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膠喰体《ゲルイーター》  作者: 禍福
エピソードⅠ 秘密
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8話 現状把握

 社長室。

 黒檀の扉を開けると、そこにあったのは巨大な窓。

 床から天井までを覆う巨大な窓ガラス。

 そこから差し込む光の奔流が、壁一面を埋め尽くしていた。


 外界の光景は凄惨だった。


 謎の生物が、ビルに群がっている。

 その姿形は実に多彩。

 クラゲのように宙を漂うもの。

 トカゲのように地を這うもの。

 巨大な本体に共通しているのは、内部に無数の光る粒が浮かんでいること。

 それはまるで銀河が渦巻いているようだった。


 大きさも様々である。

 人間サイズの個体は無数の触手を脚代わりに動き回り、逃げ惑う人々を狩っていた。

 数十メートルにもなる巨大な個体は、鋼鉄をも締め上げるような触手を車両めがけて伸ばし、蛇のように巻き付いてバスや乗用車を握り潰す。


 悲鳴は最後まで続かなかった。

 人間は、抵抗することさえ許されない。一方的な虐殺だった。


「……くっ」


 剣崎がブラインドを力任せに下ろす。

 遮光された室内に、壁に拳を打ち付ける音がした。

 人を守るべき立場でありながら、何もできない。その無力感が、行き場のない憤りとして現われていた。


「な、なんだよ!おい、こんなの警察の仕事だろ!銃とか使って撃退しろよ!」

「あの粘液のような本体に、拳銃が効くと思うか?」


 錯乱した桐村に、剣崎は冷たく返す。


「じゃあどうすりゃいいんだ!ここでじっとしていても、いつかあいつらに……」

「音に反応するかもしれない」


 囁くような片瀬の声。

 決して大きくなかったが、その言葉はすっと皆の耳に入り込んだ。

 十分に考えられる懸念だったからだ。

 実際、桐村でさえも口を閉じて聞く耳を持っている。


「明らかに人間を狙っていた。感知する手段が音であっても、不思議じゃない」


 襲撃前。

 彰は言っていた。


『奴らは感知した人間を徹底的に狙ってくる』


 あの忠告は、もう偶然では片づけられない。


「だから、必要以上に騒がない方がいい」

「っ、くそ」


 桐村は怒りの矛先を失い、爪を噛みながら壁にもたれかかる。

 ここで改めて、片瀬は提案をする。


「いったん、部長たちと合流しませんか」


 誰も異論はない。今は少しでも情報を整理するべきだった。


「外から見えないように、各階のブラインドを下ろしながら戻りましょう」

「おい」


 桐村が鼻で笑う。


「お前が言い出したんだからな!自分で責任持ってやれよ!」


 襲われるリスクの高い窓際には近づきたくない。かと言って、藍川に臆病者だと思われたくもない。そんな思考から、片瀬に面倒ごとを押し付けようとした。


「わかりました」


 もともと誰かに任せるつもりはない。

 当然のように受け入れた。


(……まただ)


 落ち着いた態度が、気に入らない。

 腹の底が熱くなる。

 どれだけ突っかかっても、片瀬は怒らない。

 まるで、自分など相手にしていないようで、桐村の苛立ちをさらに高ぶらせた。


 そこへ、小さなため息。藍川だった。

 彼女は何も言わない。けれど、その一つの吐息が自分の醜さを見透かしているようで、桐村は目を伏せることしかできなかった。




 結局は桐村も協力し、全員で各フロアのブラインドを下ろしながら階段を降りていく。そして二階の休憩室に差し掛かった時だった。


「――現在、全国で同時多発的に発生している未確認物体について、政府は緊急会議を……」


 テレビの音声が漏れてくる。

 静まり返ったビルの中では、その音量はあまりにも大きかった。


「音を消せっ」


 剣崎が慌てて休憩室に駆け込む。

 防災用ポータブル電源へ接続されたテレビの前に、権藤、世古、小野の三人が集まっていた。権藤がリモコンを芋虫のような指で握り、剣崎を睨みつける。


「何だ、その口の利き方は!!」

「外の化物は音を感知している可能性がある」

「はっ!何を馬鹿なことを!テレビぐらいで……」

「部長、今は可能性を一つでも減らした方がいいと思います」


 片瀬が割って入り、藍川は返事を待たず直接テレビの音量を下げた。


 権藤は人の話を素直に聞き入れるような人間ではない。

 ましてやそれが部下ならば、例え正当性があったとしても認めない。しかし今回ばかりは違った。駐車場の惨状はまだ瞼に焼き付いて離れない。さすがに今は異常事態と理解し、口を噤んだ。


