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第十九話

 馬車を降りて、霧に包まれた眼前の建物を見上げた。

 黒い鉄製の門扉に囲われたレンガ造りの質素な教会には、『聖ジュード修道孤児院』と刻まれた銘板が掲げられている。


「久しぶりの里帰りの感想は?」


 アーロンさんが茶化すように私に問いかける。


「なんというか……世界って広いわよね……」


 私は中央区の街並みを思い浮かべる。


 政治機能や上流階級の住宅地も擁する中央区は、常に人通りが多く活気づいている。

 商業も盛んで、アーロンさんの自宅がある中産階級の街並みですら、都会的で洗練されていた。

 たった一時間半程度馬車で走ってきただけでここまで生活の質に違いがあることには、正直驚かされてしまう。


「一つの街だけで世界の広さを語るなんてとんでもない。この国だけでどれだけの広さがあると思うんだい」


 私の言葉にアーロンさんは苦笑する。


 そう言われても、今までの人生で、中央区と東区以外に行ったことなどないのだ。

 世界の広さなど想像しようもない。


 そんなことを考えていると、門扉が開き、中から一人の女性が顔を出した。

 黒のコイフと修道衣を身につけた老齢のふくよかな女性は、穏やかな笑みを浮かべている。


「ようこそ、聖ジュード修道孤児院へ。ご無沙汰しておりますわ、アーロン様」

「ベアトリス!」


 かしこまった挨拶を述べるベアトリスに、私は思わず大きな声をあげる。


「あなたも、久しぶりねルーシー。ほんの数ヶ月なのに、なんだか随分お姉さんになったみたい」


 ベアトリスは私に視線を向け、目を細めた。


「ご無沙汰しております、シスター・ベアトリス。その節は、大変お世話になりました」


 ベアトリスと同じく、アーロンさんもかしこまった挨拶をする。

 それからアーロンさんはお土産が入った紙袋をベアトリスに手渡し、二言三言社交的な言葉を交わした。


 こういうとき、何となく大人に除け者にされたような気がして面白くない。

 二人の話が終わるまで、つま先で石ころを弄ぶ。


「さあ、どうぞ中へ。ちょうど礼拝が終わって、これから食事の時間ですわ」


 子供じみた不満を悶々と募らせていた私は、ベアトリスの言葉にパッと目を輝かせる。


「わあ! イースターのご馳走ね! 私達も食べていいの?」


「勿論よ」


 私の言葉に目を細めながら、ベアトリスが門扉の奥へと歩き出す。


「アーロンさんも、早く!」


 振り返って急かすと、アーロンさんは眉を下げた。


「はいはい。落ち着かないと転ぶよ」


「転ばないもーん」


 言ったそばから、割れたタイルに躓いた私の腕をアーロンさんが支える。


「ほら、言わんこっちゃない」


 アーロンさんが得意げに私を見下ろす。

 むっとして頬を膨らませると、アーロンさんは目を細めて笑った。


 そんな私たちを、ベアトリスは穏やかな顔で見守っていた。


 ――


 門を入って正面にある修道院を横に抜けると、L字型の並びで孤児院が建っている。


 中庭を通って建物へと近づくと、肉とハーブの食欲を唆る香りが鼻をくすぐった。

 次いで、焼きたてのパンの甘やかな香りも漂ってくる。

 聖ジュード修道孤児院のご馳走の匂いだ。


 期待に胸を弾ませながら、私はベアトリスが開けた重い木製の扉をくぐる。

 外よりも肌寒く感じる廊下を右手に歩いていくと、その匂いはますます強くなった。


 突き当たりで、ベアトリスが扉を開く。


 がらんとした広い食堂に、長机と丸椅子が並んでいる。

 机の上には料理が並べられ、椅子の上には規則正しく子供たちが座っていた。


 子供たちは一瞬ぽかんとした顔でこちらを見たあと、一斉に騒ぎ始める。


「ルーシーだ! ルーシーが帰ってきた!」


「貴族のところにお嫁に行ったんじゃないの?」


「やっぱり追い返されたんだ!」


 わあわあと喧しい様子に懐かしくなって、私は笑みを浮かべた。

 確実に失礼なことを言っている子が一人いるようだが。


「静かに」


 憮然とする私の横でベアトリスが低く、落ち着いた声で告げると、子供たちは口を閉ざした。


「無闇矢鱈と騒ぎ立てるものじゃありません。今日の良きイースターのお祝いのために、客人として二人を招待したのです」


「なぁんだ、じゃあ追い返されたんじゃないのか」


 一人の少年がおどけたように言うと、子供たちがどっと笑い声をあげる。


「静かに!」


 いよいよ厳しくなるベアトリスの言葉に、今度こそ子供たちは背を伸ばして押し黙った。


 ベアトリスに通され、私たちは部屋の奥の席に座る。


 テーブルの上の食事は私の想像通りだった。

 ごろっと大きな肉が入ったマトンのスープに、カゴいっぱいに積まれた白パン。バターで味付けした季節の野菜。

 懐かしいお祝いの食事に、私は目を輝かせる。


