天網(5)
6
鴻巣は恋人の死に驚愕し、錯乱して逃げ出したが怖くなって通報した悲劇の女性を演じきれると信じていた。悲しむ姿を二人に見せつけるようにわざとらしく嗚咽を上げていたのだ。
伏せていた表情は二人から見えていなかったが、結果の言葉に顔を上げた鴻巣は涙が一滴も浮かんでいない。
「私は恋人が亡くなって悲しんでいるの。それを何? 私が銀次に死んで欲しいって思ってたって言いたいわけ? あり得ないんだけど」
甲高い声でヒステリックに叫ぶ。
今回に限っては結果が鴻巣を挑発したことが発端となっているため甘んじて受け入れていた。
ただ鴻巣への発言を撤回するつもりは一切なく、毅然とした態度で床に座っている鴻巣を椅子の上から見下ろしている。
「私の職業は超常現象研究家兼探偵。この世に起こった不思議な死を推理で解くのが仕事。私も瑪瑙さんの死は自殺だって思ってたよ。でも考えが変化したんだ。瑪瑙さんと鴻巣さんのやりとりや喧嘩の内容」
胡散臭い職業と言われようと結果は自らの仕事に誇りと意味を持っていた。不自然な死を遂げた人間は本当の死因を犯人以外に知られぬまま死んでいく。普通の人には分からない黒い靄が結果には見えており、死者が残した最後の証拠を掴むことができるのだ。
「瑪瑙さんには随分と厳しいことを言っていたみたいじゃん。それなのに秦野さんには自分が悪いと心配させるような言動をしていた」
雨包から知らされた内容。瑪瑙からの相談内容をすべて語ることは無かったが、鴻巣からの言葉に傷付いていたことは確かだった。
瑪瑙に対しては罵声を浴びせ、秦野に対しては猫なで声で接していた。鴻巣が嘘をついていても、他人は鴻巣の嘘に同調することはない。雨包も、瑪瑙に対して送られていたメッセージも、どれもが鴻巣から瑪瑙への砕けた愛を証明するものだった。
「そして今日。秦野さんの前だとあんなに着飾っていたのに、居ないとなったらその格好。あのね、幾ら彼氏以外の人が好きになったからって言って――」
砕けた愛の矛先は秦野に向いていたのだ。
泣き崩れるほど瑪瑙を愛していたのなら、喫茶店で秦野と話していた時の笑顔を見せるのは可笑しかった。秦野は神妙な面持ちだったが、対する鴻巣は着飾った笑顔で話しかけていた。
「恋人が死んですぐに他の人に乗り換えるっていうのを私がどうこう言うことはないよ。それは当事者の問題だからね」
三角関係に興味のない結果は吐き捨てた。四季が好きな昼ドラも結果からすれば負の感情を表に出す人たちの諍いであり、人の不幸で快楽に浸る人しか見ていないと思っている。
快楽も、後悔も、憎悪も当事者の問題であり他人が関わるべきではないのだ。
結果が関わるべき問題はひとつだけ。
「――呪い殺すのは話が違うと思わない?」
瑪瑙が避けることのできなかった死は本人の意思のように見えて他人に仕組まれたものだ。そこに犯人の意思がなくとも呪殺は成立していた。
「何言ってんのよ。呪いなんてそんな物、あるわけないじゃない!」
目に見える証拠が存在しない呪殺は言葉ひとつで簡単に覆い隠すことが出来る。物品が存在する藁人形や写真などがあれば断定は容易だが、鴻巣がやっていたことは瑪瑙の死を願い続けることだけだった。
本来なら証拠などひとつも存在していないが、結果だけに見える呪いを掛けたものに纏わり付いている靄。
「あるよ。あるから私がいる。胡散臭いと思うけど、私には呪いを掛けている人から黒い靄が出ているのが見えるんだよね。鴻巣さんからははっきりと色濃く見える。残念なことに鴻巣さんが施した呪いは成功しちゃったんだけど」
突然オカルティックな話をされれば、鴻巣の顔に困惑が浮かぶ。黒い靄のが自身から出ていることを確認するように、全身に目をやるが一般人に見えるはずもない。
「そんなの知らない。信じられるわけ――」
信じられないものを否定するしか鴻巣には出来なかった。
「今日も沢山数珠とネックレスを付けてるね。化粧も控えめで服装もラフなのに悪しき物を追い払うグッズだけは肌見放さないんだ」
両手首に付けられた無数の数珠。手を動かすたびに珠が触れ合ってカチカチと音を鳴らしていたが、結果の指摘を聞くと袖で隠すように数珠を覆った。その仕草で数珠は音を鳴らす。
「これは――」
