私の知らないアラン様
アイリス様とお話をしてから、私はこれまで自分がカレン様に対して必要以上に身構えていたのではないかと考えるようになった。
カレン様の振る舞いが騎士科では普通ではないと知ったけれど、そのおかげで自分が傷付いたことを恥ずかしく思わなくてもいいのだと少しだけ気持ちは軽くなったけ。
しかしそれはカレン様を避けてもよいという意味ではない。アラン様が大切にしているご友人なのだから、この先も顔を合わせる機会はきっと何度もあるだろうし、私が勝手に線を引いて遠ざけてしまえば、いつまでもお互いを理解できないままになってしまう。
以前三人で食事をした時も、カレン様は私を会話へ入れようとしてくださったのかもしれない。それなのに私は、騎士科の話が分からないからと黙り込んでただ聞くだけになってしまい、何を考えているのか分からないと思わせてしまった。
もしカレン様と二人でゆっくりお話をすれば、今まで知らなかった一面も見えてくるかもしれない。騎士科での生活やアラン様との思い出について教えてもらえれば、私もお二人の会話へ自然に加われるようになるだろう。
そう考えると、少しだけ勇気が湧いた。
何より、婚約者の大切なお友達なのだから、最初から苦手だと決めつけて距離を置くのではなく、私からも仲良くなる努力をしたかった。
数日後の放課後、私は訓練を終えて騎士科の校舎から出てきたカレン様を見つけ、思い切って声を掛けた。
「カレン様、少しよろしいでしょうか」
私に呼び止められると思っていなかったのか、カレン様は一瞬驚いたように目を丸くしたけれど、すぐにいつもの人懐っこい笑みを浮かべた。
「アシュリーじゃん。どうしたの?」
「あの……もしご都合がよければ、今度の休日にお茶をご一緒しませんか?」
「アシュリーと、あたしが?」
「はい。カレン様とはアラン様を通してお会いすることばかりでしたが、アラン様の大切な友人であるカレン様と一度お二人でゆっくりお話をしてみたいと思ってたんです」
言い終えるまで、断られたらどうしようという不安で胸の奥が落ち着かなかった。
カレン様はドレスやお菓子には興味がないとおっしゃってたし、私と二人でお茶を飲んでも退屈に思われるかもしれない。以前、普通の女の子と気が合わないと言っていたことも思い出してしまい、やはり急に誘うのは迷惑だっただろうかと考え始めた時、カレン様は何かを納得したように口元を緩めた。
「いいよ。ちょうど今度の休みは予定なかったし」
「本当ですか?」
「うん。アシュリーがそんなこと言ってくるとは思わなかったけど」
少し意味ありげな笑い方だったけれど、快く受け入れてくださったことが嬉しくて、その時の私は深く考えなかった。
それから日取りを決め、学園からそれほど離れていない場所にある、庭の美しい喫茶店で待ち合わせることになった。
約束の日、カレン様は待ち合わせの時間より少し早く店へ現れた。
休日だから騎士科の制服ではないが、濃い色の細身のズボンと丈の短い上着を身に着けている。令嬢が街へ出る時の装いとしては珍しいけれど、腰に剣を下げて歩く姿にはよく似合っていて、店へ入ってきた時には何人かの令嬢が驚いたように振り返っていた。
「お待ちしておりました、カレン様」
「待たせた?」
「いいえ、私も少し前に着いたところです」
向かい合って席へ着き、私はあらかじめ選んでおいた茶葉と、二人で分けられる菓子の盛り合わせを注文した。
カレン様が甘いものを好まない可能性も考えて、塩気のある小さなミートパイやチーズを使った焼き菓子も入れてもらっている。それを説明すると、カレン様は少し意外そうに眉を上げた。
「へえ。あたしに合わせてくれたんだ」
「甘いものはあまりお好きではないかと思いまして。違っていたら申し訳ありません」
「合ってる。嫌いってほどじゃないけど、たくさんは食べないから助かるよ」
良かった、と胸を撫で下ろす。
最初は何を話せばよいのか迷ったものの、カレン様は思っていたよりも機嫌がよく、こちらから話題を探すまでもなく次々と話してくださった。
「アランも甘いものはそんなに食べないんだよな。前に騎士科の連中で菓子を賭けて勝負した時も、勝ったくせに全部あたしへ押し付けてきてさ」
