20話 食料調達計画
食堂にある食料を回収するため、片瀬たちは会議室に集まった。
剣崎は腕組みをしたまま床を見据え、天沢は星座模様のネクタイをいじりながら、普段の陽気さを押し殺している。
「今回の件、亜香里さんたちには伝えない方がいいと思う」
藍川の意見に、皆が同意を示す。
亜香里の憔悴した顔。小野の虚ろな目。これ以上、神経をすり減らすような真似は避けたい。共通の想いがあった。
「では、始めよう」
場をまとめるのは最年長の剣崎だ。
だが、建物の構造を最も把握しているのは三年間このビルで働いてきた片瀬だ。だから片瀬がホワイトボードの前へ立ち、マーカーを走らせる。ブラインドの隙間から差し込む夕暮れの光が、描かれていく二階の見取り図を淡く照らした。
赤いマーカーで危険区域を囲み、青で食料の保管場所へ印を付けていく。キュッ、キュッ、とマーカーの擦れる音だけが静かな会議室に響いた。
「食料はここの売店にあります。膠喰体の位置次第ですが、万が一発見されても棚の陰に身を隠せますし、廊下沿いなので避難も迅速にできるかと」
腕組みしている天沢が問う。
「その売店にはどのくらいの食料があるんだ?」
「毎朝運び込まれるお弁当が三十人分ほど……それ以外にもパンやジュース、お菓子類の他にカップ麺も常時販売しています」
「まさか自動販売機か?」
膠喰体は音に反応する。電力が絶たれた自販機は鉄の箱だ。無理にこじ開ければ物音がする。何よりも時間がかかりすぎる。そんな所からの調達は避けたかった。
「いえ、セルフレジです」
「よかった。自販機だったら、俺が力任せに開ける未来しか見えなかった」
「それを止めるための作戦会議だ」
剣崎の呆れ声が室内の緊張を緩ませる。
「片瀬、肝心な二階への侵入経路だが、バリケードを抜けて降りるつもりか?」
「屋外にある避難階段を使います」
「それだと外にいる膠喰体に狙われないか?」
「ないとは言い切れませんが、音を立てず迅速に動けばリスクは抑えられます」
「隊列は?」
「食堂の配置を理解している私が先頭、真ん中は天沢さん、後ろは剣崎さんに警戒をお願いしたいです」
ここまではいい。状況も理解している。計画も現実的だ。だが、一番聞きたいことはまだ残っていた。
「先頭は最も迅速な判断力が必要だ。それがお前に出来るのか」
矢継ぎ早に問いを浴びせる剣崎は、片瀬の反応を観察していた。ここで片瀬は困ったように目を伏せる。迷いだった。当然だ、隊列移動の訓練など受けていないのだから。
しかしすぐに顔を上げ、はっきりと答える。
「全員の身の安全を最優先にします」
その答えに、天沢が感心したように目を細める。
「そう!命を大事に!その通りだよ片瀬君!」
剣崎は思う。若者にしては悪くない判断だ。無謀に突っ込むのではなく、安全を最優先すると言い切った。その姿勢には、評価すべき点もあった。
それでも、一番重要なのはそこではない。
「仮にもし、誰かが触手に掴まったらどうする?」
天沢も藍川も、自然と片瀬へ視線を向ける。片瀬はすぐには答えなかった。わずかに視線を落とし、考えるように唇を閉じる。その沈黙を、剣崎は見逃さない。
(これは……違うな……)
考えている顔ではない。答えが見つからない人間の沈黙とも違う。答えは持っている。だが、それを口にするべきか迷っている。そんな表情。
刑事として数え切れないほど事情聴取を重ねてきた。人は嘘をつく。だが、本当に厄介なのは嘘ではない。言えないことを抱えている人間。片瀬の沈黙は、それによく似ていた。
「後方から襲撃を受けた時、先頭にいるお前は……」
「おじさん!」
藍川がキュッと眉を吊り上げ、話を遮る。
「なんでそんな責めるような言い方ばかりするんですかっ!」
「確かに、少し無茶を言い過ぎでは?」
天沢も同調する。
確かに、言い過ぎたかもしれない。しかしそれでも、どうにも片瀬を信じきれない。
直感は、彼が悪人ではないと告げている。実際に、危険を顧みず母子を救い、電力の復旧に尽力した。貢献度は申し分ない。
それでも……。
(片瀬は、もっと何かを知っている)
