第八話
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「セリーナ、お前が味をみろ」
最初にそう言われたのは二年前のこと。
「しかし……」
戸惑う私に、オスカー様はふんと鼻を鳴らした。
「どこぞの女から梅毒をうつされたらしくてな、味覚が無くなったんだ」
そう言って、オスカー様は忌々しげに拳で机を叩く。
「クソ、なんだってこの私がこんな目に……」
「そ、それならば、これまでご関係を持った方々にご連絡を差し上げた方が……」
また拳が机を叩く。
「馬鹿か貴様! そんなことをしたら、美食家としての地位を追われるだろうが!」
オスカー様は声を荒らげて怒鳴る。
ビリビリと鼓膜を震わす声が恐ろしくて、私は身を竦ませた。
「どうせ私と関係を持った女なんて大したやつらじゃない。モンゴメリーの年増女に、フィッツロイの自堕落女。それにダドリー家の白痴娘。そんなヤツらのために、私の名が汚されるなんてあってはならないことだ。そうだろう」
そう言って、オスカー様はこちらを睨みつける。
言外に、バラしたらどうなるか分かっているな、という圧力を感じて、私は目を伏せた。
「お前も庶民とはいえ、もう半分はラドクリフ家の血が流れてるんだ。味の違いくらい分かるだろう」
そう言ってオスカー様は私の眼前に皿を突きつける。
「いいか、このことは他の使用人にも言うな。あくまで意見を聞くために一緒に味見をしている、そういうことにしておけ」
そこまで言って、オスカー様は顔を歪ませた。
「毒味ということでも構わないぞ。お前の庶民の血が、私を殺そうとする可能性も有り得るからな」
下劣な男だ。
自らの家督に驕り、平気で他者を軽んじて、蔑ろにする。
彼の父も同じだった。
使用人だったまだ幼い私の母を手篭めにし、孕ませた。
未成熟な母は出産に耐えきれず、私を産んで亡くなったのだと執事から聞いた。
外聞が悪いから弔いもしなかったと。
ダドリー家の血はとうの昔に腐っている。
享楽を貪ることしかできない下品な男に、どうにか一矢報いたい。
そう思っていた時にある『手紙』を受け取った。
その『手紙』に書かれていた内容から、私は全てを思いついた。
あの男が病気になったのはまさに天啓だったのだろう。
今なら病死を装って、あの男を毒殺できる。
果たして、思惑通りにことは進んだ。
病が進行していたオスカー様は、あっという間にヒ素に侵されて死んだ。
最後まで美食家の名声に縋って、味もしないのに食べ続けた料理によって。
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セリーナさんは静かに手袋を外した。
現れた手の爪には、くっきりとヒ素中毒の症状であるミーズ線がある。
「見事な推理でした」
呟いて、セリーナさんは目を伏せた。
「セリーナさん……」
何と言葉をかけていいか分からず逡巡したが、結局一番疑問であったことを尋ねることにした。
「どうして私たちに偽物のお茶を飲ませたの?味覚の無いオスカーさんと違って、私たちが気づく可能性もあったのに……」
「どうして……でしょうね」
セリーナさんは微笑んで、緩く首を振る。
「分かりません。バレる可能性を考えなかった訳では無いのですが……」
そこで一呼吸置いて、セリーナさんはどこか遠くを見つめた。
「もしかしたら、気がついてほしかったのかもしれません」
「良心の呵責に耐えかねたのかな。まあ残念ながら、オスカーが死ぬ前に気づくことはできなかったけれど」
鼻で笑うアーロンさんを横目で睨みつけてから、セリーナさんに視線を戻す。
「セリーナさん、外に警官が待機しています」
「ありがとうございます」
もう一度優雅なカーテシーをしてから、セリーナさんは私たちの横を通り抜け、扉へと向かった。
「きちんと罰を受けてまいります。……あの“手紙”に唆されて行った悪行を、精算するために」
「ちょっと待って!」
慌てて引き止めると、今まさに扉に手をかけて部屋を後にしようとしていたセリーナさんがこちらを振り返る。
「手紙って、なんのこと?」
今までの推理に一度も出てこなかった“手紙”の存在について問うと、セリーナさんはしまった、と焦りを顔に浮かべ、口元を手で覆った。
しかし最早隠し立てしても何もならないと思ったのか、小さく息を吐いてこちらに向き直る。
「数年前、旦那様が梅毒にかかった頃、一通の手紙を受け取りました。……手紙というより、小説に近いものです」
「小説?」
「ええ。老主人に虐げられた使用人が、自分諸共、ヒ素で老主人を毒殺しようとするお話です。老いぼれの老主人の方が先に亡くなって、病死として処理される。それを見て、この計画を思いついたのです」
全身から血の気が引くのが分かった。
そんなのまるで、誰かがセリーナさんを唆すために出した手紙ではないか。
「その手紙はどこに!?」
「今朝方、庭で燃やしました。誰かが読んで真相に辿り着いてはいけないと思っていたものですから……」
そう言うと、セリーナさんは深々と頭を下げ、今度こそ扉の向こうへと消えていった。
―――
「いつまでそうしているんだい?」
屋敷の裏手、しゃがみこんで落ち葉の燃え滓を見つめている私に、アーロンさんが呆れたようにため息を吐く。
「だって、もし手紙の話が本当なら、誰かセリーナさんを唆した人がいるはずだわ」
「だとしても、実行犯は彼女だろう」
アーロンさんはにべもなく切り捨てる。
「ただオリジナルの小説を送り付けただけだ。深く考えることじゃない」
「そうね」
アーロンさんの言葉に相槌を打つが、視線は燃え滓から離さない。
「でももし誰かが遊び半分で他人の人生をめちゃくちゃにしようとしたのなら、私はその人を許せない」
「ルル」
アーロンさんが私を呼んだ。
ルルと呼ばれるのが随分久しぶりな気がして、思わず顔を上げる。
事件が始まってから、アーロンさんは私のことを名探偵としか呼んでいなかった。
「帰ろう」
そう言って、アーロンさんがこちらに手を差し出す。
その顔に見たことの無い表情が浮かんでいて、私は息を飲んだ。
寂しいような、懐かしむような、そんな色を湛えた漆黒の瞳で、アーロンさんは私を見つめている。
「アーロンさん……?」
名前を呼ぶと、アーロンさんの目が優しげに細められた。
まるで愛しい者でも見つめるような視線に何も言えなくなり、躊躇いながらもアーロンさんの手を取る。
私が立ち上がると、アーロンさんはどこか名残惜しそうに指を離した。
二人で並んで寒空の下を歩く。
触れた指先にまだ温もりが残っているような気がして、私はそっと手を握り込んだ。