 私たちの隣の、長テーブルの端にあたる席にベアトリスが座り、顔の前で手を組んだ。


「それではお祈りを」


 ベアトリスの言葉に、子供たちも小さな手を組む。

 私も倣い、目を瞑った。


「神よ、私たちにこの食事を与えてくれたことに感謝いたします。貧しい者も豊かな者も、すべての恵みに感謝します。アーメン」

「アーメン」


 ベアトリスの言葉を復唱した後、子供たちが勢いよくパンに飛びつく。


 あっという間に子供たちの前にある籠が空になっていくのを眺めながら、私も客人用に用意された籠からパンを一つ手に取った。

 白パンをちぎって口元に運ぶ。

 外側のしっとりした焼き加減が最初に舌に触れ、噛むと中身のもちもちふわふわとした食感がたまらない。

 噛めば噛むほど口の中にバターと小麦の香りが広がった。


 次いでマトンのスープに手をつけようと手を伸ばしたところで、こちらを見つめるアーロンさんと視線がぶつかる。


「どうしたの?」

「いいや……」


 意味ありげに私の手元を見つめた後、アーロンさんは首を横に振った。


「なんでもないよ」


 なんでもないといいながら、アーロンさんはニヤリと笑う。

 これは何か良くない事を考えているな、と思いながら、私はスプーンでスープを掬った。

 窓から降り注ぐ太陽の光に黄金色に輝くスープは、マトンの旨みと塩で味付けされている。

 シンプルな味わいだが、体がほっと温まった。


「ルーシーも、この後のエッグハント参加するでしょう?」


 季節野菜とバターの香ばしさを楽しんでいた私に、横から少女が問いかけてきた。

 私より少し年下の少女は、利発そうな目を輝かせて私を見つめる。


「私も参加していいのかしら」


 ちらりとベアトリスに視線を向けると、ベアトリスは目を細めて微笑んだ。


「ええ、勿論。小さい子たちの手伝いをしてあげて」


「分かったわ!」


 元気よく返事して、私はアスパラガスを口に運んだ。


 と、扉の開く軋んだ音が響いて、私は視線を食堂の入り口へと向ける。


 そこにはブラウンの髪をなでつけた、やや小柄な男性が立っていた。

 シワのついたシャツに、上下で色の違うスーツを着ている。

 ジャケットもパンツもサイズが合わないのか、袖や裾が少し弛んでいる。

 男性は私たちのことをジロジロと無遠慮に眺めた後、ベアトリスに向かって手を挙げた。


「やあシスター、良きイースターの日に会えて感激だよ」


「何をしにきたのです」


 ヘラヘラと笑う男性とは対照的に、ベアトリスは厳しい顔で男性に問いかけた。


「ご挨拶だなぁ。単に顔を見にきただけだってのに。あれ、俺の分のご馳走はないのか?」


 そう言って、男性はテーブルの端に座った少女の肩に手を置く。


 やにわにベアトリスが立ち上がって男性の元に駆け寄ると、その手を払い除けた。


「あなたの分などありません。立ち去りなさい」


「へぇ、傷つくなぁ」


 大して傷ついた様子もなく肩をすくめると、男性は部屋の隅に置かれていた予備の丸椅子に腰掛ける。


「まあいいや。客人に酒の一杯くらいは出してくれるよなぁ?」


 どうにも居座る気のようである男性にため息を吐き、ベアトリスは食堂を出て行った。

 程なくして開封されたワインボトルを一本と、グラスを持って戻ってくる。


「今日はイースターのお祝いの日です。くれぐれも子供たちの楽しい時間を邪魔しないように」

「分かってるって」


 男性は受け取ったワイングラスに手酌でワインを注ぎ、一気に煽る。

 ベアトリスは心底疲れたような顔をしながら自らの席に戻ると、気を取り直したように手を打った。


「さあ、みなさん。食事が終わったら次はお待ちかねのエッグハントの時間です。今年も庭に卵を隠しましたから、みんなで探してきてくださいね。鐘がなるまでに最も多く卵を見つけた人には、特別なプレゼントがありますよ」


 不安そうな顔をしていた子供達は、その言葉に一斉に沸き立つ。


「アーロンさんはどうするの? 参加する」


 私の言葉に、アーロンさんは首を横に振った。


「見知らぬ大人が混ざっても邪魔にしかならないだろうからね」

「そういうことでしたら、二階に客間がありますので、そこでお待ちください」


 アーロンさんの言葉にベアトリスが微笑む。


「おいルーシー!」


 三つほど隣の席から声をかけられて視線を向けると、悪戯っぽい瞳と目が合った。

 アルフィーという、私の三歳年下の少年だ。

 先ほど追い返されただの何だのと、好き勝手に言ってくれたのは彼である。


「どっちが多く卵を探せるか勝負しようぜ!」

「しょうがないわねぇ」


 歳下の少年に付き合ってあげるお姉さんのイメージでツンと澄まして答えると、アーロンさんがくすくすと笑った。

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