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冤罪令嬢、罪人都市の領主になる  作者: 野塩いぜ


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第3話 領主代行の第一歩

 領主代行を引き受けて最初の朝、ロゼリアはテオドアから都市の概要を聞いた。


 罪人都市ダイダリーは三つの区域に分かれている。比較的罪の軽い者が住む外縁区、何度も犯罪を繰り返した者が住む常罪区、そして特に重い罪を犯した者が収容される深罪区。領主の実務の大半は常罪区に費やされ、深罪区は衛兵が出入りを管理しているが、内部には関与しないという。


「まずは都市を歩いて見ていただくのが一番かと存じますが……」


 テオドアが言いにくそうに言葉を切った。


「護衛の手配が問題です。衛兵は現状、領主代行に協力的とは申せません」


 それはそうだろう。昨日の葬儀での一件を思えば明らかだ。夫の遺体を開けと命じた女を、彼らが守る義理はない。


 そこへ扉が叩かれた。


「シグベル様がいらっしゃいました。お通しになりますか?」


 淡々とした声だったが、その問い方にはヒルダの性格が出ている。「来ましたよ」ではなく「通すかどうかはあなたが決めなさい」という距離感。侍女の体裁を取りながら、判断を預けてくる。


 断る理由はなかった。ロゼリアが頷くと、ヒルダは無言で身を引き、代わりに銀髪の神官が姿を現した。昨日と同じ穏やかな笑み。テオドアが一瞬だけ表情を引き締めたが、すぐに元の無表情に戻る。


「領主代行就任のお祝いを申し上げに参りました。……それと、一つご提案がございます」


 シグベルの提案はこうだった。外縁区にある教会の視察に来てほしい、と。


「外縁区には刑期を終えてなお都市に残る者や、罪人の子どもたちが暮らしております。新しい領主代行が足を運んでくだされば、それだけで安心する者も多いのです」


 善意だけの提案ではないだろう。昨日「次の葬儀はあなたのものかもしれない」と告げた男の言葉を、そのまま信じるほどロゼリアは甘くない。


 だが、都市を見なければ何も始まらないのも事実だった。護衛もなく一人で常罪区を歩くのは無謀だが、神官の案内で外縁区を回るのであれば、今の自分にできる最善に近い。


「わかりました。案内をお願いします」


 シグベルは微笑んだ。その笑みが何を含んでいるのか、ロゼリアにはまだ読めなかった。


 屋敷を出ると、風景が変わった。


 屋敷の周囲は石壁と衛兵の詰所に囲まれた無機質な空間だったが、外縁区に近づくにつれて、人の生活の気配が滲み出してくる。軒先に干された洗濯物。道の脇に置かれた木箱の即席の売り台。すれ違う住民たちの顔は、ロゼリアが想像していた『罪人の街』とは違っていた。


 暗い目をして怯えているわけでもなく、凶暴な空気を纏っているわけでもない。ただ日々を営んでいる人間の顔だった。


「罪人の烙印は刑期では消えません。受け入れる町がなければ、ここに留まるしかない」


 シグベルが静かに説明する。罪を償っても元の場所には戻れない。その構図に、ロゼリアは自分の姿を重ねた。冤罪であっても結果は同じだ。名前に傷がつけば、それだけで人の扱いは変わる。


 シグベルの案内で辿り着いた教会は、外縁区の中ほどにあった。石造りの小さな建物だが、手入れが行き届いている。中に入ると、十人ほどの子どもが木の長椅子に座り、一人の年配の女性から読み書きを教わっていた。子どもたちの服は繕い跡だらけだが、顔は明るい。


「罪人の子どもたちです。親が罪を犯したというだけでここにいる子もおります。もちろん、この子たちに罪はありません」


 シグベルの声は穏やかだったが、その穏やかさに込められた力をロゼリアは感じた。この男はこの場所を本気で守っている。少なくともそう見えた。


「教会を維持するにも物資が要り、子どもたちに教育を施すにも人手が要る。領主代行からの信任をいただければ、都市の予算から支援を受ける根拠にもなります」


 なるほど、これが本題か。善意がないとは言わない。だがシグベルがここに連れてきた理由は、この光景を見せることで信任を引き出すためだ。子どもたちの笑顔を見てください、ではなく、この笑顔を維持するにはあなたの力が要る。丁寧な計算だった。


