《八章 長イ夜ニ堕チル》
家から少し離れた街灯の下で、俺と女は話していた。
ここに来る前に、ルナからはある程度の事情は聞いていた。ひとまず、吸血鬼の言った、ルナを助けたというのは事実であり、さっきも身を挺してルナを守って怪我をしたから、血をもらって回復していたらしい。
「お兄さんもどうやら結構大変みたいね」
「まぁな」
「煙草失礼するわよ。まぁ、ダメと言われても吸うのだけれども」
「この匂い、普通のものとは違うな。あまり好かん。どこのだ?」
「秘密よ。最近流行ってるのは、この魔薬入りのものかしらね」
「魔薬か、何度か王国でも見かけたな。こっちでは合法なのか?」
「んなわけないでしょう。非合法よ、非合法。でもまぁ、裏じゃ随分と取引され始めてるわよ。それより、お兄さん達は王国から帝国に?記憶で見たけど、本当に最近こっちに来てるみたいね。もしかしてあの一件のせいかしら」
「そうだが、お前はルナの記憶をどこから、どこまで見れたんだ?」
「記憶に靄がかかっててはっきりとは見えなかったけど、火に包まれた街。あれは王都かしらね。でもきっとこれは奥底の記憶で、彼女が覚えているのは一般的な知識と言語、それとしっかりとした記憶があるのは、帝国で初めてお兄さんと会った時だけね。私はそれ以降を断片的に見たってところぐらいよ」
「やはりそれ以前は見れないのか」
「だけどあの感じ、記憶は一応残ってるみたいよ?ただ、それを引き出すための取っ掛かりがない。あそこまでの状態はここまで長生きしてきたけど初めて見たわ。一体何があったの?」
帝国の聖女、シレンテと同じ意見だった。記憶は残っているが、それが読み込まれていない様子。
「話すと面倒だ。吸血で渡せる記憶はこちらで調整できるんだよな」
「まぁできるけど、いいの?」
「構わない。だが、条件がある」
こちらに来てから分かったことがある。それは、俺一人ではルナを守りきれないということだ。実際、二度もこの吸血鬼に助けられている。
今更裏切るメリットはないと、俺は思う。
だから、
「ルナを守ってほしい」
俺は吸血鬼にそう頼んだ。
「えぇ、いいわよ。あの子には助けられたし。それに、ずっと長生きしてるからいい加減暇なのよね。ちなみに、お兄さんがそこまであの子に執着している理由は見せてもらえるのかしら?」
「あぁ」
俺の返答に舌なめずりをした吸血鬼の瞳は、より濃くなっていた。僅かに開いた口からは、細く尖った犬歯が見える。
どこか動悸がおかしいことを悟りながらも、体は動かない。
肩を出してくれと言われ、服から剥き出しにした俺の肌に、少しずつ彼女の牙が近づいていく。薔薇のような甘い香りが鼻腔をくすぐり、どこかリラックスして力が抜けてしまった。
そして、
「吸血」
「あァ」
噛みつかれ、血を吸われる。痛みはあるが、苦痛よりも多幸感が押し寄せてくる。だがこれは吸血鬼の持つ特性だ。吸血時に相手を暴れさせず、緊張させないために使われる力。
抵抗するという意思を残酷にも奪い取り、ただ血を取られるために生きるだけの人形にする怪物。それが吸血鬼。
「ップハァ、ごちそうさまでした」
「……ハァッ、ハァッ。吸血されたのは初めてだか、ここまでのものだったのか」
「異性に対しては特に快楽と依存性が強いのよね、これ。ハマっちゃうと大変よ?」
「……二度とされるつもりはない」
「あらそう。ん……あぁ……へぇ……おぉ……」
どうやら記憶を読んでいるみたいだった。
吸血、確かにこれは中毒性が高い。実際、多幸感が溢れ出してきているし、この女に目を惹かれ始めている。
