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第二十六話

 そろそろ霧の街にも初夏の気配も漂い始めた。

 それでも街に吹く風はまだまだ冷たい。


 通りを行く淑女たちは春らしい明るい色合いのケープを肩にかけ、どこか浮かれた様子で歩いている。


 花壇に咲き誇るチューリップやライラックの色彩を見下ろしながら、私はため息を吐いた。


 修道院での事件から、早くも一ヶ月が経過している。


 あの時から足元がおぼつかない様な、妙な浮遊感は続いていた。

 一つの大きな拠り所を失って、自分の在り方を見失ってしまったようだ。


 アーロンさんとの約束は、まだ果たされていない。

 お互い普通に過ごしているつもりだが、どこかぎこちない空気が漂っている。


 そんな一ヶ月を過ごし、春らしい陽気とは反対に気分が沈んでいた。


 コンコン、と控えめにドアがノックされる。


「はぁい」


 返事をすると、ドアを開けてアーロンさんが顔を覗かせた。


「ルル、今暇かい?」


「確認しなくたって、いつも暇よ」


 つっけんどんに返答すると、アーロンさんは肩を竦めた。


「少し散歩でも行かないかい? 積もる話もあることだし」


 積もる話、と聞いて、私はじっとアーロンさんの顔を見つめた。


 アーロンさんは気まずそうに視線を逸らす。


「それって、この前の質問の答えが聞けると思っていいのかしら」


「……ああ」


 視線を逸らしたまま、アーロンさんが頷く。

 そういうことであれば、と私も覚悟を決めて立ち上がった。


 ――

 通りをアーロンさんと並んで歩く。


 暖かな陽気に、街を行く人々は皆どこか浮き足立っているようだ。

 荷馬車と人に溢れた道の両サイドに、ずらりと露店が立ち並んでいる。


 子供たちがお小遣いを握りしめて露店のお菓子を吟味している様子を微笑ましく見つめながら、私はこれまでの事件を思い返す。


 美食家殺人事件、見世物小屋火災事件、修道孤児院絞殺事件……。


 アーロンさんが私を引き取った目的は、ずっと"この街で一番の名探偵にするため"と聞いてきた。

 その目的からすると、これまでのアーロンさんの行動に矛盾はない。

 彼はずっとヒントのみを提示し、私が謎を解くのを心底面白がっていた。


 問題は、それが私である必要がないということだ。


 ベアトリスの方針で、孤児院にいながら様々な教育の機会に触れさせてもらっていても、所詮私はただの孤児だ。

 世の中にはもっと頭が良くて、良質な教育を受けた子供がごまんといる。


 それにも関わらず、元貴族である彼が、わざわざ治安の悪い東区まで来て私を選んだ理由は何なのか。

 それが、私が知らない私自身の出自と関係しているのだろうか。


 ――


 川にかかる橋を渡るとすぐに、緑に囲まれた広大な公園が顔を出す。


 湖や庭園も有するこの公園は、中産階級の人々の憩いの場として親しまれている。

 今日のような天気の良い日は子供連れやカップルが多く、皆思い思いに麗らかな春の陽気を楽しんでいるようだ。


 湖のそばの手頃なベンチに腰掛けると、アーロンさんは口を開いた。


「さて……どこから話そうか」

「考えてなかったの?」


 てっきり話がまとまったから呼ばれたと思っていたのだが、予想に反してアーロンさんは苦々しい表情を顔に浮かべている。


「どう話したものか、一人で考えても答えが出なくてね。いっそのこと覚悟を決めてしまおうと思ったんだよ」


 そう言って、アーロンさんは落ち着きなく足を組む。


「正直言って、身内の恥を晒すような内容でもあるから、進んで話したくないのが本音なんだ」


 アーロンさんの漆黒の瞳がこちらを向き、悪戯っぽく細められた。


「ほら、君の前ではかなり格好つけてるからさ、私」

「そうなの?」


 首を傾げると、アーロンさんは眉を下げた。


「……まあ、いいけどね。気にしてないならそれでも」


 何故か拗ねたような口調でそう言って、アーロンさんはゆっくりと首を横に振る。


「さて、私が貴族出身だということは知っているかな?」


 気を取り直して話し始めたアーロンさんの言葉に頷く。


「シッカートンというのが、私の生家だ。世間的にはホルブルック子爵、という方が分かりやすい。なんて事ない中堅貴族だったが、羽振りだけはいい家だった」


 アーロンさんは教科書でも読み上げるかのように淡々と言葉を紡ぐ。

 隣に座る彼の顔を見上げると、その目はどこか遠くを見つめていた。


「母は伯爵家の娘で、子爵である父とは家同士の政略的な結婚だった。社交界の天使と呼ばれるほど見目の良い女性ではあったんだが、理性的な会話が難しい人でね」


 社交界の天使とは大層なあだ名だな、と私はぼんやり考える。


 それはそれは綺麗な人だったのだろう。

 アーロンさんの顔の良さも母親譲りだろうか。


「父には母の他にパートナーと呼べる人がいた。男爵家の娘だが、とにかく頭のキレる人だった。その息子もとてつもなく優秀だったよ。頭の出来が悪かった私では、とても敵わないほどに」


