残悔(2)
「とりあえず瑪瑙さんの部屋に行こう。見てみなければ何も分からないからね」
「階段錆びてるから気を付けろよ」
結果と袋小路は赤錆を纏った手すりには触れず、軋む音を響かせる鉄の階段を登る。段差は思っていたよりも高く、上り下りに苦労しそうだった。赤錆こそがアパートの歴史を語っており、長年建っていた風貌をしている。
十段程度の少ない階段であったが、身長の低い結果は大股を開いて登らねばならず、登り終える頃には少しの息切れをしていた。
「階段登っただけで息切れとかさ。ちょっとは運動したほうがいいぞ。若いんだから」
「袋小路さんからしたら若いと思うけど、私は基本的に引きこもりなの。呪いの依頼があるときしか外に出ないんだから」
「俺だってまだ若いわ」
袋小路は二十八歳であり、結果とは十歳しか離れていない。老けている扱いは癪に障った。
学校にも通っておらず、生活の全てを四季に任せている結果は外へ買い物に行くことも遊びに行くこともない。食料などはネットスーパーなどで頼んでいるため受け取ることもなかった。依頼がない日は昼まで寝て、起きたらオンラインゲームを行い、四季の作ったご飯を食べて日の出頃に就寝するという不摂生な生活をしている。
調査に向かう日の早起きは辛く、寝ぼけ眼を擦りながらこなすことも少なくはない。
「すう……はあ……。うん、落ち着いた」
「それじゃ行くぞ」
「一番奥の部屋だよね」
息を切らしながら膝に手をつき深呼吸をしていた結果も、数十秒経てば息が整い、顔を上げて瑪瑙がいた部屋を見る。通路はコンクリートで固められており無骨な印象を受けた。
視線を横に向ければ二〇一号室が目に入る。表札にはカメラで確認した時と同じく住んでいるの名前が掲げられてはいない。耳を澄ませても人が住んでいる物音はせず、自然が奏でる環境音しか耳には届かない。
「やっぱり住んでないのかな」
「インターホン鳴らしてみるか?」
「一応鳴らしてみよう」
結果は手を伸ばしてインターホンを押す。電子的な音ではなく、呼び鈴のような古臭い音が部屋の外にも音が漏れる。一分ほど扉の前で待つが中から人が出てくる気配はない。
結果達は顔を見合わせて頷く。
同じように二〇二号室のインターホンを鳴らしてみるも、人が出てくることはなかった。
「住んでないよね」
「住んでないな」
「扉とか周囲の綺麗さから、ずっと人がいないってことはなさそうだよね。瑪瑙さんが自殺したから居なくなったのかも」
袋小路が扉に備え付けられている新聞受けに手を入れて何かを探していた。
「何してるの?」
「なんかあるからちょっと待ってろ」
ガタゴトと音を立てて新聞受けを弄ると、中から一巻きの新聞を取り出した。取り出した新聞を開くと、直ぐに右上を確認した。
「日付は、ちょうど一週間前だな」
「少なくとも一週間前には居たってことね。瑪瑙さんが自殺したのも一週間前だから丁度その時期に引っ越してるのかも」
「隣のやつが自殺したら曰く付きの場所になるし引っ越しても仕方ないんじゃねえか?」
「二〇一号室も二〇二号室も人がいないなら大家さんの心労も分からないでもないかな」
人のいない部屋を横目に目的の部屋へと向かっていく。歩く振動が鉄の振動へと伝わり、僅かに音がする。足音も響くため、部屋の中にいる人間からしたら外で歩いている人がいるだけで気付くだろう。古びた建物はリノベーションされていても建て付けが悪くなっており、所々に綻びが生まれている。
二〇三号室、瑪瑙銀次の部屋だった場所の前には植木鉢に入れられた花が置かれていた。
「花瓶とかじゃなくて植木鉢?」
人が亡くなった部屋に花を供える場合は花瓶などを置くのが普通だろう。しかし、瑪瑙の部屋の前に置かれていたものは小さな花がいくつも咲いている植木鉢。草臥れている花はなく、最近置かれたものだと一目で分かった。
「これ、なんの花だ?」
「え、わかんない。とりあえず写真撮って四季に送っておく。これも何かの証拠かもしれないし」
「白沢も便利だな」
「あげないよ。私の四季だからね」
「もらっても困るし、要らねえよ。結構口うるさいしな」
植木鉢に入れられた花の写真を数枚撮り、その場で四季に写真を送る。花の種類を調べるようにメッセージも添えた。直ぐに既読されることはなかったが、結果は気にすることなくスマホをポケットに仕舞い込んだ。
部屋の周囲を見ても植木鉢以外のものは置かれていなかった。丁度扉の目の前で扉を開けようとしたらぶつかってしまう位置に置かれていた。植木鉢の位置をずらして扉を開けようとするも、植木鉢にはみっちりと土が詰められており、結果には重くて持ち上がらなかった。その姿を見ていた袋小路は溜息を付いて、結果をどかして植木鉢を移動させる。
「ありがと」
「どう見ても重いだろうよ。普通に頼めばいいだろ」
