天網(2)
3
扉を開けても中の光景に変化はない。
誰かが飛び出してくることもなければ、部屋の模様替えが行われている訳でもない。使う人がいなくなった冷蔵庫のように、ベッドの皺ひとつとっても変わりがなかった。
「ちょっと待って、まだ部屋に入らないで」
「おう」
先んじて部屋に踏み入れようとした袋小路を制し、結果はスマホを構えて写真を撮る。
新しく撮った写真と前日に撮った写真を見比べた。
カーテンの閉まり方も前日と同じだった。
「変化はないね。入って調べよう」
「調べるって何をだよ。昨日と変わりないんだから調べるものが分からん」
「不自然に歪んだものとか在れば嬉しい」
「昨日見ただろ?」
「昨日はカーテンを開けてない。カーテンを空けて調べてほしい。私の身長じゃ上までは見られないから」
カーテンの高さは結果の身長よりも高く、上まで確認することはできない。袋小路に頼むのは適材適所と云うべきか。
結果は足を踏み入れて瑪瑙の部屋を調べ始めた。袋小路も結果の指示のもと、カーテンを調べようと部屋に足を踏み入れる。
「ん、やっぱり」
「今度は何だよ」
「筋トレグッズを入れている所にダンベルが入ってる」
昨日確認した時にもダンベルは収納されていた。
「昨日もそうだっただろ」
「違うよ。昨日入っていたのはひとつだけ。でもさ――」
結果は筋トレグッズを指差す。指し示した先に目を送ると、ダンベルは二つ、収納されていた。
袋小路はすぐに入ってきた扉を閉めると、置きっぱなしにそれていたはずのダンベルがその場には残されていなかった。結果が持っていたスマホを借りて前日に撮った写真を確認すると、確かに床にはダンベルが置かれていたのだ。
「おいおい……。どうなってんだよ」
「袋小路さんが鍵をかけなかった昨日一日で、この部屋に侵入されている」
「待てよ。泥棒ってことか?」
「泥棒が律儀にダンベルを片付ける訳ないでしょ? 私は聞いたよね。玄関の前で植木鉢の話を」
結果は袋小路に詰め寄る。
部屋を閉め忘れた事によって発生した不法侵入により、袋小路の顔は強張っていた。しかし、そのミスによって結果の推理を決定づける証拠が発生したのだ。褒められたことではないが、事態が好転したと言ってもいい。
「誰かが植木鉢を動かしてこの部屋に入ったんだ。昨日帰る時に私はピッタリと扉に植木鉢をくっつけて置いた。でも今日来たら植木鉢は扉から数十センチ離れていた。つまり、誰かが植木鉢を退かして中に入ったってこと」
「泥棒じゃないなら誰が……」
「この部屋が開いていることを知っていて、尚且つ入る必要のある人が居るんだよ」
玄関の扉の前で結果が観察していたのは土の乾き具合だけでなく、植木鉢の位置も確認していたのだ。
結果たちが部屋の鍵を閉めていない事を知っており、中に用事がある人物は一人しかおらず、二人は顔を見合わせて頷きあった。
「鴻巣琥珀。私たちが帰ってから部屋に忍び込んだのは彼女だ」
袋小路は去り際に鴻巣と秦野の言い合いを聞いていた。内容を聞き取ることはできなかったが言い争う声は聞こえていたのだ。
喫茶店の前で秦野と話した時には鴻巣が忍び込んだことは一切喋ることはなかった。秦野は調査に協力する姿勢を見せていたため、少しでも不純な行動をしていれば伝えてきただろう。つまり、秦野は鴻巣の行動を知らなかったのだ。秦野と別れたあとに一人で瑪瑙の部屋に忍び込んでダンベルを片付けた。
「何のために」
「ダンベルを片付けるため」
「だからそれが何でだよって聞いてんの」
「ダンベルが重要な証拠になるから。鴻巣さんは瑪瑙さんが亡くなってからこの部屋に一度も足を踏み入れていない。逆に言えば入るタイミングは袋小路さんが閉め忘れた時しかなかったんだよ。だからダンベルの証拠を隠滅した」
遺族以外を入れないという大家の方針によって、瑪瑙がなくなって以降、誰も部屋に入ることはなかった。鍵は大家が持っており昨日以前は鍵も閉まっていたのだ。鴻巣が何度打診しても鍵を渡して貰えなかった。毎日来ていたのは瑪瑙を悼む気持ちだけではなく、瑪瑙の死に関わる証拠が残されている部屋を早く片付けたい焦りから来ているものだった。
