15話 敗戦
社長室へ集まった全員が、息を潜めて夜空を見つめている。壁一面を覆う巨大な窓ガラスの向こうで、街は深い闇に沈んでいた。
片瀬は祖父の形見である腕時計へ目を落とす。
時刻は二十三時五十九分。
秒針が十二を指す――その瞬間。
空が、白く焼けた。
閃光弾により、昼間のような光に包まれる。
同時に、腹の底から揺さぶる、ゴォォォォォッ!という轟音。
編隊を組んだ戦闘機が低空で駆け抜ける。
その後方から攻撃ヘリが一斉に市街地へ進入。
さらに戦車が重々しい履帯を轟かせながら前進し、機動戦闘車、自走砲、装甲車が途切れることなく続いていた。
交戦開始だ。
ババババババッ!
攻撃ヘリのチェーンガンが火を噴く。
赤い曳光弾が夜空を裂き、無数の膠喰体へ降り注ぐ。
間髪入れず、粘性阻害剤を封入した特殊ロケット弾が次々と着弾。
さらに対地ミサイルが一直線に飛翔し、巨大な膠喰体へ命中した。
爆炎が夜を埋め尽くす。
半透明の巨体が爆煙へ飲み込まれた。
間髪入れず、地上部隊が前進。
戦車の主砲。
装甲車の機関砲。
歩兵部隊による一斉射撃。
猛烈な火力が、標的に集中した。
先手を取った自衛隊は、攻撃の手を一切緩めない。
爆音の連続。一秒ごとに、何かが炸裂。何かが砕ける。何かが燃える。
その音は、終わりのない雷雨のようだった。
数十分ほど経過。
徐々に、その音は間遠になった。
煙が渦を巻きながら、晴れ始める。
暗闇に浮かぶのは、瓦礫の山。燃えさかる車両の残骸。粉々に砕けた道路のアスファルト。
そして……半透明の何か。
無数の光る核を内部に宿したその巨体は、集中砲火を浴びたにもかかわらず、ゆっくりと身を起す。
表面には無数の黒い焦げ跡。穿たれた穴も無数にある。
しかし穴は、青白い光を帯びた粘体で満たされ、焼け焦げた表皮が剥がれ落ちる。その下から、新しい半透明の層が顔を出す。
粉砕された触手の断面からは、まるで時間を巻き戻すように、粘体が盛り上がり、元の形を取り戻していった。
無数の触手が一斉に空へ伸びる。
ビルの瓦礫。横転した乗用車。信号機。街路樹。
触れたものすべてを巻き取り、そのまま空中へ投げ放った。
膠喰体の反撃だ。
攻撃ヘリが急旋回。
ショットガンのように飛散する瓦礫をかわしていく。
しかし、宙を舞う乗用車の直撃を受けた。
戦車の主砲は巨大個体の核を正確に捉えた。
青白い閃光と共に外殻が砕け散る。
だが、その裂け目から新たな粘体が湧き出すように盛り上がり、瞬く間に穴を埋め尽くしていく。
直後。戦車の履帯へ透明な何かが絡みつく。
照明弾の光を受け、その輪郭が浮かぶ。
光学迷彩で潜んでいた、五メートル級の膠喰体だった。
何本もの触手が装甲へ巻き付き、鋼鉄を紙細工のようにギギギギギッ締め上げる。
数十トンある戦車が持ち上げられ、横倒しになった。
周囲の機動戦闘車が一斉に援護射撃を開始する。
大地が震えた。
砲撃は、光学迷彩を纏う小型個体を正確に捉えられない。
一台。また一台。
装甲車が横転し、戦車が沈黙していく。
ハッチが開く。兵士たちが逃げようと飛び出す。
背後から伸びた触手が、一人、また一人と身体を飲み込んでいく。
悲鳴は長く続かない。
捕食した分だけ、膠喰体の身体は大きく脈動する。
ぼこり、と粘体が膨らむ。裂ける。
新しい個体が地面へ降り立った。
倒すほど増える。
戦えば戦うほど、敵が増えていく。
その現実は戦場の常識を覆し、容赦なく突き付けられていた。
空では、巨大な触手が鞭のように振るわれる。
空気を裂く音。
攻撃ヘリの胴体が叩き潰された。
機体は空中で真っ二つに裂け、燃えながら落下していく。
地上へ激突。
ドォォォンッ!!
