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膠喰体《ゲルイーター》  作者: 禍福
エピソードⅠ 秘密
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3話 居酒屋

 居酒屋の小さな個室。

 廊下を行き交う店員の声。

 食器の触れ合う音。

 どこかの席から聞こえる笑い声。


 その喧騒を、暖色の照明が包み込み、酒でほんのり赤く染まった藍川の頬を照らしていた。彼女は生ビールのジョッキを片手に、勢いよく身を乗り出す。


「桐村さんだけじゃないんですよ!みんな片瀬さんに雑用とか面倒ごとを押し付けすぎなんです!あんなの無茶です、無茶振りです!」


 あまりの剣幕に、片瀬は枝豆をつまんだまま目を丸くした。


「俺、仕事は出来る範囲しかやってないよ?」

「あーもう!片瀬さんは甘すぎるんです!優しすぎる!良い人すぎる!」

「大げさだって」

「そんなことないです!」


 ジョッキをガンッとテーブルへ置く。弾けた泡が縁からこぼれ、藍川は人差し指を突きつけた。


「みんな片瀬さんのこと、裏で都合の良い人って呼んでますから!」


 確かに、頼まれ事は滅多に断らない。複雑だったり面倒な案件ほど、できる限り調整して引き受けた。全体の効率を考えての判断だ。ただ都合の良い人と思われるのが気にならないかと言われたら嘘になる。けれど藍川が気に掛けてくれているのなら、それだけで十分に報わる気がした。


「役に立ってるなら、それでいいかなぁ」


 藍川は唇を尖らせる。ジョッキを傾け、生ビールを一気に飲み干した。


「ぷはぁ……」


 肩から力が抜ける。さっきまでの勢いが嘘のように、小さく息を吐いた。


「……はぁ、私の心が狭いのかなぁ」


 そう呟くと、そのまま額を机へ。

 ――ゴン。


 鈍い音が個室に響いた。

 本人は痛がる様子もない。まるで空気が抜けた風船のように、机へ突っ伏してしまった。

 オレンジ色の照明が、白いうなじを柔らかく照らしている。


「そんなことないって。俺が平気なのは、藍川さんのように気にかけてくれる人がいるからだよ」


 ぴくり。

 藍川の肩が震えた。

 ゆっくり顔を上げる。ぶつけた額が少しだけ赤くなっていた。


「片瀬さんって……私のお父さんと、ちょっと似てるんです。なんか、和む」

「お、おじさんっぽい?」

「あっ、違います!」


 慌てて首を振る。


「父は私が中学生の頃に亡くなったんですけど……似てるのは性格です。困っている人を見ると、自分のことみたいに動いちゃうところとか。損するって分かってるのに、全然気にしないところとか」


 ふと微笑み。


「放っておけないくらい、お人好しなところが……似ているんです」


 そう言いながら、藍川は無意識に両手を擦り合わせた。

 片瀬はその仕草を見て、何気ない動作でエアコンのリモコンへ手を伸ばす。

 温度を少しあげた。


「そっか。なら、悪い呼ばれ方じゃないな」

(……私が寒そうなの、ちゃんと気付いてくれた)


 藍川は胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。この人は、ただ単に頼まれ事を断れない、気弱な人だけのじゃない。誰かのため、自然と一番いい行動を選べる人なんだ。


