残悔(4)
アパートから充分な距離を取ったことを確認すると、ぽつりとに結果は口を開いた。
「袋小路さん、鴻巣さん要チェック。今回の件と関係ないかもしれないけど」
「ちょっと待ってろ」
道路の脇に移動して通行の邪魔にならないよう配慮しながら会話を始める。話が長くなると察した袋小路は近くの自動販売機で飲み物を買いに行く。電子マネーによる決済で軽快な音を鳴らしたあと、飲み物が落ちてくる音がした。
袋小路の手にはコーヒーとオレンジジュースが握られている。
「おらよ」
「ありがと」
結果は普段からコーヒーを飲むことはない。四季が淹れてくれるのは紅茶か緑茶であり、紅茶の場合は角砂糖を数個入れている。コーヒーを飲んだことはあっても、その苦さに舌が拒否反応を示し、それ以来飲むことはなくなった。紅茶とは違って砂糖を入れてもミルクを入れても苦手なままだった。唯一飲めるのはコーヒー牛乳のように甘いものだが、自動販売機には売っていない。
袋小路がプルタブを開ければコーヒーの香りが辺りに広がる。香りだけは好きなコーヒーだが、飲むことのできない結果はその事実を隠すようにオレンジジュースに口を付けた。
「それで鴻巣のことだが」
「あの人、黒い靄が見えた。誰かのことを呪ってるよ」
「そっち側か。掛けられてる側じゃないんだな?」
「うん。あの大きさというか濃さ? 間違いなく誰かを呪ってる。故意か偶然か分からないけど」
袋小路が鴻巣たちと会話をしている最中、結果は鴻巣のことを観察していた。周りを纏わり付くように漂っている靄が、鴻巣から出ているのか秦野から出ているのか分からなかったからだ。
最終的には鴻巣に話をしに行ったことで、彼女の動きと連動するように靄が動き判断に至った。
「鴻巣が錆鉄を呪ってる可能性もあるのか」
「依頼を聞いた時に、錆鉄さんは許してもらうために何度もアパートに行ってるって言ってたからね」
「あの様子じゃ鴻巣たちは何回も彼処に行ってるよな。錆鉄と鉢合わせていてもおかしくない。彼氏が亡くなって傷心中の彼女が錆鉄のことを見たら呪いたくなる気持ちも分かる」
砂糖の入っていないコーヒーを口に含んでは、転がすように味わったあと嚥下する。その最中にも鴻巣の抱く感情に思いを馳せていた。恋人が亡くなって大変な時期に、思い出のある場所に行ったら見知らぬ男が許しを乞うていたなど鴻巣からすれば激情に駆られていてもおかしくはなかった。
「錆鉄さんはそのことを言ってなかったけどね」
「そのことっていうと鴻巣と出会ったことか」
「錆鉄さんは夢の中で何かを言われているのかも。彼女に関わるなとか彼女のことを蔑ろにするなとか。私が見ていた錆鉄さんの様子だと、夢に出てきた瑪瑙さんの言葉なら何でも聞いてしまいそうだったよ」
喉が渇いていたのか、結果の飲んでいたオレンジジュースはいつの間にか空になっていた。太陽に向けて傾けても中身は口の中に入って来ず、振っても水音はしない。
それを見ていた袋小路は自らの残り少ないコーヒーを一気に飲み干し、二人でゴミ箱へ向かっていく。
「なんだかよく分からなくなってきたわ」
「瑪瑙さんは自殺した。錆鉄さんは瑪瑙さんに呪われている。鴻巣さんは誰かを呪っている。付き添いの秦野さんだけ何もない」
「呪いなんてそんな沢山起こるもんじゃないだろ」
「本来ならね。でも私は呪いの案件に当たることが多いから多く感じちゃう」
「俺たちが事件を多く感じるみたいなもんか。実際には広い区域の一部で起こった事故を取り扱ってるだけなのにな」
「灯台下暗しというのかな。自分の見ているものを全てだと思っちゃうのが人間の悪い癖。それに気付くためには他人の目が必要なんだけど」
二人がゴミ箱に飲み干した空き缶を捨てると、中に溜まっていた缶と接触して乾いた音を鳴らす。
