思惑
卒業後の進路について、これほど思い通りにいかなくなるとはカレンは思っていなかった。
騎士科へ入った時から、自分が将来剣を持って働くことに何の疑いも抱いていなかったのに。そりゃあ走り込みの距離だっなり、訓練の時の背嚢の重量なんかは同じではなかったが、男達と実質的には同じ訓練をこなし、実戦では十分男達に見劣りしない立派な騎士として立てるだけの力を身に付けてきた。
少なくとも、毎日ドレスを選び、菓子と紅茶を前に他人の噂話をしているだけの令嬢達よりは、ずっと価値のある人間になったと思っている。
それなのに、卒業を目前にした今になって、なぜ自分だけが働き口を見つけられずにいるのだろう。騎士科の男には、カレンだって試合で勝てたことのある相手もいる。なのに女というだけで、騎士としての働き口はぐっと狭くなる。
城で女性王族に仕える近衛騎士になるには、剣の腕だけでなく学業や素行を含めた成績が必要で、カレンの順位では推薦を受けることができなかった。王都の警備隊や各領地の騎士団も、女性を正式な騎士として採用する枠は少なく、すでに枠が埋まってしまっていた。
女性騎士なら、貴族の令嬢や夫人の護衛になる道があると教師から勧められたが、そちらも上手くいかなかった。
護衛といっても常に剣を使って敵と戦うわけではなく、普段は主人のすぐ側へ控え、外出に付き添い、時には一緒に茶会やパーティーに出席することも求められるため、剣術だけでなく礼儀作法や社交の知識も重視される。
面接へ行くたびに、姿勢が悪いとか、言葉遣いが汚いとか、顔合わせした時の護衛対象になる相手への態度が相応しくないと細かな難癖を付けられ、後から決まって「他の方に決まりました」と断られた。
あんなものは、女からのくだらない嫉妬のせいだ。
騎士科で男達と対等に話し、剣を振るい、少しも媚びることなく堂々としている自分を見て、着飾ることしかできない女達が面白く思わなかっただけだろう。
護衛としての能力を見るなら、剣の腕や咄嗟の判断力を確かめればいいのに、言葉遣いや身嗜みなんかの、どうでもいいことばかりを問題にしてくるのが何よりの証拠だった。
いや、元々、そんな仕事はこちらから願い下げだったのだ。
朝から晩まで貴族の女の後ろを歩き、ドレスを選ぶのを待ち、買い物や茶会へ付き合いながら、機嫌を損ねないように相槌を打って。剣を腰に帯びていても、実際にやることは侍女と大して変わらないのだから、騎士になるために学んできた自分がやるような仕事ではない。
採用されなかったのではなく、自分には相応しくなかっただけだと考えれば、何も惜しくはなかった。
けれど、それなら他に何をするのかと尋ねられると、答えに困った。
騎士も兵士もダメだったとしても、冒険者になれば剣の腕だけで生きていくことはできる。しかし依頼がなければ収入もなく、危険な魔物を倒しても報酬が仲間の人数で分けられれば大した金額にはならない。宿を転々としながら、その日暮らしのような生活を続けるのは嫌だったし、せっかく貴族の家に生まれ、騎士科を卒業した自分が、学のない街の荒くれ者と仕事を奪い合うのも馬鹿らしい。
なのに卒業後の就職先がないと知った父親は、ならばもう剣は十分だろうと言い出した。
お前には十分好きにさせてきたんだから、就職も出来ないなら結婚をしなさい。そうやって、手紙に何度も同じことをい書いて寄越してきた。
なんて酷い親なのだろう。女だからって結婚を押し付けてきて、本人の意思を無視している。
しかも、相手として名前が挙げられているのは、父親の方が年齢の近いような男だった。
妻を病気で亡くし、すでに十歳になる息子までいるというのに、後妻として若い女を迎えたいらしい。家格も財産も十分だから不自由はさせないと父親は言うが、そんなことはどうでもよかった。
知らない男の屋敷へ入り、そいつの妻として暮らし、いつか子供を産んで、家の中のことだけして夫の帰りを待つ。
そんな、自分が今まで馬鹿にしてきた女達と同じ生活を送るなんてごめんだった。
剣も待てない。世の男からに一目置かれることもない。
男達と対等に生きることを許されず、家庭に押し込められて、毎日ドレスを着て、誰かの妻や母親として生きるだけになる。そんな人生を受け入れることなんて嫌だ。
だからといって、結婚そのものが嫌なわけではない。
自分より優秀で、剣の腕もあり、家柄も悪くなく、何よりカレンが好きなように振る舞うことを受け入れられる相手なら、結婚してやっても構わないとは思っていた。
