14話 記者会見
五階の窓を補強し終えた片瀬は、工具箱の蓋を閉じた。これでひとまず風は防げる。だが、それだけでは安心できない。
二階の食堂には、巨大な触手が居座っている。建物の構造に阻まれ、今は三階まで届いていない。しかし、それが絶対とは言い切れない。
少しでも状況が変われば、触手があと数メートル伸びれば……そう考えるだけで、胸の奥がざわついた。
三階へと降りて行く。
剣崎と天沢はオフィスから運び出したデスクを階段前へ並べ、既にバリケードを作り始めていた。
「この辺に積めば十分だろ」
剣崎が机の位置を調整し、天沢がもう一台を隣へ運び込む。
大きな音を立てて床へ降ろすと、天沢は満足そうに額の汗を拭った。
「これだけ並べりゃ、簡単には突破されないだろ」
二人が出来栄えを眺めているところへ、工具箱を持った片瀬が歩み寄る。
出来上がりかけたバリケードを一通り見渡し、少し考えてから口を開いた。
「……すみません。一つだけ、いいですか」
二人が振り向く。
「このままでも壁にはなります。ただ、体当たりされた時に机が横へ滑るかもしれません」
そう言うと、片瀬は近くのデスクの脚へしゃがみ込み、工具箱から結束バンドを取り出した。
「脚同士を固定すれば、かなり違ってくると思います」
手際よく脚を束ねていく。さらに工具箱から薄いゴム板を取り出すと、机の脚の下へ滑り込ませた。
「接地面に滑り止めを入れると、かなり安定します」
剣崎は黙ってその手元を見つめていた。説明だけでは足りない。確かめるように、片瀬が固定した机を両手で押してみた。
先ほどより、明らかに動かない。
「……なるほど。これは確かに違う」
天沢が力を込めて押す。それでもほとんどズレなかった。
「こりゃ頑丈だ」
感心した声が漏れる。片瀬は少し照れくさそうに笑った。
「趣味でDIYをやる機会が多かったので」
「経験か」
年齢や立場よりも、役立つ知識を持つ者の話を聞く。それが剣崎の流儀だった。
「片瀬。他にも気付いたことがあれば、遠慮なく言ってくれ」
「わかりました。では、ここから塞ぎましょう」
階段前を指差す。
「ロープと固定具も使えば、かなり強度があがります」
「なるほど」
剣崎は納得したように頷いた。
「よし、それでいこう。力仕事なら私の専門だ!」
天沢がそう言うや否や、近くの大型デスクへ両腕を回した。
「せぇぇぇの!」
持ち上げた次の瞬間――ゴンッ。
机の角が柱へ勢いよくぶつかった。
「あ」
本人だけが固まった。
やがて剣崎が口元を押さえ、小さく肩を震わせる。
「天沢」
「はい?」
「力は満点だ」
一拍置いて。
「繊細さは赤点だ」
その一言に、片瀬まで吹き出した。
天沢は照れ笑いしながら頭を掻く。
「昔からこういう細かい作業だけは苦手なんだ」
「十分ですよ」
片瀬は机の脚へ手を添えた。
「少し持つ位置を変えてみましょう」
「位置?」
「重心を身体へ近付けるだけで良いんです」
実際に持ち直して見せる。
それだけで机は驚くほど安定した。
「おお!」
天沢が目を丸くする。
その反応につられるように、自然と笑い声がこぼれた。ほんの数時間前まで、互いをよく知らなかった者同士とは思えない。穏やかな空気が流れていた。
「じゃあ、俺はどんどん運ぶぞ!」
天沢は今度こそ慎重に机を持ち上げる。
「剣崎さんは、固定をお願いします」
「了解」
役割は自然と決まっていた。
天沢が運び、剣崎が固定し、片瀬が全体を組み上げる。
その流れは、一度動き始めると驚くほど滑らかだった。
重い机が床へ据えられる。それを待っていたように剣崎がロープを通し、片瀬が結束バンドで脚を固定していく。誰も「次は何をしますか」と聞かない。聞く必要がない。目を合わせれば分かる。相手が次に何をしようとしているのかが、自然と伝わるようになっていた。
だがそこへ、腕を組んだ権藤が姿を現した。
「もっと高く積め」
現場へ近付くことなく言う。
「高さがあれば突破されん」
「はい」