「取り敢えず鴻巣と秦野の連絡先はさっき聞いたから何かあったらお前に連絡するよ」
「鴻巣さんに関しては完全に呪いの案件だから任せて」
探偵殺人の由来は呪いの正体を暴き、掛けた呪いと同等の物を加害者へ返す呪い返しから来ている。人を殺す呪いを掛けていれば、返った加害者は死ぬ。呪いの事件に当たる時はそうならないことを常に祈っている結果は、鴻巣のネイルを思い浮かべながら人を殺す呪いに関わっていないことを願う。
4
葬儀場までの距離は遠く、車での移動だ。結果がアパート近くのコンビニで時間をつぶしている間に、袋小路が車を手配する事になった。袋小路が一度自宅に戻り、車で結果を迎えに行くと三十分程度時間が経過していた。結果はコンビニで立ち読みをして時間を潰していたが、袋小路は時間との闘いを繰り広げており必死の形相でコンビニまで入ってきた。
社会人として、警察として時間を守らない訳には行かず、相手方の都合も考えて時計を何度も確認しながら車を走らせる。約束していた時間は刻一刻と迫ってきており、結果を車に乗せると寄り道は一切せずに葬儀場へと向かった。
「相手方にも時間があるからな。多分間に合うと思うがギリギリだ。カーナビはセットしてあるから変な所触るなよ」
「触らないよ。私も迷惑かけたいわけじゃないし。特に葬儀関係は時間が詰まってそうだからね」
「一応言っておくが、遺体に関する質問は駄目だ。して良いのは錆鉄に関してのことだけ。それも答えられる内容は多くない。そのことは分かっておけ」
「大丈夫。故人に敬意を払う仕事をしている人たちを蔑ろにするつもりはないよ。変な事は言わないように気を付ける」
「分かってるならそれでいい」
住宅街を走り抜け、葬儀場に向かう道を進む。目的地が近づく頃には付近に住宅の影はなく、川や林などの自然に囲まれた空間が姿を現していた。
葬儀場や火葬場など、人の死にかかわる施設が住宅街の近くにあるとクレームの対象になってしまうことがある。後から住み着いた人間が文句を言うことはお門違いなのだが、それを無碍にできないのは民間の企業だからだろう。
人の住んでいる気配が薄くなった場所にひっそりと葬儀場は建っていた。
「そのまま中に入っていいの?」
「受付の人に説明すれば通してもらえるって言ってたぞ」
「一応制服着てきてよかった」
「葬儀じゃないとは言え、この場にラフすぎる格好も良くないからな」
ネクタイとセーラー服の襟を正し、二人は葬儀場の中へと入っていく。
中に広がるのは大きな通路と壁に備え付けられた大きな扉が三つ。大きくない葬儀場とは言え、厳かな雰囲気を感じさせる重厚な装飾が施されている扉は重苦しさを感じさせる。
受付は通路の手前にあり、黒い衣服に身を包んだ女性が姿勢よく立っていた。
「すみません、沢渡さんと約束を取り付けていた警察の袋小路ですが」
「伺っております。こちらへどうぞ」
受付に声を掛けると、直ぐに待合室へと通された。女性がゆっくりと扉を開けると、中には一人の男性が座っており、結果たちの姿を見るとすぐに立ち上がって小さく頭を下げた。年齢は五十代前後で白髪交じりの頭髪。大きめの眼鏡が特徴的な男が二人を迎え入れた。
部屋に入った結果たちも頭を下げて挨拶を始める。
「お時間を作っていただきありがとうございます。袋小路です」
「超常現象研究家の殺人結果です」
「お気になさらないでください。――その、警察の方は分かるのですが超常現象研究家とは?」
沢渡は結果を一瞥した。
何処に行っても超常現象研究家の説明をしなければならないため、自分の仕事を語ることが手慣れている。人とコミュニケーションを取ることが苦手な結果だが、決められた定型文を話すことはできる。
