36話 傲慢な欲望
女性専用の控室である役員室には、小野がひとり、簡易ベッドに横たわっていた。
彼女の上着は脱がされ、ブラウスの第三ボタンまで外れている。そこから覗く豊満な胸の起伏、白い肌の鎖骨、スカートから伸びる太腿のライン。それを眺める権藤は、分厚い自分の唇を舐めた。
(こんな女だ、俺の言うことなら逆らわんだろ)
まず太い指が、小野の肩を掴む。乱暴に揺すった。
「おい、小野、起きろ」
反応が無い。
権藤は改めて周囲を見回し、誰もいないことを確かめる。
「……本当に、寝ているのか?」
その手は肩から頭部へ、髪に触れた。
指先に少し湿った汗の感触。不衛生な嫌悪を上回る興奮がこみ上げた。
次に頬に触れた。二十代のつややかな肌の感触に、ごくりと喉が鳴った。
目覚めない。
気を良くした権藤は、厚かましくも指先が首筋を這う。
鎖骨をなぞり、
そのまま腕から足へ、
そして太腿の柔らかく張りのある肌を撫でまわした。
「こんな時だ。お前は素直に俺に従っていればいいんだ」
下卑た笑み。
小野は未だに目覚めない。微動だにせず、死者のように横たわっている。
さらに調子に乗った。
少し開いた胸元へも手を伸ばす。
掌全体で胸を覆い、弾力を確かめるように揉む。
「ふん、悪くない」
覆いかぶさり、ふくよかな胸に顔を押し付けた。
無抵抗さが、背徳感を掻き立てて興奮が増す。
もう一方の手がショーツ中に滑り込む。
身を任せるような姿勢に、欲望がさらに膨らんでいった。
「お前みたいな女は、こうでなきゃな」
権藤は脂肪をまとった腕で、締めつけるように彼女の腰を抱き寄せた。
その瞬間──違和感を覚えた。
腕の中の体が、硬い。ぴくりとも動かない。
「……」
ここで。
小野の目が、開いた。
目は結膜炎のように充血し、瞳孔がギョロギョロと忙しなく動く。
ピタリ、と眼球の動きが止まった。
そして、彼女の手足が権藤の体に絡みつく。
「っ!?……起きたのか?」
権藤は驚いた。しかし、まだ事態を理解できていない。
「なんだ、お前もその気になったのか?」
次の瞬間、その傲慢さが欲望と共に打ち砕かれる。
「がっ……ギャァアアアアッ!?」
小野の腕と脚が、万力のように権藤の体を締め上げた。
人の関節可動域を無視し、軟体生物のように絡み、権藤の骨が軋む。
筋肉が圧迫される感覚。苦悶の声を上げて、必死に小野の体を引き剥がそうとする。だが鉄の輪に嵌められたように動かない。
「放……せ……!この、……馬鹿力がっ!」
小野の赤い目は無機質。
そして女の細腕でありながらも、肥え太った権藤の脂肪を絞るように締め付けた。
◇
「ギャァアアアアッ!?」
深夜の廊下に絶叫が響き渡った。
それをいち早く耳にした片瀬は、役員室へ駆け込む。
そこで目にしたのは、小野が権藤の肩に食らいつく場面だった。
「た、助けてくれ!こいつがっ離さねえ!」
権藤の額からは苦痛で脂汗が噴き出していた。
なぜ女性専用の控室に権藤がいるのか。疑問はよぎった。
だが今はそれどころではない。状況が状況である。
片瀬はまず、小野に呼びかけた。
「小野さん!落ち着いてください!」
返答はない。
彼女の目は真っ赤に充血し、焦点が合っていない。
次に小野の腕を掴んで引き離そうとした。
しかし、鉄の枷のように固く、びくともしない。
(普通じゃない!)
腕力だけでは駄目だ。
念動力を重ねる。
出力を少しずつ上げる。
男数人分の力で引き剥がそうとする。
すると締め付けが弱まった。
だが、まだ足りない。
締め付ける腕力は、女性の力どころか、人間に出せる力を優に超えていた。
「くっ!」
念動力を一旦、権藤が苦しまないギリギリまで弱める。
さっきのは、ゆっくりと押し広げるような力だった。次は、爆発的に力を増幅させる。
空気が歪むような圧力が発生。
瞬時に小野の身体は権藤から離れた、が……。
――ブチッ!