 居酒屋の奥から、店主の「いらっしゃい!」という声が心地いい。新しく入ってきた客の笑い声が、二人の間へ流れ込み、少し湿っぽくなった空気をやさしくほどいていった。


 藍川は気持ちを切り替えるように笑う。


「そうだ、趣味の話しませんか?」


 そこからはメカの話になった。

 藍川の休日は、一日中バイクをばらしていること。

 エンジンを開けてバルブクリアランスを調整した話。

 気付けば話題はどんどん専門的になった。


「あっ、ごめんなさい!」


 藍川が慌てて口を押さえる。


「私ばっかり話してますね。片瀬さんの趣味は何ですか?」

「俺?」


 少し考えてから笑う。


「DIYかな。まとまった休みがとれたら、いつも実家に帰ってる」


 スマートフォンを取り出す。

 画面には山の高台に建つ木造平屋。湧き水を引くパイプ。手作りのドラム缶風呂。薪棚まで写っている。


「これ、全部ですか!?」


 藍川が思わず身を乗り出した。さらりと揺れた髪から、柑橘系の香りがふわりと流れる。二人の距離は無意識に近い。


「手作りですか!?すごい……!メカとは違いますけど、通じるものがあります!私もやってみたい!」


 そこまで言って、はっとする。


「あっ……」


 口元を押さえた。


「私がお邪魔したら、ご両親に変な誤解をされちゃいますね」

「いや」


 片瀬は穏やかに首を振った。


「両親は、俺が小さい頃に亡くなったから」


 藍川の表情が固まる。


「……っ」

「私と似た境遇なんですね」


 言った直後、慌てて首を振る。


「ご、ごめんなさい!私は父だけです。同じように話すなんて失礼でした」

「気にしなくていいよ」


 片瀬は静かに笑った。


「弟と一緒に祖父が育ててくれたから、寂しい思いはしなかった。実家っていうのも、その祖父の家なんだ」

「おじいさんのお家だったんですね」

「うん。祖父も亡くなったから土地ごと相続したんだ。身内は弟だけ。休みが合えば、今でも一緒に帰ってる」


 そこから自然と弟の話になる。一卵性双生児であること。改装費は出してくれたが、労働だけは「等価交換だ」と言って手伝わないこと。しかし文句を言いながらも、結局は最後まで付き合ってくれること。話す片瀬の口調は穏やかで、その端々に弟への愛情が滲んでいた。


 静かな会話。

 藍川は、会社の飲み会は嫌いだった。

 愚痴。自慢。悪口。そんな話ばかりだったから。

 でも片瀬と話していると違う。肩に力が入らない。父と話していた頃のように、自然と心が落ち着けた。


「やっぱり片瀬さんと話してると癒されます。弟さんの話も、すごく楽しそうで」


 ――ダン!

 突然、襖が乱暴に開く。

 立っていたのは、藍川のパンプスを貪るように見下ろす桐村だった。その目線がゆっくりと上がる。


「藍川!」


 怒気を孕んだ声が個室に響く。


「帰るぞ!こんな奴と飲むなんてやめろ!」


 桐村はそのまま藍川の手首を掴んだ。


「ちょっ……!」


 藍川の身体が引き寄せられる。畳を擦るほど強引な力だった。


(片瀬は胡散臭い)


 桐村は本気でそう思っていた。


(世間知らずの藍川は騙されてるだけだ。俺が助けないと)


 だから来た。自分は正しいことをしている。そう信じていた。


「何するんですか!離してください!」


 藍川が腕を引く。抵抗されるとは思っていなかった桐村は、目を見開いた。


(……洗脳されてるのか?)


