第六話
「うーん、うーん、うーん……」
こめかみに拳をグリグリと押し当てながら唸る。
先程からずっとそうして歩いているせいで、通行人が皆、怪訝そうな顔をしながら私の横を通り過ぎていた。
「まだお悩みかな?」
「オスカーさんの死因に悩んでいるわけじゃないのよ」
かぶりを振って、アーロンさんの方を振り返る。
オスカーさんの皿に毒を盛れるタイミングはなかった。
そもそも考えてみれば、美食家のオスカーさんが、食事に異物が混入していて気が付かないわけがない。
どう考えても毒殺の線は薄いと私は踏んでいた。
「でも何かが引っかかるのよ。自分でも何か分からないのだけれど……」
またうんうん唸る私に、アーロンさんがくつくつと笑う。
「ひとまずは本当に彼が病死なのか、医師に確認してみるところからじゃないかな?」
「それはそうなのだけれど……あ、あったわ。ここね」
話しながらある建物の前で足を止める。
高級住宅地の一角にある、白壁の立派な建物だ。
真鍮のドアノッカーで数度戸を叩くと、年配の女性が顔を出す。
「はいはい、どちらさんでしょう?」
「オスカーの関係者です。昨夜の彼の死亡事故について、先生のお話をお伺いしたく」
そう言って、アーロンさんはにこりと微笑んだ。
「あらあらあら、まあまあ……オスカー様のところの……どうぞはいってください。旦那様は診療室におりますわ」
アーロンさんの外向けの笑みに絆されたのか、年配の女性はニコニコしながらドアを開ける。
屋敷に足を踏み入れながら、私は横目でアーロンさんを睨みつけた。
「何だい」
「別に。わざとらしい笑顔だと思っただけ」
玄関ホールからすぐ右手に診療室はあった。
疲れた様子の中年の男性が出迎えてくれる。
昨晩、オスカーさんの死亡を確認した医師の男性だ。
「まあどうぞ、掛けてください」
促され、アーロンさんとソファに腰掛ける。
「して、なんの用でしたかな。死亡診断書の作成? それとも安置所の紹介ですか」
医師は手元の紙束をペラペラと捲りながら、片手間に問いかけてきた。
「ああ、いえ、我々は彼の親族と言う訳ではありません。ただ昔からの……友人でして。彼がどうして亡くなってしまったのか、知りたいのです」
今にも死亡診断書を書き始めそうな医師を手で制して、アーロンさんは人好きのする笑みを浮かべる。
「ああ、そういうことでしたか……それはそれは……」
医師は気遣わしげに目を細めてアーロンさんを見た。
「それで、オスカーさんの死因に心当たりは……」
そう尋ねると、医師はちらりと私の方を見たかと思えば、手元の紙束に目を落とす。
医師の瞳が所在なさげに紙束の上を滑った。
「いや、まあ、うん。あれですな、病死でしょうな」
「病死? オスカーさんは病気だったの? 使用人は持病はないって言っていたけれど……」
医師は苦々しい顔で私を見てから、アーロンさんに視線を向ける。
「お嬢さんのいらっしゃる場で適切な話とは思えませんが……」
「構いません、どうぞ続けてください」
肩を落としながら、医師は重い口を開いた。
「つまるところ、梅毒ですな」
「ばいどく」
聞きなれない言葉に思わず平坦に繰り返す。
病名らしいが、それがどういう病気か検討がつかなかった。
アーロンさんに視線を向けると、アーロンさんは意味ありげに肩を竦める。
「というと、例の……?」
「ええ、ご友人なら噂には聞いておりますでしょうな。氏は巷の様々な女性と浮名を流しておりましたから、そのうちの誰かからうつったのでしょう」
「女性と、オスカーさんの病気と、何か関係があるの?」
純粋な疑問を口にすると、医師は一つ大きな咳払いをする。
「梅毒はですな、つまるところ、性行為によって感染する病気です」
「せっ……」
医師の言葉に二の句が告げなくなって閉口した。
横で笑いを堪えきれなかったアーロンさんが肩を揺らす。
「氏はいつ頃から梅毒に侵されていたんでしょうか?」
笑いを堪えながらアーロンさんが尋ねると、医師は顎に手をやり、首を捻った。
「二、三年ほど前でしたかな。人目を忍ぶようにここを訪れました。その時点で感染してから数ヶ月は経っているように見受けられましたな」
「症状としてはどのような?」
「発疹が主でした。それから悪化していくにつれて、発熱や嘔吐、下痢なども訴えるようになりました」
「大変な病気なのね……」
病気に苦しむオスカーさんの様子を想像して、やるせなさに首を振る。
今思えば、化粧をしていたのは梅毒の発疹を隠すためで、階段を昇った後に息を切らしていたのは梅毒の症状だったのかもしれない。
「妙ですな」
アーロンさんは心を痛めた様子もなく首を捻った。
「発熱はまだしも、嘔吐や下痢は梅毒の症状ではないのでは? 梅毒の主な症状と言えば、発疹や発熱、神経梅毒による感覚障害が主でしょう」
「そうですなぁ。まあ氏はおかしなものをよく口にしていましたから」
医師は考えるように紙束を指でなぞる。
「生の魚なんかを食べていたとか。食べ物が悪さしたのでは?」
「なるほど、納得できない話ではありません」
医師の言葉にアーロンさんは頷いた。
その後、いくつか質問をしたがめぼしい回答は得られず、アーロンさんと診療室を後にした。
とはいえ、と一つ伸びをして、私は思案する。
これで真相にたどり着いたと言っていいのではないだろうか。
オスカーさんは梅毒にかかっていたのを隠し、そのまま病死した。
アーロンさんの方に視線を向けると、アーロンさんは予期していたかのように指を三本立てる。
「不自然な点は三つある」
一つ目、とアーロンさんは人差し指以外の指を折った。
「オスカーは嘔吐や下痢の症状を訴えていた。これらの症状は梅毒ではほとんど見られない症状だ」
二つ目、とアーロンさんは中指を立て、二本の指を示す。
「オスカーはあの晩、突然苦しみ出して倒れた。しかしあの時点ではオスカーは梅毒感染中期程度の症状しか認められず、発作的に死ぬ確率は極めて低かったはずだ」
そして三つ目、とアーロンさんは続けた。
「警官に持病について尋ねられた時、使用人の女性は何も覚えがないと答えた。しかし同じ屋敷に住んでいて、主人の慢性的な体調不良に気づかないことが有り得るだろうか」
「アーロンさんは使用人の人を疑っているの?」
アーロンさんは意味ありげに目を細める。
「さてね。私はただの理髪師だから。推理は君の仕事だろう、探偵さん」
アーロンさんの言葉にムッとしつつ、思考を巡らせる。
苦しんで亡くなった美食家の男、食前の味見、違和感を感じる茶葉、梅毒による症状、毒を入れるのは不可能な状況――
「あ……」
ひとつの可能性に行きあたって目を見開く。
「何か思いついたかな?」
アーロンさんが期待したような目をして顔を覗き込んできた。
「ええ、ええ……だけど、確固たる証拠がないわ、アーロンさん。どうやって殺したかは分かっても、殺した証拠がない」
「証拠ならあるさ」
余裕たっぷりに言って、アーロンさんは唇を三日月の形に吊り上げた。
「あの屋敷に、ね」