相手が自分を必要とし、どうしても妻になってほしいと望むなら、その願いに応えてやる形であれば、結婚してやることもやぶさかではない。だってそれは、普通の女のように男へ縋ったことにはならないから。
むしろ、そこまで優秀な男に選ばれるなら、他の女達よりも上だという証明にもなる。
そう考えた時、真っ先に浮かんだのはアランだった。
成績は騎士科の首席で、卒業後の就職先にも困っていない。真面目で融通が利かないところはあるが、剣を交えれば打てば響くような手ごたえを感じていつまでも試合をしていたくなるし、あいつの家は子爵だが歴とした貴族だし、家柄もいい。
それに、自分達は気が合う。くだらない話も聞いてくれるし、多少無遠慮なことをしても笑って受け入れてくれるのだから、アランだって自分に好意を抱いているだろうと確信があった。
アシュリーのような、可愛らしく着飾って男に守られることしか考えていない女と婚約はしているが、アランが本当に一緒にいて楽しいのは自分の方だろうと、カレンは前から思っていた。
アランとアシュリーの婚約がどのように決まったのか、詳しく聞いたことはない。一年ほど前、別の友達が「母親から聞いた」と仲間がいる場所でアランの婚約を話題にした時は驚いた。囃し立てられて馴れ初めなんかを聞かれていたが、アランは言葉を濁して、言いたくなさそうにしていた。
おそらく家同士が勝手に決めたものなのだろう。たしか、アシュリーの父親も城に勤める官僚だと言っていたから、そのつながりじゃないか。
アランがアシュリーへ親切なのも、婚約者だから責任を果たしているだけだろう。あの男は真面目だから、一度決められたことを簡単に投げ出せないだけで、本当は自分のように気を遣わず話せる女の方が好きに決まっている。
それなら、少し背中を押してやればいい。
自分から結婚してほしいと頼むのは違う。そんな、男へ媚びて擦り寄る普通の女みたいな真似はしたくない。
アランの方から、自分にはカレンしかいないと気付き、どうしても妻になってほしいと願わせる必要がある。
そのためにその日の放課後、カレンは訓練を終えて教室を出ようとしていたアランを見つけると、いつものように軽く片手を上げて呼び止めた。
「アラン、今日この後って時間ある?」
「悪い。今日はアシュリーを家まで送る約束をしてるんだ」
予想していた答えに、カレンはわずかに口元を引き結んだものの、すぐに困ったような笑みを浮かべた。
「そっか。……ちょっと相談したいことがあったんだけど、ならいいや」
そう言って背を向ければ、案の定、アランが呼び止めてくる。
「待てよ。相談って、何のことだ?」
「あたしのことはいいよ。婚約者との約束があるんだろ?」
「そうだけど、何か困ってるなら話くらい聞くよ」
真面目な顔でそう言われ、カレンは内心で笑った。
やはり、自分を放ってはおけないのだ、と。
「……どうしても、誰にも言えないことなんだ」
少しだけ声を落として視線を逸らすと、アランはますます心配そうな表情になった。
「分かった。少し待ってくれ。アシュリーには俺から連絡する」
その場ですぐに貴族科の校舎に向かうアランの背中をチラリと見ながら、カレンは胸の奥へ広がる満足感を隠すため、深刻そうに俯いていた。
婚約者との約束を断ってまで、自分を優先した。
ただの友人のために、そこまでする男がいるだろうか。アラン本人はまだ自覚していないのかもしれないが、自分の方が大切なのだという証拠を、たった今自分から見せてくれたようなものだった。
放課後、二人は学園を出たあと、騎士科の生徒がよく利用する酒場へ向かった。
まだ夕方だったため店内に客は少なく、奥の席へ腰を下ろすと、カレンは強めの酒を一杯だけ注文し、アランはコーヒーを頼んだ。酔ってくれた方が都合が良かったのだが……と少し残念そうな顔をしつつも、カレンはアランにどう切り出すか考える。
「それで、相談って何だ?」
席へ着くなり尋ねられたが、カレンはすぐには答えず、運ばれてきた酒へ口をつけた。少し間を作った方が、本当に言いにくい話なのだと思わせられる。
「……卒業後の就職先が、まだ決まってないんだ」
「え? この時期に決まってないとかなりマズイだろう」
「近衛は成績が足りなくと貴族の女の護衛は何件か話があったけど全部駄目だった。ああいう女達って、剣の腕より礼儀とか言葉遣いばっかり気にするからさ。自分じゃなれない、あたしみたいな自立した女を側に置くのが気に入らなかったんだろうけど」
アランは何か言いたそうな顔をしたが、ひとまず口を挟まずに聞いていた。
