女性騎士
アラン様と一緒に昼食を取る約束がない昼休み、私はセシル様に誘われて学園内にあるカフェへ来ていた。
生徒用の食堂よりも値段は少し高いけれど、その分、柔らかくて焼きたてのパンや季節の果物を使った菓子が評判で、紅茶も美味しいのでゆっくり話をしたい時にはこちらを利用する生徒も多い。一皿の量は少ないので男子生徒はあまり利用しないが、女子生徒からの人気は高い。大きな窓から中庭を見渡せる明るい店内には、今日も何組もの令嬢達が集まり、楽しそうな話し声を響かせていた。
「今日はもう一人、一緒に食事を誘った人がいるんだけど、構わないかな?」
先に席へ着いたセシル様からそう尋ねられ、私は頷いた。
「もちろんです。どなたですか?」
「騎士科の友人だよ。アシュリーに紹介したいと思って」
騎士科と聞いて、ほんの少しだけ身構えてしまった。
でも、カレン様が来るはずはない。セシル様が私へ紹介したいと言ったのだから、別の方だろう。
「待たせてしまって申し訳ありません」
ほどなくして、落ち着いた女性の声が聞こえた。
顔を上げると、私達のテーブルの前に背の高い女性が立った。騎士科の制服を一分の隙もなく身に着け、背筋を真っ直ぐに伸ばした姿は、ただそこに立っているだけなのに不思議と目を引いた。
濃い茶色の髪は、訓練の邪魔にならないよう後頭部でひとつにまとめられている。けれど実用だけを優先したようには見えず、編み込まれた髪の一部を細い紐で丁寧に留めた髪型は、その方の端正な顔立ちによく似合っていた。
訓練の邪魔になるような化粧はしていないが、健康的なオレンジ色のリップと、美しい柳葉のように整えられた眉が目を引いた。男性と同じ制服を着て、剣を腰へ下げているのに、その立ち居振る舞いから女性らしさが損なわれているとは少しも感じなかった。
むしろ、凛々しさと美しさが自然に同居していて、私は思わず見惚れてしまった。
「こちらこそ、突然お誘いしてしまってごめんね。アシュリー、彼女はアイリス・ハーディングさん。騎士科の三年生で、卒業後は王女殿下の護衛騎士になることが決まっている人なんだ」
「アイリス・ハーディングと申します。お会いできて光栄です、ウェルズ伯爵令嬢」
アイリス様は私へ向き直ると、丁寧にあいさつをしてくださった。その所作は男性を基準に作られた騎士の礼なのに、アイリス様の礼には女性ならではの美しさも感じる。
一瞬その礼に見惚れてしまっていた私は、慌てて立ち上がって挨拶を返した。
「アシュリー・ウェルズです。こちらこそ、お会いできて光栄ですわ」
「どうぞ、アイリスとお呼びください」
「では、私のこともアシュリーと」
そう伝えると、アイリス様は僅かに表情を和らげた。
セシル様に促されて三人で席へ着き、店員が運んできたメニューを開く。アイリス様は午後にも訓練があるらしく軽めのものにするとおっしゃって、オムレツと肉と野菜を挟んだパンを選び、私は白身魚のパイ包みを、セシル様は季節の果物を添えた小さなサンドイッチの盛り合わせとキッシュを注文した。
「アイリスは堅く見えるけど、そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」
「セシル様が普段から軽すぎるのです。初対面の方へ礼を尽くすのは当然でしょう」
「ほら、こういうところは融通が利かないんだ」
「あなたが自由すぎるだけです」
生真面目な口調で返しながらも、アイリス様の目元には僅かな笑みが浮かんでいる。お二人は思っていたよりも親しいらしく、私はそのやり取りを見て少しだけ肩の力を抜いた。
料理が運ばれてくるまでの間、セシル様が最近王都で流行している帽子の話を始めると、アイリス様も思いのほか詳しく、休日はドレスなど女性ならではのオシャレも楽しんでいるのだと話してくれた。セシル様とは、やはりオシャレの話で仲良くなったらしい。
女性の騎士の方と交わせる話題があるだろうか、とどこかで勝手に身構えていた自分が恥ずかしくなる。
アイリス様は騎士を目指しているけれど、カレン様ではない。当たり前のことなのに、これまで女性騎士として親しくお話をしたことがあるのはカレン様だけだったため、私は無意識のうちに「また話がつまらないとか、面倒くさいと言われたらどうしよう」と勝手に不安になっていたようだ。
