天網(3)
4
袋小路の車に乗って結果は自宅へと送り届けられた。事前に連絡しており、四季が玄関前で待っていた。本日の装いは白いワンピースを着ている。
車のエンジン音を聞き付けてから屋外に出てきたのか、丁度玄関から四季が飛び出してくる姿がガラス越しに結果の目に入った。冬が近づく季節では日が沈むのが早く、午後五時ともなれば薄暮の時間帯になる。日中の気温からいきなり下がり、車の扉を開ければ肌寒く感じてしまう。
「ただいま」
「雨包クリニックに行くだけと聞いていましたが遅かったですね」
「いろいろあってね。明日で全部終わると思う」
「――そうですか」
玄関前で立ち話をする気も無いのか、四季は袋小路に一礼をすると家のなかに入って行ってしまった。
「袋小路さん。送ってくれてありがと」
「おう。明日はよろしく頼むな」
「こちらこそ。袋小路さんの協力あっての推理になるから。さっき言った道具は準備して瑪瑙さんの部屋に置いてほしい」
「分かった。手配もあるから俺は行くぞ」
「うん。じゃまた明日」
別れの挨拶と同時に車発進してしまう。住宅街のため法定速度は公道よりも遅く設定されているが、一度のまばたきの間に遠く離れていく車の影を結果は見送った。
結果が明日までにやらなければいけないことは、自分の推理を纏めて綻びがないかを確認すること。百パーセント完璧な推理を他人が行うことは難しいが、限りなく百パーセントに近付けることは出来る。残りの数パーセントを埋めるのは加害者の自認でしかない。
世の中で求められるのは結論だけであり過程ではない。過程を大切にするのは当事者だけで第三者からすれば結論を知れればそれで良いのだ。加害者が罪を認めてしまえば事件は解決してしまう。
しかし探偵殺人はそうもいかないのだ。探偵殺人が発動するのは結果の推理が正しかった時のみで、過程と結論の双方が重要となる。掛けた本人に纏わり付いている呪いの靄は、加害者の行動を全て見ている。当事者の行動や心理を常に監視している黒い靄だからこそ、真実を暴かれた時に呪い返しとして加害者に牙を剥く。
「錆鉄さんの夢みたいに死ぬことのない呪いがこの世の全てなら、私が苦労することがなくて良かったんだけどな」
人を殺す呪いを掛ければ加害者は死ぬ。即ち暴いた探偵による殺人なのだ。
既に袋小路の影は見えず、四季も家に入っており、玄関で呟いた結果の声は誰の耳にも届かない。
「結果ちゃん。手洗いうがいをしてくださいね」
家に帰ると聞こえてくる四季の声に安心感を覚えながら玄関の扉を閉めた。
5
翌日、袋小路が鴻巣を呼び出した時間は午前十一時だった。家に帰った結果が時間を決めて袋小路に伝えてもらっていた。
鴻巣へは袋小路が直接電話を掛けており、ヒステリックな対応と情緒不安定な言動が見られた。ある程度会話をすると、警察から電話が来たパニックにより取り乱していたと冷静になった本人から説明されていた。電話口での甲高い声は耳障りで大変だったと結果と合流するなり愚痴をこぼしている。
「それで俺たちは朝の九時からここに居ると」
ハイツシクラメンの三〇三号室の前に、大きな荷物を持った袋小路とセーラー服を着た結果の二人が並び立っていた。袋小路が歩くたびに大きなカバンの中からはプラスチックがぶつかり合う音が聞こえてきたが、建物の軋みが生み出す音によって不快感を感じさせない。結果が指定した道具を持ってきただけであり、袋小路には一切の責任がないのだが。
「鴻巣が来るまでにあと二時間はあるけどどうすんだ。それにこの荷物……」
「鴻巣さんを十一時に呼び出したけど、確かめたいことがあったからなんだよね」
「鴻巣が来る前にか?」
「うん。そのためには鴻巣さんよりも早く来て準備をしなきゃいけないんだ」
部屋の鍵を開けて室内に足を踏み入れる。電気のスイッチは場所が分かっているため、薄暗い廊下でもすぐに点灯させることができた。
