第三十六話
トマスさんに連れられて、同じ階にある伯爵の執務室に向かう。
ノックをし、返事を待ってから中に入った。
中には書き物机があり、それを囲むように大きな本棚が並んでいる。
机の上には山のように書類が積まれているが、規則性をもって綺麗に並んでいた。
アーロンさんの部屋で時々雪崩を起こしている書類の山とは大違いだ。
「何か用かね」
書類から顔を上げた伯爵に、過去に亡くなった人達の記録を見たいと告げると、すぐに伯爵は本棚から一冊の冊子を取り出してこちらに寄越した。
「私なりにまとめたものだ。それとこれも」
そう言って、伯爵はもう一冊の冊子を手渡してくる。
「これは……?」
それはクロス装丁の日記帳のようだった。
ローズの刺繍が施され、可愛らしいデザインになっている。
「娘の日記だ。幽霊とやらを見るようになった時のことが書かれている。何かの参考になるだろう」
そう言うと、伯爵はトマスさんに向き直る。
「トマス、三階の私の部屋から封筒を持ってきてくれないか」
「すぐに」
それだけ伝えて、伯爵は書類に視線を落とし、それきり喋らなくなった。
先程とは態度が違うことに驚きつつ、私は礼を述べて部屋を後にする。
「それじゃあ、わたくしめは上に行きますので」
三階へと向かうトマスさんと階段で分かれて鏡の間へと戻る。
と、鏡の間の前で、何やら小柄なフォルムが二つ騒いでいるのが目に入った。
「やめろバカ犬!離せってば!」
小柄な少年が鏡の間の前で大声を上げている。
彼の視線の先にはもったりしたフォルムの犬がいた。
手足が短くずんぐりと太っていて、目が小さい。
少年のズボンを咥えて、鏡の間に向かおうとする少年を逆方向に引っ張っているようだ。
「大丈夫?」
私が声をかけると、少年はこちらを見てバツの悪そうな顔をした。
犬は咥えていたズボンを離し、こちらを向いて
「うふ」
と覇気なく吠える。
「……個性的なワンちゃんね」
言葉を選んでそう言うと、少年は大きなため息を吐いた。
「変な犬って言っていいと思う。雑種だし、バカだし。伯爵の飼ってる犬とは思えないよな」
「あお~」
犬はバカと言われたことにショックを受けたように、目をしぱしぱと瞬かせて悲しそうな声を上げた。
ふと、少年の顔に見覚えがある気がして、私は首を傾げる。
「……もしかしてあなた、オスカーさんのところにいた使用人の……」
「あっ」
向こうもこちらが誰か分かったようで、苦々しい顔をする。
「セリーナ姉ちゃんを警察に引き渡した探偵かよ」
吐き捨てるように呟き、少年は私を強く睨んだ。
「セリーナ姉ちゃん、あのクソ貴族の悪事のおかげで死刑にこそならなかったけど、しばらく刑務所から出られなくなったんだぞ」
「……そうね、梅毒をうつされた被害者たちの証言もあって減刑されたけど、懲役七年になったと聞いたわ」
「他人事かよ」
少年は舌打ちをして、視線を落とした。
「いいよな探偵って。正義気取りで事件を暴けば、それでおしまいなんだから」
「そんなことは……」
「じゃあ、自分のしたことは正しかったって、胸を張って言えるのかよ。セリーナ姉ちゃんは本当に罰せられるべきだったか? あの貴族が死んで、誰が苦しんだんだっていうんだ!」
少年の声がいよいよ鋭くなる。
「黙っていたら裁かれないような悪人を殺して、何が悪いんだよ」
「うふ」
少年の横で黙って成り行きを見守っていた犬が短く吠える。
その声に頭が冷えたのか、少年は気まずそうに頬をかいた。
「……お客様に対して失礼な物言いでした、ゴメンナサイ」
「いえ、いいわよ……」
気の利いたセリフも思い浮かばず、私は鏡の間へと続く扉に手をかける。
「……あなたも、鏡の間に用事?」
「……ウィリアム様に夕飯のメニューの相談に来ただけ。でも部屋に入ろうとするとこの犬が止めるから、また出直すよ」
