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親しい友人の顔を見て昔のことを思い出しているうちに、自然と口元が緩んでいたのだろう。
「やっと笑った」
そんな私を見て、セシル様は安心したように微笑んだ。
「授業が始まる前から、ずっと難しい顔をしてたから心配しちゃった」
そう言われて初めて、自分がそれほど分かりやすい顔をしていたのだと気付く。
私は昔から、あまり感情が顔へ出る方ではないと思っていた。実際、アラン様達の前では上手く隠せていたと思う。けれど、幼い頃から私を知っているセシル様には隠しきれなかったらしい。
「そんなに分かりやすかったでしょうか」
「僕にとってはね。授業が終わっても立ち上がらないでぼんやりしてたし、何か考え込んでるのかなって」
お見通しのように言われてしまうと、誤魔化そうという気持ちも薄れてしまう。
けれど、婚約者のことを他の男性へ相談してもいいのだろうか、と一瞬ためらってしまった。
そんな私の迷いを見透かしたように、セシル様は少しだけ肩を竦める。
「僕がいつも男扱いされないで女の子達の相談相手になってるの、知ってるでしょ?」
そう言っていたずらっぽく笑う様子に、思わず私も小さく笑ってしまう。
確かにセシル様は、いつからか女性に囲まれて過ごしていた。もちろん、それは異性として女性を引き寄せているという意味ではない。
服飾や装飾品、流行しているお菓子や香水にも誰よりも詳しくて。男性だけどセンスが良くてとても気の利く令嬢と話しているようだと有名なのだ。休み時間になると「この色とこの色ならどちらが似合うと思う?」「この柄のリボン、この前相談したドレスに合わせても変じゃない?」といった相談を持ち掛けられている姿を、学園でもよく見掛ける。
本人もそうした話題が好きなようで、一人ひとりの話を真剣に聞いては、「その色なら耳飾りは銀の方が映えると思う」「そのドレスなら細かい柄より大きなモチーフのレースの方が合うと思うな」と的確に答えている。
それだけではない。
今では侯爵家が抱える服飾店へデザインを提供する仕事までしていて、王都では若い令嬢達を中心に「セシル様デザインの新作が出たらしい」と話題になることも少なくなかった。
そういえば私も去年のお茶会で着て行くデイドレスを仕立てる時、セシル様へ相談したことがあった。
胸元へ付けるリボンの色で迷っていた私に、「リボンまでドレスと同じ色へすると全体がぼやけて見えるよ。けど外し過ぎるとそこにばかり目が行ってしまうからこんな色はどうかな」と助言してくださって、その通り深い青色へ変えたところ、お茶会では何人ものご令嬢から「素敵な組み合わせですね」と褒めていただいた。
あの時も、自分では思い付かなかった視点を自然に教えてくださったのだ。だから令嬢達が次々と相談を持ち掛けるのも、何となく分かる気がする。
「僕はこういう見た目だからさ、アシュリーもただの友達と思って話してくれていいよ」
セシル様は肩へ流れた銀髪を指先で払って笑う。その仕草は、私よりもよっぽど色っぽい。
「僕、男友達と剣や狩りの話をするとか向いてないから。女の子達とお茶を飲みながらオシャレや流行のお喋りしてる方が落ち着くんだ。だから女の子が何に悩んで、何を嬉しいと思うのかも、男の平均よりは分かるつもり」
そう言ってから、私の顔を真っ直ぐ見つめる。
「もちろん全部分かるなんて言わない。でも、話して少し楽になるなら聞かせてほしいな」
その言葉は、答えを急かすものではなかった。
無理には話さなくてもいい、けど話して楽になるなら聞かせて。そんな優しさが滲んでいて、私は知らないうちに強張っていた肩から力が抜けていくのを感じた。
「……実は」
自然と、その一言が口をついて出た。
私は昼食で婚約者のアラン様とその友人と三人一緒に食事をしたことから話し始めた。
そこで、カレン様がアラン様のコップから飲み物を飲んだこと。アラン様もその後同じコップを気にせず使ったこと。
それを私が嫌だったと伝えたこと。けれどアラン様は、「男友達みたいなものだから」と答えただけで「もうしない」とは言ってくれなかったこと。
そして、その言葉に納得したつもりでいたのに、どうしても胸の奥の痛みだけは消えてくれなかったことを話した。
途中で言葉に詰まりながらも、一つひとつ思い返すように話しているうちに、自分でも気付かなかった気持ちまで少しずつ言葉になっていくような気がしていた。
私が話し終えるまで、セシル様は一度も口を挟まなかった。