「アイリス様は、王女殿下の護衛騎士になられるのですよね」
「はい。まだ内定をいただいただけですので、卒業試験を終えるまでは気を抜けませんが」
「素晴らしいですわ。王族の護衛騎士は、剣の腕だけでなく学園での評価や礼儀作法にも秀でた方でなければ務まらないと伺っています」
「ありがとうございます。城での護衛は実際に剣を抜くことよりも高貴なお方のお側に控えている時間の方が長いでしょうから、その場に相応しい振る舞いも護衛の仕事の一つだと考えて、剣の次に力を入れて身に付けましたの」
そう答えるアイリス様の姿を見ていれば、鍛えられた体幹でピンと伸びた姿勢を崩すことなく美しく食事をされていて、日頃から意識して身に付けたものなのだとよく分かった。
以前、騎士科の者は剣の腕が何より大事で、私が貴族科で学んでいるような作法など面倒くさいだけで無駄なことだとカレン様から言われたことがあったため、騎士科では礼儀作法を重視しないものなのだと、私もいつの間にか思い込んでいた。
でも……そうよね、騎士になるなら礼儀作法も大事なはずよね。
そんなことを考えていると、セシル様がカップへ口をつけながら、何気ない調子で話題を変えた。
「そういえばアイリス。この前、騎士科の親睦会があったんだって?」
「はい。学年の垣根を越えて交流するため、賑やかなことが好きな者が主催して不定期に開催されているんです」
その言葉に、私は手にしていたフォークを僅かに止める。
あの親睦会のことだろう。
アラン様とカレン様が、他の騎士科の方々と共に飲み、そのまま一晩同じ場所で過ごしたという。
もうアラン様とは話をして、私の気持ちも伝えた。アラン様もこれからは気を付けると言ってくださったのだから、今さら蒸し返す必要はない。
そう思ったのに、胸の中にはあの時のことが蘇ってきてしまった。
「アイリスも出席したの?」
「ええ。私も騎士科の一員ですから、友人と一緒に参加しました」
「朝まで飲んでたって聞いたけど」
「私はそんな不真面目な真似はしませんよ。夕飯が終わるくらいの時間に帰りました。大体の女子が同じくらいの時間に切り上げたのではないでしょうか」
アイリス様は何でもないことのように答えた。けれど私は、その言葉に少しだけ驚いてしまう。
「女性の騎士科の方も、皆様が最後まで残っていたわけではないのですか?」
尋ねてから、妙な質問をしてしまったかもしれないと思った。けれどアイリス様は不思議そうにすることもなく、はっきりと首を横へ振る。
「いいえ。私を含め、女子生徒のほとんどは遅くなる前に帰りますよ。いくら同じ騎士見習いと言っても、男性と全て同じようには過ごせませんからね」
静かな口調だった。
誰かを責めているわけではなく、ただ事実を説明しているだけ。それなのに、その言葉は私の中へ思っていた以上に強く響いた。
私はずっと、騎士科ではカレン様の言う通り男女の距離が近い、同じ部屋で眠ることも、食器を共有することも、珍しいことではないのだと思おうとしていた。
カレン様がそう振る舞い、アラン様もそれを気にしていないのなら、私の知らない騎士科ではそれが普通なのかもしれない。令嬢達に囲まれて過ごしていて、貴族科しか知らない私の感覚だけを押し付けてはいけないと、何度も自分へ言い聞かせてきた。
けれど、同じ騎士科に所属し、王女殿下の護衛に選ばれるほど優秀なアイリス様は、遅くなる前に自分で帰ることを選んでいた。
「アシュリー様、何か理由があってそのように思われていたのですか?」
アイリス様に尋ねられ、私はすぐには答えられなかった。
もう終わった話を、アイリス様へまで話してよいのだろうか。アラン様とはきちんと話し合い、これからは気を付けてくださることになった。それなのに他の方へ話せば、婚約者の失敗を言い触らしているように思われないだろうか。
「言いたくなければ大丈夫だよ。でも話してアシュリーが楽になるなら、話くらいいくらでも聞くから」
迷っていると、セシル様は私を急かすことなく待ってくださった。アイリス様も、フォークを置いて静かにこちらを見ている。
「実は……」
私はなるべく誰かを悪く言わないよう気を付けながら、これまでのことを話した。
アラン様とカレン様と三人で昼食を取った時、カレン様がアラン様のコップから飲み、その後アラン様も同じコップを使ったこと。嫌だと伝えたものの、アラン様からはカレン様は男友達のようなものだから心配する必要はないと言われたこと。
