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食事を終えて席を立つ頃には、昼休みも残りわずかになっていた。
カレン様は最後のひと切れまで肉をきれいに平らげると、満足そうに椅子の背へ身体を預ける。
「食った食った。午後の訓練もこれならもつな」
「食べすぎて動けなくなるなよ」
「誰に言ってんだよ。アランこそ、さっき肩痛めてたんだから気をつけろって」
「かすっただけだと言っただろ」
二人は最後までそんな軽口を交わしていた。
私は食べ終えた食器を下げてもらうために給仕を呼び、膝の上へ置いていた鞄を持ち上げる。
中に入っているクッキーは、まだ渡せていなかった。
せっかく三人で食事をしたのだから、カレン様の前でアラン様だけへ渡すのは気まずい気がして、結局取り出す機会を逃してしまったのだ。
けれど、このまま渡せずに終わってしまうのは寂しい。せっかく午後の訓練の合間に食べてもらえるよう、今朝から準備したのに。
三人で食堂を出ると、カレン様は騎士科の校舎がある方角へ迷いなく足を向けた。
「じゃ、急ぐぞ。次の授業まであんまり時間ないからな」
「ああ」
アラン様も返事をしながら歩きかけたけれど、すぐに私の方を振り返った。
「アシュリーは貴族科の校舎へ戻るんだよな」
「はい」
「じゃあ、そっちまで送るよ」
思いがけない言葉に、私は少しだけ目を見開いた。
これからアラン様達が授業をする予定の訓練場と貴族科の校舎は、食堂を出た先の中庭から正反対の方向にある。私を送れば、アラン様はかなり遠回りすることになる。
「ですが、午後の授業に遅れてしまうのでは……」
「大丈夫だ。帰りは走るから」
「えー?」
カレン様が分かりやすく不満そうな声を上げた。
「貴族科の校舎まで寄ったら、さすがに遅刻するだろ。教官にまた怒られるぞ」
「だから、帰りは走ると言っているだろ」
「そこまで送らなくても、一人で帰れるじゃん」
「一人で帰れるかどうかじゃない。婚約者なんだから、俺が送りたいんだ」
アラン様は、何でもないことのようにそう言ってくれた。
その言葉が嬉しくて、先ほどまで胸の奥に引っ掛かっていたものが、少しだけ解けたようにホロホロと消えていく。
私がお願いしたわけではない。それでも、わざわざ自分から送ると言ってくださった。
カレン様との会話へ上手く入れなかったことも、同じ杯へ口をつけていたことも、きっと私が気にしすぎただけなのだと思えた。
「分かったよ。じゃあ先行ってるからな」
カレン様は面白くなさそうに口を尖らせたものの、それ以上は引き留めなかった。
「遅刻しても、あたしのせいにするなよ」
「しない」
そう言い残すと、カレン様は騎士科の校舎へ向かって大股に歩いていった。その背中を見送り、私達は反対方向へ歩き出す。
二人きりになると、先ほどまで賑やかだった空気が急に静かになったように感じた。
けれど、気まずいわけではない。アラン様は私の歩幅に合わせて、いつもよりゆっくり歩いてくださっている。
その気遣いが嬉しくて、私は抱えていた本を持ち直しながら、何を話そうかと考えた。
紹介しようと思っていた冒険譚のこと。アラン様がこれからおこなう午後の訓練のこと。次にご一緒する昼食のこと。
話したいことはいくつもあるのに、どれから口にすればいいのか迷ってしまう。
先ほどカレン様から「何を考えているか分からない」と言われたばかりなのだから、もう少し自分から話さなければならないのかもしれない。
けれど、そう意識すればするほど、自然な言葉が出てこなくなってしまって、結局、先に口を開いたのはアラン様だった。
「さっきのことだけど」
「はい?」
「カレンの言ったこと、気にするなよ」
アラン様は前を向いたまま、少し言いにくそうに頭を掻いた。
「あいつ、昔から口が悪いんだ。思ったことをそのまま言うから、誤解されることも多くてさ」
「そうなのですね」
「でも、本当に悪気はないんだ。けど、陰で悪口を言うような陰険な奴じゃないから、アシュリーも気にしないで欲しくて……」
先ほどカレン様自身が言っていたことと同じだった。
きっと二人は、長い付き合いの中でこうしてフォローをするくらいにお互いのことを理解してきたのだろう。
言い方はきついけれど、本当は悪い人ではない。アラン様はそう伝えようとしてくださっている。
「分かっていますわ。裏表のない方なのですね」
そう答えると、アラン様はほっとしたように笑った。
「あまり気にしてないなら良かった」
ホッとした様子のアラン様に合わせて、私は少しだけ笑った。
ただ、胸の奥に残っている引っ掛かりまで、完全に消えたわけではなかった。
けれど、それはアラン様のせいではない。私が勝手に考えすぎているだけなのだろう。
そう思い直し、今度こそ鞄の中へ手を入れた。
「あの、アラン様」
「ん?」
「こちらを……」
私は取り出した包みを差し出す。
薄い布で包み、ほどけないよう細いリボンを結んだだけの簡素なものだったけれど、アラン様は足を止めて、驚いたようにそれを見た。
「俺に?」
「はい。午後も訓練があると伺っていたので、休憩中にでも召し上がっていただければと思って」
「開けてもいいか?」
「もちろんです」
アラン様は子供のように少し嬉しそうな顔をしながら、包みを開いた。
