端倪(1)
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渋滞に巻き込まれずスムーズに道路を進んでいくと雨包クリニックが前方に見えてくる。閑静な住宅街にある結果の自宅とは違い、雨包クリニックがあるのは街中だった。行き交う人々の数も増え、疲れた顔の社会人が道を歩いている。
午前の診療時間が終了間際のため雨包クリニックの駐車場は車が数台止まっているだけで、従業員の自家用車の他に患者の車もある。
袋小路が駐車場に車を停めると、胸部を締め付けていたシートベルトを外して結果は大きく伸びをした。三十分程度の移動でも同じ姿勢のままでいれば筋肉が凝り固まってしまうのだ。体を伸ばすと関節がパキパキと音を立て、じんわりとした熱と共に妙な快感が身体に走った。
「凄い体がパキパキなってる。オンラインゲームやってる時でもこんなにならないよ」
「運動不足だ。いや、今だって車移動だから運動はしてないけどな」
「車の動きって上下左右に振られるから運動しているようなものだよ」
コンクリートの窪みや少しの段差をタイヤが移動する時に、結果の体は上下左右に動いていた。小さい体躯では体重移動で衝撃を逃がすよりも慣性の法則に従ったほうが楽なのだ。
「あ、あのお客さんが最後かな?」
雨包クリニックの入口から出てきたのは顔の半分をマスクで隠したスーツを着た男。スマートフォンを耳に当てて誰かと電話をしているようだが表情は暗かった。
「……行こうか」
「ああ」
関係のない患者への詮索はしない。病状は本人にとってデリケートな問題であり、不用意に勘ぐるものではない。
結果と袋小路は車を降りて入口へ向かう。自動ドアを通って院内に入れば、外気温と正反対の温度が体を包んだ。
「まだ患者さんが居るから待っていよう」
「俺は受付に挨拶してくるわ」
「よろしくね」
袋小路に手続きは任せて受付の人に会釈をしてから待合室に座る。残っている一人の患者は結果たちに背を向けたまま、次に呼ばれる自分の番を待っていた。
約束通りの時間に来たが病院の本懐は患者の診療であり、結果たちが後回しになるのは当然だった。特に心療内科は患者との対話によって原因が外部にない心の傷を治療する医療機関であり、一度の診察に時間が掛かる。後の予定がない結果は時計を見つめながら診療が終わるのを待つことにした。
「――鉄さん。錆鉄さーん」
「はい」
「うぇ?」
診療の順番になった患者の名前が受付から呼ばれる。
その名前を聞いて結果は声を上げてしまった。
「なっ……んで、お前が」
結果の声に反応して振り返ったのは依頼者である錆鉄饐だった。
「錆鉄さん?」
目を合わせたまま動きが止まった錆鉄だったが、受付からの呼びかけで意識を取り戻す。診察で来ている以上、呼ばれたら診察室へと向かわなければならない。結果のことを訝しげに睨みつけながら錆鉄は診察室へと入っていった。
「なんだ? どうしたんだよ」
受付での手続きを終えた袋小路が結果の元へと戻って来た。隣に座ってから結果に話しかける。
「今呼ばれた患者さんが私のところに呪いの夢の依頼をしに来た依頼者の人。ほら錆鉄さんって言って」
「瑪瑙に殺される夢を見ていたって人か」
「どうしてここに……」
錆鉄が結果の元へ来た時に近場だったからと言っていた。車移動で三十分程掛かる場所にある雨包クリニックに来るには錆鉄も少なくない移動時間を要するのだ。
遠く離れた心療内科に態々くる理由が結果には分からなかった。
「俺も聞き齧った話だが、心療内科に来る人の中には身内や知り合いに知られたくない奴も居るらしい」
「そっか。何となく分かるかも」
「あんまりデリケートな部分には触れてやるな。調査に関することで気になるなら俺が聞く」
「いや、いいよ。私の単純な興味だった」
結果は顔を伏せて謝る。興味本位で踏み込んでいい線を越えてしまう所だった。袋小路の制止によって踏み止まれたが、彼が居なければ相手のことも考えずに質問をしていただろう。