相槌を打つことも、途中で慰めようとすることもなく、ただ静かに耳を傾けてくださっていた。
私が口を閉じると、教室には小さな沈黙が落ちる。セシル様はすぐには何も言わず、一度だけゆっくり頷いた。
「……それは、悲しかったね」
その一言を聞いた瞬間だった。
胸の奥でずっと張り詰めていた何かが、ふっとほどける。
私は昼食からずっと、自分が気にしすぎなのではないかと何度も考えてきた。
カレン様は悪気があったわけではない。アラン様も、本当に気にしてないからそう言ったのは分かる。
だから、胸が苦しくなったのは私が未熟だからなのだと、そう思おうとしていた。
けれどセシル様は、私の気持ちをそのまま受け止めてくださった。
そうだ、私は悲しかったのだ。婚約者に嫌だからやめて欲しいと伝えたのに全く聞き入れてもらえなくて、悲しかったのだ。
「……はい」
返事をしたつもりだった。けれど声は思っていたよりも小さく、少しかすれていた。
「私、自分でも何が嫌だったのか、ちゃんと説明できなくて……」
「うん」
「アラン様がおっしゃったことも、間違ってはいないと思うんです。本当に男友達のようにしか見ていないのだと思いますし、それで安心させようとしてくださったことも分かるんです」
「それも本当なんだろうね」
セシル様は静かに頷いた。
「だから私も、『分かりました』って答えたんです。でも……」
そこで言葉が止まる。何と言えばいいのだろう。
どう言葉にすれば、この胸の中のもやもやを伝えられるのだろう。
考え込む私を急かすことなく待ってくださるからこそ、私はゆっくりと、自分の気持ちを探すことができた。
「嫌だったんです」
ようやく出てきたのは、とても単純な言葉だった。
「女性として見ているかどうかは関係なくて……婚約者である私の前で、他の女性と同じコップに口をつける姿を見ること、そのものが嫌だったんです」
言葉にしてしまうと、驚くほど簡単だった。
私はずっと、「疑っているようで申し訳ない」と考えていたから、こんなこと思うべきじゃないと思っていたけれど。
私の言葉を聞いたセシル様は穏やかに微笑んでいた。
「そんなの、嫌だと思うのは当然だよ」
「当然……ですか?」
「うん。だって、それはアラン様が誰を好きかっていう話じゃないもの」
その言葉に、私は思わず顔を上げた。
「わざとじゃなかったとしても、婚約者が他の女性と間接キスをしているように見える状況を見たら、嫌だと思わない人の方が少ないんじゃないかな」
間接キス。その言葉を聞いて、胸が少しだけどきりとした。
私はそこまで考えていなかった。
けれど、そう言われて初めて、自分が見てしまった光景を客観的に思い返す。
確かに、同じコップの同じ場所へ口をつけるということは、そういうことなのだ。
「だから、アシュリーがおかしいわけじゃない」
セシル様はきっぱりと言った。
「それにね」
少しだけ首を傾げながら、優しく続ける。
「アラン様は、きっとアシュリーを安心させようとして、『女性として見ていない』って説明したんだと思う」
「……はい」
「でも、アシュリーが伝えたかったこととは、少しだけ違う答えだったんだね」
私は何度も頷いた。セシル様の言葉で、私の中にあった言葉にやっと名前が付いた気がする。
私はお二人の仲を疑っていたわけではない。
なのに、「疑わなくていい」と返されて、そこで話を終わりにされてしまった。
「もし、また同じようなことがあったら……」
セシル様は少し考えるように長い睫毛を伏せ、それから穏やかに笑った。
「『女性として見ているかどうかを疑ってるんじゃなくて、私はそれをされるのが嫌なの』って、自分の気持ちとして伝えてみたらどうかな」
「自分の……気持ちとして」
「うん。相手が間違っているかどうかじゃなくて『私は悲しかった』『私は嫌だった』って伝えたら、アシュリーを大切に思ってるなら次から気を付けてくれるんじゃないかな」
そうか。ただ、自分がどう感じたのかを伝えるだけでよかったのだと、初めてそう思えた。
胸の奥にずっと残っていた重たいものが、少しだけ軽くなる。
「……ありがとうございます。そう伝えてみますね」
あれからずっと、どうしても整理できなかった気持ちがようやく少しだけ形になった気がした。
また同じことがあるかは分からない。あれはたまたまで、アラン様だって、婚約者の私の前でそんなに何度も他の女性と不適切な距離を取る方ではないだろう。
それでも今度は、自分の気持ちを、もう少し素直に伝えてみよう。そう思えただけで、帰りの馬車から見上げる空はほんの少しだけ明るく見えた。