 世古は肩をすくめながら「礼儀というものがありますよねぇ」と、いつものように権藤へ同調する。

 小野は椅子へ浅く腰掛けたまま、膝を抱き寄せてテレビ画面だけを見つめている。誰とも目を合わせようとはしなかった。


 やがてテレビの画面が切り替わる。


 スタジオのキャスターは明らかに動揺していた。


『未確認浮遊体が全国主要都市で確認されています!政府は偵察機を出撃させ、被害状況の把握を急いでいます!』


 上空からの映像。

 東京の街が、燃えていた。


 ビル群の間を、巨大なクラゲのような生物が漂っていた。

 無数の触手が道路へ伸びるたび、車両が紙細工のように押し潰される。

 中には高層ビルと見紛うほど巨大な個体もいた。

 一本の触手が薙ぎ払われる。

 ビルが傾き、崩れ落ちた。

 高速道路では逃げ場を失った車列が何キロにも渡って連なり、人々が我先に走っている。


『交通機関は全面停止!頑丈な建物内へ避難してください!』


 急に映像が乱れ、画面が止まった


「どういうことだ!」


 権藤がチャンネルを変える。

 今度は海外中継だった。


『こちらはアメリカです!』


 夜の戦場。

 戦車部隊が一斉に砲撃を開始する。

 轟音とともに砲弾が何かに命中した瞬間、何もなかった空間が揺らぐ。

 巨大な浮遊体が姿を現した。


「光学迷彩が剥がれたのか……」


 天沢が思わず呟いた。


 攻撃は続く。

 戦闘機がミサイルを撃ち込み、小型個体は吹き飛ぶ。しかし、巨大なものは触手で体勢を立て直す。そこから車や瓦礫を掴み上げ、砲弾のようにそれを投げ放った。


『回避――!』


 間に合わない。

 戦車が吹き飛び、爆炎が上がる。

 さらに別の触手が鞭のようにしなり、超高速で振り抜かれた。

 衝撃波だけで戦闘機が姿勢を崩す。

 空中分解。


『通信が――』


 画面いっぱいにノイズが走った。

 スタジオへ戻る。

 キャスターの表情は青ざめ、震える声で原稿を読み上げていた。


『世界各地の都市が同時多発的な攻撃を受けています。既に壊滅的な被害を受け、音信不通となった地域も多数確認されています』


 背後では慌ただしくスタッフが行き交い、スタジオ全体が混乱に包まれている。

 それでもキャスターは、必死に冷静さを保とうとしていた。


『政府はこれを、地球外生命体による本格的な侵略行為と断定しました。現在、各国政府は非常事態宣言を発令し、国境を越えた共同防衛体制の構築を急いでいます』


 画面の端では、世界各国の首都が次々と赤く表示されていく。

 東京、ニューヨーク、ロンドン、パリ、北京、シドニー。

 どの都市も、攻撃を受けていた。


『市民の皆様。不安なお気持ちは十分理解しております。どうか冷静さを保ち、行政の指示に従っ――』


 また画面が止まる。


「くそ!」


 権藤がまたチャンネルを変えるが、今度はどこも同じ。青い画面だけが映るだけ。

 ここで声がかかる。天沢だった。


「片瀬君。光学迷彩の情報だが、あれは既に世界中で共有されている。昨夜、君と別れたあと、私は各方面へ連絡を入れた。国内だけじゃない。海外の研究機関や軍関係者にも片っ端からメールで情報を流したんだ」

「……メールですか?」

「国内の大学、防衛省、NASA、欧州宇宙機関、片っ端からだ!」

「返事、来たんですか?」

「一割!」

(……微妙に少ないな)

「今、少ないって思っただろ!でもその一割が超一流だった!」


 胸を張る。


「研究者って変人が多いからな!変な話ほど最後まで聞いてくれる!」


 照れくさそうに笑った。


「まあ、そのせいで警察にも知られて、刑事さんとここで鉢合わせになったが」


 剣崎が苦笑いする。


「否定はできんな」

「だが、あの情報のおかげで迅速に戦力を配備できた国があるのも事実だ。もし防衛が遅れていたら、被害はもっと大きかっただろう」


 天沢は天才ではない。自分でも、それを理解している。だからこそ、人一倍動く。足りない知識は他人を頼り、世界中へ頭を下げ、使えるものは何でも使う。その執念が、結果として世界を少しだけ救っていた。


「何の話だ?」


 桐村が眉をひそめる。

 剣崎は頭を掻いた。


「私が片瀬を訪ねた理由だ」


 少し間を置いて続ける。


「我々は光学迷彩技術を、どこかの諜報兵器かテロを視野に入れ捜査していたんだ」

「だから片瀬を?」

「そうだ。本来ならこれは公安案件だが、こっちにも事情があってな」


 そこで苦く笑う。


「……完全に見当違いだったな」


 その笑みはすぐ消えた。

 剣崎は片瀬を観察するように見る。

 なぜ、光学迷彩だと見破った?

 なぜ、屋外が危険だと知った?

