第五話
「起きなよ、寝坊助」
トントンとおでこを軽く叩かれる感触に目を覚ます。
寝ぼけ眼に映る美丈夫の顔に、私は記憶を巡らせた。
そうだった、結局あの後晩餐会はお開きになって、アーロンさんと家に帰ったんだった。
うーんと唸りながら伸びをして、ゆっくり上体を起こす。
「寝坊助って、今何時なの?」
「朝の五時」
「早起きすぎるわよ!」
予想外の答えに怒気を孕んだ声で返すと、アーロンさんは肩を竦めた。
「だって、早く行かないと証拠隠滅されるかもしれないじゃないか」
「証拠隠滅? なんの?」
問いかけた私を、アーロンさんは呆れたように見下ろす。
「オスカーの殺人事件の証拠に決まってるだろう?」
「殺人って……だって……」
料理に毒を入れられるような状況でなかったことは、昨日の取り調べで十分分かったはずだ。
私の心中を察したのか、アーロンさんはにやりと不敵に笑う。
「ありえない、の穴を見つけるのも探偵の仕事だよ」
―――
昨日とは打って変わって小さく実用的な馬車から降りて、眼前の建物を見つめる。
荘厳な建物は昨日と何ら変わりないはずなのに、どこか主人を失って寂しがっているように思えた。
「お待ちしておりました」
燕尾服に身を包んだ初老の男性がこちらに向かって頭を下げる。
確か執事の男性だ、と思い出しながら、私も頭を下げた。
「昨日のうちに話はつけておいたから」
そう言って、アーロンさんは執事に促されるまま屋敷へと向かう。
バタバタした中でいつの間に、と私は舌を巻いた。
案内されたのは厨房だった。
料理長の男性が私たちを出迎える。
その顔には突然現れた来訪者に対する不信感がにじみ出ていたが、態度は柔和だった。
恐らく怪しまれたくない気持ちがあるのだろう。
「これといって仕事はないんですが……長いことオスカー様の元で働いていまして、何もせんのも落ち着かんのですよ」
料理長は気恥しそうに頭を搔く。
「それで……昨日のことを改めて聞きたいと、そういう話でしたかな」
「ああ、悪いね。警察の真似事のようなことをして」
「構いませんよ。知人が突然亡くなったとなれば、気になるのは当然です」
アーロンさんの謝罪に、料理長は軽く手を振って応えた。
「えっと……昨日、オスカーさんは料理をほとんど口にしていなかったと聞いたけれど、それはいつものことなの? オスカーさんはあんなに美味しい料理、どうして食べなかったのかしら」
私の質問に、料理長は答えあぐねるように考え込んだが、やがて諦めたようにため息を吐いた。
「これは口外しないようキツく言われていたのですが……まあもう死人に口なしですな」
料理長は居住まいを正して口を開く。
「実は、オスカー様は事前に料理を味見していたのですよ」
「ほう、味見」
アーロンさんは興味深そうに料理長の言葉を繰り返した。
「ええ、晩餐会が始まる前に、全く同じメニューを一通り召し上がるのです。お客様に出すものは事前に自分で確認したいから、と。それで晩餐会の時にはお腹がいっぱいで食べられなかったのでしょう」
「じゃあ、その味見用の料理に毒を盛ることならできるのかしら」
私の言葉に料理長は眉をあげる。
「いいえ。料理は作る量が増えれば、その分水分量で味が変わってしまいますから。オスカー様はできるだけ同じものを、と仰るので、晩餐会と同じだけ作っていました。オスカー様が召し上がる分以外は我々が賄いとして口にしましたから、毒を盛るのは不可能ですな」
ちょっと言葉が直接的過ぎたかしら、と反省しながら、私は質問を続ける。
「じゃあ味見用の料理を運ぶ時は?その時に毒を盛れないかしら」
「それも不可能でございます」
不意に後ろから聞こえた声に振り向くと、メイドが立っていた。
丁寧にお辞儀をしてから、メイドは口を開く。
「味見の際は忌憚ない意見を聞きたいと仰られるので、私も食事を口にしていました。その際、料理は私が運んでいましたが、届いた二皿の料理のうちどちらを受け取るかは旦那様ご自身で選ばれるのです」
「なるほど」
メイドの言葉にアーロンさんが呟く。
「体のいい毒味という訳だ」
アーロンさんの言葉に、私も少し考えてみた。
オスカーさんが味見用に作らせた料理は、料理長が味見をした上で、二皿分をメイドに運ばせる。
運ばせた皿のうちどちらを食すかはオスカーさんが決め、残った皿をメイドに食べさせる。
考えてみれば確かに、この流れで使用人たちが毒を盛ることは不可能だ。
そこまで考えてから顔を顰める。
オスカーさんは自分に仕える使用人たちが毒を盛る可能性を考慮して、わざとこんな方法をとっていたのだろう。
そこまで信用が置けない人とひとつ屋根の下で暮らすってどんな気分かしら、と思いながら、私はアーロンさんを盗み見る。
意地悪な同居人だが、彼が私に振る舞う料理に毒が入っていたことはないし、その可能性を考えたこともない。
「他にオスカーが口にしたものは?」
「午後に紅茶を少々」
アーロンさんの質問にメイドが答える。
「それって昨日、私たちが飲んだのと同じもの?」
尋ねながら、昨晩飲んだ紅茶の味を思い出してつい渋い顔になってしまう。
「ええ、茶葉は私が保管しています。もちろんこちらも私が淹れる際に味見をしてから、旦那様が召し上がります」
そう言うと、メイドは缶を手渡してきた。
手渡された缶を開けて、私は何か違和感を感じた。
缶を振って中身を揺らしてみるが、何がおかしいのかは分からない。
ただ、家にある紅茶の缶とは何かが違っているような気がする。
「他に確認したいことはありますでしょうか」
難しい顔をして紅茶の缶を振る私に、メイドが淡々と問いかける。
「うぅん……とりあえず状況は分かったと思います。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げ、私たちは屋敷を後にした。




