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膠喰体《ゲルイーター》  作者: 禍福
エピソードⅠ 秘密
22/30

21話 食料調達作戦

 屋外階段から、路上を見下ろす。

 地上は西日に照らされていた。目を細めても逃れられない日差しの下で、無数の膠喰体が鈍く徘徊していた。


「……こっちには気付いてない。急げ」


 剣崎の低い囁きが背中を押す。三人は身を屈めたまま階段を降りていく。

 先頭の片瀬が二階にたどり着くと、止まれのハンドサインを送る。ドアに耳を押し当てて、中の様子を窺う。


 中は静かだ。息を潜めたまま、ノブを回す。

 わずかに開いた隙間から零れる、湿り気を帯びた風。息を飲んで、三人は二階の中へと滑り込んだ。




 食堂前の廊下。

 日差しに焼かれた網膜が、暗闇に呑まれて真っ白に痺れていた。


 片瀬がL字の廊下の角から様子を見る。その先はまるで古井戸のような闇が沈み、微かな、ジュルリという湿った音、そして生臭さがあった。


 十数秒後、やっと薄暗さに目が慣れてくる。

 それから壁に沿って前進。

 床に散らばった電灯の破片が、靴底に噛みつくように軋む。一歩ごとに、(踏むな、音を立てるな、息をするな)と、脳内が叫ぶ。

 心臓が嫌になるほど大きく鳴っていた。


 食堂をのぞき込む。

 ブラインドの羽根の隙間から漏れた光が、床に細い光の帯をうっすら描いている。それはまるで暗闇を測る目盛りのようだった。


 触手はすぐに見つけられた。電柱ほどの太さで、一階から伸びてきた触手は大蛇のように横たわっている。眠っているのか、動きはない。


 片瀬は振り返り、人差し指で目尻に触れる。

 危険察知サインだ。足が止まり、三人が密集する。


「どうする」


 天沢が囁く。


「核の位置が、見えませんね」


 鈴音から聞いた話では、膠喰体は体内の核で周囲を認識している。だが、この距離と薄暗さでは核を視認できない。


「迷っても仕方ありません、行きましょう」

「よし」


 剣崎が同意する。

 廊下沿いにある売店まで、距離は十メートルほど。

 腰を屈めてサッと移動。すぐに辿り着く。


 昨日、襲撃があったのは昼前だった。売店には、補充直後の食品が大量に陳列されていた。これで食料には困らない。助かった。その安堵が、ほんの一瞬だけ油断を招く。


「おぉっ……」


 天沢が思わず、感嘆の声を漏らしてしまった。


(しまった!)


 そう思った時には遅い。三人は息を飲む。

 食堂の奥。巨大な触手が、ぴくりと震えた。


 片瀬たちは慌てて棚の陰へ身を伏せる。

 触手は売店の方へ向きを変えた。粘液を引きずる音が食堂に響く。


 近付いてくる。

 ゆっくり。

 ゆっくりと。


 止まれ。止まってくれ。

 三人とも祈ることしかできなかった。


 あと少し、あと数メートルで見つかる。そう思った瞬間だった。

 触手はぴたりと止まる。それ以上は進まない。

 やがて向きを変え、元いた場所へ戻っていった。


 三人は同時に息を吐く。

 天沢は両手を合わせ、何度も頭を下げていた。


「……ったく」


 剣崎はため息を吐く。


「手分けするぞ、見張りは俺がする」

「はい」


 そう小声で指示をした剣崎は、自分が背負っていたリュックを片瀬に渡した。


 回収作業は慎重に取り掛かる。

 お弁当のほかに、菓子パンやサンドイッチ等を音を立てずに入れていく。一つ一つの包装紙が擦れる音にさえ、今は大きく聞こえた。


 だが、天沢は少し図太い。

 リュックがはち切れそうなくらいパンパンに詰め込むものだから、そのたびに袋の擦れる音がする。

 沢山の食料を確保する重要性は理解しつつも、片瀬はもっと慎重にしてほしいと、気が気じゃなかった。


(天沢さん、もう少し慎重に)


 我慢できず、天沢の肩をトントンと叩いた。

 大量の食料を前に興奮していた天沢は、わかっていると言わんばかりに鼻を膨らませてコクコク頷く。


 剣崎も鋭い視線を投げつけた。

 そこで目が合った天沢は慌ててリュックを背負う。

 さっき叱られたばかりだ。焦ってしまい、ストラップが肩から滑り落ち、咄嗟に受け止めようとした手が棚の缶詰を叩き落とす。


 カラン!