そして先日の親睦会で、酔ってアラン様と一緒に朝まで同じ部屋で眠ったという話を、翌日カレン様がわざわざ私のところまで来て、「一晩アランと一緒だった」と謝ったこと。
もちろん他にも大勢の方がいたのだから、何かがあったわけではない。アラン様も、その場でカレン様の言い方を注意し、誤解を解こうと急いで説明してくださった。
それでも悲しかったので、今度は自分の気持ちとして伝え、これからは気を付けると約束していただいたことまで話した。
「ですから、もう解決したことなのですけど、親睦会の空気が……聞いていた話から想像していたのと少し違ったので意外に思って」
最後にそう付け加えると、アイリス様はしばらく何も言わなかった。
私の話を頭の中で整理しているように少しだけ視線を伏せ、それから真っ直ぐにこちらを見る。
「率直に申し上げてもよろしいでしょうか」
「はい」
「フォルドさんの振る舞いは、騎士科としても普通ではありません」
きっぱりとした言葉だった。私は一瞬、その意味を理解できずにアイリス様を見つめてしまう。
「普通では、ないのですか?」
「はい。訓練中に必要があって身体へ触れることや、野営で同じ天幕の近くに寝床を作ることはあります。ですが、それは任務や訓練に必要だから行うことであって、私生活で婚約者のいる男性の食器を使ったり、酒に酔って同じ部屋へ朝まで残ったりすることとは別です」
アイリス様の声には迷いがなかった。
「まして、その翌日に婚約者であるあなたのもとへ出向き、二人きりだったと受け取られかねない言い方で報告する必要などありません。騎士を目指す女性が皆その方のように振る舞うのだと思われては、私も困りますね」
その言葉を聞いた瞬間、私の中でずっと抱えていたモヤモヤした不安が少しずつ輪郭を作っていった。
そうか……カレン様の行動はやはり、騎士科の方から見ても少し普通ではないのか。
騎士科では普通だから仕方がないと、私が我慢しなくてはならないことではなかった。
「むしろ僕は、かなり行き過ぎてると思うけどね」
セシル様が、普段より少し低い声で口を挟んだ。
いつも柔らかく微笑んでいるその顔から笑みが消えている。私へ向けられた怒りではないと分かっていても、珍しい表情に私は思わず目を瞬いていた。
「大勢で飲んだ結果、動けなくなったとか、他に宿がとれなかったとか、同じ場所で過ごすことになっただけなら、まだ事情は分かるよ。でも翌日わざわざアシュリーを探して、『一晩アラン様と一緒だったから謝る』なんて言う必要はないだろう? しかも、わざと二人きりだったと勘違いしかねない言い方で」
「セシル様……」
私は返事をすることができなかった。
あの時、私はカレン様の言葉を最後まで聞かず、勝手に誤解した自分が恥ずかしいと思った。アラン様の前で、カレン様が「アシュリーが勝手に疑ってショックを受けている」と話した時にも、確かにその通りだと受け入れてしまった。
けれどセシル様の言葉を聞いて、初めて思う。
たしかに、最初から他にも大勢いたと話してくださればそんな思い違いをしなくて済んだのに。
「アシュリーは怒って当然だよ」
セシル様は、私が何も言えずにいる間も真剣な表情のまま続ける。
「婚約者と不必要に近い距離を取って、わざわざ不安にさせるようなことまで言われたんだから。僕だったら、そんな失礼なことをされたら怒るよ」
「私も同意します」
アイリス様も静かに頷いた。
「少なくとも、アシュリー様が気にしすぎているとは思いません。相手に悪意があったかどうかは、私には判断できませんが、配慮を欠いた行いであったことは確かです」
怒って当然……その言葉を聞いても、不思議と怒りが湧いてくることはなかった。
私はカレン様を責めたいわけではない。謝ってもらいたいとも、アラン様と二度と話さないでほしいとも思っていなかった。
ただ、悲しかった。
私が大切に思っている方との間へ、私には入れない親しさを見せつけられるたび、少しずつ傷付いていた。それでも相手に悪気がないのだから、傷付く自分の方が間違っているのだと思っていた。
けれど、セシル様もアイリス様も、私が傷付いて悲しむのも当然だと言ってくださった。
