第三十七話
コンコン、と伯爵がいる執務室のドアをノックする。
「どうぞ」
入室を促す言葉に、私はドアノブを捻った。
「お借りしていたもの、お返しするわ」
「そうか」
冊子を二冊渡すと、伯爵は表情一つ変えずに受け取った。
「それで、呪いとやらの謎は解けたのかね」
「ええ、恐らく」
私が頷くと、伯爵は眉を上げる。
「それでは、呪いの原因は?」
「恐らく鏡の間に置かれている古い鏡じゃないかしら」
私は伯爵をしっかりと見つめて言葉を紡ぐ。
「鏡の間にある鏡はどれも随分と古いものよね」
「そうだな。最も古いのは鏡台で、十八世紀中頃に初代モントローズが造らせたものだ」
伯爵は私の言葉に補足して、視線で先を促す。
「他にも古い鏡がいくつかあるでしょう? 若い女性がおかしくなる原因は、その鏡から揮発した水銀だと思います」
伯爵は冊子を手にしたまま、何も言わず私の言葉の先を待っている。
「鏡は通常、錫と水銀を混ぜ合わせたアマルガムで造られる。古い鏡だと経年劣化して、この水銀が揮発したものが漏れ出ることがある」
鏡の間に置かれた数々の鏡を思い浮かべながら、私は言葉を続ける。
「鏡の間は窓のない造りになっている。換気が行き届かないから、揮発した水銀の逃げ道がない」
部屋を開けた瞬間のカビっぽいような独特の匂いが脳裏に過ぎる。
あれはカビだけではなく、部屋に溜まった水銀の匂いでもあったのだろう。
人より鼻の効く犬は、この匂いに危険を感じて、少年が鏡の間に入るのを嫌がったのだ。
「女性ばかりが亡くなるのも、鏡の間に入るのが女性に限定されていたからだと思うわ。記録を見るに、伯爵家の娘か、その身支度を手伝う若いメイドばかりが亡くなっているもの」
若い娘ほど水銀に対する抵抗が弱い。
それ故の、若い女性ばかりが亡くなる"呪い"。
「水銀中毒の主な症状は体の震えや頭痛、慢性的な冷えに、感情の乱れ、幻覚。どれもロザリンド嬢の日記の内容と一致しているわ」
「そうか」
私の言葉に伯爵は頷いた。
「ではすぐに、鏡の間の鏡はすべて処分しよう」
「……えっと、でも、あの部屋にある鏡は、どれも高価なものよね?」
思い切りの良い伯爵の発言に驚きつつ尋ねると、伯爵は視線を手元の冊子に落とした。
「鏡などいくらでも買い直せる。だが、命は買い戻せない尊いものだ」
優しい手つきで娘の日記を撫でてから、伯爵は顔を上げた。
「礼を言う、ルーシー嬢。あなたのおかげで、この屋敷でこれ以上の犠牲を出さずに済む」
そう言って、伯爵は小さく頭を下げた。
そのあまりにもしおらしい態度に、私は息を呑む。
「そんな……私は状況証拠からそれらしい答えを出しただけだもの。感謝されるようなことなんて……」
「いいや、貴女がいなければ鏡を処分しようとは思わなかった。それは間違いなく貴女の手柄だ」
伯爵が顔を上げる。
威厳のある、それでいて優しい目で私を見つめながら。
「どうあれ、貴女に助けられたと思う人間がここにいる。そのことを誇ると良い」
「……はい」
私が頷くと、伯爵は目を細めた。
伯爵というより、今の彼は一人の父親として私と向き合っているのだろう。
肉親のことは何も覚えていない私だけど、何となく彼の表情を、厳しくも優しいおじいちゃんのようだと感じた。
モントローズ伯爵という人は、ウィリアムさんの言う通り、存外悪い人ではないのかもしれない。
「さて、それはともかく、ウィリアムとのことは本気で考えるといい。もしくは次代の子爵殿に責任を取ってもらうでもよかろう。将来のことはよくよく考えて行動するように」
と、思った矢先、伯爵は先程まで様子が嘘のように高圧的に言い放つ。
やっぱりこの人苦手かも……と思う気持ちを心の奥底にしまい込んで、私はアーロンさんのように貼り付けた笑顔を浮かべた。
――
「やあ、伯爵に鏡の管理が行き届いていなかった非を認めさせたかい?」
玄関から表に出ると、意地悪そうな笑みを浮かべたアーロンさんに迎えられた。
屋敷の前には行きに乗ったものと同じ、豪奢な馬車が停まっている。
「伯爵のことが嫌いだからって、そんな言い方は良くないわよ」
「嫌ってはいないさ。馬が合わないだけだよ」
そう言うと、アーロンさんはさっさと馬車に乗り込んでしまう。
「もう行ってしまうんだね。寂しいな」
