卒業前
進路指導室の机を挟んで、教師から今年度最後になる不採用通知を差し出された時、カレンはすぐには手を伸ばせなかった。
「これで、学園から紹介できる女性騎士の採用枠はすべて埋まりました。残念ですが、卒業までに新しい募集が届く可能性は低いでしょう」
教師は責めるような口調ではなく、しかし人生の岐路に立っている学生の感情を逆なでしないようにフラットな口調で、机の上へ置いた通知書をカレンの方へ押し出した。
「剣術の成績だけを見れば、あなたは騎士科の女生徒の中ではまずまずの位置にいるでしょう。ただ、授業でも伝えている通り、女性騎士を雇うような高貴な女性の護衛には、剣以外にも必要な技能があります。……面接を受けた先からも、同じ点を指摘されているから承知しているとは思いますが」
「剣を振るう仕事なのに、礼儀作法とか言葉遣いばかり見られる方がおかしいんじゃないですか」
「剣を振るわずに済ませることも、護衛の仕事ですよ。それは女性だからというわけではなく。王宮でも高位貴族のお屋敷でも、周囲と無用な軋轢を起こす者を主人の側へ置くことはできません」
教師はそこまで言いながら、書類をまとめ始めた。カレンはそれを見てまるで、さっさと帰れと言われているように感じてしまった。
「街の衛兵にも女性の枠を設けているところもありますし、冒険者ギルドへの推薦状ならいつでも用意しますよ」
「あたしは、そんな仕事するために騎士科で勉強したんじゃありません!」
「それならば、一度ご実家へ戻り、礼儀作法を学び直してはどうですか。学園の教師もされていたマグレナ夫人のマナーレッスンの教室を紹介しましょうか」
そんなところで、そんなもの学びたくもない。しかし反論したところでこの状況が変わるわけではない。そう分かっていたカレンは、不採用通知を乱暴に掴むと、椅子を鳴らして立ち上がった。その乱暴な振る舞いに、ため息を吐く教師の姿に気付かないまま、扉は閉ざされる。
進路指導室を出たあとも、教師の言葉が耳の奥へしつこく残っていた。
侍女達との連携だの、主人の意向を優先する姿勢だの、そんなものは結局、着飾った女の機嫌を損ねずに仕えるための言い換えにすぎない。自分で剣を持つこともできず、外出するたび誰かに守られなければ生きていけない女の後ろを歩き、買い物やお茶会が終わるまで黙って待ち続ける仕事など、騎士と呼びながら実際には半分侍女のようなものではないか。
面接に行くたび、姿勢が悪い、言葉遣いが相応しくない、身のこなしが粗雑、主人となる女性への敬意が見えないと、騎士に一番必要な剣の腕とは何の関係もないことばかり指摘されて否定された。
あの女達は、男と同じ訓練を受け、自分より強く、言いたいことをはっきり口にできるカレンを側へ置くのが怖かったのだろう。
採用されなかったのではない。元々、あんな仕事はこちらから願い下げだったのだ。
そう考えれば腹立たしさは少し薄れたものの、自室へ戻ったカレンを待っていたのは、さらに気分の悪くなる実家からの手紙だった。
『騎士になるから結婚はしないと言っていたが、就職についてはどうなったのか。以前伝えた縁談について、先方は今も返答を待ってくださっている。騎士になれないようなら、このまま卒業後すぐに婚約を調えるつもりでいるので、そのように心得なさい』
父親の筆跡で書かれた短い手紙を最後まで読み終えると、カレンはそれを机の上へ叩きつけた。
十五歳ほど年上の、ほとんど顔も知らない男と結婚しなければいけないなんて。屋敷へ押し込められ、そいつの妻として暮らし、毎朝化粧をしてドレスを着て、夫の付属品のように過ごし、夫の決定で簡単に人生を左右されてしまう生き方を受け入れるつもりはない。
それでは、カレンがこれまで散々馬鹿にしてきた女達と同じになってしまう。