 その音に肝を冷やしたら、今度は膨らんだリュックがアルミ製の棚に、ガシャン!っとぶつかった。

 触手は大蛇のように起き上がる。こっちに伸びてきた。


「おっ、おまえぇ……!」


 剣崎が拳を握り、恨みがましそうに天沢を睨む。

 天沢は我が行動の愚かさに頭を抱えた。


 触手は勢いよく迫る。だが、またしても売店の手前で止まった。

 触手は伸びきったロープのように、ピンと張っている。


「……どうやらこの触手……届く範囲に制限があるみたいですね」


 片瀬が小さく呟いた。

 偶然ではなかった。

 一度目も、今も。

 売店まで来られない理由が、確かにそこにあった。


 胸を撫で下ろす一同。

 すると、ここで天沢が立ち上がる。好奇心に吸い寄せられるように、一歩、一歩と足を進ませた。学者としての本能が、観察へと駆り立てていた。


 片瀬と剣崎がこっちに戻れと合図する。

 しかし、天沢の目は触手に釘付けだ。一歩、また一歩と近づく。止まらない。


 剣崎は何度も拳を振り下ろし、緊急退避の合図を送っている。

 届かない。夢中になっている天沢の目には、もう膠喰体しか映っていなかった。


「おい、やめろっ。天沢!」


 ついに声が漏れる。

 しかし天沢は触手を見つめたまま答えた。


「核の動きを観察したい。生体がわかれば、今後に役立てられる発見があるかもしれん」


 もう、どっちも声を潜めるのを止めていた。

 天沢は動物園にいる猛獣に興味を持つ少年のようだ。もう身を隠すこともせず、触手との距離を詰めていく。


 触手は完全にこちらの位置を捕捉していた。

 一旦引いて勢いを付けるが、建物の構造上、引っかかって一定の距離から近寄ってこれない。何度やっても同じだった。


「あーくそっ!!もうどうなっても知らんぞ!」


 毒づいた剣崎も、身を隠すのをやめた。

 片瀬から渡していたリュックを受け取り、二人で天沢に近づく。


 天沢はスマホのライトを点けて、食い入るように触手の先端を観察し始めた。半透明の触手の中に、核がひとつ浮かんでいた。

 その核は三人の内、誰を狙うか品定めしているかのように動き回っている。


「剣崎さん……何か、ものすごく嫌な予感がするんですが」

「奇遇だな、俺もだ」


 頬を引きつらせた剣崎が、天沢に「戻るぞ」と声をかける。

 ちょうどその時だった。触手の根元の方から、新たな核がひとつ、粘液の中を泳ぐようにして近づいてくる。


 それが先端に到達すると、もとからあった核と信号を送り合うかのような明滅を始める。その反応に、天沢の興奮は頂点に達する。


「なになにっ!これはなんなんだ!」


 核の一つが触手を体内から突き破るかのように、外層へと押しやられだす。

 周囲が盛り上がり、やがて巨大なナメクジの目玉のように突き出した。


「これヤバいですよ!逃げましょう!」

「ああぁっちょちょっと」


 片瀬が強引に天沢の手を引く。だが、踏ん張られてしまう。


 ――ベチャリ。


 突き破った核は粘液を纏い、触手から分離する。

 それは三十センチくらいの、芋虫のような形。

 そこから形態を変える。

 みるみる足が生え、尾が伸び、半透明のトカゲのような姿へと変形していく。


 天沢は顔面蒼白になる。


「あ、これ危ないかも……」

「さっきからそう言ってるだろ、走れ走れ!」


 剣崎の号令で、横並びになって一斉に駆けだす。