何となく、隠し事があるのは看破していた。そもそも剣崎が片瀬を訪ねたのは、光学迷彩だけではない。
数年前に起きた、ある未解決事件。
その事件と片瀬には接点があった。彼には何かがある。証拠もなく、ただ繋がりがあるというだけで疑う。それは刑事としてあるまじきことだ。それでも片瀬を見るたびに、違和感が消えなかった。
(……いかんな、これでは彼と同じじゃないか)
根拠のない疑念で人を追い詰める。それは桐村のやっていることと、何ら変わらない。それを自覚すると、思考をリセットする。今は信じよう。そう心に言い聞かせた。
「悪いな、つい職業柄で、言い過ぎた」
矛を収める。刺すような視線が緩和されたのを感じ取った片瀬は、ほっと胸を撫で下ろす。
それ以降、計画の詰めはスムーズに進んだ。細かな動線の確認、食料の運搬手順、帰路の安全確保。まるで歯車が噛み合うように決まっていった。
◇
三階。
屋外避難階段の前で、三人は足を止めた。
鉄製の扉の向こうには、膠喰体が徘徊する街が広がっている。
「最終確認だ」
剣崎のよく通る声が、鉄製ドアに響く。
三人は食料を詰めるための空のリュックを背負い、出発の準備を整えている。
「隊列は片瀬、天沢、俺。手信号はこれだけ覚えろ」
剣崎が手の平を見せる。
「これが停止」
次に人差し指で目尻を触れる。
「これが危険感知」
最後に、握りしめた拳を振り下ろす。
「これが緊急撤退……以上だ」
「了解です」
片瀬が力強く同意する。
「そんな堅くならなくてもさ、俺たち三人なら、何とかなるだろ」
「ならん」
剣崎は即座に首を振った。
短い一言だった。
「天沢。外階段を使う以上、油断は命取りになる。あの生物は光学迷彩で身を隠す。どこにいるか誰にも把握できないんだぞ」
「……確かにな」
天沢は襟を正すように、背筋を伸ばす。ようやく表情が引き締まった。
「では一九ちゃん。もし膠喰体が追ってきたら、ここが最後の盾になる。頼んだぞ」
「はい」
剣崎は藍川の性格をよく知っている。彼女はじっとしているのが耐えられない性分だ。だから協力する手応えを感じてほしくて、役割を与えた。
非常階段のドアを施錠する役目を任せ、さらに見張りを頼んだ。戻ってくるまで膠喰体が侵入できないようにするためだ。
「……ではまず、外の状況を確認します」
先頭の片瀬が屋外避難階段のドアを少し開ける。風と共に流れ込むのは煤や埃、そして火薬のような焦げ臭さ。昨夜の戦闘の残り香に、顔を顰めながら外の様子を伺う。
「行きます」
身を屈め、順番にドアの向こう側へ消えていく三人。
藍川はその背中を見送る。
ドアの向こう側から滲む夕焼けは、まるで血の広がるような赤だった。それがあまりにも不気味で、瞼をぎゅっと閉じ、ドアノブを握りしめたまま扉を閉める。
ドアノブにあるツマミを回す。カタンッとロックする金属の音。掌から伝わる冷たい感触が、不安を増幅させる。
胸騒ぎが収まらない。
三人の後姿が消えた瞬間から、ざらつく不安があった。まるで、あの日、父の葬儀で棺が火葬場の奥へ消えていくのを見送った時の、あの無力な感覚に似ている。
藍川は思い出す。
剣崎が片瀬に、仲間が触手に掴まったらどうするか問うたとき。
彼女は気づいていた。ずっと片瀬を見つめ続けてきたからこそ、わかる。彼は答えを探しているのではなく、答えを言うべきかどうかを測っていたのだ。自分を犠牲にするのを厭わない人だ。「この身に代えても救い出す」そう言えば、周囲を不安にさせる。それがわかっていたのだろう。
それが、刑事である剣崎には「隠し事」に見えた。
藍川には、それが「誰かを守るための慎重さ」として映った。
同じ表情を見ていても、二人の目はまったく別のものとして捉えていた。
そして藍川は、確信していた。
(片瀬さんは、きっとまた無茶をする)
そういう人だと、わかっていた。
だから、やっぱり自分も一緒に行きたい。でもそれは我儘だ。衝動を押さえつける。身勝手は許されない。足手まといになりかねない。そう何度も言い聞かせる。
藍川は祈るように、胸の上で手を合わせる。
皆の無事を願って……。