「そうなのですね。私も、あまり甘くないものがお好きだと伺いましたが、詳しいことは知らなかったのでありがたいです」
「だからあいつ、逆に塩味の強いものは好きなんだよな。酒も辛口、肉なら香辛料が効いてるやつ。魚なら焼いたのより揚げたやつの方が喜ぶから次は気を付けてあげなよ」
知らなかった。
クッキーを作った時は、以前甘いものが苦手だと聞いてチーズと塩を使ったけれど、肉料理や魚料理、味付けの好みまではお聞きしてなかったから。
「今度、お食事をご一緒する時の参考にします」
「婚約者なら、それくらい知ってた方がいいもんね」
悪気のない笑顔でそう言われ、私は曖昧に頷いた。
そう言えば、アラン様は私の好みに合わせてお茶とケーキしかないようなお店にも何度も付き合ってくださっていた。数回目であまり食が進んでないのが気になって尋ねたところ甘いものが苦手なのが発覚したが、それまでだいぶ無理をさせてしまっていたのを思い出す。
アラン様の好みについてはこれからもっと知っていきたい。そう思ったものの、カレン様は私が知らないことを次々と話していく。
「あと、あいつ朝すごく弱いから、早い時間に約束しない方がいいよ。あたしらと遊びに行く時もよく遅刻しててさぁ。起きてても暫く頭働いてないし、朝飯食いながら寝そうになってる時あるから」
「アラン様は朝が苦手なのですか?」
「知らなかった?」
「はい……。私とお会いする時は、いつも時間より早く来てくださっていたので」
「へえ」
カレン様は少し意外そうな顔をしてから、面白そうに笑った。
「婚約者との約束だから、無理して起きてたんじゃない?」
その言葉に頬が熱くなった。
私との約束のために、苦手な早起きをしてくださっていた。そのことは嬉しいはずなのに、同時に無理をさせていたことに申し訳なさも感じる。
「では、今後は少し遅い時間にした方がよいのでしょうか」
「別にいいんじゃない? アランが自分でそう決めてやってるんなら」
「ですが、無理をさせるのは申し訳なくて……」
「そうやって何でもヒロイン面するんだな、アシュリーって」
カレン様は呆れたというより、珍しいものを見るように笑った。
私は何かおかしなことを言ってしまったのかと思ったけれど、そのまま話題は別の思い出へ移っていった。
「アランって、昔から妙なところで真面目なんだよ。なのに子供の頃は結構馬鹿なことしてたらしくてさ。アリの巣に水を流したらどうなるか気になって、兄弟で何度も水を注いだことがあるんだって」
「まあ……」
「やりそうだろ?」
一見残酷にも思える遊びに興じる姿は、今の真面目で正義感の強いアラン様からは想像しにくい。そんな幼少期があったなんて知らなかった。
「あたしも子供の頃、同じことやったことあるんだよな。そういうところが似てるから、気が合うのかも」
「そうなのですね」
「他にも、木の枝で蜂の巣を突いて追いかけられたり、川で遊んで流されそうになって靴をなくして怒られたりしたって」
カレン様は楽しそうに笑いながら話している。
きっとアラン様本人から聞いたのだろう。誰にでも話すようなことではない、幼い頃の失敗や家族との思い出まで、カレン様はよく知っていた。
私が知っているのは、騎士科主席として皆から尊敬されている姿や、婚約者として優しく接してくださる姿ばかりだ。
少し不器用で、けれど誠実で優しい人。
そう思っていたけれど、カレン様の話すアラン様は、私の知らないところで大声を上げて笑ったり、悪戯をしたり、友人達と馬鹿なことをして叱られたりする人だった。
「野外訓練の時なんかもっとひどいぞ。食料の配分を間違えて、最後の日は全員で固い保存食を齧ることになった時、アランだけ『これも訓練だ』とか言ってしれっとした顔しててさ。あいつのせいでもあるのに」
「野外訓練では、食事もご自分達で用意されるのですか?」
「当然。火を起こすところから全部やるよ。雨が降れば濡れた薪しかないからどうやって火を確保するかも悩まなきゃだし、失敗すれば飯抜き。貴族科のお嬢様には想像できないだろうけど」
言い方には少し引っ掛かるものがあったけれど、今度は以前のように黙り込まず、もう少し詳しく聞いてみようと思った。