 トカゲの膠喰体が天沢の背に向かって飛び掛かる。膨れ上がったリュックに張り付く。そこから薄っすらと煙が上がった。


「天沢さん!リュックを捨てて!」


 天沢は後ろに倒れそうな勢いで肩掛けを下ろすが、膠喰体はリュックを伝って二の腕に回り込もうとする。


「うぉおおおっ!!」


 剣崎の雄叫び。

 躊躇なく膠喰体を鷲掴みにし、そのまま力任せに投げ飛ばした。


 天沢はすぐにリュックを背負い直して感謝する。

 それを剣崎は「行くぞ」と切迫した様子で返す。と、足元がふら付く。腐敗したような酸っぱい匂いが立ち上った。


 掴んだとき、膠喰体の溶解液に触れていた。


 剣崎の掌は皮膚が溶け、泡立ち、指の関節が白く浮き上がっている。彼の視界は激痛で白く染まっており、意識が飛びそうになるのを気合で繋ぎとめていた。


 片瀬は走りながら「大丈夫ですか!?」と問う。

 剣崎は歯を食いしばっており、返答する余裕はない。


 投げられた膠喰体は猫のように宙で体勢を整え、着地。と同時に追ってくる。

 廊下を駆ける三人。

 床を蹴る足音が空洞に響く。背後から「ペタペタ」と粘液を浴びた足音が迫る。


 三人はL字の廊下を抜け、避難階段に辿り着く。

 先頭の片瀬がドアを押し開けると、強烈な西日が差し込んだ。


「……っ!」


 ドアを押さえたまま剣崎と天沢を先に行かせる。そして追ってくる膠喰体を弾き飛ばそうと、念動力を発動させようとする。


「片瀬君、来い!」

「今行きます!」


 天沢の呼びかけに答えながらも、膠喰体から目を離さなかった。

 西日が差し込む境界線。

 そこで、トカゲ型の膠喰体の動きが鈍る。

 天沢が先ほど観察していた核が、光を浴びて激しく脈動し、まるで混乱しているようだった。


(光が……苦手?いや、もしかして目が眩んでいるのか!?)

「動けないのなら、全力で決める!」


 片瀬は息を止め、視線を一点に凝縮させる。

 無形の力が渦を巻き、収束していく。腕を伸ばす必要さえない。ただ、脳裏で「吹き飛べ」と念じる。


「……っ!」


 ――パンッと、衝撃波が炸裂。

 空気が軋む。見えない拳が廊下を駆け抜け、膠喰体を押し潰す。

 粘体が一瞬で圧縮され、ゼリー状の肉塊がびよーんと伸びる。

 炸裂した不可視の力が、怪物を吹き飛ばした。


 天井にぶつかり、壁を弾み、廊下の奥深くへと放り出される。

 半透明の体液が飛沫した。


「っふぅ」


 片瀬は呼吸を整える。高出力で使用した反動で、少しだけ視界がちらつく。


「おいっどうした!」


 天沢が駆け戻り、片瀬の腕を掴んで引っ張る。非常階段の中腹にいた剣崎も、手すりに寄りかかりながら片瀬を待っていた。


「すみません。でも、あいつ。どうやら光で目が眩むみたいです」


 片瀬は西日を指さす。

 ドアの隙間から差し込む光の帯が、まるで聖域のように闇と隔てていた。


「光か。なるほど、それは重要な発見だ!」

「おいっ早く三階に戻るぞ」


 興奮する天沢と異なり、剣崎は激痛に喘ぎ、かすれた声になっていた。


 男二人だとギリギリの幅しかない階段で、片瀬はすかさず剣崎に肩を貸し、三人は階段を上がった。

 警戒心など一切捨て、ただ逃げることだけに集中した。

 三階のドアの向こうにいる、藍川の息遣いを感じるまで。

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