「まぁそっちは別に、元々やりたい仕事じゃなかったからいいんだ。着飾っておしゃべりして生きてるだけの女の後ろを歩いて、侍女みたいな真似するなんて、こっちから断るところだったし」
「でも、就職先がないまま卒業する方が問題あるだろ」
「だから親が、騎士になれないなら結婚しろってうるさいんだよ」
カレンはそこで一度言葉を切り、酒の入ったカップを両手で包みながら、普段より少しだけ弱々しい声を作った。
「知らないおっさんとの縁談を持ち込まれてさ。あたしよりも十五も年上で……前の奥さんとの子供までいるんだって。そんな奴の家へ入って、普通の女みたいに妻として暮らせって言われてるんだ……最悪だよ」
「それは……断れないのか?」
「簡単に言うけど、他に行く場所がないんだよ。冒険者になってその日暮らしするのも無理だし、家に戻れば結婚させられる。……そりゃあ、あたしだって、誰が相手でも嫌ってわけじゃないけどさ」
そこでカレンは、ほんの一瞬だけアランの顔を見て、すぐに視線を伏せた。
「アランみたいに、気心が知れてる相手ならいいのに」
これだけ言えば、さすがに分かるだろう。
自分は知らない男との結婚が嫌で、けれどアランのような相手なら構わないと言っている。遠回しではあるが、女からここまで譲歩してやったのだから、あとはアランが自分の気持ちへ気付けばいい。
こう言われて、アランは少なくとも、一瞬は驚いた顔をするか、照れたように黙ると思っていた。
しかしアランは真剣な表情のまま考え込み、やがて励ますように口を開いた。
「だったら、今からでも礼儀作法を習い直したらどうだ?」
「は?」
「高貴な女性の護衛として働くなら、必要なのは剣だけじゃないのは分かるだろ。男だって、近衛になるには礼儀作法も厳しく見られるし。お前は実技の成績は悪くないんだから、足りない部分を補えば次は受かるかもしれない。卒業まで時間は少ないけど、貴族科の教師に頼めば教えてくれるんじゃないか」
まるで見当違いな答えに、カレンは思わず眉をひそめた。
「だから、あたしはそんなことやってまで令嬢の護衛なんてやりたくないって言ってるだろ」
「でも実際、騎士として働くなら必要だろ。それとも枠は少ないだろうが地方の正規軍を狙うとか。教師にももう一度相談してみたらどうだ?」
「……アランは、あたしが知らない男と結婚させられてもいいの?」
少し強い口調になってしまったが、これくらい言えばさすがに気付くはずだと期待した。
けれどアランは、困ったように眉を寄せただけだった。
「お前が嫌がってるなら、無理に結婚させられるのはよくないと思う。だから、その縁談を断れるように仕事を探そうって話をしてるんだ」
「……そう」
「俺も女性でも応募できる求人を探してみるよ。地方に就職した先輩達へ聞けば、どこか人を募集しているところが見つかるかもしれない」
親身になっていることは分かる。
けれど、カレンが欲しかった言葉とはまるで違った。
そんな男と結婚するくらいなら自分がいる、と言ってくれると思っていた。少なくとも、気心の知れた相手ならいいという言葉を意識して、少しは自分との結婚を想像するはずだった。
それなのにアランは、真剣に就職先を探す方法ばかり真剣に考えている。
……まだ、婚約しているという立場に縛られているのだろう。
アシュリーとの婚約は家同士が決めたものなのだから、簡単には切り捨てると判断できないだけだ。真面目なアランらしいとも言えるし、逆に少しくらいすでに婚約している自分の身を後悔してもいいのにと思うと腹立たしかった。
話しているうちに外は暗くなり、店内にも騎士科の学生達が増えてきた。
カレンは二杯目の酒を頼み、もう少し長く引き止めるつもりだったが、アランは壁に掛けられた時計を見ると立ち上がった。
「もう帰るの?」
「ああ。これ以上遅くならない方がいい」
「別に明日は休みだし、朝まで飲んでもいいじゃん。前は付き合ってくれまだろ?」
「いや、アシュリーが嫌がるからさ」
あまりにも迷いのない返事だった。
アランはコーヒーの代金を置きながら、カレンにも帰るよう促す。
「前に、嫌だってお願いされたんだ。婚約者が嫌がることはしたくないから、もう朝まで残るつもりはない」
「アシュリーに言われたから?」
「言われたからっていうか、俺がそうしたいんだよ。相談なら聞くけど、朝まで一緒にいる必要はないだろ」
そこでようやく、カレンはアランが本当に帰るつもりなのだと理解した。
せっかくアシュリーとの約束を断らせ、自分と二人きりで話すところまで持ち込んだのに、結局は婚約者の機嫌を気にして切り上げるらしい。