男の庇護がなければ生きられず、可愛らしい顔と柔らかな声で男の機嫌を取り、誰かの妻になることだけを目標に暮らす女。自分はそんな連中とは違うから、男達と同じ騎士科へ入り、剣を持ち、対等な友人として認められてきたのに。
騎士としての就職先がないなら冒険者になる道もある。しかし、依頼がなければ収入もなく、宿を転々としながら魔物を追い、その日暮らしを続ける生活など望んでいない。それに、何ごとがなくても給金が支払われる騎士と違って、危険な魔物討伐を達成しないと収入がない。死亡率だって高い。
街の衛兵も考えられない。貴族の家に生まれ、騎士科を卒業した自分が、元冒険者や街の荒くれ者だった奴らと同じ場所で、酔っ払いの喧嘩を仲裁したりつまらないスリや万引きの通報を受ける仕事をするなんて考えただけで耐え難かった。
残された選択肢を考えれば、どうしてもアランの顔が浮かんでくる。
以前の親睦会では、ほかの者達が帰ったあと二人きりになり、関係を一気に進めるつもりだった。そのために、かなり強引に引き止めたし酒も勝手に杯についで飲ませたのに。
しかし、ほかの男達までなかなか帰らず、そのうち結局カレン自身も朝には動けなくなってしまった。まったく飲まないでいたら不自然になると思ってのことだったがもっとセーブするべきだった。
しかもあれ以降アランは本当に朝まで飲み明かそうとしなくなり、誘っても「アシュリーが嫌がるから」と早々に帰ってしまう。
前のように、何となく一緒にいるだけでアランが自分の気持ちへ気付くのを待っている余裕は、もうないのかもしれなかった。
教師から腹の立つ話をされた翌日の昼休み、カレンはいつものようにアランや騎士科の仲間達と食堂の長机を囲んでいた。
そこには珍しく、セシル・アーヴィングも同席していた。騎士科の友人であるダンが、婚約者の誕生日へ贈る品を選ぶ参考にしたいと、服飾や装飾品に詳しい彼を呼んだらしい。
カレンは、以前からこの男が苦手だった。
男のくせに髪を長く伸ばし、制服にはフリルやリボンを取り入れ、剣や馬の話よりもドレスや宝石の話をしている方が楽しそうな女男。令嬢達に囲まれて、どの色が似合うだの、どんな髪型にすれば美しく見えるだのと嬉々として話している姿を見るたび、どうして男として生まれながら、わざわざ女なんかに降りるような真似をするのか理解できなかった。
それでも令嬢達には人気があり、実家の商会で手掛けている服飾ブランドも好調らしい。女達に媚びて、くだらない着飾り方を考えているだけで褒めそやされるのだから、剣を振るって働くよりずっと楽な商売だと思っていた。羨ましいとはちっとも感じないが。
「髪飾りを贈りたいんだけど、宝石が大きい方が喜ぶかな。お、俺の瞳の色の宝石を贈りたいんだけど……どんなデザインにしたらいいと思う?」
「大きければいいとは限らないよ。婚約者さんは普段どんな色のドレスを着てるの?」
「淡い桃色とか、薄い緑が多いかな」
「どんなデザインのドレスを好んでるかは覚えてる? フリルやレースがたくさんついてるか、スカートはふわっと広がってるか、それともすとんとしてるか」
「あんまりそういう装飾はなくて、スカートもすとんとした形のが多いかな」
「それなら、石を一つ大きく使ったものより、小さな真珠と花の意匠を合わせたデザインはどうかな。真珠は今年流行ってるし、婚約者さんの好きな花をダンの瞳の色で作ったら素敵だと思うよ。後でいくつかデザインを提案するね」
「助かる。アーヴィング商会の服飾店、最近ますます評判がいいらしいな。結婚する時は、ドレスのデザインも頼むかもしれない」
「もちろん。その時は婚約者さんの希望を聞いて、一番綺麗に見えるものを考えるよ」
楽しそうに結婚や衣装について話す二人を見ていると、カレンは妙に落ち着かない気分になった。
自分には就職先もなく、実家から縁談を受けろと迫られているのに、周囲の者達は当然のように卒業後の仕事や結婚の予定を決めている。その事実を考えたくなくて、カレンは鼻で笑いながら会話へ割り込んだ。