「そのままだったら分からなかった。でも片付けられたってことでダンベルが瑪瑙さんの死に関わっていることが分かる。片付けたことが証拠になってるんだ」
「証拠証拠って瑪瑙の死は自殺だぞ。お前の言い方だとダンベルを使って殺したようにしか聞こえん」
ダンベルを証拠だと言ったが、ダンベルが凶器とは一言も言っていない。
無造作に置かれていたダンベルは瑪瑙が片付け忘れたものだと判断したが、几帳面な瑪瑙がひとつだけ床に転がしたまま自殺を行ったことに違和感を覚えていた。冷蔵庫の中身やごみ箱を綺麗に片付ける人が、部屋にダンベルを転がしたままなのかと。
結果の推理は鴻巣が瑪瑙を殺したと言っているようなものであり、警察の捜査が不十分で殺人事件を自殺として処理してしまった事になる。そうなれば部下の責任は免れることはできず、袋小路の背中に冷たいものが流れた。
「瑪瑙さんの死は自殺でしょ?」
緊張により顔の筋肉が固まってしまった袋小路を氷解させるが如く、結果は優しく声を掛ける。
鴻巣による殺人ではなく瑪瑙の自殺で警察の判断には間違いはないと伝える。
「警察の判断では、な」
「その考えに間違いはないと思う。瑪瑙さんは自殺した。ダンベルによる他殺だった場合、警察が自殺として処理をするわけない。撲殺された死体を検視して見間違えるような組織だとは思いたくない。私の推理は前提として警察の結論が正しいという基盤のもとに出来上がっているからね」
日本の警察は優秀であり、死亡の要因を違える可能性は高くない。ヒューマンエラーが発生する可能性も零ではないが、明らかな殺人事件の場合は判断を誤ることはしない。
結果の推理は警察が判断した自殺を元に成り立っている。黒い靄という呪いの証明が見えている結果は、フーダニットでは無くハウダニットを解く探偵。前提条件から違えば推理自体が間違ってしまう。
「ほら、袋小路さんはカーテンを調べて。多分歪んでいる部分があると思う。カーテンレールを重点的によろしくね」
「あ、ああ。分かった」
部屋への不法侵入を行った鴻巣の存在、事件に関係のあるダンベル、二つのイレギュラーが袋小路を襲い、思考に遅延をかけていた。結果は予め想像していた通りの状況に冷静だったが、何も伝えられていなかった袋小路は結果のようには行かなかった。
瑪瑙の死は自殺として考えている結果には鴻巣が何故証拠隠滅を図ろうとしたのか推測がついていた。推理に確実性を持たせるため、肉付けをする作業が調査である。あと一つ、袋小路に探させている証拠が見つかれば――。
「おい、なんだこれ」
「何かあった?」
「ロープの切れ端か? カーテンレールの中央に縛られているロープがある。切断面がボロボロで無理やり切られたみたいだ」
カーテンは上部に磁石が取り付けられているもので、カチリと音を立てて左右のカーテンがくっつく仕組みだった。閉められていたカーテンの陰に隠れていたロープの端を警察も結果も見逃していたのだ。
「このロープの色って瑪瑙が自殺に使ったロープと同じ色だよな。なんでここに結ばれてんだ?」
「瑪瑙さん側が自殺した時に使われていたロープの端は雑に切られていたと思う。ロープなんてそんな物と思ってしまえばそれまでだけど、両端の部分って案外しっかりしてるんだよね。現物はここに無いし、確かめる術は……」
結果が腕を組みながら語っていると袋小路はスマホでロープの端を撮影し始めた。スマホの画面を操作して数十秒たってから、袋小路は顔を上げた。
「アウトドアブランド『ネイチャー』から出されているキャンプ用のロープだな。写真を見る限り、結ばれている部分が本来の端にあたる部分だろう。結び方はもやい結びってやつみたいだ」
「博識だね」
「いや、画像検索で調べた」
十代である結果よりも袋小路のほうがスマートフォンの機能を使いこなしており、負けた気分になる結果だった。ディアスキアの花を調べる時にも四季に伝えられたが、実際に目の前でスマホを使いこなす姿を見てしまうと自分が世間に置いていかれていると否が応でも感じてしまう。
「そ、そう。まあ、私も? できるけどね」