中には一口大に焼いたクッキーが並んでいる。
「これ、アシュリーが作ったのか?」
「はい。甘いものはあまりお好きではないと伺っていたので、チーズと塩を効かせてみました」
「食べていい?」
「どうぞ」
アラン様はひとつ摘まみ、迷いなく口へ放り込んだ。
さくりと小さな音がして、何度か咀嚼する。
その間、私はじっと顔を見つめることもできず、包みを持つ彼の手元へ視線を落としていた。
もし口に合わなかったらどうしよう。甘くないクッキーは初めて作ったけどアラン様の好みに合うだろうか。
今朝味見をした時には問題ないと思ったけれど、アラン様にとっては違うかもしれない。
「うまい」
その一言に、思わず顔を上げた。
「本当ですか?」
「ああ。甘すぎないし、これなら小腹の空いた訓練の合間に食べたくなる」
アラン様はそう言って、もうひとつクッキーを取った。
「ありがとうございます。良かった……」
胸の奥がふわりと温かくなる。
今日のために早起きをしたことも、何度も味を確認したことも、すべて報われたような気持ちになった。
アラン様はきちんと私のことを大切にしてくださっている。
歩幅を合わせて、こうして遠回りをしてでも送ってくれる。そして、作ったものを喜んでくれた。
カレン様との距離が少し近く見えてしまったとしても、そんなことで悲しい気持ちになるのは間違っている。
そう思えば、先ほどの出来事も、胸の中でそれほど大きく扱わなくていいような気がした。
けれど。
それならなおさら、今のうちにお願いしておいた方がいいのではないだろうか。
お二人の仲を疑っているわけではない。ただ、私が少し傷ついてしまうから、控えてほしい。
それだけなら、アラン様も分かってくれるはず。そう思うのに、いざ口にしようとすると、胸の鼓動が少し早くなった。
「あの……アラン様」
「どうした?」
アラン様はクッキーの包みを丁寧に鞄へしまいながら、こちらを向いた。
「一つだけ、お願いがあるのですが」
「何だ?」
私は、慎重に言葉を選んだ。
「先ほど、カレン様がアラン様のコップから飲み物を飲まれましたよね……」
「ああ……」
アラン様は、言われて初めて思い出したような顔をした。やはり、あの時同じ場所へ口をつけたことすら気にしていなかったのだろう。
「その……私が気にしすぎなのかもしれませんが、できれば、今後は女性と食器を共有されるようなことは控えていただけると嬉しいです」
最後まで言い終えると、胸の奥で張り詰めていたものが少し緩んだ。
言えた。これでアラン様も分かってくださるだろう。
そう思って見上げると、アラン様は一瞬きょとんとしたあと、何かに気付いたように笑った。
「ああ、そういうことか」
「はい」
「大丈夫だよ」
優しい声だった。私を安心させようとしてくださっている優しい声。
「あいつは男友達みたいなものだから」
「……え?」
「カレンを女として見たことなんて、一度もないんだ。だから、心配するようなことは何もない」
しかしその優しい声で、私が想定していなかった言葉が紡がれた。
アラン様の目は真っ直ぐで、嘘をついている人の顔ではない。
きっと本当に、カレン様を女性として意識したことなど一度もないのだろう。
それは分かる。……分かるのだけれど。
私がお願いしたかったのは、そういうことではなかった。カレン様と何かあるのではないかと疑っているのではない。
ただ、婚約者である私の前で、他の女性とコップを共有して同じ場所へ口をつけて飲まないで欲しい、そんなところを見るのが嫌なのだ。
けれど、その違いをどう説明すればいいのか、すぐには言葉にできなかった。
「でも……」
小さく声が漏れる。アラン様は不思議そうに首を傾げた。
「まだ何か心配か?」
「いいえ。その……」
アラン様は私の不安を解消したつもりでいる。
本心なのも分かる。これ以上言い募れば、何もない相手とのことを疑っているように思われるかもしれない。
せっかく送ってくださって、私が作ったクッキーも喜んでくださったのに、最後にこんな話で困らせたくなかった。
「……大丈夫です、分かりました」
そう答えると、アラン様は安心したように笑った。
「心配ごとがなくなったなら良かった」
「はい」
私も笑おうとした。だからきっと、いつものように笑えていたと思う。
貴族科の校舎が見えるところまで来ると、アラン様は時間を確認して、慌てたように踵を返した。
「悪い、もう行くな。クッキー、本当にありがとう」
「こちらこそ、送ってくださってありがとうございました」
「またな、アシュリー」
「はい。午後の訓練も頑張ってください」
アラン様は大きく手を振ると、言っていた通り騎士科の校舎へ向かって駆け出していった。
その背中を見送りながら、私は胸元で本を抱き直す。
アラン様は優しい。
遠回りになるのにここまで送ってくれて、私が作ったクッキーも喜んでいただけた。
カレン様のことも、本当に男友達としか思っていない。それは本当だと思う。
だったら、何も問題はないはずだ。
そう自分へ言い聞かせながら、貴族科の校舎へ向かって歩き出す。
それでも、胸の奥に残った小さな痛みだけは、アラン様の優しい言葉でも、喜んでもらえたクッキーのことを考えても、どうしても消えてはくれなかった。