「しっかしよくやるよな。毎日化粧してコルセットを締めて、臭い香水をつけて着飾るなんて、あたしには無理だね」
ダンの顔から、先ほどまでの笑みが僅かに消えたことにカレンは気付かなかった。
「結婚したら、夫の機嫌を取って、お茶会で人のうわさ話をして、刺繍をしながら夫の帰りを待つんだろ? そんな中身のない暮らし、よく耐えられるよ。あたしなら死んでもごめんだ」
「……ミレーヌは、別に一日中お茶を飲んでるだけじゃない」
「分かってるって。お前の婚約者の話をしてるわけじゃないよ。普通の貴族の女の話」
ダンの婚約者も、ごく普通の貴族令嬢である。その「普通の女」を一括りに馬鹿にした時点で、友人の婚約者まで侮辱しているのだということは、カレンは気付かなかった。
空気が僅かに冷えたところで、セシルが困ったような笑みを浮かべた。
「でも、カレンさんもいつかは結婚なさるでしょう?」
「あたしが?」
突然話を振られ、カレンは眉を上げた。
「普通の女みたいに家へ入って、つまんない暮らしをするなんて死んでも嫌だね」
「確かに、カレンには似合わないよな」
ダンが少し棘のある口調でそう言ったけれど、カレンは彼が先ほどの発言へ腹を立てているとは思わず、自分がほかの女とは違うと認められたように感じて笑った。
「だろ? あたしは不自由で窮屈な思いをするくらいなら結婚なんてしなくていいよ。騎士を続けて、お前らと酒を飲んだり、ポーカーしたり、遠乗りしたりして遊んで暮らす方がずっと楽しい」
「では、今後ご実家から縁談を勧められても、お断りになるんですね」
セシルの口調は穏やかで、そこに何か意図があるようには聞こえなかった。
一瞬、実家から届いた手紙が頭へ浮かんだものの、ここで「就職先がなければ家の決めた相手へ嫁ぐ」とは言えない。これまで普通の女を馬鹿にし、結婚など自分には必要ないと振る舞ってきたのに、働き口が見つからなかったら結局、他の女と同じように父親の用意した相手へ嫁ぐなどと知られたくなかった。
「当たり前だろ。あんなもの、誰が相手でも断るよ」
「誰が相手でも?」
セシルは少し意外そうに首を傾げた。
そこでカレンは、アランとの可能性まで自分で閉ざしかけたことに気付き、慌てて言葉を足した。
「まあ、あたしが騎士を続けることも、お前らと酒を飲んだりポーカーをしたり、遠乗りをしたりすることも文句を言わず、あたしがあたしらしく生きるのを認める相手なら話は別だけど」
「なるほど」
「その上で、どうしてもあたしと結婚したいって請われるなら、仕方なく結婚してやってもいいかな」
そう言って笑うと、周囲から「カレンらしい」と声が上がった。
「頼み込まれて仕方なく、か。最後まで偉そうだな」
「それくらいじゃなきゃカレンじゃないだろ」
「つまり、ご実家の決めた縁談ではなく、カレンさんらしさを理解してくれる方との恋愛結婚をお望みなんですね。素敵です」
「あ、ああ。そうだよ」
セシルは柔らかく微笑んで、それ以上何も追及しなかった。
周囲の者達も軽い冗談として笑っていたので、カレンもその場では気分よく笑い返した。しかし会話が別の話題へ移ったあとになって、自分が皆の前で何を口にしたのか、少しずつ実感が湧いてきた。
この場にいる者達は皆、カレンが家の決めた縁談など受けず、一生独身を貫くか、自分を理解する男から熱烈に請われた時だけ結婚するのだと思っただろう。
今さら実家の命令に従って十五歳も年上の男へ嫁げば、「結婚なんて死んでも嫌だと言っていたのに、騎士として就職できなかったから普通の女になった」と笑われる。
家に命じられて仕方なく嫁ぐのだという体裁さえ、先ほど自分で取りにくくしてしまったのだ。
けれど、アランから望まれたのなら話は違う。