「なんかできると思ったんだよ。出来ることは自分でやったほうがいいでしょ?」
「お前の仕事は状況を整理して、依頼者である錆鉄の呪いを解明することだろ? 力仕事はお前の仕事じゃない。そのあたりは俺に任せて、お前は頭を使え」
袋小路が結果に付けられている理由は非力な結果をサポートする理由もあったのだ。呪殺を行う人間の大半は精神的に異常を抱えている。結果が一人で犯人の元へ向かってしまえば、狂った犯人から返り討ちに合う可能性もある。警察というのは名前だけで抑止力があり、その場にいるだけで緊張感を持たせるのだ。警察の前でいたいけな少女に暴力を振るうことを殆どの人間はしない。
しかし自分がやった行為の露呈に直面してしまったとき、窮鼠猫を噛む事がある。警察がいても、相手が自分よりも非力な女性でも。自らの欲望を呪いという非現実な手段に頼って叶えようとする人間が追い詰められた時にとる行動は想像ができない。
相手が暴れ出した時に制圧できるように袋小路が派遣されている。四季や上司からも結果が怪我をすることがないようにと言い聞かされており、本人も結果を守ることを承知していた。結果は頭脳労働、袋小路は肉体労働。それぞれの得意分野で動くことで事件を円滑に解決へと導いていくのが二人のやり方だった。
「分かった。それじゃ動くやつは全部任せるよ」
「俺がやるのは力仕事だけだよ。動くのは自分でやれ」
「引きこもりには重労働だなあ」
ドアノブに手をかけると、ゆっくりと回して扉を開く。閉ざされた部屋の中に新鮮な空気を送り込まれた。
3
玄関は狭く、大人二人が入るのがギリギリな大きさ。外からコンクリートが続いている玄関から段差を登ると室内にはいる作りになっていた。履き捨てられたスニーカー、隅に溜まった埃など、妙に生活感が残ったままの部屋。
「誰も掃除したり片付けたりしてないみたい」
「亡くなってから一週間じゃ葬儀関係とかで忙しいんだろ。実家が遠ければ尚更な」
「瑪瑙さんの実家ってどこなの?」
「東北の方だったはずだ。仕事で上京して来たらしい」
「ご家族も大変だ」
結果は靴を脱いで室内へと上がり込む。軋む床の音を鳴らしながら玄関を照らすスイッチを押した。室内に明かりが灯り、壁や床が照らされる。リノベーションをしているだけあり、外観からは想像ができないほど綺麗な空間が広がっていた。
「電気は通っててよかった」
「古いアパートだし大家が一括契約してんじゃねえの?」
「亡くなって一週間だし解約されてないだけかも。とにかく私たちにとっては僥倖だね。懐中電灯を使わなくて済むんだから」
ハイツシクラメンの部屋はキッチンと居住スペースが扉によって分けられた間取りになっていた。玄関を上がり、短い廊下を歩けば左側にはキッチンがある。目の前の扉は閉ざされており、中の様子は開けなければ分からない。
結果がキッチンを覗き込むとシンクには食器がひとつもなく、棚に整理されて入れられていた。こびり付いた水垢が人の痕跡を示している。
冷蔵庫を空けても、中には食材どころか飲み物ひとつ入っておらず空っぽだった。元々冷蔵庫に物を入れない人間ならば、冷蔵庫を買わないか冷蔵庫の電源が入ったままになっているのはおかしい。
「全て綺麗にしてる。計画的な自殺だっのかな」
「自殺する人は身辺を綺麗さっぱり片付けて後腐れなく逝くことは少なくない。瑪瑙もそうだったって言いたいのか?」
「まだ分からないよ。ただ、いきなり人に殺されたようには見えないってこと」
当然ゴミ箱の中を見ても何もない。
「次は居住スペースを見よう」
結果は居住スペースへと続くドアノブに手をかける。円筒状のドアノブは手で握って回すことで開くタイプだった。キッチン側に開くと思いドアノブを捻って引き寄せるが開かない。押し扉だと直ぐに気付いた結果だが、ドアノブを捻ったまま扉を押しても扉が少し動くだけで開くことはなかった。
「何やってんだ?」
「扉が重くて動かない」
「ちょっとどいてろ。俺が開ける」
結果が押しても動くことがなかった扉を、袋小路が代わりに開けようとする。結果と同じようにドアノブを捻り、扉を押すが全開には至らない。奥で何かが支えているような感覚も無かった為、袋小路は力付くで扉を押し込むとギギギという不快な音を立てながら扉が開いた。
「立て付け悪すぎるだろ」
「リノベーションしたのにおかしな話」
「探偵殺人の力じゃ開けられなかったわけだ」
「むっ。ちょっとは開いたよ。数センチくらいは」
「それは開いたとは言わねえよ」
開いた扉から室内に入る二人。
中に広がっていたのは綺麗に整理整頓された部屋だった。上には何も置かれていない机。誰かが寝た形跡がないほどに整えられたベッド。少しだけほこりをかぶっているテレビ。生活感のなさと、生活していた証拠が共存し合う不可思議な空間だ。カーテンは閉め切られていたおり、陽の光は入ってこない。