そんなの、黙ってればいいのに。そう思うが、真面目なアランの心中を思うと口には出せない。
「分かったよ。今日はありがと」
「ああ。仕事のこと、俺も聞いてみるから。カレンも頑張れよ」
最後まで見当違いな励ましを残し、アランは店を出ていった。
閉まった扉を眺めながら、カレンはしばらく黙って酒を飲んでいた。
期待していた告白はなかったし、こちらの気持ちに気付いた様子もない。それどころかアシュリーとの約束を守るために、朝まで一緒にいることさえ拒まれた。
けれど、最初に婚約者との予定を取りやめ、自分の相談を優先したことを考えると、大いに意味はあった。
そう、アシュリーよりも先に自分を選んだのだ。
それだけで、今夜は十分だったのかもしれない。アランは真面目すぎるから、気持ちへ気付くまで少し時間がかかるのだろうし、その真面目さを嫌いになれない自分もいた。
「まったく、真面目なんだから」
誰もいなくなった向かいの席を見つめ、カレンは小さく笑った。
「まあ、そういうところが好きなんだけど」
翌日の昼休み、カレンは昼食に行く途中でアシュリーを見つけると、胸の中に昏い喜びが湧き上がってきて、わざわざ名前を呼んで近付いていった。
「アシュリー。昨日は悪かったね」
声を掛けられたアシュリーは、少し驚いたように振り返った。
「カレン様……昨日、ですか?」
「アランから聞いてない?」
分かっていながら尋ねると、アシュリーは一瞬だけ迷ったあと、小さく頷いた。
「放課後に急用ができたと伺いましたが……」
「あたしがどうしても相談したいことがあってさ。話、聞いてもらってたんだ」
その言葉を聞いた瞬間、アシュリーの表情が僅かに強張った。
ほんの少しだけ目を見開き、すぐに何でもないように微笑もうとする。けれど上手く笑えていないことは、カレンにもよく分かった。
「そうだったのですね。大切なお話だったのでしたら、仕方ありませんわ」
「ごめんね。何を相談したかは、アランにしか話せないことだから言えないんだけど」
そこで一度言葉を切り、アシュリーの反応を確かめる。
何も聞かないようにしているのか、アシュリーは静かにこちらを見つめていたが、その指先は胸に抱えている本の表紙を少し強く掴んでいた。
「でも、やましいことは何もしてないから安心して」
実際にこれは事実なのだが、アシュリーの瞳が僅かに揺れた。
やましいことなどないと言われれば、本来なら最初から疑っていなかったとしても、わざわざ否定する必要がある何かがあったのではないかと考えてしまうものだ。前にも同じような言い方をした時、この女は勝手に想像して傷付いていた。
けど自分は真実しか言っていないのだから、相手がどう解釈しようと落ち度はない。
今回も同じだった。
「そのようなことは……」
疑っていませんと言おうとしたのだろう。けれど声は掠て、最後まで続かなかった。
その様子を見た瞬間、カレンの胸の内へ甘い満足感が広がった。
可愛らしいドレスを着て、鼻にかかった声でわざとらしく甘えて話し、少し困った顔をすれば男が勝手に助けてくれると思っている。働く場所を探す必要もなく、父親の言いなりになって、その次は夫の言いなりになって一生が終わる。
カレンが最も嫌いな種類の女だった。
一人では何もできないくせに、可愛いさを唯一の武器にして、男に守られ、それを当然のように受け取って生きている。
そんな女が今、男と対等に付き合える自分に、大切な……自分の将来を保証してくれる婚約者という存在を奪われるかもしれないと怯えている。
昨日、アランはアシュリーとの約束を断り、カレンの相談を選んだ。
内容を誰にも話せないほど深い悩みを打ち明けて、アランと二人きりで過ごした。最後には先に帰られてしまったとしても、アシュリーより優先されたという事実は変わらない。
可愛いだけの女が縋りついてものを、媚びることも甘えることもない自分が代わりに手にしようとしている。
そう思うと、アシュリーの悲しそうな顔がたまらなく愉快だった。
「じゃあ、またね」
心配させて悪かったというように軽く手を上げ、カレンはその場を離れた。
後ろを振り返らなくても、アシュリーがその場に立ち尽くしていることは分かっていた。
やはり、可愛いだけの女なんてつまんないよな。アラン、お前には対等に話ができる自立したパートナーが必要なんだよ。
アランが自分の気持ちに気付くまで、もう少しだけ時間が必要だ。
その時、アシュリーがどんな顔をするのかを想像しながら、カレンは誰にも見えないように口元を緩めた。