私が怒るほどのことをされていたのだと、自分のことのように腹を立ててくださった。
その事実が、胸の奥へ残っていた小さな傷を消してくれたわけではない。それでも、その傷を「なかったこと」にしなくてもいいのだと許されたような気がして、私は知らないうちに止めていた息をゆっくりと吐いた。
「……ありがとうございます」
何に対するお礼なのか、自分でも上手く説明できなかった。
私の感覚がおかしいわけではないと教えてくださったことなのか、それとも私の代わりに怒ってくださったことなのか。きっと、どちらもだった。
「私は、お二人に怒ってはいなかったんです。ただ、少し悲しくて……傷付いていただけで」
「うん。分かってるよ」
セシル様は、先ほどまでの険しい表情を少しだけ緩めた。
「だから、アシュリーが怒れないから、僕が代わりに怒っておいたの」
冗談めかした口調だったけれど、その目はまだ真剣だった。
「私も、同じ騎士科の女性として不快に思っています」
アイリス様までそう言ってくださり、私は困ったように笑ってしまう。
けれど、その笑みは無理に作ったものではなかった。
アラン様とはきちんと話し合えたのだから、これからはもう同じことは起こらないだろう。それでも今日、アイリス様から騎士科の「普通」を聞けたことで、今まで自分の中で悩んでいた苦しみが少しだけ薄くなった。
私が気にしすぎだったわけではない。悲しいと思ったことを、恥ずかしく思わなくてもいい。
そう思うと、目の前に置かれたパイから立ち上る香ばしい匂いを、ようやく美味しそうだと感じることができた。
三人で食事を終え、店を出ると、昼休みも終わりに近付いていた。
中庭へ続く石畳の道を歩き始めたところで、向こうから見慣れた金色の髪がこちらへ歩いてくるのが見えた。
「アラン様」
私が思わず声を漏らすと、アラン様もこちらへ気付き、少し驚いたように目を見開いたあと、すぐに穏やかな笑みを浮かべてこちらに近付いてきた。
「今日はこっちのカフェで食べてたのか。友達と?」
「はい。ご一緒に昼食をいただいていました」
そう答えると、アラン様は私へ軽く頷いてから、隣へ立つセシル様、アイリス様へ視線を向けた。
「ハーディング、アシュリーの友人だったのか」
「ええ、そうなのです。婚約者だと話を聞きました」
二人は当然顔見知りらしく、自然に挨拶を交わす。
すると、アラン様はふと思い出したように続けて口を開いた。
「そうだ。ハーディングは今日の午後一番の授業、訓練場の準備当番だったよな」
「ええ、その予定ですが」
「鎧を着たデコイを運ぶやつ、ちょうどいいから俺も手伝うよ」
あまりにも自然な申し出だった。
押し付けがましくもなく、恩着せがましくもない。ただ、同じ騎士科の生徒が準備係だから、手伝うのが当たり前であるかのような口調だった。
アイリス様は少しだけ目を丸くしたあと、小さく笑う。
「ありがとう。でも、一人でも十分運べますよ?」
「でも人数がいた方が早く終わるからさ」
そう言って笑うアラン様に、アイリス様もそれ以上は遠慮せず、軽く頭を下げた。
「では、お言葉に甘えますね」
「ああ」
そのやり取りを眺めながら、私は何となく胸が温かくなった。
アラン様は、誰に対してもこうして自然に手を差し伸べられる方なのだ。
婚約者だから特別優しいのではなく、困っている方がいれば力を貸そうとする。それがアラン様らしいところなのだろう。
「それじゃあ、アシュリー。また明日の昼に」
「はい」
私へ柔らかく微笑み掛けてから、アラン様はアイリス様と並んで騎士科の校舎の方へ歩き始めた。
その後ろ姿を見送りながら、私は何となく嬉しい気持ちになっていた。
アイリス様ともすぐに打ち解けられて良かった。そう思っていると、隣でセシル様が小さく鼻を鳴らした。
「ふーん……」
その声はあまりにも小さく、独り言のようだった。
「セシル様?」
「アシュリー以外にも、ちゃんと女性として気が使えるんじゃん」
「え?」
聞き返したけれど、その頃にはもうセシル様はいつもの穏やかな笑みへ戻っていた。
「ううん。何でもない」
そう言って歩き出してしまう。
私は一人だけ取り残されたような気持ちで首を傾げながら、もう一度だけ騎士科の方へ向かって歩いていく二人の背中を見つめた。
セシル様が何を言いたかったのか、その時の私にはよく分からなかった。