「秦野さんから聞いたよ。瑪瑙さんが亡くなってからスピリチュアルに目覚めたって。瑪瑙さんが鴻巣さんの掛けた呪いによって死んだって分かっているから怖くなったんでしょ。呪いなんていう目に見えない不確かなものが叶ってしまった事で、不確かな力を信じてしまった鴻巣さんは必死になって自分に被害が来ないようにした」
「ち、ちがう」
「瑪瑙さんを通報した時には既に数珠を付けていたらしいじゃん。徐々に弱っていく瑪瑙さんを見て呪いが効いていると思って付け始めたんじゃないかな」
鴻巣の表情は千変万化している。
怒りを滲ませたかと思えば困惑を浮かべ、今では結果に問い詰められたことで怯えと恐怖の眼差しを向けていた。高圧的に振る舞っているのは自身の弱さを隠すためであり、隙を突かれてしまえば張っていた虚勢は瓦解してしまう。
「それに本当は瑪瑙さんが亡くなって怖くなったから逃げ出したんじゃないんでしょ?」
否定しながら首を振る鴻巣に結果は追い打ちをかけた。壊れた機械人形のように「ちがう。ちがう」と言いながら鴻巣は結果から目を逸らす。
異常な精神状態を演じればこの場から逃れられると思っていた鴻巣だったが、この部屋は結果の推理を最後まで聞かせるために誂えた場所となっている。結果が推理を最後まで聞かせれば、探偵としての業務が終わるのだ。
「おい、探偵。映像を調べさせていた後輩からデータが送られてきたぞ」
頭の悪いふりをする鴻巣を無視して袋小路が一歩前へ出る。鴻巣が逃げ出す隙を作らないために扉の前で仁王立ちをしたまま。
手を前に出し、スマホの画面を結果へと向ける袋小路からスマホを受け取る結果。画面には管理会社から送られてきた事件当日の監視カメラの映像が映し出されていた。
「ほら見て。焦って逃げ出したにしては足取りはゆっくり。表情も切羽詰まっているようには見えない。瑪瑙さんの自殺は鴻巣さんがトリガーとなって始まるもの。鴻巣さんが急いで部屋を開けて助ければ、助かった命なんだよ。鴻巣さんは死にゆく瑪瑙さんを敢えて見捨てて、死ぬまで待ったんだ。その後に自分が疑われる可能性が脳裏をよぎり隠蔽工作を行った」
スマホを床に置き、鴻巣の顔を両手で抑えて送られてきた動画を見せる。
瑪瑙の死にゆく姿を確認した鴻巣の表情は醜悪で人間のようには見えなかった。釣り上がった口角のまま、今にも駆け出しそうな足取りで古びたアパートの階段をくだる姿が鮮明に映し出されていた。
証拠の動画が送られてきたことで嘘をつけなくなった鴻巣は、一転して開き直った。
「だから何? 銀次の死は自殺で私は殺していない。彼奴は勝手に死んだだけでしょ? 私が罪に問われることはないはずよ」
結果は鴻巣の頭から手を離し、袋小路のスマホを回収する。スマホを持ち主に返した後、推理の定位置と化した椅子に座り直した。
「そうなんだよね。呪いによる死は直接的な危害を加えていないから加害者が罪に問われることはない」
「そうでしょ? 暴いた所で意味がないわよ」
結果が行っているのは鴻巣を日本の刑罰に当てはめる作業ではなく、鴻巣の行った呪いを白日の下にさらす作業。
鴻巣の発言は間違っており、暴くことに意味がある。
「だから私がいるんだよね。呪いによって殺された人の無念を晴らすってわけじゃないけど、人を殺してのうのうと生きているなんて許されないじゃない? 人を殺した責任を取るべきなんだ」
結果は目を閉じて語る。
探偵殺人によって加害者を死に追いやってきた結果にとっては、自分自身に染み込ませる言葉だった。呪いを掛けて人を殺したと言えど、結果が行っているのは私刑に過ぎない。推理によって人を殺しているのだ。
その罪を忘れないために、結果は超常現象研究家兼探偵を続けていた。
「銀次が悪いでしょ。大学生までは別に良かった。でも卒業したらフリーターよ? 雲母くんは一流企業に勤めてる。私は将来有望な男と結婚して楽して生きたかったの。雲母くんがいる手前、銀次と別れてしまえば雲母くんとも関わりがなくなる。それなら銀次が死ねば私は傷心中の独り身。雲母くんに相談して仲良くなっても咎められることは無い。銀次と付き合っているときは指一本触れないどころか二人で会うこともしなかったぐらい真面目な男。私のことを見捨てるはずがないもの」
罪に問われることが無いと分かったからか、鴻巣は床に手を付いたまま薄笑いを浮かべて語り始めた。
語られる内容に結果も不快感を示す。推理をする上で感情をなるべく出さないように気を付けていても、鴻巣の自分よがりな考えは同じ人間として流せる範疇ではなかった。
「そんな理由で瑪瑙さんを呪ったの?」