 だが、その計算は不快ではなかった。計算の上に成り立っていようと、救われている人間がいることは確かなのだ。


「視察が終わってからになりますが、検討します」


 即答は避けた。シグベルは特に落胆した様子もなく、「ありがとうございます」と微笑んだ。断られることも想定していた顔だった。


 教会を出ると、外縁区の通りに人が増えていた。昼に近いのだろう。簡素な市が立ち、住民たちが品物を手に取っている。野菜、干し肉、粗末な布地。物資は豊かとは言えないが、人の営みが確かにそこにあった。


 その営みの中に、不協和音が混じる。


 市の一角で、声が上がっていた。


「今月の配給がまた足りてないんだ。三人分の割り当てのはずなのに、二人分しか来てない」


 年嵩の女が、声を荒げている。彼女の前に立つのは衛兵だった。物資の配分を管理している側の人間。腰に剣を帯びた男は、女の訴えを聞き流すように腕を組んでいる。


「記録の通りに配ってる。足りないのはそっちの管理が悪いんだろう」

「管理も何もないよ、受け取った時には既に足りなかったんだ。先月だって同じことがあった。三人家族なのに二人分って、どうやって暮らせっていうのさ」

「知らんよ。文句があるなら上に言え」

「上って誰さ。領主は死んだんだよ」


 衛兵は肩をすくめた。面倒ごとを片付ける気がないのは明白だった。周囲の住民たちは足を止めて様子を見ていたが、誰も口を挟まない。こういう光景に慣れている顔だった。


 シグベルがロゼリアの横で、静かに立っていた。何も言わない。助け船を出すでもなく、止めるでもなく、ただロゼリアがどうするかを見ている。


 ――領主は死んだんだよ。


 女の言葉が、耳に残った。上がいない。だから訴える先がない。それが、この都市の今だ。


 考えるより先に、足が動いていた。


「お話の途中、失礼します」


 ロゼリアが二人の間に歩み出ると、衛兵と女の両方が怪訝な顔をした。白い肌に金の髪。どう見てもこの街の住人ではない女が、市の雑踏の中に割り込んできたのだ。


「……何だ、あんた」


 衛兵の声には警戒があった。ロゼリアの顔を見て、何かを思い出そうとしている。昨日の葬儀にいた衛兵ではないらしい。


「ロゼリア・グランツフェルト。領主代行です」


 名乗ったのは、これが初めてだった。公の場で、見知らぬ人間の前で。自分が何者であるかを、この都市に向けて。


 衛兵の表情が変わった。驚きと、それに続く不快。領主代行。罪人の女。夫の腹を割かせた異常者。噂はもう広まっているのだろう。衛兵の目がすっと冷たくなった。


「……で、領主代行がどうした」

「この方の配給が記録と合わないとのことですが、割り当ての記録はこちらで確認できますか」

「記録は物資庫で管理してる。ここにはない」

「では、後日確認させていただきます。この方の名前と、今月の配給内容を控えさせてください」


 衛兵がじとりとロゼリアを見据える。


「何のために」

「帳簿と突き合わせるためです。記録の通りに配っているのであれば、確認すれば潔白が証明されます。……困ることはないはずですよね」


 静かな声だ。責めているのではない。ただ手続きの話をしている。だがその手続きが衛兵にとっては喉元に突きつけられた刃に等しいことを、ロゼリアは知っていた。帳簿を見れば、数字のズレがあるかどうかは一目でわかる。


 衛兵は一瞬、何か言い返そうとした。だが言葉を飲み込んだ。ここで拒否すれば、やましいことがあると認めるのと同じだ。周囲の住民たちが見ている。


「……勝手にしろ」


 吐き捨てるように言って、衛兵は背を向けた。去り際にロゼリアを一瞥する。その目は明確な敵意だった。覚えておく。そう言いたげな視線。


 ロゼリアは年嵩の女に向き直った。女は呆気に取られた顔でロゼリアを見ている。


「お名前と、割り当ての内容を教えていただけますか。確認に時間はかかるかもしれませんが、記録に残します」

「……あ、ああ。マルタだよ。マルタ・ヨンク。三人家族で、穀物と油と塩が月に一度の配給で……」


 女――マルタは戸惑いながらも、配給の詳細を口にした。ロゼリアはそれを頭に刻んだ。紙もペンも持ってきていない。次からは持ち歩くべきだ、と心の隅で思った。


「ありがとうございます。必ず確認します」


 マルタは何度か口を開きかけ、結局「……ありがとう」とだけ言った。信じ切れていない、という顔だった。当然だろう。領主代行を名乗る見知らぬ女に、一度の出会いで信頼を寄せる方がどうかしている。