「アーロンさんが、頭の出来が悪い?」


 驚いて声を上げると、アーロンさんはくつくつと笑った。


「家の名に恥じぬ結果を期待されていたからね。そういう意味では、私は不出来だった。唯一愛人の息子に勝てるところがあったとすれば、顔くらいかな」


 おどけた口調でそんなことを言って、アーロンさんはウインクをしてくる。

 いちいち顔の良さを誇示してくるのは鬱陶しいが、否定することが出来ない美貌の持ち主であることは確かだ。


「自分が愛人と比較されるのも、自分の子が愛人の子と比較されるのも、母には許せなかったんだろうね。母は度を越すほど厳しく、私を教育しようとした」


 ふと、そこでアーロンさんの目が柔らかくなった。

 時折見せる甘い色がその瞳に映るのを見て、私は息を飲む。


「……そんな折、出会ったのが君の父親であるアーサー・アシュフォードだ」

「私の……父親……」



 アーサー・アシュフォード。



 その音を口の中で繰り返し反芻し、ゆっくりと飲み込む。

 初めて聞くはずなのに、不思議と懐かしい感覚がした。


「彼はとても正義感が強く、問題解決に優れた人だった。貴族間の揉め事でも、間に入ってスパッと解決してしまうものだから、社交界では"名探偵"なんて呼ばれていたね」


「それって……」


 アーロンさんの目をじっと見つめると、その目がこちらを向いた。

 甘やかに揺れる漆黒の瞳はこちらを向いていたが、その実何か違うものを見ているようにも思える。


「彼は私にとって良き兄のような存在だった。ものの考え方、観察の仕方、世渡りの仕方……母の元では知れなかったであろう色々なことを教わったよ」


「……その人は、今どうしてるの?」


 私の言葉に、アーロンさんは目を伏せた。

 長いまつ毛が彼の瞳に影を作る。


「亡くなったよ。彼にしては珍しく、要らぬ恨みを買ったらしくてね。主人を失ったアシュフォード家は、他にもいろいろと不幸が重なった結果没落し、幼い君は流れに流れて孤児になった」


 そう言うと、アーロンさんはため息を吐く。


「兄と慕っていた人の子をすぐに引き取りたい気持ちはあったけれど、その頃私は諸事情で海外にいてね。戻ってきた頃には君の行方がすっかり分からなくなっていた」


「でも見つけたんでしょう?」


「ああ、何年も経ってからね」


 苦々しく呟いて、アーロンさんは眉を下げる。


「とはいえ、シスター・ベアトリスのご好意で、家名を捨てた怪しい中産階級の独身男である私でも君を引き取れたのはラッキーだったけどね」


「私も、ギリギリでアーロンさんに拾われてラッキーだったわ」


 そう言って、私は苦笑いを浮かべながら過去に思いを馳せる。


 孤児院にいる子供は皆、十五を過ぎれば孤児院を出て働くのが一般的だ。

 しかし家事スキルが壊滅的だった私は働き口が見つからず、あわや過酷な奴隷労働か路上暮らしか……と思っていたところにアーロンさんが現れた。


 流石にあの時は、私を引き取るという謎の美貌の紳士が、天からの遣いに見えた。


 私の心中を察してか、アーロンさんは唇を吊り上げる。


「ともかく、私は念願叶って恩人の子である君を引き取った。そして願わくば、君には父親のように立派で聡明な人物になってほしいと思っているんだよ」


 納得したかな?とアーロンさんは首を傾げる。


「なるほどね……確かに今考えてみると、アシュフォードって貴族っぽい重々しい名前よね」


「えっ、今そこかい?」


 私の言葉に、アーロンさんは呆れたように目を細める。

 そんなこと言われたって、いちいち自分の名前のことなんかじっくり考えたことがない。


「……まあ、これから成長すればいいよ」


 そう言って、アーロンさんは立ち上がる。

 私も立ち上がると、アーロンさんはどこか晴れやかな顔をしてこちらを見下ろした。


「少しお茶でもしようか。この辺りにカジュアルなティールームがあるんだ」


「うん!」


 アーロンさんの言葉に思わず大きな声で返事をする。


 ティールームは近頃になって流行りだした、女性向けの喫茶店だ。

 ほんの数年前までは女性の一人歩き自体眉を顰められるような行為だったそうだが、ティールームが出来てから随分と世相が変わったと、新聞に書いているのを読んだことがある。


 最も、私が育った東区は男女問わず一人歩きが推奨できる治安ではなかったので、正直なところその革新性は分からない。

 ただ女性向けに作られた空間、というところに興味を惹かれていた。


「アーロンさんもティールームに入れるのね」


「女性同伴ならね」


 アーロンさんはなんてことの無いようにさらりと言って歩き出す。

 過去に女性と行ったことがあるのだろうか。


 アーロンさんの隣に並んで歩きながら、ちらりと彼の横顔を盗み見る。

 相も変わらずどの角度から見ても美しい、美術品のような横顔だ。

 この顔で女性経験がないという方が無茶か、と私は肩を竦めた。

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