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ゲルイーター  作者: 禍福
エピソードⅠ 秘密
18/35

17話 暗躍

 昼下がりの社長室。権藤部長と密談を交わしている桐村の頭を占めているのは、ただ一つ。如何にして片瀬を陥れるか、それだけだった。


「部長、食料管理についてご指示を仰ぎたいのですが」


 わざとらしく腰を低くして、権藤の機嫌を探る。

 青白い皮膚に張り付いた笑み、ネクタイの結び目を弄ぶ細い指。それら全てが、取り繕いを浮き彫りにしていた。


「急に何だ?」

「実はですね……」


 桐村は部屋を見回し、二人きりであることを確かめてから話し始めた。


「昨日の戦況を見る限り、救助は当分期待できません。このままでは剣崎や天沢が、勝手に食料を管理し始めるかもしれません」


 権藤が太い指で顎を撫でる。

 桐村は間を置かず続けた。


「片瀬も、あれだけ皆から信頼されています。『食料は公平に』と言われれば、反対する人はいないでしょう」


 権藤は太い指で顎を撫でながら唸る。


「なるほどな……確かに剣崎の態度は前から気に入らん」

「はい。しかし、この会社の責任者は部長です。非常時だからこそ、指揮系統は一つであるべきです」

「言われずともわかっておる」


 権藤は胸を張る。

 それを見た桐村は、さらに畳み掛けた。


「以前、部長はおっしゃっていましたよね。『非常時ほどトップダウンで動け』と……今、このビルには九人います。そのうち過半数は、我が社の社員です。部長の指示に従わない者がいるなら、それは会社への裏切りではないでしょうか」


 肉厚の瞼の奥で、権藤の目が鋭く光った。

 ソファからゆっくり身体を起こし、腹を突き出すように胸を張った。


「連中に指示系統を勘違いさせる気はない」


 一拍置く。


「……多数派工作でもしておくか」

「さすが部長です。まさに、そのご判断が必要だと思っておりました」


 桐村は、へつらうように頭を下げた。その姿は、かつて自分が見下していた世古と、どこかよく似ていた。もちろん、桐村自身はそれに気づいていない。


「では早速、星月さん親子と小野を連れて参ります。負い目のある彼女たちなら、部長のご指示に従うでしょう」

「なぜ片瀬や藍川は呼ばん?」

「彼らは今、三階で剣崎や天沢とバリケード設置作業をしております。ふたりだけを呼び出しては、怪しまれかねません。それに今の生存者は九名です。五人いれば多数派になれるかと」

「よし、いいだろう。それでいけ」


 権藤は満足そうに頷く。

 桐村は静かに一礼し、社長室を後にした。


 扉が閉まる。その瞬間だけ。誰にも見えない位置で、桐村の口元がわずかに歪んだ。

 撒いた餌には、もう食いつき始めている。

 あとは網を引くだけだった。




 女性が集まっている役員室の前で、桐村は一度足を止めた。

 ドアの向こう側から、話し声が聞こえる。


「天沢先生って何事にも一生懸命で、本当に素敵よね」


 亜香里の熱のこもった声。娘の鈴音が「お母さん、また天気おじさんの話してる」と呆れたように笑っている。


「あのおじさんって、ただのオタじゃん」

「ただのオタってなんですか!そもそもオタは、ただ者じゃないんですぅ!」


 小野の冷めた口調に、亜香里は両手をぐっと握り、ぷんすか反論している。

 その様子に鈴音が吹き出した。


「もう、お母さん必死すぎ」


 部屋には穏やかな笑いが広がる。昨日まで他人だったとは思えないほど、三人の距離は縮まっていた。


 桐村は黙って聞いていた。胸の奥が、じり、と焼ける。


(……気に入らない)


 こんな状況でも笑える。人は、こんなにも簡単に打ち解けられる。

 この原因は片瀬だ。あいつの影響で、皆が勝手にまとまり始めた。


(だから壊す)


 心の中だけで呟く。そのために、今日ここへ来た。まだ始まったばかりだ。焦る必要はない。策略はまだ始まったばかり。ここで足元を乱すなど、愚の骨頂だ。


 薄い唇を舐め、無表情の仮面を被る。

 掌で頬を撫で、わずかに緩んだ表情を整えてから、深く息を吸い込む。

 慎重に次の一手を打つように、三度、完璧な間隔でドアをノックした。


「失礼します。権藤部長がお呼びです」


 小野がマスク越しに警戒の視線を向けた。

 亜香里は鈴音を膝から降ろし、不思議そうに首を傾げる。


「権藤部長が?何の用かしら」


 亜香里が訝しげに首を傾げる。

 桐村は意図的に視線を伏せ、控えめな態度を装った。


「食料配分について、ご相談したいとのことです。剣崎さんや天沢さん、片瀬……たちは、バリケード作業に出ていますので後ほど」


 藍川の名前が頭をよぎると、胃が熱く疼いた。

 今頃あの女は、きっと片瀬の傍でいい顔をしているのだろうと。


「わかりました」


 亜香里は素直に立ち上がる。


「鈴音、行こうか」

「うん」


 小さく返事をする鈴音が、ぴょんと跳ねた。

 小野は少しだけ迷うように視線を泳がせたが、黙って後に続いた。

 三人の背中を見送りながら、桐村は心の中で静かに数える。


(一人……二人……三人)