「本日伺った要件でもある錆鉄さんが不思議な夢を見るとのことで、超常現象研究家の私に依頼があったのです。超常現象研究家は精神の問題が起こってしまった時に科学ではない側面から考える、と思っていただければ構いません。胡散臭いことは承知していますので、袋小路さんが同席をしています」
オカルトを好意的に捉えていたり、結果の元へ依頼に訪れたりする相手には人知の及ばない現象を解明する学者と説明できるが、知らない相手に説明する場合は治療のためと説明する事にしていた。呪い自体が本人の思い込みであることも多く、大きな枠組みで言えば嘘をついている訳ではない。
「変な夢……ですか」
「詳細はプライバシーに関わりますので追求はご遠慮いただけると」
「分かりました。それで本日は私に何を聞きたいんですか?」
仕切りに時計を気にする沢渡。
事前に時間は多く取れないことを聞かされていた袋小路は単刀直入に本題へ入った。
「錆鉄さんの人となりです。何をして辞めたか等は聞かされているので、第三者から見た彼のことを聞きたいのです。もしかしたら彼が夢を見てしまう原因が分かるかもしれないので」
訪れた目的は錆鉄がどのような人間だったかを知る為。
誰かに呪われる夢をみるということは、呪われるだけの悪行を本人がしている可能性がある。本人が知らず知らずのうちに誰かを傷つけ、顰蹙を買っているのなら周りの人間に聞かなければ本質は掴めない。
「錆鉄くん、ですよね。彼は働き者でしたよ」
「働き者ですか?」
「ええ。言葉にするのが難しいですが、冬場は葬儀場が込み合うのです。その時は慎重かつ丁寧に行わなければいけない洗体にはいつも以上に神経を使います。一回一回真剣に行っているのは勿論ですが、係の者も疲弊してしまうのです。その中で錆鉄くんは弱音も吐かず、何回も洗体をやってくれました」
「真面目だったということですか?」
話だけを聞けば仕事に実直で真面目な青年である。
しかし、沢渡は眉を顰めて苦笑いを浮かべた。
「真面目とは違うと思います。私も何度か注意をしたのですが、錆鉄くんは仕事が終わった後、とてもスッキリとした顔をしているのです」
「満足気な表情ということですよね」
「はい。時には笑顔を浮かべている事もありました。不謹慎ですし注意をしても、その場限りの反省で……。結局は管理室に遺体の情報を盗み見たことで解雇となりましたが」
錆鉄から聞いていた話とは違うと結果は思った。遺体を洗体する仕事に携わっていたことは本人の口から聞いていたが、あくまで金銭を多く貰えるからやっているに過ぎないと言う口調だった。
沢渡の話を聞く限りでは錆鉄が洗体をしていた理由が別にあると袋小路と結果は同じ結論に至る。
「錆鉄さんはどのような理由でこの仕事に就いているか知っていましたか?」
「採用担当は私ではありませんが、採用担当から聞いた話ですとお金が必要だったそうです。面接では人の役に立ちたいと言っていたそうですが」
面接で猫を被るのは採用をされるために行う行為であり、非難されるべきものではない。虚偽を伝える事は問題になるが、人の役に立ちたいと言う聞く人によって解釈の分かれる言葉は罪にならない。
「沢渡さんは瑪瑙さんの洗体を行った時のことを覚えていますか?」
「瑪瑙さん? すみません。私共は遺体の氏名などは聞かされていなくて……」
「錆鉄さんが離職するきっかけとなった件です」
「ああ。私と錆鉄くんで業務に当たっていた時に、彼が急に叫び始めたんですよ。この遺体生きてると。当然ながら私たちの元へ来る前に医師によって死亡確認はされておりますし、そのようなことがないように一日程度安置されています。一応私も確認しましたけど錆鉄くんの勘違いだったと思います。その後は業務にならず別の人と交代をしたのですが、その後すぐに錆鉄くんが問題を起こしました」