「そこはもっと右だ」
「はい」
「ロープはもっと張れ」
「はい」
返事だけは素直だった。
しかし実際に組み上がっていくバリケードは、権藤の指示通りではなく、片瀬の経験則によって進んでいく。
権藤はしばらく腕を組んだまま眺めていたが、現場作業が自分の仕事ではないと判断したのか、すぐに興味を失った。
「まあ、そんなかんじだ。後はお前たちに任せる」
満足して、そのまま五階へ戻っていった。
三人は、その背中が見えなくなるまで黙っていた。やがて天沢が周囲を見回す。
「……行った?」
剣崎も遠くを覗く。
「行ったな」
その瞬間に、三人の肩から力が抜ける。
片瀬まで思わず笑ってしまった。
「じゃあ、続きをやりましょう」
「よし!」
「今度はぶつけないぞ!」
天沢が胸を張る。
その宣言に剣崎が、「それは期待しないでおこう」と真顔で返す。
再び笑いが起こった。でも、手は止まらない。誰も命令しない。誰も競わない。それでも作業は、不思議なくらい息が合った。
会社という肩書ではなく、それぞれの得意なことを持ち寄って、一つの防壁と、一つの共同体を築き始めていた。
一方その頃。
二階を見下ろせる踊り場では、桐村が食堂を占拠する巨大な触手を見つめていた。
食堂の売店には飲料も保存食も残っている。今はまだ各自が持っていた弁当や菓子で凌げているが、それにも限界はある。
(どうにかして回収できないか……)
自分から危険を冒すつもりは毛頭ない。
(あいつらを、どうにかして誘導できれば……)
手っ取り早いのは、片瀬を囮にして食料を回収すること。
危険な場所に足を踏み入れている隙に、自分は安全圏から食料を得て、手柄を立てる。もしくは判断ミスを誘い出し、皆の不信を買わせるシナリオもありだ。
そんな策略を巡らせている中、廊下の向こうでは、天沢の笑い声、剣崎の短い返事、そして片瀬の落ち着いた声が届く。
耳障りだった。楽しそうだった。ほんの数時間前まで他人同士だった連中が、まるで昔からの仲間のように笑い合っている。
(……気に入らない)
疎外感があった。それを誤魔化すように桐村は鼻で笑う。
(あいつらは馬鹿だ)
あんなものを作ったところで、化物を止められる保証などどこにもない。なのに、信じている。自分たちなら何とかなると。
(所詮は、偽善者の考えることか……)
片瀬が癇に障る。皆から頼られ、感謝され、自然と中心に立っている。まるで昔の慎也だ。誰からも好かれ、誰からも信用され、最後には、自分を笑い者にした男と同じ。
胸の奥で燻る憎悪が、じわりと熱を帯びた。
(今はまだだ)
ここで感情のまま動けば、自分が損をする。それだけは分かっていた。だから耐える。もっと確実に。もっと致命的に。片瀬が皆から見放される、その瞬間を作ればいい。
ここでふと、外が暗くなり始めていることに気付く。
今まで誰も気付かなかったことへ、意識が向いた。階段の照明は点いたままだ。夜になれば、あの灯りは外へ漏れる。
あの化物が光へ反応するかは分からないが、視力はあるらしい。危険を増やす理由にはなる。
桐村は三階へ戻る。三人はまだ作業を続けている。その横を何事もないように歩き、階段脇の壁へ手を伸ばした。
――パチッ。
照明が落ちる。薄暗さが一気に廊下を包み込んだ。
「……あれ?」
天沢が顔を上げる。片瀬も手を止め、スイッチの前に立つ桐村を見る。
「外に光が漏れるだろが」
ぶっきらぼうに言い放つ。
一瞬の沈黙。
片瀬は小さく目を見開いた。
「あ……」
完全に盲点だった。
すぐに表情を改め、軽く頭を下げる。
「ありがとうございます」
その一言に、桐村はわずかに眉をひそめた。悪意しか向けていないのに、返ってきたのは感謝。自分のことを敵として認識していない。相手にされていないような気がした。
(……今は耐えろ)
そう言い聞かせる。焦るな。まだ、その時じゃない。片瀬を引きずり落とすなら、もっと取り返しのつかない形にすべき。いつか必ず孤立させてやる。そう企んでいた。