 それでいい、とロゼリアは思った。信頼は結果で示す。言葉で約束しても意味がないことは、嫌というほど知っている。


 周囲のざわめきが、先ほどまでとは違う質のものに変わっていた。何人かの目が、まだロゼリアを見ている。


 シグベルが背後から近づいてきた。


「思い切ったことをなさいますね」


 穏やかな声。褒めているのか窘めているのか、判然としない。


「そんなつもりはありません。記録を確認すると言っただけです」

「それが思い切ったことなのですよ、この都市では」


 シグベルはそれ以上言わなかった。ただ微笑んで、歩き出すロゼリアの半歩後ろについた。


 市を離れかけたとき、不意に声がかかった。


「いやぁ、大した度胸ですね。領主代行殿」


 軽い調子の声だった。振り返ると、茶色のくせ毛に人懐こい顔をした青年が立っている。肩から大きな革の鞄を提げ、商人らしい格好をしていた。市の端に置かれた木箱に腰かけていた様子からして、先ほどのやり取りを最初から見ていたらしい。


「見物していたのですか」

「とんでもない。品物を卸しに来ていたら、面白いものが目に入っただけで」


 青年はあっさり笑った。気を悪くした様子もなく、むしろこちらの反応を面白がっているような目だった。


「行商をしております。ルカと申します」


 ルカの視線がシグベルに向けられた。シグベルは静かに頷いた。面識はあるらしい。


「こちらは領主代行のロゼリア様だ」

「ええ、もう存じ上げておりますよ。たった今、ご自分で名乗ってらっしゃいましたから」


 ルカは人懐こく笑った。だがその目は笑いながらもロゼリアを値踏みしていた。商人の目だ。この相手が自分にとって利になるかどうか、瞬時に計算する目。シグベルとは違う種類の計算が、人懐こい笑顔の奥で回っている。


「行商人にとって領主代行のお覚えは大事ですからね。今後ともご贔屓に。……それと一つ、余計なお世話かもしれませんが」


 ルカは声をわずかに落とした。笑みは消えなかったが、その声は先ほどまでの軽さとは少し違った。


「さっきの衛兵、あれはこの辺りの配給を仕切っている連中の末端です。末端に帳簿の話を持ち出したら、上にはすぐ伝わりますよ」

「それは承知の上です」

「なるほど。それなら結構です」


 ルカはそれ以上踏み込まなかった。軽く笑い、また品物を担いで市の方へ歩いていく。


 その背中を見送りながら、ロゼリアは眉をひそめた。


 ――あの顔。どこかで見たような気がする。


 記憶の奥に引っかかるものがあった。跳ねた茶髪、愛嬌のある顔立ち。最近どこかで、あの顔を見た。だがどこで、どんな状況で見たのかが思い出せない。


「珍しいですね」


 シグベルの声が、穏やかに割り込んできた。


「あの男が初対面の相手にあそこまで話すのは、あまり見たことがありません。よほど気に入られたのでしょう、ロゼリア様」


 ロゼリアは振り返った。シグベルはいつもの微笑みを浮かべていた。何の含みもなさそうな顔だったが、そう見えること自体がこの男の手管なのかもしれなかった。


「商人が新しい領主代行に取り入ろうとしているだけでしょう」

「ええ、それもあるでしょうね」


 それだけ言って、シグベルは微笑んだ。「それも」の先は語らなかった。


「屋敷にお戻りになりますか」

「……ええ、戻りましょう」


 思考を中断し、ロゼリアは頷いた。だが歩き出しても、胸の奥の引っかかりは消えなかった。


 屋敷への帰り道、ロゼリアは今日の出来事を反芻していた。


 教会の子どもたち。市の住民。配給の不足を訴えるマルタ。そして衛兵の敵意。


 罪人都市だからといって、暗い顔をした犯罪者が道に溢れているわけではなかった。子どもたちは笑い、住民たちは市で品を選び、日常を送っている。だがその日常の中に、見えにくい形で歪みが走っている。配給が足りない。記録と実態が合わない。衛兵は確認を嫌がる。


 まだ何もわかっていない。だが、帳簿を見れば何かが見えてくるはずだ。テオドアに帳簿の開示を条件にしたのは、正しかった。


 屋敷の門が見えてきたとき、不意にルカの顔がもう一度頭をよぎった。あの笑顔。あの、何かを飲み込んでいるような――


 足が止まった。


 葬儀だ。あの男は、昨日の葬儀にいた。


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