他人の目から見た錆鉄の奇行は本人が感じていたよりも奇怪に映っていた。洗体をしている最中、急に叫び出し情緒不安定になった錆鉄を見ていた沢渡。業務の継続が不可能だと判断する程の錯乱を起こしており、その後は結果が知る通りの結末を辿った。
「遺体が動くっていうことはありますか?」
「ありませんよ。超常現象研究家の方には申し訳ありませんが、不思議な現象に出会ったことはありません。錆鉄くんに不純な気持ちがあったから、洗体されたご遺体の不満を買っ――」
沢渡は途中で言葉を止めた。
「いえ、遺体への配慮が足りていない発言でした。とにかく、錆鉄くんは業務中に錯乱してルールを破りクビになりました。遺体が生きていたということはありません」
「なるほど。分かりました。因みに沢渡さんは何故こちらで働いているのですか?」
「忘れてしまいました。長年働いていますので。この仕事をやっていくうちに辞められなくなってしまったのでしょうね。新しい職を探すことも大変ですし」
沢渡は長く遺体洗体をすることで、職場から離れることができなくなっていた。五十代になれば新しい職を探すことも大変になり、今の生活が安定しているため新しい道を模索することもない。現状維持のまま仕事を続けている。
「錆鉄さんは給料がいいと言っていましたが」
「私のような正規の人間はそうでしょう。ですが錆鉄くんのようなアルバイトは一回一万五千円ですよ。時給というほど長時間働くわけではありませんし、他のアルバイトをしたほうが割はいいと思いますけどね」
「そうなんですか……」
結果は聞いていた話と違うことに驚きを隠せない。錆鉄の話では金欲しさにやっていたアルバイトで給金は五万円ほどと聞いていた。しかし沢渡の口から語られた金額は三分の一にも満たない。遺体洗体の仕事を選んで行う理由は無く、金欲しさならば他のアルバイトを選んだほうが都合のいい筈だった。
「そろそろ時間なのでよろしいですか?」
沢渡は立ち上がり二人に声を掛ける。
「本日はありがとうございました」
「ありがとうございました」
聞きたかったことを全て聞き終えた二人は、沢渡に礼を言ってから立ち上がる。適当な挨拶をして部屋から出ることになった。
話を聞いたことで錆鉄が起こした行動と、本人が語っていた内容とは違う性格が見えてきた。錆鉄は遺体を処理する現場で生き生きと笑顔を浮かべている事は話していなかった。錆鉄自体に倫理観が備わっているのか、重大な事実を隠しているのか結果には分からない。
そして給金に関しての虚偽申告。金額を詐称する理由が思い当たらず、結果の悩みは一つ増えてしまった。
「錆鉄、何か隠しているよな?」
「それは間違いない。でも呪われてるって信じているのは本当だと思う」
その日の予定は終了し、袋小路は結果を家に送っていくことになった。
社内では運転に集中する袋小路と、判明した事実を脳内で反芻する結果によって齎される会話は一切なかった。通り過ぎていく景色を眺めながら錆鉄の呪いに感じて結果は思考を働かせる。
――錆鉄さんからは呪われている気配はしなかった。でも四季が調べたほうがいいって船を出したってことは何かの意味があるってこと。今日のことを報告するついでに四季に話を聞こう。
分からないことがあれば本人に聞けばいいのだ。何故依頼を受けることにしたのかを。
四季は結果に対して過保護で甘く、質問をすれば答えてくれる。依頼を受けた理由も二つ返事で教えてくれると結果は確信していた。唯一教えてくれない事は呪いに関する推理の答えのみ。結果が答えに辿り着けるように道筋を整えてはくれるが、道案内をすることはない。
あくまで超常現象研究家兼探偵は殺人結果であり、助手である白沢四季が出張るべきでないと考えているのだ。その影響で探偵殺人の名前が一部界隈では有名になっているのは別の話である。