今回はキッチンには脇目を振らずに居室へと向かって行った。
立て付けの悪い扉は袋小路に開けてもらうと、今日は昨日の去り際に見た光景と変わらず、誰かの不法侵入は見られなかった。
「今日は誰も入ってきてないな」
「鍵を掛けたんだから入ってきてるわけないよ。あの日は私たちが鍵を掛けていないことを確認したから鴻巣さんが入ってたんだから」
「その件だが確認が取れたぞ。ハイツシクラメンに設置されている防犯カメラは管理会社のものだったから、昨日の帰りに確認しに行った。確かに一昨日の深夜、鴻巣琥珀と思しき人間が瑪瑙の部屋に侵入していた」
袋小路は昨日結果の家から移動する最中、ハイツシクラメンの防犯を行っている管理会社に連絡をしていた。大家の部屋の扉には防犯会社の電話番号が書かれたシールが貼られており、事前に電話番号をメモしてあったのだ。
結果が事件の推理を秘密にしていることの意趣返しではないが、確かな事実を確認するまで袋小路も鴻巣が侵入していた件を黙っていたのだ。
「そうなんだ。じゃあやっぱりダンベルを片付けたのは鴻巣さんなんだね」
「それ以外の侵入者は居なかったからな。ただなんでダンベルを片付けたのか俺には皆目見当がつかない」
「それを今から説明するよ。説明すると言うより実証だね」
袋小路が持ってきた大きな荷物は居室の床に置かれていた。結果が近付いて固く閉ざされたジッパーを開くと、パーツごとに分解されたマネキンが出てきた。
のっぺらぼうのように装飾のされていない頭部と、合成樹脂で作られた素材の胴体。頭部と胴体、そして四肢の七パーツに分けられてバッグの中に入れられていた。バッグの中にはマネキンのほかにも、頑丈そうなロープ、そして粘土が入っている。
「マネキンとロープは分かる。多分瑪瑙が死んだ状況を再現しようとしてるんだろ?」
「正解。推理はしたんだけど、実際にやってみたら違うってこともあるからね」
「それなら粘土は何だ?」
結果は袋から紙粘土を取り出して手で捏ね始めた。小学校の頃に図画工作で使用した事が最後で、触るうちに普段触ることのない触感に楽しくなってしまった。
「おい、探偵」
「ごめんごめん。粘土の使い道ね」
紙粘土を捏ねながら袋小路に指示を出す。
指示のもとマネキンを作り上げていく袋小路。接続部分はプラモデルのように突起部分を窪んだ部分に嵌め込んで作り上げる物で、重量もないため袋小路一人でも数分掛からず完成させることができた。
出来上がったマネキンは成人男性の平均身長を模したものだった。
「この粘土を首元に巻く」
「なんか不自然だな」
白磁の如き色を出しているマネキンに灰色の粘土が纏わり付いている様は朽ちていく石膏像のようで不気味だった。心なしか表情のないマネキンも項垂れているように見える。
「完璧じゃないけど索条痕を見るためだね。どの程度の力が掛かって締められるのかが分かればそれでいいからさ」
「そういうことか」
瑪瑙が自殺に使ったと思しき倒れた椅子を立ち上がらせ、その上にマネキンを座らせる袋小路。結果が持ち上げて設置しようとしたが、運ぶのが限界で椅子の上に持ち上げることが難しかった。
結果は頭脳労働、袋小路は肉体労働という適材適所は結果にとって自分の非力を感じさせる。
「無理すんなよ」
「無理してるつもりはないんだけど、思ったより重かった」
「それよりも先に座らせていいのか? ロープを天井の鉄柱に括り付けるなら先にロープをつけないといけないだろ。俺でも椅子を使わなきゃ鉄柱には届かない」
鉄柱までは少なくとも二メートルはあり、袋小路が手を伸ばしてもギリギリ届く高さだった。ロープを括り付けるには椅子に登って手先を使える状況を作り出さないと難しい。
「大丈夫。その鉄柱は使わないよ」
「瑪瑙は首吊り自殺だろ? 他にロープを掛けられそうなところなんて――」
「違う。瑪瑙さんの死因は首吊り自殺じゃない。首絞めだ」
