《六章 時ノ中デ》
カーラと神威の戦いは、文字通り別次元の領域で行われていた。そして、アデルと紅城の戦いもまた、佳境に差し掛かっていた。
神威が【不刻】を発動させ、世界の時間を止めるよりも前、カーラの参戦とともに、アデルの力は新たな発展を遂げていた。
自身の肉体の加速でも、意識と肉体の時間断絶でもなく、文字通りの時間停止能力。対象は一つに限られるが、別次元の領域にアデルは片足を踏み入れていた。
神威の【猛火】を炎の時間を止めることで対処したアデルは、まだ慣れぬ能力の余波を全身に受けながら、それでも紅城に向かって駆け出した。
────【居合 陽閃撃】
紅城の放った斬撃は空を駆け、アデルへ向かう。
だが、またも回避される。
しかし、神威からの追撃は存在しない。
アデルはそのことを認識していた。故に、ナイフを取り出した。銀で構成され、持ち手に施された装飾は見た目のためだけではない。それは、魔力を流すことで発動する、魔術刻印としてである。
それはポーラからの信頼の証しであり、アデルに支払った対価でもある。
刻印に流れた魔力が光を宿すと、アデルの周囲に光の粒子が生じ始めた。
「【一速】」
瞬間、アデルの肉体は加速する。否、アデルの時間は加速する。それは周囲の時間を置き去りにし、世界の仕組みを大きく凌駕した。
「チッ、速い」
肉体の限界を超えた速さで動くアデルを、通常の時間に囚われた紅城では、迫る攻撃に対処することで精一杯だった。
それでも紅城は喰らいついている。それはアデルの攻撃が近距離かつ、物理に収まっていたからだ。
アデルの時間は更に加速する。その速度はついに目で追いかけられるものではなくなっていた。そのため紅城は全てを気配で察知し、迎え撃つほかない。
一つアデルには欠点があった。それは、戦闘スタイルである。
アデルは本来、相手と向かい合ってバトルを行うタイプではない。切り札、言わば『ルナ』のしていたように、意識外からトドメを刺す時に使うのが適していた。
時間操作による、肉体の強化、加速。時間断絶、時間停止。そのどれもが使いやすく、シンプルさを持つが故に扱いが難しい。
対する紅城は、器用貧乏────になるはずの存在だった。しかし、元の世界での激闘の末、持っていた素質は大きく成長を遂げ、一人で多芸をこなすことのできる人物になっていた。
「【炎舞炎環】」
紅城の発動させた神術は、自身の背後に炎で象られた円を召喚した。そして、アデルの気配から動く先に狙いを定め、新たな術を発動させていく。
「【炎刃】」
背後の円が回転し、その速さが増すごとに、紅城から放たれる炎の刃も数と精度を増していく。速度で圧倒していたはずのアデルだが、紅城の攻撃に後手に回ることになる。
そして、紅城は術の刃を止めることなく放ちながら、アデルに接近し、刀での近距離戦闘に持ち込んだ。
アデルの攻撃が一つであるのに対し、紅城の攻撃は際限なく増加していく。一の動作に三、四を要求される現状では、アデルの敗北は濃厚であった。
故に────
「【二速】」
アデルはギアを更に引き上げた。
「なんだ……?いきなり対処され始めた」
紅城はアデルの変化を感じ取った。これまでは防戦一方だったアデルが、こちらの隙を捉え、反撃を開始している。それは、明らかな異変だった。
その異変の正体は、アデルの持つ魔道具である。新たに魔法を追加するのではなく、あくまで既存の、アデルの生まれ持った魔法に新たな発展をもたらすための特注品。それはアデルの時間操作をより広く、より自由に解釈させる。
【一速】────時間の加速。対象の時間を加速させ、世界の時間から逸脱させる。
【二速】────時間の圧縮。対象の時間を切り取り、世界から時間の一部を圧縮させる。
【二速】にギアを入れ替えたアデルは、紅城の攻撃に対処するために必要な動きを一部圧縮し消し去ることで、かかる時間を最小化させた。
「形勢逆転だ」
そう言ってアデルは紅城の【炎舞炎環】を、ナイフで破壊した。
「なるほどなるほど、こいつは厄介だ。でもな、俺の限界はまだまだ上だぜ?」
不敵な笑みを浮かべた紅城に、アデルは何かを感じ取り、すぐさま回避を選択する。
────【痺雷縛鳴】
詠唱も宣言もなく、それは世界に認識され、構築される。それは世界を駆け抜ける。加速を続けるアデルすら逃れられず、雷が身体を貫通した。
【天十握剣】、それは、纏わせた神術が属する力を、無詠唱で発動させることができる。紅城は炎の力を発動させるとともに、剣には雷の力を纏わせ、次の一手に繋げていた。
未知数の手札を警戒し合う戦いだが、不可避の一撃を前にしては、なす術がない。
腕の、足の、全ての筋肉が電流によって異常を起こし、心臓の鼓動すら大きく乱れたアデルは、地面に膝をつき、浅い呼吸を繰り返す。その場から動くことすらできないアデルを前に、紅城は近づいた。
「これで終わりだ。一度武器を置いて話し合────」
「────まだ、ギアは下げてない」
アデルの魔法はまだ途切れていなかった。そのエンジンは止めどなく動き続け、燃料である魔力を一心不乱に取り込んでいく。
対話を提案しようとした紅城は、すぐにその考えを投げ捨てた。今優先すべきは、何よりも早くアレを取り出すこと。
紅城は神がかった反応速度を見せ、最大限の警戒をする。
その警戒は、決して無駄ではなかった。
「【三速】」
その瞬間、アデルの魔法は一つの次元を飛び越えた。寸刻前、紅城の【猛火】の時に見せた謎の力。それを今、物にしていた。
【三速】────時間の停止。世界の時間を停止させ、使用者を停止した時間から逸脱させる。
発展途中のアデルの魔法において、現時点の最高ギアは三。時間の加速を続けた先で引き起こすのは、時間の停止という正反対の事象。しかしそれは、時間という制限を、時間の加速を繰り返す事で逸脱するという原理である。
────そこに侵入できるのは、時間に干渉できる力を持つものだけである。
「悪いが、今度こそ形勢、逆転だ」
アデルは魔力で肉体を強化し、今なお身体に残る痺れを誤魔化した。停止した時間の中で、ただ一人のアデルは立ち上がる。
そして目の前の、両手に剣を構える紅城を静かに見た。
敵対はした。だが、お互いに相手を殺すことは目的としていなかった。だからこそ、アデルは苦戦をしていた。
殺すことを自ら肯定したアデルだが、無意味に殺すわけではない。ルナに関連する者ではあるが、その前後に何があったのかを知らないため、無力化を優先した今回のケース。この場合、殺し、それも暗殺を得意とするアデルは極めて不利である。
それでもアデルは、殺す選択肢を封印した。
止まった時の中、アデルが紅城を拘束しようと動いたその瞬間、ありとあらゆるものを拒むはずのこの時間は、新たに一人を受け入れた。
「────アデル、一度話がしたい」
紅城はアデルにそう提案するのだった。