 これで駒は揃う。

 次はいよいよ、盤面を動かす番だった。




 社長室で待ち構えていた権藤は、ソファでふんぞり返っていた。傲慢と威厳が混在する佇まいだ。


「お呼び出しを頂きましたが……」


 不穏な空気を感じ取った亜香里は背筋を伸ばし、より丁寧なお辞儀をする。

 それを当然のように受け流す権藤は、平然と核心を突く言葉を口にする。


「星月さん。世古課長の件もあるが、お前たちがこのビルへ来たせいで、二階の食堂へ降りられなくなった。食料不足の原因は、あなた方にある。小野、正面玄関の鍵を開けたお前も同罪だ」


 他人事としてうつむいていた小野は、ぎょっとして顔を上げる。


「それは……私の責任です。娘には何の責任もありません」


 亜香里は反射的に鈴音を抱き寄せ、自分の影で娘の存在を小さく見せようとした。

 だが権藤は太い指で机を叩き、「まだ話は終わっておらん」と遮る。女性三人は思わず肩をびくっと縮めた。


「今後このような過ちを犯さぬよう、食料配分は私の判断に従え。そうすれば追い出しはせん」


 その一言に、亜香里は言葉を失う。外には、あの化物がいる。このビルを追い出されることだけは避けたい。拒むという選択肢は存在せず、亜香里は「……はい」と言いなりになるしかなかった。


「お前はどうなんだ」


 小野は弱い自分を抱きしめるように縮こまり、浅く速い呼吸を繰り返す。


(権藤部長……私が鍵を開けたことを、知っていたんだ……)


 ここで逆らえば、権藤はもっと問い詰める。

 世古課長が死んだ責任を問われる。

 それこそが、彼女が最も恐れること。


 実は彼女には、誰にも知られたくないことがまだある。


 それは世古が一階のロビーに降りてくる前の話。亜香里と警官が、正面玄関で開けてくれとドアを叩いていた場面で、彼女はすぐにドアを開けなかった。怖かったのだ。


 遅れて来た世古課長が「ドアを開けるな!」と言った顔は醜悪だった。

 それが自分と重なって、身勝手さが浮き彫りになって……それでやっぱり、助けなくては、そう思い直した。


(迷わず、すぐにドアを開けていれば、誰も死ななかった)


 ――それが、小野美咲が誰にも言えずに抱え続けてきた秘密。


 これを知られたら、自分がどれほど臆病で、身勝手な人間かが露わになる。それだけは避けたい。

 たった数秒の迷い。この判断の遅れが、世古課長の命を奪った。いや、あの警官も死ななかったかもしれない。そんな思いが、彼女の中で何度も何度も繰り返し、再生されては消えなかった。


 俯いたまま、権藤を直視できない。

 責められるのが怖い。ならば、従えばいい。部長の言う通りにしていれば、問い詰められない。誰も、あの時のことを掘り返さない。ただ、指示に従っているだけの人間でいればいい。

 プレッシャーに逆らえない彼女は、誰かの影に隠れて安心を得たかった。


 ――コンッ!

 権藤の太い指が、机を強く叩く。この音に、小野の肩がびくっと跳ねる。


「おい小野、話を聞いているのか?返事くらいしろ」

「……はい」


 消え入りそうな返事だった。


「ったく、要は俺に従ってりゃ食いっぱぐれねえんだ。それぐらい覚えておけ」


 小野のマスクの下は青ざめていた。

 権藤に逆らったら、何をされるかわからない。

 彼女は知っている。この会社で彼に逆らった者の末路を。

 左遷された先輩、辞めさせられた同僚。逆らえば、簡単にクビにされる。自分も亜香里たちと同じように、出て行けと言われかねない。


 オドオドした態度の小野を、桐村は見下していた。

 これ見よがしに呆れた溜息を出し、言葉を添える。


「私も了解しました。私ども四人は部長のご指示に従います」

「よし、わかれば良いんだ」


 権藤は満足そうに踏ん反り返り、肉厚の二重顎を引く。

 対する桐村は深々と頭を下げる。

 その表情は長い前髪で隠れているものの、隙間から冷たい笑みが見えた。


(これで五人。多数派は作れた)


 あとは、この流れに沿って行けば良い。


 彼の頭の中では、次の策が巡っている。

 片瀬を罠に嵌め、藍川を手元に引き寄せる計画を。

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