食らいついていた小野の歯が、権藤の肩肉を引きちぎった。
血しぶきが飛ぶ。
「ガァアアアアアッ!」
あまりの激痛に床でのたうち回る権藤。絨毯には血が滴り落ちた。
小野は念動力によって弾き飛び、壁に叩きつけられた。
――ブンッ。とバットを素振りしたような音。
起き上がりだるまのように一瞬で立ち上がった。
目は虚ろだ。
人間味はなく、不気味さが際立つ。
口の端から血の混じった肉片がのぞく。
それを、ごくりと飲み込んだ。
「ひ、ひぃぃ」
恐怖に震える権藤は四つん這いで、片瀬の足にしがみつく。
小野は予備動作もなく跳躍。
天井近くまで届くその脚力は、肉食獣のよう。
片瀬の顔面目掛け、歯をむき出しで襲いかかった。
「っ!」
片瀬は権藤にしがみつかれ、ろくに身動きが取れない。咄嗟に屈む。
――ガチンッ!
歯が噛み合わせる音が、頭上を掠めた。
飛び掛かった勢いのまま壁の側面に着地。
その反動を利用して跳ね返る。
今度は手足を大の字に広げて襲い掛かってきた。
次はもう躱せない。
恐怖に支配された権藤に下半身をしがみつかれ、動きが制限されたままだから。
「くっ!」
権藤は目をつぶっている。
これなら超能力は見られない。
念動力で真横に払い飛ばす。
小野は宙で揉まれながら、重厚な執務机にゴッと鈍い音を響かせ頭部をぶつけた。
首は……真後ろに曲がっていた。
なのに、その状態のまま、四つ足の獣のように着地。
「――なんだこりゃあ!」
騒ぎに駆け付けたのは天沢だった。
すぐ後ろに、鉄パイプを握りしめた桐村もいる。少し離れて藍川、亜香里に支えられた剣崎、そして鈴音の姿もある。全員がそろっていた。
「小野さんに近づくな!逃げろ!」
片瀬が叫ぶ。
その女性は、もはや小野と呼べるか曖昧な存在だった。
百八十度反転した首が、ゴリッと骨を軋ませる。
何事もなかったように、首は元の位置に戻った。
「そっそいつは化け物だぁああ!」
権藤の叫び。
小野は治ったばかりの首を左右に振り、次の獲物を探しているようだった。そして、出入口のドア付近にいる天沢に向かって、ゆらゆらと近づく。
(させるか!)
片瀬は両手を前に突き出し、小野を縛り付けるイメージで念動力を発動。
不可視の力だ。
「なんだ?動きが止まったぞ」
桐村が疑問の目を向ける。
一同も、なぜ小野が急に止まったのか理解できず、戸惑った。
片瀬は超能力を隠したい。
幸い、まだ誰にも気づかれていない。
だからまず、近づくなと警告をしようとした。
だがその直前で、先に天沢が動く。
「取り押さえるぞ!」
星座模様のスーツを翻し、小野にタックルを仕掛けた。
小野は転倒したが、捕縛していた念動力の座標がズレてしまう。
不可視の力による拘束が解かれてしまった。
「ぐはっ!?」
軽い動作に見えた。ただ女性が腕を振り払っただけ。
なのに倍近い体重のある天沢が吹っ飛ばされ、天井に激突。
天沢は痛みでうずくまった。
「おらぁっ!」
即座に攻撃の手段を選んだのは桐村だった。
この異常事態に適応した彼だったが、狙うのは致命傷にならない太腿。
鉄パイプで殴りつける――ゴキッと、骨がひしゃげる。
小野は腰を落とし、細い腕でガード。肘は、内側関節から骨が飛び出していた。
やり過ぎた。
そう思った桐村は硬直した……だが、傷口から流れ出たのは、血ではない。
ズルリと、半透明の粘液が伸びていた。
それが攻撃に転じる。蛇のように飛び掛かり――桐村の腹に直撃した。
「うおっ!?」
桐村も吹き飛ばされ床を転げたが、すぐに顔を上げられた。
咄嗟の念動力で庇われ、威力が弱められていた。
小野は折れた腕を波打たせるように動かす。
すると肘の負傷は、一瞬で修復された。
「彼女はもう……人間じゃない」
剣崎が弱々しい声で言った。
男二人が吹き飛ばされ、残った藍川がドアの前で、鈴音たちを守ろうと立ち塞がっている。八重歯で下唇を噛みしめ、スパナを握る手は震えていた。
片瀬は深く、長い息を吸う。そして全員を見渡してから、覚悟を決めた。
「皆さん、先に逃げてください」




