表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冤罪令嬢、罪人都市の領主になる  作者: 野塩いぜ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/7

第4話 帳簿と商人

 屋敷に戻ったロゼリアは、上着を脱ぐより先にテオドアを呼んだ。


「テオドア。一つ訊きたいことがあります」

「何でしょう」

「ルカという行商人を知っていますか。外縁区の市で会いました」


 テオドアの表情はほとんど動かなかった。ただ、わずかに目を伏せる間があった。


「ルカ・フィッツ。先代の領主様が気に入られ、屋敷への出入りを特別に許可していた商人です」

「商人にそこまでの便宜を図るのは、普通のことですか?」

「普通ではありません。ですが、この都市に好んで出入りする商人はごく限られております。罪人都市ですから。名のある商人はまず来ません。罪人相手の商売は信用に関わる。来るのは他で商売ができない者か、あるいは――」


 テオドアはそこで言葉を切った。小さく息を吐き、続けた。


「いずれにせよ、選り好みができる立場にはございません」


 ロゼリアは黙って頷いた。「あるいは」の先に何があったのか。テオドアがわざわざ飲み込んだ言葉が気にはなったが、今は追及する場面ではなかった。


「では、帳簿を見せてください。領主代行を引き受けた際の条件です」


 テオドアが一瞬だけ口元を引き結んだ。それから小さく息を吐いた。


「……お約束通りお出しいたしますが、あまり期待はなさらないでいただきたい」


 通された執務室で、テオドアが棚の奥から取り出したのは、埃を被った数冊の帳簿だった。帳簿と呼ぶのも憚られる代物だ。表紙は擦り切れ、中の紙は端が折れ、書き込みは複数の筆跡が入り交じっている。


 ロゼリアは帳簿を開き、一頁ずつ目を通し始めた。令嬢としての教育は、こういう時の支えになる。グランツフェルト家は華やかな家柄ではなかったが、堅実を重んじる家だった。領地経営の基礎、帳簿の読み方、数字の扱い。社交の場では何の役にも立たなかった知識が、ここでようやく意味を持つ。


 数字を追い、入荷と消費と在庫を頭の中で照合していく。その作業に没頭していたところへ、扉が叩かれた。


「失礼しますよ。根を詰めているようでしたので、お茶をお持ちしました」


 ギフティオだった。盆の上に湯気の立つ茶と軽食が載っている。にこやかに言ってから、机の上に広がった帳簿を見て首を傾げた。


「おや、帳簿ですか。何かお調べで?」

「都市の物資の流れを把握しようと思って。……ギフティオ、あなたは毎日の食材を扱っていますよね。最近、手に入りにくくなったものはありますか」


「油ですね」


 笑顔のまま、即答した。


「ここ二月ほど、卸値が跳ね上がりました。以前は月に一度まとめて仕入れられたんですが、今は半分も入ってこない。仕方がないので蒸し料理の比率を増やしております」

「油だけですか」

「塩もです。油と塩が足りないのは困ります。保存食が作れなくなる。それに――」


 ギフティオの声が一瞬だけ真剣になった。


「塩は弔いにも使うものですから。この都市では切らすわけにはいかない」


 弔い。葬儀で聞いたアンデッドの話が頭をよぎった。正しく弔われなかった死体は、起き上がる。その弔いに塩が必要なのだとすれば、塩の不足は単なる生活の不便では済まない。


 ――外縁区のマルタも、同じことを言っていた。穀物と油と塩の配給が足りない、と。屋敷の台所でも、市場の住民の間でも、同じものが不足している。偶然の一致とは思えなかった。


「ありがとうございます、ギフティオ。とても参考になりました」

「いえいえ。あ、それとロゼリア様」


 部屋を出かけたギフティオが、ふと振り返った。笑顔のまま、何でもないことのように言った。


「帳簿にかかりきりで食事を抜くのは感心しませんよ。体が弱ると判断力も鈍ります。……毒を盛られるより先に、飢えで倒れたら格好がつきませんから」


 一瞬、部屋の空気が止まった。テオドアが微かに顔をしかめる。


 ロゼリアは目を瞬いた。冤罪のことを言っているのか。それとも、ただの冗談なのか。ギフティオの顔には悪意の欠片もなかった。ただ、その笑顔のまま、彼は「次のお食事は腕によりをかけますね」と付け加えて、今度こそ部屋を出ていった。


 ――不思議な男だ。


 毒、という言葉をあんなにあっさりと口にする人間を、ロゼリアは他に知らない。悪気がないのは分かる。だがその裏に何があるのか、まだ掴めなかった。


 ロゼリアは改めて帳簿に目を落とし、ギフティオが言った品目の数字を確認する。


 そして、手が止まった。


「テオドア。この三ヶ月の穀物の入荷記録を見ると、月ごとの入荷量はほぼ一定です。ですが、在庫の減り方が月によってばらつきがある」


 ロゼリアは指で数字を辿りながら続けた。


「消費量が一定なら、在庫の減り方も一定のはずです。ところが先月だけ在庫の減りが極端に大きい。住民の数が急に増えた記録はない。油にも同じ傾向が出ています。入荷しているはずの量が、現場に届いていない」


 テオドアは黙った。答えないことが、答えだった。


「足りないのではなく、どこかに流れている……?」


 独り言のように呟き、ロゼリアは帳簿を閉じた。冷めかけた茶を一口飲む。物資の流れを外から確認する必要がある。内側の記録が信用できないなら、外側から照らし合わせるしかない。つまり、都市に品物を運び込む人間に訊く。


