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膠喰体《ゲルイーター》  作者: 禍福
エピソードⅠ 秘密
16/26

15話 敗戦

 社長室へ集まった全員が、息を潜めて夜空を見つめている。壁一面を覆う巨大な窓ガラスの向こうで、街は深い闇に沈んでいた。


 片瀬は祖父の形見である腕時計へ目を落とす。

 時刻は二十三時五十九分。

 秒針が時を刻み――やがて、十二を指す。


 その瞬間。

 曇天を切り裂くように打ち上げられた照明弾が、昼間のような光で街全体を照らし出す。


 続いて、腹の底から揺さぶる、ゴォォォォォッ!という轟音。

 編隊を組んだ戦闘機が低空で駆け抜け、その後方から攻撃ヘリが一斉に市街地へ進入する。


 さらに戦車が重々しい履帯を轟かせながら前進。

 機動戦闘車、自走砲、装甲車が途切れることなく続いていた。


 ――攻撃開始。


 ババババババッ!

 攻撃ヘリのチェーンガンが火を噴く。

 赤い曳光弾が夜空を裂き、無数の膠喰体ゲルイーターへ降り注ぐ。

 間髪入れず、粘性阻害剤を封入した特殊ロケット弾が次々と着弾。

 さらに対地ミサイルが一直線に飛翔し、巨大な膠喰体へ命中した。


 爆炎が夜を埋め尽くす。


 半透明の巨体が爆煙へ飲み込まれた。

 間髪入れず、地上部隊が前進する。

 戦車の主砲。

 装甲車の機関砲。

 歩兵部隊による一斉射撃。

 猛烈な火力が、一点へ集中した。


 爆煙の奥で、何かが揺れた。


 集中砲火を浴びた膠喰体が、その身を起こす。

 特殊弾が穿った穴は、青白い光を帯びながら塞がっていく。

 焼け焦げた表皮も。砕けた触手も。

 まるで時間を巻き戻すように修復されていった。


 そこへ、無数の触手が一斉に空へ伸びる。

 ビルの瓦礫。横転した乗用車。信号機。街路樹。

 触れたものすべてを巻き取り、そのまま空中へ投げ放った。


 攻撃ヘリが急旋回。

 ショットガンのように飛散する瓦礫をかわしていく。

 しかし、一機は宙を舞う乗用車の直撃を受けた。


 夜空に火球が咲く。

 爆発音が数秒遅れて街へ響き渡った。


 地上でも戦況は急速に悪化していた。

 戦車の主砲。砲弾は巨大個体の核を正確に捉えた。

 青白い閃光と共に外殻が砕け散る。


 だが、その裂け目から新たな粘体が湧き出すように盛り上がり、瞬く間に穴を埋め尽くしていく。


 直後。戦車の履帯へ透明な何かが絡みつく。

 照明弾の光を受け、その輪郭が浮かぶ。


 光学迷彩。五メートル級の膠喰体だった。

 何本もの触手が装甲へ巻き付き、鋼鉄を紙細工のように締め上げる。

 ギギギギギッ――耳障りな金属音。

 数十トンある戦車が、玩具のように宙へ持ち上げられ、横倒しになる。


 周囲の機動戦闘車が一斉に援護射撃を開始する。

 大地が震えた。

 砲撃は、光学迷彩を纏う小型個体を正確に捉えられない。


 一台。また一台。

 装甲車が横転し、戦車が沈黙していく。


 ハッチが開く。兵士たちが飛び出す。

 逃げようと駆け出した。

 背後から伸びた触手が、一人、また一人と身体を飲み込んでいく。


 悲鳴は長く続かなかった。

 捕食した分だけ、膠喰体の身体は大きく脈動する。

 ぼこり、と粘体が膨らむ。裂ける。

 新しい個体が地面へ降り立った。


 倒すほど増える。

 戦えば戦うほど、敵が増えていく。

 その光景は、戦場の常識そのものを覆していた。


 後方では、自走砲部隊が一斉射撃をする。

 何十発もの砲弾が夜空へ弧を描き、膠喰体の群れへ降り注ぐ。

 爆炎が街区を覆い尽くした。


 炎の中から現れた膠喰体は、一体や二体ではない。

 燃え盛る瓦礫を踏み越え、半透明の身体を揺らしながら次々と前へ進む。


 倒した数より、増えた数の方が多い。

 その現実だけが、容赦なく戦場へ突き付けられていた。


 空では、巨大な触手が鞭のように振るわれる。

 空気を裂く音。

 攻撃ヘリの胴体が叩き潰された。

 機体は空中で真っ二つに裂け、燃えながら落下していく。


 地上へ激突。

 爆炎が夜空を赤く染めた。

 その爆風は隣接するビル群をも飲み込み、一棟のオフィスビルへミサイルの残骸が突き刺さる。


 ドォォォンッ!!