「なるほど、暗部の連中ね。それは、面倒だわ。私達吸血鬼もアイツらのせいで随分虐げられてきたからね。警戒する気持ちもわかるわ。教会の方もそうね」
「契約には関係ないけど一ついいかしら?できれば二人からは定期的に血を貰えると助かるのだけはれど」
「……お互いの合意があり、ほどほどなら、な」
「そう。じゃあ真名を教えてあげる。まだ名前すら名乗ってなかったけど」
「いいのか?」
吸血鬼における真名は、ある意味自らの心臓と等しい。
吸血鬼には単純な物理攻撃は効かず、魔法、または魔法を付与した攻撃が必要である。もしくは、真名を対象に神聖魔法を行使することで、大幅な弱体化を引き起こすことができる。だから、吸血鬼は真名を隠すのだ。
古くから生きる吸血鬼が恐ろしいのは、殺すために必要な名前が分からないこと。まして始祖の一柱であれば、本人の口から語る以外にそれを知る術は殆どない。
「無償の信頼よりは、損得勘定ありきの信頼のほうがお似合いじゃないかしら」
「そうだな」
「今さらだけど、綺麗な虹彩異色症ね。黒と金、お兄さんに似合ってるわよ」
「お前の瞳は赤、いや朱色か」
「試しに混ぜてみない?プライベートじゃなくて、あくまでビジネスとして」
「遠慮し……」
何故だ、視界が揺れる。いや、動悸が早まって、まともな思考ができる状況じゃない。なぜかこの吸血鬼から、目が、離せ、ないのだ。
アデルはポーラのときと同じく関係を持つことを拒もうとするが、言葉が詰まった。
「こう見えて、私は始祖よ?その”唾液”を取り込んでしまったんだから、まともに動けるわけがないでしょう」
そうか、吸血の際に取り込んでしまっていたのか。危害を加える気はないようだが、主導権を握られるのは気に食わん。今は逃げるのが先決だろう。
「【幻ノ時間】」
魔法の発動に問題はなかった。だがしかし、身体能力と認知機能の向上が効果を発揮するよりも速く動いた者がいた。
「────残念。【封ジル血】」
吸血鬼が魔法を唱えるとともに周囲に現れた血液が凝固し、そのまま俺の両手と両足が拘束される。
「何故俺を捉えられた?」
「そんなの簡単よ。遅すぎる、ただそれだけ。あの子の血のおかげで、今の私は少しだけ強いの。貴方があのまま魔法を使っていたところで脅威ではなかったわよ」
「そんなはずは!」
「現実を見なさい。貴方は私に負けたの。それも勝負にすらならずに」
認めたくはないが、負けたのは……事実だ。
「それに、その速さじゃ私に勝てることなんてできないわよ。まだまだ発展途上、せいぜい特訓に励みなさい。あ、そうだ。この後、少しだけ魔法の発展に手伝ってあげる。」
「この後だと?」
「えぇ。さ、家に戻りましょう。悪いけど、抵抗できなくさせてもらうわよ」
「何をする気────まさかッ!?」
「【魅了】」
魅力、それは吸血鬼の力。抗えない目の前の存在への渇望が俺の中に生まれ、絶対の支配下に置かれていくのを身を持って感じる。
吸血の比ではない快楽と、脱力が襲いかかり、抵抗という意思は俺の中に微塵たりとも残されなかった。
「私だってこの力はあまり好きじゃないのよ?でも、貴方にはこうしなきゃだめなの」
カーラは自分を恋しそうに見つめるアデルを見つめながら、その頬に手を当てる。
「たくさん堕ちてしまいなさい。だから、今だけは彼女じゃなくて私に頼って」
アデルに聞こえない小さな声で一人小さく呟いた。
「さて帰りましょう。あ、ルナには少しだけ眠っていてもらわないといけないわね」
夜は始まったばかりだった。
【作者のコメント】
ど、読者のご想像にお任せします。
【吸血鬼の強さ】
全盛期からは程遠い。