爆炎が夜空を赤く染め、社長室の窓ガラスが大きく震わせた。
片瀬たちは反射的に身を伏せる。
天井の照明が激しく明滅する。
ぷつり、と消えた。
「……っ」
街を覆っていた光が、一つ、また一つと途絶えていく。
暖を取っていたエアコンも唸りを止める。
昼間、片瀬が復旧させた電気が、すべてが沈黙した。
権藤が反射的にテレビのリモコンを押す。
画面は黒いまま、何の反応も返さない。
残ったのは、眼下で燃え盛る炎だけ。
その赤い明かりが、夜の街を照らす。
戦場では、なおも銃声が続いている。
だが、その音も少しずつ遠ざかっていった。
前進していた車列は向きを変え、生き残った戦車が後退を始める。
機動戦闘車が、それを援護するように煙幕を展開。
攻撃は止んだ。
戦いが終わった。
これ以上、戦えなくなっていた。
やがて。
街は、静けさを取り戻していく。
炎上する車両。崩れ落ちたビル。黒煙の向こうで蠢く無数の膠喰体。
そこに、人類が勝った痕跡は微塵もなかった。
「……嘘だろ」
権藤だけが乾いた唇を動かした。
その声には、昼間までの尊大さは欠片も残っていない。
自衛隊なら、きっと何とかしてくれる。最後には助けてくれる。日本中の誰もが、そう思っていた。
そんな当たり前の期待が、跡形もなく砕け散った。
◇
夜が明けた。
夜通し響いていた戦闘音は鼓膜を揺さぶり続け、爆音が耳の奥に残っているような気がした。
女性陣は役員室へ、男性陣は社長室で、ようやく身体を横たえることができた。
丸一日続いた極限の緊張。
そして、自衛隊が敗れ去る光景を見届けた虚脱感。
張り詰めていた糸は切れて、誰もが深い眠りへ落ちていた。
剣崎は壁にもたれ、浅い呼吸を繰り返している。天沢は床へ寝転び、星座模様のネクタイを枕代わりにしていた。権藤のいびきが規則正しく部屋へ響き、桐村は部屋の隅で身体を丸めている。
片瀬だけ眠れなかった。窓際へ腰を下ろし、朝日に照らされる街を見つめる。
かつて見慣れた街並みは、一夜にして戦場へ変わっていた。黒く焼け焦げたビル。炎を上げる車両。崩れ落ちた高架。助けに来てくれた自衛隊でさえ、あの化物には勝てなかった。
そんな状況であっても、片瀬の頭を占めていたのは自衛隊の敗北等ではなかった。
(……俺のせいだ)
弟の言うことを、もっと真剣に受け止めておけばよかった。
警告は、すべて正しかった。
何よりも『外へ出るな』という、あの一言。
もし、あの時。もっと強く皆を引き止めていたら。もっと自分が頑固だったなら。誰も死なずに済んだかもしれない。
一階の見張りもそうだ。鍵の管理。来訪者への対応。緊急時の連絡方法。ほんの少しでも厳格に決めていれば、防げたことは多かったはず。
ああすれば良かった。
こうしていれば良かった。
後悔ばかりが、際限なく押し寄せる。使える力があった。知る機会もあった。なのに防げなかった。責任は自分にある。そう思うほど、胸が締め付けられた。
(じっとしていられない)
今できることをしていなければ、もっと自分を責め続けてしまう。
誰も起こさないよう、静かに立ち上がる。床を軋ませないよう体重を分散させ、一歩ずつ出口へ向かう。ドアノブをゆっくり回し、音を立てないよう廊下へ出た。
エアコンが止まり、ひんやりとした朝の空気が頬を撫でる。
未完成のバリケード。見張り。まだやるべきことはある。
三階へ向かおうと階段へ差しかかった、その時だった。
「……片瀬さん?」
振り返ると、藍川が立っていた。肩までのストレートヘアは寝癖で少し乱れ、目元には隠しきれない疲労が残っている。
片瀬は思わず尋ねた。
「どうしてここに?」
藍川は困ったように微笑む。
「眠れなくて」
それだけ言うと視線を落とし、指先でスカートの裾をそっとつまむ。昨夜の戦いを見てしまった以上、眠れないのは片瀬だけではなかった。
バリケード。本当なら一人で作業するつもりだった。けれど藍川を一人残すことにも、どこか引っ掛かりを覚える。
少しだけ考えてから口を開いた。
「藍川さん……俺は三階へ行くけど、どうする?」
「行きます」
返事は早かった。迷いはない。その答えに片瀬は小さく頷く。
「じゃあ、一緒に行こう」
二人は並んで階段を降りた。互いに言葉はない。それでも、不思議と気まずさは感じなかった。昨日までなら、何か話さなければと焦っていたかもしれない。今はただ、隣に誰かがいる。
それだけで十分だった。