馬車の傍に立ち眉を下げるウィリアムさんに、私はふと疑問を口にした。
「ねえ、男同士の話なんて言ってたけど、結局アーロンさんと何を話してたの?」
「気になる?」
私の言葉にウィリアムさんは悪戯っぽく笑う。
「君のことで釘を刺されたんだよ。伯爵の言うことを真に受けて、君に手を出さないようにって」
「わあ……」
予想だにしない言葉に一瞬言葉を失ってしまったが、即座に頭を下げる。
「ごめんなさい、アーロンさんが失礼なことを……」
「いやいや、こちらとしては珍しいものが見れて嬉しかったよ」
私の謝罪に、ウィリアムさんはくすくすと笑う。
「君のことが大切なんだよ、きっと」
「……そう、なのかしら」
唇を尖らせる私に、ウィリアムさんが手で馬車を指し示す。
「ほら、そろそろ行かないと。アーロン殿がヤキモチを焼いてしまうよ」
馬車に目をやると、面白くなさそうな顔をしたアーロンさんが目に入った。
むくれた子供っぽい顔を、つい可愛いなんて思ってしまう程度には、私も毒されている。
「それじゃあ、また」
「ええ、お元気で」
馬車に乗り込むと、アーロンさんが大仰にため息を吐いた。
「君まで伯爵の言葉を真に受けたわけじゃないよね?」
「まさか」
御者が扉を閉めるのを確認しつつ、私は対面に座るアーロンさんに身を寄せる。
「私ね、結構アーロンさんのこと好きみたい」
こっそりと伝えると、アーロンさんはぽかんとした顔をしてこちらを見つめた。
それからすぐに頬を赤く染め、瞬きを繰り返す。
「あ、いや、ウィリアムから何を聞いたかは知らないけど、私は決してそんな……」
ごにょごにょと何事か呟くアーロンさんに首を傾げつつ、私は言葉を続ける。
「アーロンさんって、意外とちゃんと私のお義父さんしてくれてるのね。なんかちょっと見直しちゃった」
「ああ、そういう……」
私の言葉に、アーロンさんは力が抜けたようにソファに体を預けた。
一体何を想像したのやら、と私は肩をすくめる。
今まさに馬車が発車しようというその時、馬車の横を屈強な体格の男性が通り過ぎて行った。
日に焼けた肌と盛り上がった筋肉からして、肉体労働者であることがひと目で分かる。
男性はウィリアムさんに何事か話しかけた後、モントローズ邸へと入っていった。
「あの人は誰かしら」
「庭師だよ。なかなかやり手の。伯爵は娘の愛した薔薇を大切にしているから、もう十年以上、この庭の管理は彼が一人でやっているらしい」
なんてことないようにサラリと宣うアーロンさんに、私は目を丸くした。
「え、庭師って若い女の人じゃないの?庭にいるのを見たのだけれど……」
「……若い女性が呪殺されるという館に、若い女性の庭師がいるとでも?」
車内を何とも言えない空気が満たす。
「……アーロンさん。私、今すぐ帰りたいわ」
「……うん、そうだね。余計なことは考えない方が良い」
私たちを乗せて馬車が走り出す。
去り際、ロザリンド嬢の部屋の窓辺に、中庭で見た女性が立っているのが見えたような気がした。
――
「……しかし、全ては私の見間違いということにするのが良いと思う。館の呪いの謎は解けたのだから」
いつも通り日記に事件のあらましを記して、私はペンを置いた。
オカルトを信じているわけではない。
わけではないが……だからこそ、説明のつかないことは恐ろしい。
「どんな謎も明快に解けるのが一番よね」
独りごちた時、不意に使用人の少年の言葉が脳裏に蘇った。
『いいよな探偵って。正義気取りで事件を暴けばそれでおしまいなんだから』
『黙っていたら裁かれない悪人を殺して、何が悪いんだよ』
「……正義気取り、か」
自分が正しいことをしている、などと驕っていたつもりはない。
だけど、少年の言葉に動揺したのは事実だ。
謎を解いた先がハッピーエンドとは限らない。
私が謎を解くことで、関係者全員が不幸になることだって有り得るのだろう。
そうなった時、私はどうすればいいのか。
見えないふりをした方が全員が幸福になれるなら、私は口を噤むべきなのだろうか。
「……アーサー・アシュフォードなら、どうするのかしらね」
顔も分からない父を想いながら、私は目を伏せた。
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薔薇屋敷呪殺事件 fin.