「死んでほしいって毎日願ってただけよ。現実になるなんて思ってもみなかった。――そうよ! あんたは何か色々語ってたけど銀次が自殺したのは偶然で私が願ったからじゃない。あいつが勝手に自殺しただけ。私は悪くないわ」
鴻巣は立ち上がり、結果へと詰め寄る。
二人の距離が五十センチ程まで近付くが、結果は一切怯まない。
結果のボディーガードを任されている袋小路はすぐに動こうとしたが、結果が手のひらを向けて制したため近寄ってくることはなかった。
恋人の自殺を勝手にやっただけと吐き捨てる鴻巣に、袋小路の手が真っ赤になるほど握りしめられている。口元は固く閉ざされていたが、歯を強く噛み締めて結果の推理を邪魔しないように耐えていた。
その姿が目に入った結果はこれ以上の会話は不要と判断し、最終段階へ入った。
「そっか。それならいいか」
「なによ。警察だって私のことを捕まえられないでしょ? 殺人も犯してない。呪いなんてものは証拠がない」
「うんうん。鴻巣さんは無実だ。やったことは許されないと私は思うけど、現実的に裁きを受けさせることは刑法ではできないよね」
「もう帰ってもいい? ここには二度と立ち寄らない。貴方たちにも関わらないし呪いなんて二度としないから」
結果を言い包められると思ったのか、この部屋に入ってきてから一番の笑顔を鴻巣は浮かべていた。無実が確定している以上、この部屋から立ち去ってしまえば二度と結果と関わることがない。
警察にバレてしまうことを恐れて動いていた鴻巣も、全て警察にバレてしまった今、隠すことは何もなかった。
瑪瑙を呪っていたことも、秦野に対して好意を抱いていたことも、――瑪瑙の死を毒にも薬にもならないものと切り捨てたことも。
「それじゃこれ」
結果は予め用意していた封筒を鴻巣へ渡した。
百円ショップなどで買える郵便番号枠が書かれた茶色の封筒は厚さが五センチほどに膨らんでいる。
「なに? 封筒?」
結果から封筒を受け取り、その場で中身を取り出そうとするが、結果は必死になって鴻巣を止めた。
「待って待って。それは家に帰ってから一人で見てほしいの。今回呼び出した謝罪の気持ちが入っているからさ。絶対外で開けたりしないでよ? 結構大きいものが入ってるから危険だし」
封筒を手で押さえて説明をする結果。中身が想像できたのか、鴻巣は頬を綻ばせながら結果の話を聞いていた。先程までの反抗的な態度は一変し、施しを受ける時だけは聞き分けのいい子供のように余計な言葉を喋ることはなかった。
「ふん。それなら受け取っておくわ。ほら、警察の人も退きなさいよ」
鴻巣は封筒を持っていたバッグへ乱雑にしまった。
その場から立ち去ろうと扉の前で仁王立ちしていた袋小路を睨みつけて道を開けさせる。
「ああ。捜査協力感謝する」
「じゃあね。鴻巣さん」
廊下を一直線に歩いていく鴻巣は二人を振り返ることなく瑪瑙の部屋から出ていった。最後まで瑪瑙に対しての謝罪はなく、私利私欲を満たすために行動をしていた。
階段を降りていく足音が無くなってから袋小路は椅子の上で体育座りをする結果へと話しかける。
「……良かったのか? 探偵殺人を行わずに家に返して」
「良いんだよ。ここで死なれたら瑪瑙さんが可哀想だから。自分を殺した相手と同じ場所で死ぬなんて、死でも二人を分かつことが出来ないみたいだからさ」
この場所は悩み苦しんだ瑪瑙が最後を迎えた場所である。元凶となった鴻巣に対して探偵殺人を行えば、この場所で死体が増えてしまう可能性が高かった。
探偵殺人による犯人の死はどのようなものになるか結果にも予想がつかない。大抵は掛けた呪いが返るため、内容に準ずる死が訪れるのだが、瑪瑙に掛けた呪いは死を願うという漠然としたものだった。
瑪瑙を死に追いやった鴻巣は間違いなく死ぬと分かっている結果は探偵殺人を行わなかった。
「鴻巣さんは瑪瑙さんの死を使って自分の幸せを掴もうとしたんだね」
「瑪瑙が死ねば秦野と結ばれるってか? そんな馬鹿な話あるかよ」
「幸せな殺人なんてものは無い。そんな当たり前のことを戒めて生きなきゃいけないなんて、おかしな話だよ」
結果と袋小路は居室を出て扉を閉めた。
開ける時には立て付けが悪く、力を入れなければいけない扉だが閉める時にはあまり苦労はしない。
閉ざされた扉の向こう側には家主はおらず、何もない空間が広がっているだけ。他人の死が作り出すのは、空虚な世界だけだった。