「私は経験したことがありませんが、どのようなものか知りたいとは思っています。アラン様が学んでいることですから」
「知ってどうするの?」
「お話を伺った時に、少しでも分かるようになれたらと」
私がそう答えると、カレン様は一瞬黙り、それからどこか満足そうに笑った。
「まあ、婚約者なら相手のこと、これくらいは知っとかなきゃだよね」
軽い調子だった。
責めているのではなく、私が知らないことを親切に教えてくださっているだけなのだろう。
それなのに、胸の奥がほんの少しだけ痛んだ。
カレン様はアラン様の好きな食べ物を、味付けの好みまで知っている。
朝が弱いことも、子供の頃にした悪戯も、野外訓練でどのように過ごしているのかも知っている。
対して私は、どれも知らなかった。
……婚約者なのに。
そう考えた瞬間、自分がカレン様へ嫉妬しているような気がして、慌ててその考えを打ち消した。そんなこと、思ってはいけない。
今日はカレン様と仲良くなるためにお誘いしたのだ。こうして私の知らないアラン様のことをたくさん教えていただけたのだから、感謝するべきだろう。
「ありがとうございます。私が知らなかった騎士科のことについて、少し詳しくなれました」
「どういたしまして」
カレン様は機嫌よく紅茶を飲み干した。
私も笑顔を返しながら、野営について書かれた本を探してみようと思った。騎士見習いがどのような訓練をして、どんな道具を使い、どうやって野外で過ごすのかを少しでも知ることができれば、次にアラン様から話を伺う時には、もっと自然に会話へ加われるかもしれない。
そうすれば、カレン様に教えていただかなくても、アラン様ご本人から色々なお話を聞けるようになるだろう。
お茶を終えてカレン様と別れたあと、私はそのまま王都の書店へ立ち寄った。
軍事や騎士に関する本が並ぶ棚は、普段ならあまり見ることのない場所だった。難しそうな戦術書や分厚い剣術書の間を探し、初心者でも読みやすそうな『野営術』という一冊を見つける。
中を少し確認すると、火の起こし方や天候に合わせた寝床の作り方、野外で手に入る食材の見分け方まで、挿絵を交えて細かく説明されていた。冒険者にも向けて書かれた本らしい。
これなら、私にも読めるかもしれない。
私はその本を購入し、家へ帰ると夕食までの時間を使って自室でページを開いた。
野営ではまず安全な場所を探し、風向きや水場の位置を確認することや、雨が予想される時には地面より少し高いところへ寝床を作り、濡れた薪しかない場合は表面を削って乾いた部分を使ったり、燻して乾かしてから使うすべなどが書かれていた。
知らないことばかりだった。
けれど、読み進めるたびに、昼間カレン様から聞いた言葉が頭の中へ蘇ってくる。
『野外訓練の時のあいつはもっとひどいぞ』
『アランだけ「これも訓練だ」ってしれっとした顔してたし』
その時のアラン様は、どのような表情をしていたのだろう。
保存食を齧りながら、カレン様や騎士科の皆様と笑っていたのだろうか。
同じ場所で眠り、同じ苦労をして、私の知らない思い出をいくつも重ねてきたのだろう。
読みかけのページへ、ぽたりと小さな雫が落ちた。
最初は何が起きたのか分からず、私は丸く濡れた紙面を見つめていた。けれど続けてもう一滴が紙の上へ落ちて、そこで初めて自分が泣いていることに気付く。
「……どうして」
慌てて指先で目元を拭ったものの、涙はあとからあとから溢れてきた。
今日はカレン様とお話が弾んだ。私が知らないアラン様のことも、たくさん教えていただいた。
好きな食べ物や味付けの好みも、朝が弱いことも、幼い頃の思い出も、騎士科でどのように過ごしているのかも知ることができた。
嬉しいはずなのに。
婚約者のことを以前よりも理解できるようになったのだから、喜ぶべきなのに、どうしてこんなに涙が止まらないのだろう。
理由が分からないまま、それでも私は本を閉じることができなかった。
もっと知りたいと思った。
私が知らない、カレン様が知っているアラン様を、私も知りたい。
いいえ、婚約者なのだから、これから少しずつ知っていけばいいはずなのに。
そう自分へ言い聞かせながら、滲んだ文字を何度も瞬きして追い、私は涙を拭いながらページをめくった。




