第5話:混ざり合う熱
文化祭を明日に控えた教室は、特有の、ひどく慌ただしい空気に包まれていた。
床には段ボールの切れ端や色紙が散らかり、あちこちから「時間が足りない!」と焦る声や、作業の進め方を巡る小さないさかいが聞こえてくる。
誰もが目の前の作業に手いっぱいで、教室全体がせわしない。
その落ち着かない喧騒から最も遠い窓際の席で、朔は静かに外を眺めていた。
クラスにとって、彼は「何を考えているか分からない、ちょっと浮いている存在」だ。
いつもどこか遠くを見ていて、集団行動にも馴染まない。
誰もあえて彼に話しかけようとはしなかった。
だけど、今の私にはわかる。
彼はただ馴染めないのではない。
自分の不思議な体質(熱)でみんなを困らせたり、驚かせたりしないように、静かに距離を置いているのだ。
昨日、彼の熱と向き合うと決めた私の胸には、もう冷たいガラスの防壁なんてどこにもなかった。
ただ、一人で静かに佇む彼の背中が、たまらなく愛おしくて、少し切ない。
私は彼を一人にしないよう近くにいたくて、一人でじっくりと時間をかけて進める「背景の巨大看板塗り」を引き受け、彼のすぐそばで黙々と筆を動かしていた。
「おい、そこ危ねえぞ!」
突然、男子の鋭い声が響いた。
教壇の上に不安定に積み上げられた、木製の机の山がグラリと傾いていた。
その真下には、別の作業に没頭しているクラスのリーダー格の男子、遠野がいた。
「あ――」
声にならなかった。
机が遠野の頭上に落ちる、そう思った瞬間。
視界を遮るように、強い風が吹いた。
白い制服のシャツを大きくはためかせ、朔が遠野と机の間に割って入っていたのだ。
ガツン!! と鈍い音がして、激しい衝撃が彼を襲う。
彼は顔をしかめながらも、倒れかかってきた重い木製机を、その大きな両手でガッチリと受け止めていた。
「……大丈夫か?」
彼は静かに、遠野の顔を覗き込んだ。
クラス中が静まり返る。
遠野は腰を抜かしたように床にへたり込んだまま、彼を見上げていた。
「あ、ああ……サンキュ。お前、すげえ力だな……」
遠野が震える手で机を支え直そうとした時、私は息を呑んだ。
彼の背中から、人間の目には見えないはずの、だけど強烈な「熱」が立ち上っていた。
机を受け止めた拍子に、彼のシャツの背中が、光の粒子を放ちながらチリチリと焼け焦げるように透けて見えたのだ。
人が恋しくて、人を助けたくて、彼の芯の熱がまた暴走している。
「おい、お前、背中……怪我してないか?」
遠野が心配そうに彼の背中に手を伸ばそうとした。
「触らないで!」
私は、叫んで、二人の間に割って入っていた。
彼の正体と、彼の命そのものである綺麗な羽を守りたい。
その一心で、身体が勝手に動いていた。
「……大丈夫、私が保健室に連れていくから。遠野くんはみんなと片付けを続けて」
私は彼の腕を引っ張り、教室を連れ出した。
夕方の渡り廊下。
「……無茶しないでって言ったじゃない。また羽が溶けちゃう」
私は心配のあまり、怒りと恐怖で声を震わせた。
しかし、彼は痛むはずの背中を少し丸めながら、ふっと嬉しそうに笑った。
「遠野くん、僕の名前を呼んでくれたんだ。『お前』じゃなくて、初めて『神城』って。……嬉しかったな。人間を守るって、あんなに熱くなるんだね」
その時、廊下の向こうからドタドタと足音が響いてきた。
現れたのは、息を切らせた遠野だった。
「おい、神城! 保健室行くなら、これ使えよ。俺の親父、接骨院やってるからさ、湿布のいいやつ持ってたんだ。……さっきはマジで助かった。ありがとな」
遠野は照れくさそうに、ビニール袋を彼の胸に押し付けた。
そして、私の顔を見て「神城のこと、よろしくな」と、笑った。
「……うん、分かった」
彼は手渡された袋をじっと見つめ、それから遠野の背中に向かって、小さく「ありがとう」と呟いた。
クラスで浮いていた「異分子」の青年が、不器用だけど頼もしいクラスメイトの「友人」になった瞬間だった。
(第5話・おわり)