結果にも踏み込まれたくない事情はいくつもある。錆鉄は依頼者で、依頼を請け負っている自分には包み隠さず話す義務があると勝手に思い込んでしまっていた。自らへの自戒を込めて反省とともに口を噤んだ。袋小路も結果が落ち込んでいることに気が付き、声をかけることはしなかった。
十分程待つと診察室から錆鉄が出てきた。受け付けが会計を終えるまでの間、待合室で待たなければならず結果と錆鉄は再び顔を合わせることになった。
「錆鉄さん、こんにちは」
結果たちから敢えて離れた場所に座った錆鉄に結果と袋小路は近付いていく。
「なんだよ、超常現象研究家。こんなところに来てよ。お前も受診か? 超常現象研究家なんて胡散臭い職業を騙ってるのは精神的に可笑しかったからかよ」
「錆鉄さんの呪いについて調べに来てるんだよ。そんな言い方はないと思うな」
開口一番で悪態をつく錆鉄。診療所のため大きな声を出すことはなかったが、言葉には悪意が籠っていた。錆鉄のことを知らなかった袋小路は態度に唖然として軽蔑の対象として見ている。第三者と結果を比較すれば袋小路は結果の味方だった。
「俺も夢の件だよ。お前がいつまで経っても解決しねえから病院に何度も来る羽目になってんだろうが」
「まだ話を聞いてから二日しかたってないんだけど」
「胡散臭い職業なら一日でやれよ。そんなんじゃ報酬は払えねえなあ」
横暴な発言に対して叱責をしようとした袋小路を結果は手で制した。結果が自分より弱いと分かっているから錆鉄は強気に出ているだけで、袋小路が警察という身分を出してしまえば萎縮して会話にならないだろうと踏んだのだ。
「錆鉄さんは鴻巣琥珀さんって知ってる?」
「何だよ急に。それよりも誰だよそいつ。知らねえ」
煽った相手にひらりと躱され、質問を受けた錆鉄はニヤついた表情から一変して困惑を浮かべた。
「錆鉄さんが瑪瑙さんの家に行ったって言ってたよね」
「ああ。二、三日行ったな」
「その時に女の人来なかった? 甲高い声でヒステリックな感じの」
結果が鴻巣に持っている印象は、動揺して叫びながら警察に通報しようとするヒステリックな女だった。
錆鉄は何かを思い出したのか、ゆっくりと口を開いた。
「居たな。あのうるさい女。近くに男も居たが」
「秦野さんもいたんだ」
「あいつ、俺に向かって『二度と来るな』とか『お前がいると迷惑なんだ』って捲し立てるように言ってよ。俺だって行きたくて言ってる訳じゃねえのに。クソ、思い出したら腹が立ってきたなあの売女」
言葉遣いが悪い点には目を瞑らなければ話が進まない。
「何で依頼の時に教えてくれなかったの?」
「言う必要ねえだろ。俺の夢に関係ない女の事なんて」
「……そうだね」
鴻巣が錆鉄のことを呪っている可能性を伝えるのをやめた。意趣返しのようなものではなく、錆鉄に伝えてしまえば鴻巣に被害を加える可能性もあるのだ。
「依頼した後も瑪瑙さんの所へは行ったの?」
「行ってねえよ。お前が解決するって言ったんだから行く意味ねえだろ。態々あんなボロアパートに行きたくもないしな」
依頼人を馬鹿にする発言をしておいて、結果が解決する事を信じて疑わない姿勢に呆れを通り越して脱帽すら覚えていた。自分がどのような態度をとっても依頼人は解決すると思い込んでいる錆鉄。自分が動かなくて良いと判断したら、何もしない人間だった。
「錆鉄様、お会計の準備が整いました」
「はいよ。じゃあな超常現象研究家。早く解決しろよ」
「善処するよ」
「胡散臭い詐欺師だって思われたくないならな」
返答も聞かずに錆鉄は立ち上がって受付に向かった。財布を取り出して会計を済ませると結果たちに一瞥もくれずに診療所から出ていった。
錆鉄が居なくなれば嵐が去ったような静けさが診療所を包んだ。聞こえる音は時計の秒針が動く音や、受付の事務がキーボードをタイピングする音。微かにクラシック音楽も流れていた。
「なんなんだ、あいつ」
先ほどまで錆鉄が座っていた椅子に袋小路は腰掛ける。結果もその横に座った。吐き捨てるように呟かれた言葉は少しの怒気を孕んでおり、不機嫌が顔に現れていた。
「私への依頼人」
「そんなことは分かってる。探偵殺人の仕事上、不審がられることがよくあるのも理解している。だがあの態度はおかしいだろ。仮にも依頼人でお前のことを頼ってきてんだ。あの態度じゃ解決されなくても文句は言えねえ」
