第四章:断絶のベル
2018年11月12日。
1979年のあの日から、昭子の世界では一ヶ月以上の月日が流れていた。
『異邦人』は大ヒットし、街の至る所で流れている。
塔子と昭子は、電話を通じてすっかり「親友」と呼べる仲になっていた。
だが、その平穏は、真田優が偶然見つけ出した「過去の記録」によって、無惨に打ち砕かれた。
「……これ、見て」
真田の震える指が、タブレットに映し出された1979年11月13日付の地方紙を指した。
真田の声は、奥歯が鳴るほど震えていた。
「1979年11月13日付、大分合同新聞の朝刊……『昨夜未明、竹が丘荘で火災。住人の女性一名、焼死』」
塔子は、心臓が口から飛び出しそうな衝撃に襲われた。
「……名前は?」
「名前は載ってない。でも、見て。……『出火元は二階の202号室。住人の女性が逃げ遅れたものと見られる』って」
「202号室……。昭子さんの部屋じゃない!」
塔子は叫んだ。
一昨日、電話で話した時の昭子の声が耳に蘇る。あの時、彼女は弾んだ声でこう言っていた。
『塔子さん、今日は半ドンだから、お昼からお買い物に行くんです。新しい冬物のコートを選ぼうと思って』
その「土曜日」から2日後が、1979年における今日、11月12日なのだ。
「ちょっと、待って。出火原因は?」
古川沙耶が画面を凝視する。
「……『調査中』になってるけど、火の気がなかったはずの部屋から出火してるって。まさか……あの篠田って女が……」
塔子は考えるより先に、固定電話の受話器をひったくっていた。
一刻も早く、一秒でも早く、彼女を部屋から連れ出さなければならない。
呼び出し音が、2018年の静寂を切り裂く。
一回、二回……。
祈るような沈黙の後、ガチリと受話器が上がる音がした。
「もしもし! 昭子さん!? 佐藤昭子さんですか!?」
塔子は受話器にかじりついた。だが、返ってきたのは、あの澄んだ優しい声ではなかった。
『……あらぁ。またあんたね。しつこいわねぇ、本当に』
粘りつくような、低く、湿った女の声。
隣人の、篠田悦子だった。
「……篠田さん!? どうしてあなたが昭子さんの部屋に……!? 昭子さんはどこですか!」
『佐藤さんなら、ちょっとそこまで。……もうすぐ、帰ってくるんじゃないかしらぁ?』
篠田の声には、狂気を孕んだ愉悦が混じっていた。背後で、パチパチという何かが弾ける不気味な音が、受話器越しに聞こえてくる。
「いいから、すぐにその部屋を出て! 火が出るんです! その部屋から火が出るんです!」
『……ふふ。あんた、面白いことを言うわね。まるで未来から見てきたみたいじゃない。……でもね、いいのよ。この部屋はもうすぐ私と佐藤さんの『思い出』でいっぱいになるんだから。あんたみたいな得体の知れない女の入る隙間なんて、どこにもないの。……ねえ、聞こえる? 炎の音。温かくて、とっても綺麗。……じゃあね。さよなら』
「待って! 篠田さん!!」
カチャリ、と冷酷な音を立てて回線が切れた。
「切られた……! あの女、昭子さんの部屋で……!」
塔子は狂ったようにリダイヤルボタンを叩く。戻ってきた昭子が、部屋に入るのを止めなければならない。あるいは、中で倒れている彼女が、ベルの音で目を覚ますかもしれない。
だが。
スピーカーから流れてきたのは、呼び出し音ではなかった。
『……こちらは、日本電信電話公社です。お客様がおかけになった電話番号は、現在使われておりません。もう一度お確かめの上……』
三人は、言葉を失って電話機を見つめた。
日本電信電話公社(電電公社)――。
それは、1979年のあの場所で、電話回線が物理的に「焼失」したことを意味していた。
「……つながらない」
塔子の目から、一筋の涙が溢れ落ちた。
「どうして……どうしてよ! 私たちがついているのに、助けられないなんて……!」
受話器から流れる無機質なアナウンスが、39年の断絶を冷酷に突きつけていた。
あの時、買い物に行くと言って笑っていた昭子の声が、遠い過去の闇へと呑み込まれていく。
2018年の夜、塔子の部屋には、届くことのない絶望のベルだけが、いつまでも虚しく響いていた。