「一応説明しておく。亡くなったのは瑪瑙銀次。男性。二十八歳。職業はフリーター。趣味はキャンプなどのアウトドア。目立った外傷や争った跡はなく、索条痕が残っていたことと第一発見者の証言によって自殺と断定。死亡時刻は午前十一時頃で発見時刻は午後三時三十分」
袋小路がメモ帳を見ながら結果に説明するも、結果の耳は袋小路の情報を脳に留めておく程度で、既に部屋の中観察していた。
一番不自然なのは部屋の中心に置かれた椅子。足が横に向いたまま倒れており、そのままでは座ることができない。
「倒れた椅子。首吊り自殺をしたってことだしあの椅子に立ってからやったのかな」
「上には鉄柱があるな」
リノベーションをしていてもアパートの骨組みは崩せない。部屋の天井にはむき出しになった鉄骨が一本だけあり異質だった。
普通に生活する分には問題はなく、天井に近い位置にあるため普段なら気にすることもないだろう。床から天井までの高さは建築基準法により最低でも二.一メートル以上と決められている。結果の身長の二倍ほどの高さがある天井は約三メートルある。
丁度首を吊れば床に足がつかない高さ。
「あそこにロープを括り付けて自殺したって事だよな」
「報告書通りならそうなるね。現場に駆けつけた時には既に降ろされていたらしいけど」
「第一発見者が降ろしたみたいだな。まだ息があるかもしれない状況なら当然だ」
会話をしながら結果は部屋の中を漁る。
本棚の本を確認したり、ゴミ箱を確認したりするも特に情報は得られなかったが机の引き出しを空けた所で動きが止まる。
「病院の領収書だ。あとスマホも入ってる」
「瑪瑙のか?」
「うん」
受診日は今から二週間前であり、領収書には瑪瑙銀次の名前が記載されている。診療明細には再診と書かれていた。
「再診って書いてあるから何度も行ってたみたい」
「何かの病気だったのか」
「分かんない。ここの病院にも話を聞いたほうがいいかもね。雨包クリニックって聞いたことある?」
領収書が入っていたのは引き出しの中に収められた百円ショップで買えるようなボックス。引き出しから取り出して中身を確認すると、二週間から一カ月に一度病院に行っていた痕跡が残っていた。瑪瑙は几帳面な性格で、自分が受診した医療機関をひとつに纏めていた。
一番上の紙を取り出し、書かれている病院の名前を口にする。
「この近くにある心療内科だな」
「心療内科……」
「心因性が原因で身体に不調をきたすときに行く所だな。瑪瑙がそこに通っていたって言うことは何かしらの不調があったってことだ。それが自殺につながったのかもしれない」
「うーん。ますます普通の自殺に思えてきた。錆鉄さんが呪われるようなことは無さそうなんだけど」
結果は引き出しのなかに入っていたスマホを取り出して電源をつける。充電は残り少なくなっていたが、画面は点灯し、現在時刻とともにロック画面が映し出された。スーツを着ている入社式の写真が設定されていた。
結果はこの時初めて瑪瑙の顔を確認した。部屋の中には写真なども一切なく、自殺するに当たって処分されていた。聡明で真面目な顔つきの青年という第一印象を覚えた後に、その人物が亡くなっていることを思い出して思いに耽る。
「やっぱり開かないか」
スマホを操作するとパスワードの入力画面が出てきた。指紋認証では無いため、適当な数字を入力するも暗証番号が一致することはなかった。
「袋小路さん」
「なんだ?」
「これ瑪瑙さんのスマホだと思う。ロック画面見て」
袋小路は渡されたスマホを確認する。
「俺が報告書で見た人物と同じだ」
「やっぱり。そのスマホのロック解除が分からないからキャリアショップでも警察の解析でも使って調べてもらっていい?」
「許可が通るか分からないがやってみる」
二つ返事で了承し、ジップロックの中にスマホをしまった。
その後も部屋を見て回るも目ぼしいものは何も無かった。
結果が見るような場所は検視の際に形質も確認しているため、新しい発見はない。
「あれ? 自殺に使ったロープって何処にあるの?」
瑪瑙が亡くなった時の状態で止まっている部屋には瑪瑙が自殺の際に使った筈のロープが無かった。
「警察が処理した。一応証拠品だったからな。発見者が助ける時に解いたから床に落ちていたらしいが」
「キャンプ用品があったけどなかにロープがなかった。もしかしたらそれを使ったのかもね」
結果が調べた中には瑪瑙の使っていた形跡の残ったキャンプグッズもあったのだ。テントやペグ、ノコギリなどが揃っている中、ロープだけが見当たらず、確認のために袋小路に質問をした。
「袋小路さんは何か気がついた事ある?」
「違和感ってほどじゃないけど二つぐらい変な所があった」
「どこ?」




