しながら、時折教室の奥を盗み見ていた。
朔がいない。
胸の奥が、冷たく、不吉な音を立ててきしむ。
だけど遠野が「朔なら先生に頼まれごとされて、そのまま片付けに回ってる!」といつもの頼もしい声でみんなに説明しているのを聞いて、私はその不安を抑え込んでいた。
そして、終了15分前。
校内スピーカーから、静かに『蛍の光』のメロディが流れ始めた。
「よし、これで最後のお客さん終わり!」
終了のチャイムと同時に、遠野がそう叫んだ。
ドッと疲れと達成感に崩れ落ちるクラスメイトたち。
そんな中、遠野だけはすぐに動いた。
まだ強い熱気を放っている、古いわたあめ機の前に立つ。
「……これ、最後のザラメで作ったやつ」
遠野が、一本の大きなわたあめを手に、私の元へ歩いてきた。
それは、今日みんなが作っていたものとは、明らかに違っていた。
夕暮れの教室の光を浴びて、発光しているかのように、白銀に輝く美しい塊。
粗い糸ではなく、絹よりも細い光の粒子で編まれたような、本物の「雲」のようなわたあめ。
「俺にじゃなくて、お前に食ってほしいんだってさ」
遠野くんの言葉に、私の息が止まる。
「遠野くん、それ、どういう……」
「あいつ、言ってたぜ。人間の世界にも、自分たちの故郷と同じ、美しい記憶の溶け方があるって」
遠野はそう言って、窓の外の空を指差した。
つられて視線を向けると、燃えるような夕焼け空の向こうに、ぽつりと一つだけ、真っ白で、フワフワとした不思議な雲が浮かんでいた。
あの日、神社の下り坂で、朔が私に教えてくれた、彼の故郷の『記憶を蓄える雲』。
「あいつの羽はさ、お前を愛した記憶が収まりきらなくなって溶けたんだってよ。消えたんじゃない。お前っていう奇跡に触れて、あいつの命は完成したんだ」
遠野の目が、少しだけ潤んでいるのが見えた。
彼は不器用に乗せられた朔の想いを、全て私に手渡すように、その光るわたあめを私の前に差し出した。
「受け取ってやってくれ。……あいつの最後の熱だ」
その言葉が、ずっと胸の奥で恐れていた最悪の現実を、残酷なまでに突きつけてきた。
「……あ、……ぁ……」
息が上手く吸えない。
視界が急速に歪んでいく。
朔はもう、どこにもいない。
私を置いて、いなくなってしまったんだ。
胸を刺すような絶望と悲しみが一気に吹き荒れ、私はその場に膝をつきそうになりながら、堰を切ったように激しく泣きじゃくった。
(第9話・おわり)