「テオドア。ルカ・フィッツが次に来たときは、すぐに知らせてください」


 テオドアが小さく頷いた。


***


 ――ルカが屋敷を訪れたのは、それから三日後のことだった。


「お待たせしました。ちょうど良い品が入りましたので、真っ先にお届けに上がりましたよ」


 応接室で、ルカは如才のない笑みと共に品物を並べた。小さな瓶に入った油と、紙に包まれた塩、それからひと握りの香辛料。


 油と塩。ギフティオが「困る」と言っていたものだ。偶然にしてはできすぎている。


「……これは、通常の納品ですか」

「いえいえ、今回は特別です。新しい領主代行にご挨拶がてら、ということで。もちろんお代はいただきますが、卸値でお出ししますよ」


 取り入ろうとしていることを隠す気がない。あるいは、隠す気がないように見せること自体が計算なのか。


「ありがたく頂戴します。屋敷の食材は不足していますので。……ただし、これで貸し借りができたとは思わないでください」

「手厳しい。商人としては、貸し借りこそが財産なんですが」

「貸し借りは対等な相手と結ぶものです。こちらの足元を見た上での贈り物は、投資と呼ぶべきでしょう」


 一瞬、ルカの目が動く。笑みは崩れなかったが、その奥の温度がわずかに変わった。


「……投資、ですか。ご令嬢は商売の言葉もお使いになる」

「グランツフェルトの出ですから。飾り言葉より数字の方が馴染みがあります」


 ルカはそう言って、ようやく本当に笑った気がした。社交の笑みではなく、予想を裏切られたときの反射に近い笑いだ。


 ロゼリアはヒルダにお茶を頼み、本題へと入った。


「この都市に物資を運び込む際、どういう手順を踏みますか?」


 ルカの笑顔がほんの一瞬だけ固まる。すぐに戻ったが、ロゼリアはそれを見逃さなかった。


「まず都市の入口で衛兵の検問を受けます。荷の中身を申告して、通行の許可をもらう。許可が出れば、品物を衛兵の管轄する物資庫に預けます。物資庫から先は衛兵が都市内に分配する仕組みです」

「つまり、物資の分配は衛兵が握っている」

「そうなりますね。この都市で衛兵が大きな顔をしていられるのは、剣を持っているからだけじゃない。住民は衛兵を通さなければ物が手に入らない。逆らえば物資を止められる」


 ルカの説明は淀みなかった。だがその後、一拍の間を置いて、声からわずかに軽さが消えた。


「自分が持ち込んだ品物が、届くべき場所に届いていないとしたら。それは商人としても気持ちのいいものではありません」


 ロゼリアはルカの目を見た。人懐こい猫のような瞳。だがその奥に、今だけ別の色が覗いていた。


「届いていない、というのは」

「あくまで仮定の話ですよ」


 すぐに軽い調子が戻る。ルカはヒルダの用意した茶を一気に飲み干した。


 交渉を終えルカが荷をまとめて立ち上がったとき、ロゼリアはもう一つだけ尋ねる。


「あなたは先代の領主にも品物を届けていたと聞きました。何年もこの都市に通い続けている。……なぜですか?」


 ルカの足が一瞬止まった。それからゆっくりと振り返り、少し困ったような、けれど本気の混じった笑みを浮かべた。


「商人が同じ客のところに通い続ける理由なんて、一つしかないでしょう。儲かるからですよ」


 飄々とした返し。だが、その笑顔がほんの少しだけ遅れたことに、ロゼリアは気づいていた。


「では、また次の納品のときに。必要なものがあればお伝えください」


 ルカは軽く頭を下げ、扉に向かった。その途中で一度だけ足を止め、振り返らないまま言った。


「……あんまり無茶はしないでくださいよ、領主代行殿。市で衛兵に啖呵を切ったって話、もう広まってますから」


 声は変わらず軽やかだった。それが忠告なのか心配なのか、ロゼリアには判別がつかない。振り返らなかったのは、表情を見せたくなかったからだろうか。


 扉が閉じる。


「隙のない男ですね。権力には逆らわない。でも、巻かれているだけでもなさそうです」


 ヒルダの言葉を聞きながら、ロゼリアは机の上に残された品物を見た。油と塩と香辛料。紙を開くと、鮮やかな赤い香辛料の粉の中に、見覚えのない小さな粒が混じっていた。乾燥した木の実のようにも見えるが、ロゼリアの知る香辛料の類ではない。色も形も、王都で学んだどの薬草とも一致しなかった。


 ――これは、何だろう。


 混ぜ物にしては量が少なすぎる。仕入れの段階で紛れ込んだのか、それとも別の荷と一緒に運ぶうちに混じったのか。ルカが気づいていないのか、気づいていて黙っているのか。


 考えを巡らせる頭の片隅で、ルカの笑みがちらつく。困ったような、本気の混じった、あの一瞬の表情。


 振り払うように、ロゼリアは立ち上がった。


「テオドアを呼んでください。衛兵の物資庫について、もう少し詳しく知りたいの」

「承知しました」


 ヒルダが部屋を出ていく。一人になった応接の間で、ロゼリアは窓の外を見た。灰色の空の下、衛兵の詰所の屋根がかすかに見えている。


 帳簿のズレ。ギフティオの証言。マルタの訴え。ルカから聞いた流通構造。そして、香辛料に混じった正体不明の粒。


 点は増えている。だが、まだ線にはなっていない。


 あそこに、どうやって切り込むか。


 足元の地面は、まだ頼りない。だが少しずつ、踏み固められ始めている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