《十章 聖女ト吸血鬼》
日が沈み、人通りの少なくなった路地裏に逃げ込んだ、いや追い込まれたルナは、何故か聖女であるシレンテに追いかけられていた。
「あ〜あ、なんで逃げるのかな?ほら、転んで血まで出てる」
「シレンテ、何でこんなことをするんですか!」
「これは貴方が逃げるから仕方なくなのですよ。さっさと捕まっていれば楽に済んだものを。でも、もう鬼ごっこはおしまいですわ」
「……い、行き止まり」
私の前には身長を優に超える壁があり、逃げ道がなくなってしまった。
「さぁ、こちらにいらっしゃって?大丈夫よ、友達に苦しい思いはさせませんわ。ほら早く」
「い、嫌ッ!」
三方向に壁があって逃げられないが、唯一逃げ道のあるシレンテの方向に向かって私は走った。だがそれが、投げやりな作戦であることは分かっている。それでもこれしか私が生き残る方法はない。
ほぼ諦めていた私だったが、何故かシレンテは私を止めなかった。安堵とともに、どうして何もしないのかと考えた時には既に、シレンテは狙いを私に定めていた。
「それなら仕方ない。【封ジタル裁キ】」
手のひらを私に向けたシレンテが言葉を紡ぐと、私の周囲に黒い光が生じ、直後それらが布となり、私の四肢を縛り上げた。
「んぐッ!?」
口元すら覆われ、私にできるのは藻掻き声を上げることと、ジタバタと体を動かすことしかできなくなってしまった。
「これ以上抵抗されると面倒ですし、さっさと連れて行かせて貰いますわよ。さぁ、ルナ。いや、王国の聖女様、行きましょう?」
抵抗できない私に、少しずつシレンテは近づいてくる。その足音が私に告げたのは自身の死だった。自分が何者かすら分からずに、自由を奪われ、その先に待つのは良くて死、悪ければずっと飼い殺しにされるだろう。
だがどれだけ藻掻こうが叫ぼうが、届く相手も意味もない。
「────悪いけど、彼女には先客がいるのよ?」
ただしそれは、ルナが拘束された後のことに限るのであり、それ以前に行なっていた何かがあるとすれば、効力を持つというのは当然のことであった。
「あら、貴方は先ほどの”サラ”さん。どうやってここに?」
「簡単よ。ここまでルナが匂いを残してくれていたの」
「何を言っているんですか?」
シレンテは知らない。ルナが転んだのは慌てていたからではなく、カーラが追いかけてくるときの目印のためであることを。だから、新手が来ることなど考えてもいない。
シレンテは知らない。サラという人間は存在せず、カーラという吸血鬼であったことを。だから、まさか足止めのために用意した人材が全て一瞬にして倒されたことを。
シレンテは知らない。ルナが『ルナ』であることを。だから、侮った。何もできない、ただの娘であると。
(私が気になっているのは、どうやってあのウロボロスの人達を掻い潜ってここに来たのかということです。まさか裏切った?いや、利用価値がある以上、それはないはず)
なぜ刺客を放ったのに、カーラがこの場に来れているのかという意図を理解していないのか、それとも理解しているうえで無視して言っているのかシレンテには分からない。それでも、あの場を切り抜けてきたというのは確かだった。
「こっちの話よ、聖女様。いや、ウロボロスの関係者と言ったほうがいいかしら?」
「……なんだ、知ってるのですね。じゃあ、貴方はどこまで知っているのかしら?」
「さぁ?別にどうでもいいでしょ。そんなことより、私はルナを返してほしいだけなの。いいかしら?」
「そこまで知られている人を生かしてはおけないでしょうが。貴方も、ルナも!!」
繰り返すが、シレンテはサラ、もとい、カーラが吸血鬼であることを知らない。そして、その中でも最上位の存在、始祖を冠する者であることもまた、知らなかった。
シレンテの攻撃対象に捉えられるよりも早く、カーラは自身の周りに血液を漂わせた。
「【血夜ヲ纏エ】」
魔法の詠唱が終わるとともに、漂っていた血液が体を覆い、次の瞬間にはカーラは黒が際立った紅いドレスを身に纏っていた。
この魔法は、発動者自身を改変する力を持つ。己の存在を望む形に変化させ、あらゆる不条理を押し付けるそれは、無論カーラの切り札の内の一つである。
悪魔が創り出す【幻世】とは異なり、悪魔の契約者が行う【召喚:悪魔融合】のように自身の存在を書き換える技。対象範囲は狭いものの、その効果は絶大である。
「神聖魔法は確かに強い聖女様、でも戦闘経験はあるのかしら?」
敵対するシレンテの強さは未知数ではあるものの、今の自分であれば問題ないと判断したカーラ。そして、そのまま先手を取るのだった。
(油断はしない。最初から全力で行くわよ)
「【血爆】」
シレンテの周囲に血の球が浮かび上がり、四方を取り囲む。そして、急に膨れ上がり、爆発した。
「【拒ミタル裁キ】」
爆発の衝撃と、飛び散った血の欠片をシレンテは神聖魔法で受け流す。自分の周囲一帯に半球状のドームを作り、内と外を一瞬だけ遮断したのだった。
「なるほど、人じゃなくて吸血鬼だったのですね。でも残念でした。私達帝国は吸血鬼の研究を随分進めています。それに、私は教会所属。悪魔も吸血鬼にも慣れています」
何をされるか分からない状況、先手の取り合いに勝利したカーラはもちろんすごいが、それ以上にカーラの対応力が見えた一撃だった。彼女の慣れているという言葉に重みが増す。
「【封ジタル裁キ】」
ルナを拘束している魔法をカーラに向かって発動したシレンテだが、意外にもカーラは抵抗せずに囚われた。
無抵抗、何か策があるのは推測できるが、千載一遇のチャンスをシレンテは見逃すことができない。
「【不浄ヲ聖常ナルモノヘ】」
両手を重ね、祈りを捧げる。鎮魂の祈りを込めたこの魔法は、魔族や吸血鬼にとって致命傷となる────はずであった。
光の柱がカーラを包むが、傷一つついていなかった。
「対吸血鬼に特化した浄化魔法ね。でも、それぐらい対策済み。というか、効かないわよ」
吸血鬼は血液を取り込むことでより強くなる種族である。久しく吸血をしてこなかったカーラにとって、今力の源になる血液はルナの物しかない。しかし、聖女の血。神聖力を宿すとは言え、それが血液であることには違いない。しかし、吸血鬼が持つ血を取り込むという特性が、取り込んでしまった自身の弱点である神聖力を上書きし、それすらも己の血肉としていた。
すなわち、神聖魔法への抗体を手に入れていたのだった。
「物理を介さない神聖魔法の無効化。空想上の化け物ですね、これは」
カーラの【血夜ヲ纏エ】と同じく、切り札の一つであった魔法が不発に終わったものの、事象の理解は済ませているシレンテ。ここから策を組み立てて更なる追撃に移りたかったが、カーラはそれを許さなかった。
「【血雨削】」
頭上から鋭く尖った血の結晶が止まることなく降り注ぐ。
「【拒ミタル裁キ】!!」
その数に圧倒されるが、上へ防御を集中させることで何とか凌いでいるが、ジリ貧であることは明白だった。
「いくら神聖魔法とはいえ、物量攻撃は防ぎ切れないでしょう?」
「チッ!!」
「ほら、早くルナの魔法を解きなさい。でなきゃこのまま貴方を殺して解除させるわよ」
勝ちを確信しているカーラだったが、シレンテはまだ諦めていなかった。それどころか、カーラに勝つ術を模索し続け、一つのことに気が付いた。