そこへ、階段から慌ただしい足音。藍川が息を切らせて降りてきた。
「大変です!テレビがつきました!今から総理の緊急記者会見が始まるみたいです!」
緊張が走る。剣崎が「五階へ行くぞ」と短く言うと、作りかけのバリケードを背に、一同は五階の大会議室へ向かって駆け出した。
◇
大会議室へ入ると、設置された大型テレビにはすでにニュース特番が映し出されている。画面下には赤い帯で『緊急特別報道』の文字が流れ、スタジオの張り詰めた空気がそのまま部屋にも伝わってきた。
藍川が着席すると、片瀬は隣に座って声を掛ける。
「ありがとう。間に合った」
藍川は息を整えながら照れくさそうに微笑む。
「はい」
それだけだった。それ以上言葉は交わさない。
藍川は自分の膝の上にそっと手を重ね、背筋をぴんと伸ばす。その姿勢は緊張の証だ。
ちらりと片瀬の横顔を盗み見て、目が合いそうになり、慌ててテレビへ視線を戻す。その鼓動だけが、まだ少し速かった。
全員の視線がテレビへと集まる。
画面が切り替わった。官邸の会見場。無数のカメラが演台へ向けられ、会場にフラッシュが断続的に瞬く。
『――まもなく、内閣総理大臣による緊急記者会見を中継いたします』
アナウンサーの落ち着いた声が響く。
数秒後、総理大臣が演台へ姿を現した。
『本日十時三十二分、全国の主要都市において、正体不明の侵略性生命体が同時多発的に出現しました』
総理は声を荒らげることもない。だが、その落ち着きがかえって事態の深刻さを物語っていた。
『政府はこれを国家存亡に関わる重大事案と判断し、緊急事態宣言を発令いたしました』
赤い帯とともに、国民へ向けた要請が表示された。
【国民各位への緊急要請】
・頑丈な建物内へ避難し、外出を控えること
・窓や扉を封鎖し、物音を立てないこと
・食料、飲料水を節約し、七十二時間分を確保すること
・テレビ、ラジオなどで最新情報を確認すること
片瀬は画面を見つめる。ここまで自分たちが選んできた行動は、政府の方針とも一致していた。間違ってはいなかった。それだけが、今は小さな安心材料だった。
『続いて、自衛隊の投入についてです。本日二十四時をもって、特別災害派遣を発令します。今回の主な作戦区域は、政令指定都市の中心部など、被害が集中しているご覧の地域です』
権藤が思わず「おおっ!」と歓声を上げる。テロップで流れる作戦区域に、この地域が含まれていたからだ。
『我が国は、この未曾有の危機に全力で立ち向かいます。しかし、今はまず皆様の安全が最優先です。どうか、冷静に、指示をお待ちください』
総理が頭を深々と下げ、会見を締めくくろうとしたそのとき、記者席から鋭い声が飛ぶ。
『総理!あれは一体何者なんですか!』
総理は言葉を詰まらせ、隣に座る白髪の男性に視線を送った。防衛省付属、特殊生物研究所の所長だ。彼は簡潔に自己紹介を済ませ、モニターを指さす。映し出されたのは、天沢がSNSで拡散した謎の光の動画だった。
『現段階で把握している情報をお伝えします。民間気象会社からの提供データが、初期分析に大きく貢献しました』
天沢は立ち上がり、この話は自分だと誇らしげに親指で自らを指さす。が、誰も反応しない。……しゅんと肩を落として「……私なんだけどなぁ」と着席した。その姿に鈴音だけが、くすっと笑った。
『この生命体は、我々が知るどの生物分類にも当てはまらない新種です。光学迷彩能力を持ち、粘体は自在に変形するだけでなく、鋼鉄並みの強度に硬質化させることも可能で、摂取したエネルギーから瞬時に増殖を――』
ここで所長は言葉を切り、マイクから口を離した。数秒だけ目を閉じる。それから、カメラを見据え直した。
『――あれは、完全捕食体。我々は、膠喰体と命名しました』
誰も、その名に特別な反応を示さなかった。
ただテレビの光だけが、片瀬たち一人ひとりの横顔を静かに照らしていた。
窓の外では、夕日が街並みから消えようとしていた。
間もなく、長い夜が訪れる。




