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ゲルイーター  作者: 禍福
エピソードⅠ 秘密
27/48

26話 二度目の敗戦

 三階バリケード前。

 廊下の窓ガラスは、唸るような突風に叩きつけられていた。


「……これか」


 机やロッカーで組まれたバリケードの一部が腐食し、直径十センチほどの穴が開いていた。トカゲ型膠喰体ゲルイーターの侵入経路はここで間違いない。


 穴を塞ぐことも重要だが、今優先すべきはトカゲ型膠喰体の行方を突き止めること。五階の大会議室に現れ、換気口に逃げ込んだ後、どこへ向かったのかわからない。狭い隙間に潜まれたら、さすがに見つけられない。


 懐中電灯を片手に捜索する天沢が、困ったように頭を掻く。五階から三階まで丹念に捜索しながら降りてきたが、トカゲ型の痕跡は見つけられなかったからだ。


「手詰まりだな」


 天沢は頭を掻きながら苦笑する。


「……いや、こういう時ほど見落としがあるもんなんだけどな」


 片瀬と天沢の数歩後ろにいる桐村は、捜索にあまり関心を示していない。代わりに頭の中を占めているのは、次に片瀬を陥れる策略だった。


(警察が片瀬を疑っているのは周知させた。だが、まだ不十分だ)


 あれが無意味だとは思っていない。少しずつほころびを広げれば、徐々にやっぱり片瀬は怪しいかもと疑い始めるだろう。

 それに狂乱した小野が「あんたたちが膠喰体をおびき寄せたんだ」と叫んだのも、悪いイメージを後押しできる材料のひとつになる。

 仮に、トカゲ型の襲撃で被害者が出れば、片瀬の無謀な行動を糾弾すればいい。きっと罪を仕立て上げられる。

 食料調達で英雄面したいがために仲間を危険に晒した男。そんなイメージを皆に植えつければ、予め片瀬を怪しいと警告した自分は見る目がある者として、株を上げられる。そうなれば藍川の視線だって、自分に向く。


 これらは、桐村にとって自己都合の良い筋書き。

 現実はどうであれ、余裕のない彼はこの流れを妄信するしかなかった。


「おっこれは!」


 天沢が新たな腐食痕を発見した。ライトを当てて後を辿るも、階段を上がる途中で途切れている。


 手がかりを見つけた場面でさえも、桐村は手持ちのライトを当てない。そんなことよりも、もっと片瀬を罠にかけられるような何かを探す。


 そのままオフィス沿いの三階廊下を捜索していると、稲光。ほぼ同時に窓ガラスが震えた。炸裂音は頭頂部を貫き、重低音を轟かした。すぐ近くでの落雷だった。


 耳をつんざく雷鳴に、片瀬たち思わず目を閉じ耳を塞ぐ。


 桐村は違った。目線は、闇の奥で固定されていた。

 オフィス内の、傾いたブラインドの向こう側。

 そこにある、ひび割れた窓。

 屋外側に張り付く、膠喰体。


(……今知らせたら、また片瀬の手柄になる)


 あいつなら真っ先に飛び出し、また皆を助ける。そうなれば、食料調達の時と同じだ。片瀬への信頼はさらに強まり、自分の入り込む余地はなくなる。


(それだけは駄目だ)


 まだ片瀬と天沢は、気づいていない。

 オフィスに目を向けるどころか、彼らは階段付近の腐食痕ばかりに気を取られていた。だからこそ、タッタッタと軽い足音をすぐ耳にする。


「お天気おじさん!」

「鈴音ちゃん!」


 少女が慌ただしく、たったひとりで階段から駆け降りて来た。天沢が単独行動は危ないと注意するが、どうやらそれどころではないらしい。


「もう、そんなのいいから早く戻って来て!」

「何があったんだ!?」

「お願いだから早く!早く来て!」


 天沢の手を引く鈴音。一同は急いで三階に戻るのだった。

 一方で桐村は何も告げない。窓辺で目撃した膠喰体を黙殺する。


(材料は揃いつつある。あとは、最適なタイミングで仕掛けるだけ)


 最後尾で引き返しながら、桐村は妄想に耽る。信頼を失った片瀬が衆人環視の中で瓦解する姿を。真実を知った藍川が、驚きと後悔の目を向ける場面を。


 片瀬さえ失墜させられればいい。彼の頭の中からは、いつしか膠喰体への警戒すら薄れていた。


 薄い唇が愉快そうに歪み、悦に浸る。彼は悪意を抱いている自覚がない。ただ正義を演じている偽善者を暴く者。その使命に酔いしれていた。




 社長室に戻った片瀬たちは、異様な光景を目にする。

 コートを敷いた床の上でぐったりと横たわる小野。亜香里と藍川が看病していた。それを権藤は野次馬のように一歩引いた位置でのぞき見をしている。剣崎はソファで眠ったままだ。