 偶然にしては出来過ぎている。他にも問い詰めたいことはあったが、桐村を眺めつつ、今は要らぬ混乱を招きそうで控えることにした。


「悪かったな」


 剣崎は片瀬に、軽く頭を下げた。

 それは刑事特有の場慣れがあって、申し訳なさはあまり出ていない。それでも片瀬は。


「いえ、気にしていません」


 このやりとりは、わだかまりなく話を終わらせる儀式のようでもあった。しかし。


「光学迷彩だぁ?どうせ適当な話がたまたま当たっただけだろ?お前、あんま調子に乗ってんじゃねえぞ」

(やはりか……)


 剣崎は大きなため息を吐いて、「あまり諍いを起こすな」と咎める。

 それを桐村は、「はいはい」と投げやりに応じた。


 事は収まったかに見えて、片瀬の胸は晴れない。

 彰が天沢と出会わせた理由は、光学迷彩の情報を世界に広げるためだった。

 重要な伝手だったにも拘らず、後手に回ってしまった。

 素直にアドバイスを信じていれば、もっと多くの人を助けられたのにと、そんな後悔があった。


「片瀬さん!なにをそんなに落ち込んでいるんですか!?」


 眉を八の字にさせた藍川が近づく。


「偶然でもなんでも、片瀬さんの話で沢山の人が助かったんなら凄いことじゃないですか!」

「いや、でも」

「はいはい、それじゃ一緒にこの階のブラインドも下ろしましょ!」


 ぐいっと腕を引っ張られる。沈んだ気持ちは、彼女の立ち振る舞いが気付けになる。

 いつだってそう。今回に限った話ではない。

 沈みかけた心を前へ引っ張ってくれる。片瀬はその強引さが可笑しくって、小さく笑った。




 ブラインドを閉め終えると、世古課長が尋ねる。


「それで、外の様子はどうだったんだね?」


 五階で目撃した惨状は、剣崎が伝えた。

 既にテレビで状況把握していたのが功を奏し、混乱は起こらなかった。

 よって、そのまま今後の方針を説明する。


「まず、侵入される可能性が高い正面玄関の見張りが必要だ。交代制で行おう」


 誰も返事をしない。

 互いに顔を見合わせるだけで、自分から名乗り出ようとする者はいなかった。そこへ。


「私が最初の当番をやります」


 意外な所から声が上がった。

 皆の輪から外れ、テーブルの端にいた小野美咲が手でマスクを調整しながら立っていた。しかし、足は正直だった。膝が震える。一歩踏み出そうとしても、思うように動かない。それでも唇をきゅっと結び、もう一度踏み出した。


「大丈夫ですか?私が代わりに行きましょうか?」

「大丈夫、一階の受付は……私の仕事だから」


 藍川が驚いたように目を丸くする。

 小野の声が、少しだけ強くなる。


「それに藍川さんはもう十分頑張ってる。私も何か役に立ちたいし」


 積極的な言葉とは裏腹に、本当は一人で一階に下りるなんて、考えただけで恐ろしい。

 でも桐村、片瀬、藍川。同年代が動く中で、既に一歩、出遅れている。

 このままだと、役立たずとして見捨てられるかもしれない。そんな不安が増幅していた。


「了解した。では早速頼めるか」


 剣崎の答えに、小野は返事をして一階へと降りていった。


 それから片瀬たちはスマートフォンを取り出し、それぞれ通信を試みる。しかし画面には無情にも圏外の文字が並ぶだけ。基地局そのものが被害を受けたのか、電話も通信アプリもまったく繋がらない。


「休むぞ。こんな状況で動き回ってばかりいては、体力が持たん」


 権藤が宣言し、肥え太った体をソファに沈める。


「我々管理職は冷静さを保たねばなりませんからね!」


 すぐさま同調する世古の姿に、桐村は鼻で笑う。ろくに動いてもいないくせに。そう思ったが、今さら上司へ噛みつくような真似はしなかった。


 誰もが疲弊していた。

 十分ほど経った頃。非常灯が、ふっと消える。

 部屋を照らす光は、ブラインドの隙間から差し込む昼の薄明かりだけになった。

 その薄暗さが、不安をさらに濃くする。


 ガン……ガンッガンッ。

 一階から物音がした。


 さほど大きな音ではない。

 それでも連続している。

 音は止まない。

 全員が、耳をすませて息を止めている。

 誰も動かない。

 それに苛立った権藤が顔色を変え、近くにいた世古を睨みつけた。


「おい!何をボサッとしている。さっさと様子を見てこんか!」

「はっはい!」


 世古は肩を跳ねさせ、慌てて立ち上がる。

 小刻みに震える足で階段へ向かう姿は、まるで死刑台へ歩いていく囚人のようだった。


 これが、この閉ざされた空間で起きる最初の転換点。

 コンクリートに守られたはずの避難場所は、既に、崩れ始めていた。

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