袋小路の作業手が止まる。丁度マネキンの角度を指定されたとおりに調整している最中だった。
青天の霹靂ともいえる結果の発言は袋小路の思考を一瞬停止させた。結果の発言を反芻し、脳内で理解するまでに数秒の時をかけたが、正しく理解すると同時に反論の言葉が浮かぶ。
「可笑しいだろ。瑪瑙の死は自殺だってお前も言っていた」
「言い方が悪かったね。正しくは首絞め自殺だ」
首吊り自殺は聞いたことがあっても首絞め自殺は聞いたことがなかった袋小路。首絞めは他人の手によって行われるものであり、自殺の手段に使われることは無いからだ。
証拠品として押収したロープも存在しており、第一発見者の鴻巣が引き下ろしたと証言しているのだ。前庭が崩れてしまえば、事件の概要も変わってしまう。
「今からその実験をする。マネキンのセットは終わった?」
「あ、ああ」
困惑を浮かべる袋小路に対して、結果は淡々と準備を進めていく。五メートルはありそうなロープの先端一メートル当たりに二十センチほどの輪になった結び目を一つだけ作っている。作った結び目を立て付けの悪い扉に挟み込み、勢いよく扉にタックルをすると輪になった結び目を巻き込んだまま扉は固く閉まった。
「じゃあこれをマネキンの首に巻いてもらっていいかな」
長く伸びたロープを袋小路に手渡し、マネキンの首に巻き付けるように指示をした。ロープを受け取ると結果の指示通りマネキンの首にロープを一周巻きつけた。手には余るほどのロープが未だに握られております、次の指示を待つ。
「余ったロープはカーテンレールにくくりつけてもらっていいかな」
「カーテンレール?」
「丁度ロープの切れ端が残っている辺りに結んでもらっていい?なるべくロープはピンと張る感じで」
袋小路は窓際へ歩いていくとカーテンを開きロープの布端が残っている当たりに新しいロープを巻き付けた。四メートル程のこっていたロープはカーテンレールに巻き付けても弛んでしまうほどに長かった。ロープを一度カーテンレール引っ掛けてからマネキンとカーテンレールの間にあるロープが直線に張るように長さを調節していった。結果の顔を見ながら作業を行い、結果が「そのくらいの張り方で」という言葉を聞いた後、ロープを固く結びつけた。
取り付けの時にカーテンレールがステンレスではなく鉄であること、そして多少引っ張った程度ではびくともしないほどしっかりと壁に取り付けられていた事を確認した。
袋小路はロープを結びつけるとマネキンのもとへ戻り結果に話しかける。
「これでどうするんだ。首絞めをするってことはロープの片側を固定するだけじゃだめだろ。どっちかを引かなきゃいけない」
「だから引っ張ったんだって」
「鴻巣がか? それなら立派な殺人だ。すぐにでも逮捕をする必要がある」
「もう、何度言わせるの。瑪瑙さんは立派な自殺だよ。自殺に立派って言葉はおかしいけど。鴻巣さんは直接殺人を行ってはいない。嘘はついてるけどね」
「嘘を付いている?」
「だって首吊りって証言したんでしょ? 亡くなっている瑪瑙さんを降ろして警察を呼んだ。話を聞いたとき、実際に見たけど鴻巣さんの身長はヒールを履いていたとはいえ高いとは言えなかった。その身長の人が椅子を使わずに瑪瑙さんを降ろすことはできないよ。天井の鉄骨にロープの結び目も残ってないから、仮に鴻巣さんのいうことが真実なら鉄骨に結ばれたロープを解いたってこと」
袋小路が鉄骨を見上げるが、長時間見ていれば首を痛めてしまうほどに高い。鴻巣の証言では瑪瑙を下ろした後に警察に連絡をしており、椅子を使って作業したとしても椅子が倒れているのは可笑しかった。椅子に乗っても鴻巣の身長では鉄骨には届かず、ロープの結び目を解くことは難しい。
「それだけじゃまだ不十分だ」
「あとは鴻巣さんのネイルだね。二週間前にネイルサロンでやってもらったって言っていたやつ」
