《三章 変ワラル者ト変ワラヌモノ》
紅城と神威、それとルナは逃げた怪盗の行方を追うために、三つに分かれて捜索を開始した。特徴的な見た目を目印にしていた三名、しかし、その目論見は全て杞憂に終わる。
「変装」
女の見た目は────否、女の全ては虚ろなもの。それら全てがまがい物であり、贋物である。故に、視覚情報を頼りに探すことは不可能であった。残された情報は、力によって二度目の改変が行われ、無意味と化す。
それは別の女に見た目が変わり、そのまま、人の往来が激しい市場へと向かったのだった。
「ここまでは上々。次が本番だ」
女は身の安全を確信していた。容姿、足取り、全てを撹乱したこの状態であれば、何人たりとも自身を脅かすことがない、と。
「あの、私達から盗んだ物を返してくれませんか?」
「……?」
疑わなかった。考えなかった。想像すらしたこともない事態が、今起こっていた。
それは、先ほど盗みを働いた相手の一人である女────ルナが、姿形の違うはずの自分を見つけたことである。
「待ってください。見た目は違いますけど、さっきの人ですよね?」
そう言ってルナは一切の躊躇なく、女の腕を掴んだ。
(エ???何でここにあの女が!?いや、それよりも何故俺だとバレた!?)
無論、変装は完璧であった。顔のパーツも服装も、全てがルナの見たものとは異なっていた。ならば何が正体と行方を暴いたのか。それは単に、ルナの勘である。つけ足すのならば、『ルナ』の神祝がそれを可能にしていた。
”神”の”祝”福、それの具現化であり、その所有者である者の運命を大きく変える物こそが”神祝”である。
それがルナに与えられていた。
「あの、人違いじゃないですか?」
怪盗はただの偶然だと自身を無理やり納得させ、ありきたりで最善な選択肢を選んだ────はずだった。
しかし、無駄だった。ルナは確信していた。
だが、最善の選択では足り得ない壁がそこにはある。当人同士の心は共有されておらず、まだお互いに返しが効くこの状況。ルナがチェックをかけた盤面ではあったが、チェックメイトには届いていない。
しかし、まだ盤面は動いていた。他ならぬ、対戦相手の選択によって。
「────そのポケットから見えている銀の物は何ですか?」
「何!?」
神祝という名前すら知らぬ状態のルナ。資格を自ら手放した”ルナ”ではあったが、まだその輝きは消え失せてはいない。
ルナは無意識のうちに、神祝との繋がりを追い、そうして今この場に辿り着いていた。確証はない。だが、確信はあった。
「ごめんなさい、嘘です。でも、反応しましたね?」
まるで『ルナ』かのように、ルナは相手を謀った。不確定な確信をもって相手を追い詰め、否定しきれない事象でカマをかける。
そして、それは成功した。
「こうなったら逃げるしか……っておい、離せ!!」
女はルナに掴まれた手を払いのけようとするが、びくともしない。
「お願いです、返してください!」
お願いと拒否が何度か繰り返され、周囲の注目が二人に集まり始めると、女は無理やりルナを人通りの少ない道へ引っ張った。
そして、女は諦めたように肩を落とし、抵抗するのをやめた。
「降参だ。お前達から盗った物は返すから見逃してくれ」
「それじゃだめです。他の人達のも含めて、全部持ち主に返してください」
「それは無理だ。俺にも事情がある」
「盗まれた人達の気持ちを考えたことはあるんですか?自分の物が無くなった人ときの悲しさを」
「俺が盗んだ相手について何にも《・》知らないくせに、大口叩いてんじゃねぇよ」
「どういうことですか?」
女の言葉が引っかかったルナが尋ねた。ルナは怪盗について何も知らない。その背景に何があったのか、目的は何なのか、あまつさえ素顔もだ。
「俺が盗んでるのは────」
女が少しだけ自分について話そうとした、その時だった。
「────怪盗メフィスト」
知らない男の声に、女はとっさにルナを自分の後ろに下がらせた。
「誰だお前は?」
乱入者を前に、女は語気を強めた。
「予告状、差し出した相手、知らないの?」
「……ウロボロスか。要件はなんだ?」
女────怪盗メフィストはそう問う。相手はウロボロス、『ルナ』の因縁の相手でもある存在が、またも運命に導かれ、相対した。
しかし、今この場における因縁の強さは、ルナではなく、怪盗に由来する。
「お前の大切なもの、盗みに来た」
「怪盗から盗むってのは初めて聞いた。いったい何が欲しい?」
怪盗、盗む者に堂々と宣言した相手に、女は再度問う。
「お前の、最も価値のある、もの」
「例えば?」
「────命。それを頂く」
その発言をトリガーにして両者ともに、判断は決された。残るのは、開始の合図だけである。
「そうか。なら、あげられないな!」
先に動いたのは怪盗だった。男は手元で何かを取り出し、周囲を煙で埋め尽くす。
無論、正面から戦うのが目的ではない。その場からの離脱、それが勝利条件であった。
「煙幕……無意味」
乱入者は慌てることなく、ただ呟き、何かを投げた。
その時、メフィストに向かって煙の中を突き進む物がいた。しかし、怪盗は自身の視界も煙に奪われ、それを察知できていない。
「だめ!私が守る!!」
それを防ごうと二人の間に割って入ったのは、ルナだった。
「【聖ナル障壁】」
反射的に、無自覚に行われた詠唱とともに魔法陣が構築され、魔術的に可視化された壁がルナの目の前に形成────そして、すぐにヒビ割れが生じた。
それにルナが驚く暇もなく、ヒビが全体を支配し、そのまま魔法は消滅した。槍が魔法陣を破壊したわけではない。起動途中だった魔法が、その発動寸前に能力を失ったのだ。
それは、聖女であることを拒んだ『ルナ』ゆえであり、偶然の事故でもある。治療のためではなく、これまで以上に力を求めたことが、思いに反する形で力を阻害したのだ。
────神聖魔法を使うための明確な意思をルナはまだ、持ち合わせていない。自覚なき力はその効力を発揮しない。
────必要なのはきっかけである。何のために生まれ持った力を使うのか。何のために力を望むのか。意思なき力はその効力を発揮しない。
────力が目覚めるのは、今ではない。
────故に、この場の結末を変える手段を、ルナは持ち合わせていない。
無防備になったルナに向かっていた塊の正体は、一本の槍であった。混沌を纏ったその一筋は、正確に心臓を捉えている。
その刃先が肌に触れるその寸前で、ルナの体は何かに引っ張られ、そのまま地面に倒れ込んだ。
「……どうして?」
ルナの視線の先には、傷ついた腹から血を流すメフィストがいた。
「今は一旦、逃げるぞ」
彼女は息も絶え絶えだったが、それでも立ち上がり、今まで以上に煙を放った。
「無意味だと何故……居場所、知らせてたのか」
近づく足音が増えてきたことを感じ取り、襲撃者は追撃を諦め、その場を後にした。