そう言って、少年は犬とともに廊下を駆けて行った。
その背中を見送って、私はドアを開ける。
「……本当に大切なんですね」
部屋の中からウィリアムさんの声が聞こえてくる。
「からかうのはよしてくれ」
「ふふ、いえ、そんなつもりでは。貴方がそれほどまでに人に執着する姿を見るのが、珍しくて」
楽しそうに話すウィリアムさんとは対照的に、不機嫌そうなアーロンさんの声が聞こえる。
隙間から覗いたアーロンさんの顔は、何故か頬が赤くなっている。
「何の話?」
声をかけると、びくりとアーロンさんの肩が跳ねた。
勢いよくこちらを振り返ったアーロンさんの顔は、これ以上ないほど強ばっている。
「る、ルル、いつからそこに?」
「ちょうど今戻ってきたところだけど……」
アーロンさんの問いかけに首を傾げながら答えると、アーロンさんは咳払いをした。
「ああ、うん、それならいいんだ。いや、本当に」
様子のおかしいアーロンさんの態度に、何事かとウィリアムさんに視線を送ると、ウィリアムさんは悪戯っぽく微笑んだ。
「ちょっと男同士の話を、ね」
「ふーん」
さして興味もなかったので適当に相槌を打ちながら、私は部屋の中央へと歩み寄る。
「伯爵から亡くなった人の名簿と、ロザリンド嬢の日記を借りてきたわよ」
部屋の中央に置かれたソファに腰掛けながら、私は名簿をアーロンさんに渡し、日記帳を開いた。
日記は繊細な文字で綴られていた。
どことなく筆跡が伯爵に似ている。
ロザリンド嬢も伯爵に似た性格だったのかしら、と思いながら、私はページを捲った。
日記は途中まで至って平凡なものだった。
読んだ本が面白かったとか、刺繍を失敗してしまったとか、婚約者とのことだとか、至って普通の、貴族の令嬢の日常が記されている。
それが一変したのは、日記の半分程に差し掛かった時だった。
『このところ、ずっと頭痛がする。食欲もないし、それにやけに手足の先が冷える。風邪かと思ったけれど一向に治らない』
『どうしようもなく気分が乱れる。まるで感情が自分のものじゃなくなったみたい。些細なことでイライラしたり、泣きたくなる』
『何かがいる、そんな気がする。何かが、私の中に入ってきているような』
『鏡に"何か"が映る。手が震える。日に日に体調が悪くなっている』
『鏡の中の"何か"が近づいてくる。震えて上手く歩けなくなってきた』
『"何か"に、私が、乗っ取られる』
『あの女が、』
それ以降、日記は途切れている。
ゾクリとしてしまうほど鮮明な記録に、私は体を抱きしめるように腕を抱えた。
後ろから、日記を覗き込んでいたウィリアムさんのため息が聞こえる。
「……本当に、呪いなのかな」
「呪いなんてないさ」
私の対面の席に座って名簿を眺めていたアーロンさんが不敵に笑う。
「女性の不審死は先代モントローズ伯爵の頃から始まったようだね。さあ、どう思う名探偵?」
挑戦的なアーロンさんの言葉を受け、私は目を瞑る。
呪われた館、次々に亡くなる若い女性、鏡の間、徐々に衰弱する様子が記された伯爵令嬢の日記、鏡に映ると言われる"何か"。
考えているうちにズキズキと頭が痛み出す。
伯爵令嬢が味わった頭痛も、これと同じものだろうか。
「……アーロンさん、古い鏡って何で出来ているかしら」
私の言葉に、アーロンさんの唇が吊り上がる。
にんまりと笑ったその顔に、私は呆れて目を細めた。
「やっぱり、アーロンさんはとっくに謎が解けてるわよね」
「今回に関しては、重要なのは理屈が分かることじゃない。誰が、どう伝えるかだ。違うかな?」
そう言って、アーロンさんは天使のような微笑みを浮かべる。
「鏡の製法を教えるから、伯爵のところに行って真実を伝えておいで。私は帰り支度でもしておこう」
無責任なアーロンさんの言葉に項垂れつつ、私はソファから立ち上がった。