 そんな考えすら頭をよぎる。


「何でここが分かったんですか!」

「お前の靴だ。今日はいつものじゃなかったから見つけるのに時間が掛かった」

「えっ……」


 藍川の表情が引きつる。


「ちょっと怖いです。それ、ストーカーみたいじゃないですか」


 その言葉にも桐村は悪びれない。

 そこへ片瀬が入り込む。

 桐村の腕を掴んだ。


「桐村さん。とりあえず落ち着いてください」


 穏やかな声。しかし鍛えられた手はびくともしない。振り払えない桐村は、苛立ちを露わにする。


「お前ごときが、藍川を飲みに誘ってんじゃねえよ!」


 怒鳴り声が店内へ響いた。

 個室だけでは収まらない。

 カウンター席の客たちが一斉にこちらを見る。

 その中の一人。ラガーマンのような体格の男が立ち上がった。


「兄ちゃん」


 低い声だった。


「店に迷惑掛けるなら、出て行け」

「んだと!」


 振り返った桐村は、店内中の視線が自分へ集まっていることに気付く。店員。他の客。誰もが冷たい目で見ていた。


「ストーカーじゃない?」

「さっき聞こえたよ」

「彼女、嫌がってるじゃん」


 ひそひそと囁く声が耳へ刺さる。

 桐村は唇を噛んだ。この状況は分が悪い。


「……チッ」


 舌打ちする。

 片瀬に掴まれていた腕を強引に振り解こうとする。だが腕はサッと離され、体勢を崩す。

 背筋を伸ばしてやり過ごそうとするが、衆目の冷たい視線に負けて肩が落ちた。


「後悔しても知らねぇからな!」


 捨て台詞を吐き、足早に出口へと向かう。

 恰好の付かない後ろ姿だ。しかしそれよりも、片瀬の関心は別のところにあった。

 ラガーマン体格の男。見覚えがある。テレビで見た顔だった。


(天沢晴さん……?)


 彰が、電話で名前を出していた人物。

 まさかこんな場所で会うとは思わなかった。

 片瀬は、その男へ歩み寄る。


「あの……助けていただいて、ありがとうございました」

「ん?」


 男が振り向く。


「天沢さん……ですよね?」

「俺を知ってるのか?」

「今朝のニュースを見ました」


 天沢は苦笑した。


「あー。勘弁してくれよ。どうせまた『UFOおじさん』って笑うんだろ」


 朝の威勢はどこへやら。

 肩を落とし、自嘲気味に笑う姿はテレビとは別人だ。

 今朝のテレビでは威勢よくUFOを力説していたが、SNSでは散々にこき下ろされていた。普段は明るい天沢も、今回ばかりは落ち込みが激しい。


「違うんです」


 片瀬は首を振る。


「とある筋から聞いた話なんですが、あの浮遊体……光学迷彩で姿を隠している可能性があるそうなんです」


 天沢の目が見開かれた。


「……今、何て言った?」


 スイッチが入ったかのような反応をする。


「ですから、浮遊体は光学迷彩で……」

「それだぁぁぁぁ!!」


 ガタンッ!

 天沢は勢いよく身を乗り出した。


「君!紙ある!?紙!」

「え?」

「メモだメモ!いやスマホでもいい!」

「ちょ、天沢さん?」

「光学迷彩だ!それなら全部繋がる!レーダー反射も!衛星ノイズも!電離層異常も!」


 天沢は個室へ入り込み、テーブルの割り箸で図を書き始める。


「待て待て待て……プレアデスじゃない!違う!もっと近い!NASA!いや違う!テスラ!?いや待て!全部だ!」


 話しが飛躍するマシンガントーク。

 置いてけぼりにされた藍川は蚊帳の外で、ぽかんと口を開けている。

 一方の片瀬は絶妙な間合いで相槌を打つものだから、天沢はご機嫌だ。夢中になって話し続けている。


「……何の話ですか?」


 藍川がこっそり片瀬へ耳打ちする。

 片瀬も苦笑いしながら、小さく首を横へ振った。


「実は……俺も、よく分かってない」

「君!」


 適当なのがバレた!