「そりゃできるだろ。何を偉そうにしてんだ」
虚勢を張ってみても、当たり前にできる袋小路からしてみれば変なことを突然言い出したようにしか映らない。
「それでこのロープってなんなんだよ」
「答え合わせは今じゃないよ。もろもろの原因を作った鴻巣さんを呼び出してからやろうか」
部屋の調査は終わった。
結果が知りたかったのは何処かにある力が加えられた痕跡、そして昨日来た時の変化だけだった。
今日ハイツシクラメンに来るまでは鴻巣が忍び込んだことなど知らなかった。当初は力に加えられた場所を調べるだけだったのだが、袋小路のミスにより鴻巣が焦って証拠を作り出した事を皮切りに結果の調査は進んでいった。
「また何も教えちゃくれないんだな」
「私は不確定なことは伝えたくないの」
「今更か。錆鉄の呪いについても見当はついているのか?」
錆鉄の名前が出された瞬間、結果は口を小さく開けて阿呆面を晒してしまった。
「やば。忘れてた」
「忘れてたって、捜査の本懐は錆鉄の呪いを解くことだろ? 忘れるようなら何のために捜査してるんだよ」
「あー。錆鉄さんに関しては放置でいいよ。呪いはきっと良くなるから」
「超常現象研究家がそんなのでいいのか?」
「案外そんなもんだよ。今までの依頼人も放っておいたら治るような人が多かったし」
「呪いは勝手に治らないんじゃなかったのかよ」
「それはそれ。とにかく袋小路さんは鴻巣さんに連絡を取ってよ。一応明日にしてほしい。私にも準備があるから」
鴻巣に対して瑪瑙の死についての真相を話すのだ。最終的に鴻巣がどのような反応を示すのか結果には想像ができない。
怒り狂うのか、嘆き悲しむのか。ヒステリックで自己中心的な鴻巣に真実を伝えるために結果も準備が必要だった。道具では無く精神の準備をしなければ重要な局面に下す決意が鈍ってしまう。
超常現象研究家兼探偵として、真実を伝えなければならない時には後ろ髪を引かれる思いを断ち切らなければならない。
「明日な。連絡をしておく」
「瑪瑙さんの部屋、ここの場所に呼び出してほしい。あと用意してほしいものは――」
鴻巣に真実を伝えるために必要なものを袋小路に用意してもらうため、口頭で道具を伝える。すぐに袋小路はメモを取り、「分かった。用意しておく」と一言。
瑪瑙の死に関して、鴻巣が起こしている不自然な行動。そして警察に語った虚偽。そのすべてを白日の元に晒すために袋小路と打ち合わせをしていく。
「それじゃその流れで」
「追加があるなら連絡してくれ」
結果は変化した部屋を写真に撮っていく。一連の作業を終えると袋小路を連れて瑪瑙の部屋から出た。
「今日はちゃんと鍵を掛けてよね」
「さすがに今日は忘れねえよ。それにしても明日もお前に付きあわされるのか」
「明日で全部解決するから安心してよ。その後が忙しくなるけどね」
「ああ? まあ良いけどよ。お前と関わって楽になったことはないから慣れたもんだ」
既に両手で数え切れない程の仕事をこなしている二人。結果が関わった事件は全員が無事では済まない事が大半であり、探偵殺人の後は袋小路も忙しくなる。
結果が解決した事件の手柄は袋小路の手柄にできるように結果と袋小路の上司で取り決めが行われている。当然袋小路もその事は承諾しており、ボーナスなども出ているため結果の担当になったメリットは存在しているのだ。
仕事だけの関わりや、邪険に扱うような態度をとるのは一種の照れ隠しであった。
「おい、ちゃんと鍵かけたぞ」
「確認したよ」
袋小路が鍵穴に鍵を差し込んで時計回りに回すとガチャリと音がなって施錠される。ドアノブを回して開けようとしてみても鍵が引っかかって開くことはない。
施錠されたことを確認してから二人は大家の元へと歩き出す。通路を歩けば手摺の鉄に振動が伝わり、質の悪い音叉のように共鳴していた。
大家に鍵を返す時に明日も使わせてもらうように頼むと嫌な顔をされながら「それならその鍵は警察の方が持っていていいです」と鍵を無理やり押し付けられていた。防犯意識が足りていないように感じる結果だったが、鍵を閉め忘れていた袋小路がいるため、下手なことは言えないのだった。