腕を組み、俯きながら袋小路は呟いた。
「袋小路さんは私のために怒ってくれてるの?」
「当たり前だろ。俺はお前の味方をするって決めてんだ」
袋小路は照れることなく言い放った。結果の顔を見ることはなかったが。
今更錆鉄の態度にいちいち反応する気のない結果だったが、袋小路は違った。間違っているものは間違っていると正しく判断して伝えることのできる人間だった。そんな袋小路が怒気をはらんだ言葉で錆鉄に対して怒りを向けていることが結果は嬉しく思い笑みを浮かべた。
「そっか。怒ってくれてありがとね」
「俺がここで怒っても錆鉄の態度は変わらねえ」
「それでもだよ。私は当事者だから気にしないようにするだけしかできないんだ。怒りの感情が浮かんでも表に出すことは出来ない。依頼の時は四季も怒ってくれたけど、四季は私の相棒だから当然のこと。袋小路さんからすれば私は仕事仲間のようなもの。私情を挟むような相手じゃないはずなのに態々怒ってくれた、だからありがと」
四季と結果は同じ家に住む同居人兼仕事の相棒。結果が蔑まれれば、可愛がっているペットを貶されたが如く四季は怒り出す。その怒りは弱者を庇護するものだった。
それに対して袋小路の怒りは、結果を仲間として認識しているが故の感情だった。人間として同等の仲間だと思っているからこそ、湧き出た怒りに結果は喜んでいた。
「あんな奴の依頼でも解決しなきゃいけないってのは難儀な事だな」
「そうだね。あんな人でも一応依頼人なんだ。人だけを見たら気は乗らないけど、呪いを見たら解決してあげたい。どんなに酷い人間でも、呪いを掛けられたまま死んでいいなんて思えないからね」
「一番難儀なのはお前の優しさかもしれねえな」
袋小路は憐憫の眼差しを結果へ向けた。
結果は気付かないふりをして目線を合わせない。難儀な事と言われればその通りなのだが、四季が受けてしまった以上結果に断る理由がない。四季の行動には必ず意味があると信じているのだ。依頼の時に散々悪態をつかれ、四季も怒りを覚えていたにも関わらず依頼だけは受けたのだ。なぜ受けたのか結果は未だに分かっていないが、袋小路に向けられる憐憫ほど憐れだとも思っていなかった。
「袋小路様。院長の準備ができましたのでご案内します」
受付にいた事務職員が結果たちの前に立って声を掛ける。話に夢中になっていた二人は接近してくる事務員に気が付か無かった。
「すみません。今向かいます。――ほら探偵殺人、行くぞ」
袋小路はすぐに立ち上がり結果にも立つように促す。既に事務職員は診察室へと歩き出していた。
「医療機関で殺人って言わないでほしいな」
心療内科も医療機関のひとつであり、殺人という言葉は不適切である。死は穢れといえ神道の考え方ではないが、病院は人が死までの時間を稼ぐために訪れる場所なのだ。辛く苦しい思いをしないために来院する場所で死の表現は控えるべきだ。
「悪い。じゃあ殺人。行くぞ」
袋小路は結果の苗字を呼ぶ。普段から探偵殺人と呼ばれている結果は珍しい呼び名に口角が上がってしまう。袋小路との関係性はあくまで仕事仲間だが、信頼がないと成り立たない関係でもある。
名前で呼ぶ結果に対し、役職で呼ぶ袋小路。そのことに不満はなかったが、外で呼ばれてしまうと周りからの目線が気になってしまう。袋小路が選んだのは苗字だったが、それすらも新鮮に感じてしまった。
「漢字にしたらどっちも殺人だって。小学生の頃いじめられたことを思い出すんだけど」
苗字のせいで殺人鬼や犯人など不名誉な渾名を付けられていた結果は過去の記憶が脳裏に蘇る。超常現象研究家になる理由となった人には見えない黒い靄が見えることも不気味な存在として拍車をかけていた。そして当然の如くいじめられてしまったのだ。
その記憶も過去のものであり、今の結果はイジメてきた同級生の名前も顔も一切覚えていなかった。ただいじめられた記憶が残っているだけ。
何方にせよ不適切な苗字のため呼び名の変更を申し出た。
「……探偵。早くしろ」
「むひひ」
最終的な呼び方は探偵になっていた。