『あたしは結婚なんて向いてないって何度も断ったんだけど、アランがどうしてもって言うから仕方なく』
そう言える形なら、これまでの発言とも矛盾しない。それに、他の友人達ではダメだ。騎士科主席で、卒業後近衛兵になることが決まっている優秀な男にそこまで求められたのだと示せば、自分が普通の女へ落ちたのではなく、他の女より価値があるから選ばれたのだと証明できる。
その考えへ辿り着き、少し安心しかけたところで、セシルがアランの方へ顔を向けた。
「アラン様も、結婚式を挙げる時にはぜひお声がけくださいね」
「ああ、君はアシュリーの幼馴染だったな」
「ええ。アシュリーの好みも分かりますよ」
「それなら、ぜひ頼みたい。俺はドレスのことなんて全然分からないし、アシュリーも君になら希望を言いやすいだろうから」
アランは、結婚そのものに何の迷いもないような顔で笑っていた。セシルは一拍置いてから、変わらない笑顔で話を続けた。
「卒業したら俺の仕事も始まるし、両家で本格的に結婚へ向けた話を進めることになっているんだ。具体的な日取りが決まったら、まず相談させてもらうよ」
「それは楽しみですね。アシュリーが一番美しく見えるドレスを考えておきます」
二人は、ごく普通に将来の仕事の話をしているだけだった。
それなのにカレンには、自分だけが突然、時間の残されていない事実を突きつけられたように感じられた。
アランとアシュリーの婚約は、家同士が決めた形式的なものにすぎず、両家の存続を左右するような政略上の結びつきでもないのだから、卒業までにアランが本当の気持ちへ気付けばどうにでもなると思っていた。アランは真面目だから、決められた婚約者を丁寧に扱っているだけで、本当に一緒にいて楽なのは自分の方だと信じていた。
けれどアランは、何もしなければ卒業後すぐにアシュリーとの結婚を進めるつもりでいる。
就職先はもうない。
実家はカレンの返事を聞かずに、騎士になれないのならとすぐさま縁談を進めようとしている。
その縁談を受ければ、自分が最も馬鹿にしてきた「普通の女」になり、騎士科の仲間達からも、結局騎士になれなかったから家の決めた男へ嫁いだのだと思われる。しかも先ほど、自分の口で家から押し付けられた縁談は誰が相手でも断るとまで宣言してしまった。
残された道は、一つしかなかった。
卒業記念舞踏会で、アランに自分を女として意識させて、そのまま結婚の約束をするしかない。
アシュリーとの婚約を解消させて、アランの側からどうしてもカレンでなければならないと請わせる。アランと結婚すれば、生活のために冒険者や衛兵になる必要はない。騎士としての鍛錬を続けながら、これまでどおり仲間達とも自由に過ごせる。
今までは、いずれアランが自分の気持ちへ気付くと思っていたから、少しずつアシュリーより自分を優先させることで、その気付くための環境を作ってやっていた。
けれど、もう待っている時間はない。
その夜、自室へ戻ったカレンは、母親から卒業記念舞踏会のためにと送られてきた箱を初めて開けた。
中に入っていたのは、これまでなら触れることすら嫌だっただろう、艶のある深紅の生地をたっぷりと使って仕立てられたドレスだった。腰の線を細く見せ、身体の丸みが分かるように作られている。
カレンは嫌そうに眉をひそめながら生地を持ち上げ、それを自分の身体へ当てて鏡の前へ立った。
普通の女になるつもりはない。
化粧やドレスに頼り、男の気を引かなければ生きられない女達と同じになるわけでもない。
ただ一度だけ、あの女達が男を落とすために使っている武器を利用して、自分の方が上手く使ってやるだけだ。
鏡の中には、いつもの制服姿とはまるで違う自分がいた。アランがこれを見れば、ようやく気付くだろう。
自分のすぐ側にいたのが、アシュリーよりもずっと自分を理解していて、同じ世界で生きる力を持った、他とは違う優れた女だったのだと。