 ビクッとした肩を、天沢にガシッと掴まれた。


「はっはい!」

「君とは気が合いそうだ。今度改めて飲みに行こう」

「え?」

「いやぁ、久しぶりだ!ここまで話の通じそうな人間に会えたのは!」


 そこで名刺を交換し、困惑したまま握手もした。


「片瀬君か!覚えたぞ!いやぁ今日は満足した。さてさて、やることが一気に増えた!お先に失礼する!」


 そう言うや否や、嵐のように店を出て行った。スッキリした天沢とは対照的に、疲労感が増した二人。今日はもうお開きにしようと決めた。


「食事代は私が払います。誘ったのは私ですから」

「いや、さすがにそれは駄目だよ」


 レジの前を陣取って動かない藍川が手早く会計を済ませると、レシートをきちんと財布にしまい、店を出たらすぐ片瀬に向き直った。


「そうだ!代わりに実家に招待してください!場所はどこですか?」


 夜風に頬を触れられながら、片瀬は苦笑いしてスマホの地図アプリを開く。


「都内からだと車で四時間くらいかな。長野県の月川って、山奥にある小さな村なんだけど」

「あれ?え、嘘、長野って私の地元ですよ!」


 藍川の赤らんだ顔がぐっと近づき、スマホの地図を覗き込む。そこには彼女にとって、懐かしい地名が並んでいた。


「これは行くしかないですね!絶対に連れてってください!」

「じゃあ、そのうち予定を合わせようか」

「約束ですよ!」

「うん」

「絶対ですからね?」

「そんなに楽しみ?」


 お酒で赤らんだ頬で、少し照れたように笑う。


「……楽しみです」

「なんで?」


 一瞬だけ目を逸らす。


「……秘密です」


 そこへ、ちょうどタクシーが通りかかる。呼び止めた片瀬は運転手へ先払いをすると、藍川はアルコールで赤みを帯びた頬をぷくっと膨らませた。


「もう!」

「ん?」

「タクシー代出されたら、私がご馳走した意味がないじゃないですか」


 片瀬は照れくさそうに笑う。


「人の金で食べるご飯は美味しかったよ」


 ほんの少し間を置いて、


「ごちそうさまでした」


 そう頭を下げた。一瞬きょとんとした藍川は、吹き出す。


「あははっ!」


 夜道へ笑い声が響いた。

 タクシーへ乗り込む直前まで、その笑顔は消えなかった。




 一人になった頃。

 タイミングを見計らったように、スマートフォンが震えた。

 本日二度目。彰からだった。

 片瀬はすぐ通話ボタンを押す。


「もしもし」

『兄貴は地球外生命体を信じるか?』


 開口一番、それだった。

 天沢の飛躍したトークに疲れており、少し辟易とした。


「まったく……お前も天沢さんと似たようなことを言うんだな」

『答えてくれ、どうなんだ?』


 声は真剣だ。なので表情を引き締める。


「今朝の浮遊物体なら、自衛隊かどこかの新型兵器じゃないのか?」

『違う。あれは侵略者だ』


 反応に困る。


(これはジョークなのか?)


 そう思ったが、彰は昔から寡黙で人を笑わせたりしない。だからこそ困る。何と返せばいいのか考えあぐねていると――


『伏せろっ!』


 受話器越しではなく、直接頭に響くかのよう声。

 反射的に体が動く。

 そこへ頭上をかすめた空き瓶が、ガシャン!

 コンクリートに当たって砕け散った。


 振り返る。

 そこには、逃げていく細身の男の背中。

 少し曲がった背中に見覚えがあった。


「桐村さん……まじかよ。下手したら大怪我だぞ」


 普段から嫌味や嫌がらせならあった。

 しかし、こんな危険な真似までする人間だとは思っていなかった。


「……彰、助かった」

『礼はいらない。危ないのはこれからだ。あと、今まで通り、あまり俺の力は当てにするなよ』


 そう言うと、通話は切れた。

 もっと聞きたいことがあってかけ直す。だが、繋がらない。


(彰の、力か……)


 弟も、超能力が使える。

 それは未来視。

 遠い未来の精度は落ちるが、危険を事前に察知するのは確かだった。

 だから弟の言葉は信じている。

 それでも――。


(侵略者?彰が天沢さんと引き合わせたのは、意味のあることなのか?)


 ほろ酔いの片瀬は「ふぅ」と白い息を吐く。

 酔い醒ましに、夜風に当たりながら歩くことにした。


 スッと背筋が伸びたのは、寒さのせいではない。

 何かが起こりそうな予感が、無意識の緊張を走らせていたからだ。




 雲のさらに上。

 人の目では決して届かない高度に、無数の影が漂っていた。


 巨大なクラゲにも似た異形。

 静かに。

 音もなく。


 侵略者たちは、地上を見下ろしていた。

 ――襲来まで、あと十時間。

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