第4話:ガラスの防壁
翌日の放課後、夕暮れの教室。
窓際から私をじっと覗き込む朔の瞳には、隠しきれないほどの深い心配の色がにじんでいた。
昨日、激しい雨の中でボロボロと泣き崩れた私の姿が、彼の優しい心にまだ大きな影を落としているのだろう。
私の髪に触れようとして、ためらうように宙で止まった彼の大きな手が、その不安を物語っていた。
「うん、もう大丈夫。昨日はいっぱい泣いちゃってごめんね」
私は彼にそう言って、努めて穏やかに微笑んでみせた。
嘘ではない。
私の心はもう、あの激しい雨の日のようにはならなかった。
ただ、感情の波がすっかり引き、代わりに、ひどく冷たくて硬い「何か」が、胸の奥に居座っていた。
それはまるで、ガラスの壁のよう。
彼の羽が溶けるのは、私を愛する熱のせい。
ならば、私がこれ以上、彼を愛さなければいい。
彼に心を動かされなければいい。
そうすれば、彼の芯の熱は落ち着き、これ以上羽が溶けて消えることもないはずだ。
彼にこれ以上、優しくされてはいけない。
彼をこれ以上、愛おしいと思ってはいけない。
「本当に行かなくていいのかい? 文化祭の準備」
私は「うん」とだけ短く答えた。
私は、あの古いわたあめ機の前に一人で座り、ただ機械の汚れを拭き取っていた。
ザラメを焦がした茶色いシミを、布巾で何度も、何度も、擦る。
「私のせいで消える」という恐怖から身を守るために、私は自分の心をガラスに変えていく。
彼の方を見ないように、彼の綺麗な瞳に映る自分を見つめ返さないように、頑なに視線を落とし続けた。
「……ここにいるよ」
彼がそっと、私の右手に触れた。
その瞬間、私の身体に電撃のような熱が走る。
その熱が私の「ガラスの心」に触れた瞬間、パキリ、と目に見えない亀裂が入った。
「触らないで」
冷たい声が出た。
自分でも驚くほど、感情の籠もっていない、平坦な声。
彼は驚いたように手を引っ込めた。
その拍子に、彼の背中から、光の粒がハラハラと床に落ちる。
私が彼を拒絶したはずなのに、それでも彼の熱は高まり、羽を削っている。
「どうして……。冷たくしてるのに、なんで溶けるの……?」
私は布巾を握りしめたまま、ついに彼を睨みつけた。
私の心はガラスの鎧で固めたはずなのに、目の前の彼は、寂しそうに、だけどどこまでも愛おしそうに私を見つめている。
その眼差しに見つめられると、私が築いたガラスの防壁は意味をなさず、芯にある「彼を失いたくない」という純粋な想いが、ただあふれてしまう。
「ガラスはね、熱を与えすぎると割れてしまうんだよ」
彼は静かに言った。
「君がどんなに心を硬く閉ざしても、僕を思ってくれているその頑なさが、僕には愛おしい。拒絶しようとするその強い気持ちさえ、僕の芯の熱を燃やしてしまう」
逃げ場がなかった。
愛しても、拒絶しても、私の存在そのものが彼の命を削り続けていくのだとしたら、私はどうすればいいのだろう。
夕暮れの教室で、私の頑ななガラスの心は、彼の熱によって粉々に砕け散った。
「……ずるいよ、朔」
ぽつりと溢れた私の声は、もう冷たいガラスの響きではなかった。
拒絶することすら愛に変換されてしまうのなら、心を偽ることに何の意味もない。
冷たい防壁を築いて彼を遠ざける行為は、彼を救うためではなく、ただ「自分が傷つきたくない、嫌われたくない」という私のエゴでしかなかったのだと、彼の真っ直ぐな瞳が教えてくれていた。
私はゆっくりと布巾を置き、冷え切った自分の両手を見つめた。
彼を失う恐怖が消えたわけじゃない。
けれど、彼が私のために命を懸けて熱を燃やしてくれているのに、私だけが安全な殻に閉じこもっているなんて、そんなの、一番悲しい。
私は深く、深く息を吸い込み、胸の奥に残るガラスの破片を溶かすように、静かに気持ちを整理していく。
もう、嘘をつくのはやめよう。
残された時間がどれだけ儚くても、彼が私を選んでくれたように、私も全力で彼と向き合おう。
火傷を恐れて遠ざかるのではなく、あの日のわたあめのように、この熱さと調和しながら、二人だけの愛おしい時間を大きく育てていけばいいのだから。
私はゆっくりと顔を上げ、今度は逃げずに、彼の綺麗な瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「ごめんね、朔。……もう、嘘はつかない。私、ちゃんと向き合いたい」
私が素直な胸の内を差し出すと、朔は驚いたように目を見張り、それから、今日一番の、本当に嬉しそうな笑顔をくれた。
(第4話・おわり)