「どうした!?」

「トイレで倒れていたんです。気を失ったまま、意識が戻らなくて」


 片瀬と天沢が駆け寄ると、亜香里が看護師としての冷静さを保ちつつ、小野の脈を確認しながら説明を続ける。


「体温が低く、発汗が止まりません。それに呼吸が少し変です。眠っている人の呼吸とは違う気がする。でも理由がわからなくて……」

「ったく、小野は足手まといにしかならんな」


 倒れた小野を値踏みするように見下ろし、口元を歪める。


「騒がず寝てる分には、さっきよりマシだな」


 権藤は昏睡状態である小野の体を舐めるように見下ろし、そう吐き捨てた。

 亜香里は(何を言い出すんだ)とでも言わんばかりに睨み上げる。そこで、ナース服の胸元を覗き込む権藤と目が合い、慌てて胸元を押さえた。


 そこへ片瀬がすっと間に入る。

 権藤のやらしい視線を遮るように立ちはだかった。

 眉をひそめた権藤だが、さすがに胸を覗けなくなったことを理由に激怒するほど愚かではない。


「膠喰体に襲われた形跡はありませんか?」


 片瀬の問いに、亜香里は健気に首を左右に振る。卑猥な視線に逆らえなかったのが悔しかった。それでも説明は続けた。


「目立った外傷はありません。パニック発作の可能性が高いと思いますが、断定はできません」


 小野が精神的に弱っているのは誰の目にも明らかだった。責任感の強い片瀬は、配慮が欠けていたと悔やむ。


「もっと……気に掛けるべきだった」


 小野の異変に、誰より先に気づくべきだった。片瀬は奥歯を噛み締める。


「小野が弱いだけだろ……何でも自分のおかげ、何でも自分の責任か?随分と忙しい奴だな」


 桐村が毒を含んだ声を落とす。


「そもそも……」


 その言葉をさらに繋げる前に、閃光が走った。


 ――バン!

 光を追うように、遠くで爆発音が響く。

 外は真昼のように明るい。

 片瀬たちは反射的に窓に駆け寄った。

 ブラインドの羽根の隙間を広げる。


 無数の閃光弾が流星のように夜空を裂き、白銀の軌跡を描いて落下していた。


 時刻は、深夜零時。

 昨夜と全く同じ時間帯での、交戦開始であった。


「自衛隊だ!」


 権藤の、救助の期待をはらんだ声。

 炸裂した閃光弾が、半透明の巨体を照らし出す。

 巨大な触手がゆらめき、その表面には無数の光る核が脈動している。


 戦車の滑腔砲が火を噴く。

 砲弾が夜空を赤い光の帯となって疾走。膠喰体の中心部を貫通した。


 破裂したジェリー状の肉塊が雨のように降り注ぎ、コンクリートに当たるたびに「ジュルジュル」と溶解する音を立てる。


 さらに続く砲撃。

 第二発、第三発。

 夜空が火の粉と閃光で染まり、爆風が窓ガラスを震わせた。


「効いてる!いや、待て!」


 砲撃で千切れた触手の破片は地面に落ちてなお、うねり続けた。

 それが独立して動き出す。

 拳ほどの大きさに分裂したトカゲ型もいる。

 装甲板に群がり、戦車の吸気口から内部に侵入。

 兵士の「やめろっ!離せ!」という叫びが、炎上する車両の爆発音にかき消された。


 巨大な触手が、五十トン級戦車を叩きつけた。

 鉄塊が玩具のように宙へ浮き、車体が横転する。

 履帯が引き千切れ、装甲板が紙のように折れ曲がる。

 中から這い出そうとした兵士へ、触手が静かに伸びた。


「離せっ!!」


 その叫びは炎に飲まれた。


 鉄の悲鳴を上げる戦車はひしゃげて変形し、燃料タンクから噴き出した火柱が夜空を焦がし、黒煙が渦巻く。

 戦車の砲塔が傾いて、中から這い出た兵士が次々と触手に絡め取られて消えていった。


 閃光弾が連続して打ち上げられる。

 夜空を白昼のように照らす。

 戦線は、ここから数百メートルまで迫っていた。


「昨日と戦術が違う。閃光弾の使用頻度が増えている。やはり光が有効なんだな!」


 天沢の素人目で見ても、自衛隊の攻撃は昨夜よりも組織的であった。

 閃光弾を多用し、膠喰体を撹乱する。

 火炎放射器が炎の壁を築き、その隙に戦車部隊が前進する。


 昨夜よりも遥かに洗練された連携だった。

 明らかに対策を講じてきている。


 それでも、止められない。


 天候は味方してくれない。

 雨による鎮火。光の効果も、一時的な足止めにしかならない。

 巨大な個体が触手を振るうたび、装甲車は吹き飛ばされた。


 興奮した天沢とは対照的に、桐村は冷ややかな目で戦況を見下ろしていた。


「無駄だな。あいつら、いくら倒しても増殖するだけじゃねえか」


 膠喰体の動きは鈍ってはいる。だが抑え込めない。砲撃で粉砕されても、すぐに小さな個体に分裂し、ゼリー状の肉片が互いに吸い寄せ合って融合し、また巨大化する。これらを繰り返しているだけ。

 事実、自衛隊の戦線は押され、徐々に後退していった。


 深い絶望を抱いた娘の手を握る亜香里。


「大丈夫、きっとまたっ」


 願いを打ち消すように、撤退している装甲車が横転した。

 炎が夜空を赤く染める。


 一台。また一台。

 自衛隊車両が炎に包まれていく。

 誰も、もう声を発さなかった。


 対策も、武器も、訓練も、その全てを踏みにじりながら、自衛隊は押し返されている。叩き潰されている。


 救助と言う一途の望みは、打ち砕かれた。

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