 地響きと衝撃。

 社長室の窓ガラスが大きく震えた。

 片瀬たちは反射的に身を伏せる。


 天井の照明が激しく明滅した。

 ぷつり、と消える。


「……っ」


 誰もが思わず天井を見上げる。

 昼間、自分が復旧させた照明だった。


 街を覆っていた光が、一つ、また一つと途絶えていく。


 暖を取っていたエアコンが唸りを止める。

 昼間、片瀬が復旧させた電気が、すべてが沈黙した。


 権藤が反射的にテレビのリモコンを押す。

 画面は黒いまま、何の反応も返さない。


 剣崎は窓の外へ目を向けたまま、拳を握り締める。

 天沢は何かを言いかけて唇を閉じた。

 鈴音は母親の服の裾をぎゅっと掴み、亜香里はその小さな手を強く握り返す。


 残ったのは、眼下で燃え盛る炎だけ。

 その赤い明かりが、夜の街を照らしていた。


 戦場では、なおも銃声が続いている。

 だが、その音も少しずつ遠ざかっていく。


 前進していた車列は向きを変え、生き残った戦車が後退を始める。

 機動戦闘車が、それを援護するように煙幕を展開した。


 空では、残存する戦闘機が低空を旋回しながら撤収していく。

 攻撃は止んだ。

 戦いが終わった。

 これ以上、戦えなくなっていた。


 ――やがて。

 街は、静けさを取り戻していく。

 炎上する車両。崩れ落ちたビル。黒煙の向こうで蠢く無数の膠喰体。

 そこに、人類が勝った痕跡はどこにもなかった。


 社長室も、静まり返っていた。

 窓の向こうでは、なお炎が街を照らしている。

 誰も、自衛隊が戻ってくるとは言わなかった。誰も、大丈夫だとは言えなかった。


「……嘘だろ」


 権藤だけが乾いた唇を動かした。

 その声には、昼間までの尊大さは欠片も残っていない。

 命令を下していた男は、ただ呆然と窓の外を見つめていた。


 自衛隊なら、きっと何とかしてくれる。最後には助けてくれる。日本中の誰もが、そう思っていた。

 そんな当たり前の期待が、跡形もなく砕け散った。


 窓ガラスへ映る、それぞれの姿は小さかった。巨大な街の中で、たった九人。

 遠くでは炎が燃え続け、ときおり崩れ落ちる建物の音だけが、夜の静寂を破っていた。




 夜が明けた。

 夜通し響いていた戦闘音は鼓膜を揺さぶり続け、爆音が耳の奥に残っているような気がした。


 女性陣は役員室へ、男性陣は社長室へ戻り、ようやく身体を横たえることができた。

 丸一日続いた極限の緊張。

 そして、自衛隊が敗れ去る光景を見届けた虚脱感。

 張り詰めていた糸は切れて、誰もが深い眠りへ落ちていた。


 剣崎は壁にもたれ、浅い呼吸を繰り返している。天沢は床へ寝転び、星座模様のネクタイを枕代わりにしていた。権藤のいびきが規則正しく部屋へ響き、桐村は部屋の隅で身体を丸めている。


 片瀬だけ眠れなかった。窓際へ腰を下ろし、朝日に照らされる街を見つめる。


 かつて見慣れた街並みは、一夜にして戦場へ変わっていた。黒く焼け焦げたビル。炎を上げる車両。崩れ落ちた高架。助けに来てくれた自衛隊でさえ、あの化物には勝てなかった。

 そんな状況であっても、片瀬の頭を占めていたのは自衛隊の敗北等ではなかった。


(……俺のせいだ)


 弟の言うことを、もっと真剣に受け止めておけばよかった。

 警告は、すべて正しかった。

 何よりも『外へ出るな』という、あの一言。

 もし、あの時。もっと強く皆を引き止めていたら。もっと自分が頑固だったなら。誰も死なずに済んだかもしれない。


 一階の見張りもそうだ。鍵の管理。来訪者への対応。緊急時の連絡方法。ほんの少しでも厳格に決めていれば、防げたことは多かったはず。


 ああすれば良かった。

 こうしていれば良かった。


 後悔ばかりが、際限なく押し寄せる。使える力があった。知る機会もあった。それなのに、防げなかった。責任は自分にある。そう思うほど、胸が締め付けられた。


(じっとしていられない)


 今できることをしていなければ、もっと自分を責め続けてしまう。


 誰も起こさないよう、静かに立ち上がる。床を軋ませないよう体重を分散させ、一歩ずつ出口へ向かう。ドアノブをゆっくり回し、音を立てないよう廊下へ出た。


 エアコンが止まり、ひんやりとした朝の空気が頬を撫でる。

 未完成のバリケード。見張り。まだやるべきことは残っている。

 三階へ向かおうと階段へ差しかかった、その時だった。


「……片瀬さん?」


 背中から聞こえた。振り返ると、藍川が立っていた。肩までのストレートヘアは寝癖で少し乱れ、目元には隠しきれない疲労が残っている。

 片瀬は思わず尋ねた。


「どうしてここに?」


 藍川は困ったように微笑んだ。


「眠れなくて」


 それだけ言うと視線を落とし、指先でスカートの裾をそっとつまむ。昨夜の戦いを見てしまった以上、眠れないのは片瀬だけではなかった。

 バリケード。本当なら一人で作業するつもりだった。けれど藍川を一人残すことにも、どこか引っ掛かりを覚える。

 少しだけ考えてから口を開いた。


「藍川さん……俺は三階へ行くけど、どうする?」

「行きます」


 返事は早かった。迷いはない。その答えに片瀬は小さく頷く。


「じゃあ、一緒に行こう」


 二人は並んで階段を降りた。互いに言葉はない。それでも、不思議と気まずさは感じなかった。昨日までなら、何か話さなければと焦っていたかもしれない。今はただ、隣に誰かがいる。

 それだけで十分だった。

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