鴻巣はすべての指に付け爪をしているのか、三センチほど指先から出たネイルには宝石のような装飾がされていた。二週間程前に予約が取れてネイルに満足していることを鴻巣本人が言っていた。
「それがどうした」
「この部屋は瑪瑙さんが運ばれてから誰も訪れていないんだよ? 仮にロープを解いたとしても、ネイルがそのままっていうのはおかしくない? 床に装飾の一部が落ちていたり、爪が欠けたりすることもない。二週間にやってもらったネイルが綺麗に残っている、その事実こそ鴻巣さんが何もしていないことの証拠だよ」
結果は腕を組んだまま、状況を思い出すが如く首を縦に動かしながら語り続ける。
「そもそも索条痕が首を一周するようについていたんだ。ただの首絞めじゃその後は付かない」
「それじゃどうやって」
「私が扉にはさんだ部分の残りを上枠戸当りに掛けてもらっていい?上枠戸当りは力付くで戻して」
上枠戸当りは下部へ向いて降り、行おうとしている実験には不都合だった。ステンレスで出来ているため、瞬間的な力には弱く、袋小路が顔を赤くしながら力を入れて上に持ち上げると、不格好ながらも上枠戸当りはほぼ床と平行になった。
「次は彼処に収納してあるダンベルを持ってきて。二十キロも危ないし」
袋小路はマネキンやロープに気をつけて筋トレグッズが収納されている場所へ向かう。そこから鴻巣によって片付けられた二十キロの重りが両側についたダンベルを持って来た。想像していたよりも重かったのか、向かっている時よりも足取りは重く、はじめは片手で持ち上げたダンベルを両手で持ちながら扉に歩いていく。
「そしたらゆっくりと上枠戸当りから下ろしたロープをダンベルの持ち手の部分に結び付けて。解けないように。そうしたらドアノブにうまく引っ掛けてダンベルを置いてね」
ドアノブを上手に使いながらダンベルの持ち手にロープを括り付けていく。固結びに結ばれたダンベルを円筒状のドアノブに引っ掛けるように置いた。ダンベルの重り部分がゴムでできているため、鉄のドアノブは摩擦が発生して引っかかるのだ。
「ゆっくりと手を離して」
「大丈夫なのかよ」
「ゆっくりね。そうすると――」
扉に挟まれたロープが動くことはなく、上枠戸当りからダンベルがぶら下がっているように見えた。手を話してもダンベルはドアノブに引っかかったままバランスを取っており、床に落ちることはなかった。
「良かった。実験は成功したね」
「待てよ、この状態で扉を開けたら」
袋小路がドアノブに手をかけてゆっくりと捻った。
時計回りにドアノブを回すとダンベルはゆっくりとドアノブを滑り落ちたが、扉に挟まれたロープが抜けることはなく、ロープでぶら下げられたダンベルが扉に何度か触れていた。
そのまま袋小路が扉を開ける。立て付けの悪い扉は数センチしか開かなかったが、挟まれていたロープを開放するには充分な隙間である。
「ドアノブを回すとダンベルが落ちる。そしてドアを開けるとストッパーになっていたロープが緩んで上枠戸当りを支点にしながらダンベルが落下する。そうすると――」
ダンベルは重力に従って床へと落下していった。
マネキンに目を向ける二人。
首に付けられていた粘土には、締め上げられたロープの跡がくっきりと刻まれており、首絞めの状況が完成していた。
「ダンベルの真下の床を見て」
結果の指さす先には床にあった二つの窪み。丁度ダンベルについた重りの幅の窪みが床には刻まれていた。
「ある程度の高所からダンベルを落とした時に出来た窪みだよ。丁度幅が同じ」
「なんで壁際に置かれてたんだよ」
「ダンベルごと扉を開けたから」
ダンベルがストッパーになっており、普通に扉を開けようとしても動くことはない。ダンベルの重りは円形になっており、力の方向によっては転がって移動する。開かない扉に対して力付くで開けば、ダンベルが扉と共に壁へと押しやられたのだ。




