《六章 イタダキマス》
アデルディアさんには昨日の襲撃のことを言えなかった。無駄な負担をこれ以上かけたくなかったからだ。
それと、せっかくの休日だというのに、彼はどこかに行ってしまった。仕事を探しているらしいのだが、それにしては帰ってくるのが遅い気もする。
昼下がり、ぶらりと街を歩いていると、数少ない見知った人、それも昨日の女性とすれ違い、そして目が合った。
「あら、この前の」
彼女も私に気づいたようだった。
「あ、この間はありがとうございました。助けてもらえなかったら今頃どうなっていたことか」
「本当に気をつけてね?前回はたまたま近くにいたけど、次同じように助けられないから」
「はい、気をつけます」
もうあんな事態は二度と起きないと思いたいが、可能性は十分にある。アデルディアさんに話すべきかもしれないけど、どうしたらいいのかな。
私が色々と考えていると、彼女は私に話しかけてきた。
「ねぇお嬢さん、この後少し話せないかしら?ここであったのも何かの縁だし、せっかくならお友達になりたいのだけれど」
「あの、実は今夕食の買い出しに来ていまして。流石にそれに付き合ってもらうわけには」
「私は構わないわよ。それに、今日また昨日と同じ事があっても嫌だしね。目の届く範囲にいてくれれば助けられるからさ」
一人では寂しいし、また同じ事が起こるのではないかと少し怖いのも事実だけれど……。
「また助けてもらうわけには」
「万が一に備えてってだけだよ」
彼女はそう言って私の手を取ると、街の賑やかな方へ向かっていくのだった。
***
街を回り、夕食を買い終えたルナ達は、公園のベンチに腰掛けていた。
「まさか、カーラさんとここまで話が合うとは思いませんでした」
「何言ってるのよ、ルナ。私が一方的に帝国の歴史について話していただけじゃない」
「だって、この国は【勇者】の子孫が治めているなんて、わくわくするじゃないですか」
「そうかしら?それに今は色々大変だと思うわよ、関係者たちは」
「何かあったんですか?」
「それも知らないの?もしかしてだけど貴方、王国の人かしら?なんとなく顔つきに覚えがあるのよね」
「えぇ、らしいですよ」
「らしいってどういうこと?」
「私、実は記憶喪失なんです。それで、色々知らなくて、目を覚ましたのがここなので、そのまま帝国で暮らしているんです」
(記憶喪失……私ならそれを見れるけど、別に見たところで何かあるわけじゃない。直でやる必要もあるし……って、いったんそれから離れないと!)
カーラはルナの首元に少しだけ近づき、直ぐに離れた。
「貴方も大変なのね。頼れる人もいなそうだし、じゃあ今は一人で暮らしてるの?」
「いえ、昔の私を知っている人と一緒にです」
「そっか。いいわね、同性で頼れる人がいるって」
「違いますよ?相手は男性です」
「ん?」
「え?」
「変なことを聞くけど、何かされたりしてない?平気?」
「そんな事する人じゃないですよ?」
「いや、貴方って随分と綺麗だし、こんな人を前に我慢できる男なんているわけが────」
ルナの事情にカーラが踏み込みかけたときだった。カーラはルナを立ち上がらせ、周囲を警戒する。
「────ルナ、私の後ろに下がってて」
急速に空気が張り詰め、カーラからは殺意が溢れ始める。すると、帝都の繁華街から離れたこの公園には似つかわしくない、大柄の男を二人引き連れた、この前の男が二人、姿を現した。
「あら、お礼参りかしら?」
カーラは慌てることなく対応する。ルナに万が一の被害が出ないように細心の注意を払いながら、この場から切り抜ける方法を模索し続ける。
「前回は油断してたからな。だが、今回は違う。こいつらは腕利きの用心棒でな」
「おら、やっちまえ」
男の掛け声と同時に、巨漢二人がカーラ目掛けて突撃してくる。
「チッ!!」
細身の体からは想像のできない力で二人を抑えるが、徐々に押されていく。
「す、すごい。でも……!!」
カーラの背後に身を寄せているルナだが、あまり状況が好ましくないのは理解できた。
「クソッ!!ルナ、悪いけどついてきて!」
カーラは男達を押し返すと、ルナを掴んで逃げ出した。
***
路地裏で行われていたのは惨劇だった。
「女、お前が強いのは分かった。だが、これだけの差があればどうにもなるまい」
ルナを庇っていたカーラの体は既にボロボロだった。それでも、ルナを守るため自らを犠牲にし、攻める男に対して幾らかの反撃をしていた。
「ん〜、そうね。このままだと負けちゃうわ」
しかし、あまりにも差が開いている。このままの状態が続いたところで、この先にあるのは時間の問題だけであるのは明らかだった。
「お前に恨みはあるが、今はそっちの女さえ手に入れば見逃してやる。だから、ここから去れ」
「……それ、私に向かって命令してるのかしら?」
カーラの声色が一段と低くなり、そして淡々と尋ねた。
「他にあるか?」
「ムカつくわね……いいわ、人間。お望み通り蹴散らしてあげる」
カーラの周囲に黒い靄が現れ、身体を覆い隠す。
「わざわざ追ってきてくれてありがとう。おかげで、誰にも見られずに済む」
全てはカーラの手のひらの上だった。あの場では使えなかった選択肢が、この場では問題なく使用できる。
「【夜ヲ纏エ】」
カーラの身を包んでいた黒霧が少しずつ集まり始め、夜空の暗さを灯したドレスを新しく身に纏う。
「【血ノ剣】」
カーラが右腕を突き出すと、その言葉とともに現れたのは紅い刀身の剣だった。手のひらから放出された血が、集まり、凝固し、一筋の武器を作り上げたのだった。
「さっさと終わらせてもらうわよ」
カーラは剣を構え、溜める。意思を、力を、血を、この場を切り抜けるために必要な全てをその一振りに乗せる。
「お前達、”あれ”を使え」
その一方で、用心棒達に向かって男は命令した。すると、彼らは取り出した何かを口に運び、ゴクリと飲み込んだ。それが何を意味するのか、カーラは知らない。それでも、己が一撃に喰らいつくものではないと、そう考えていた。
「食らえ!」
渾身の一撃が放たれた。それは、圧縮された血液を剣筋に重ねて放出する、間合いを詰めることなく一太刀を浴びせるための奥の手である。
「吸血鬼……その程度か」
指示役の男が一人呟いた。その眼前には、傷一つない用心棒が立っていた。
相対する者達に、その一撃は届かなかったのだ。それは他ならぬ威力の問題であり、カーラ自身の事情であり、それすなわち、吸血鬼という種族の事情であった。
「始末しろ」
そこから始まったのは、惨劇ではなかった。一方的な虐殺、ガタイに見合わない速度で距離を詰めた用心棒に血の剣を弾き飛ばされ、得物を失ったカーラを軽々と持ち上げると、右腕をねじ切った。
「ア””ァ”ァ”ァ””!?!?」
絶叫が木霊する。しかし、耳障りな音を嫌ったもう一人の用心棒は、痛みに地面に蹲ったカーラの首を掴み、締め上げ、持ち上げる。つま先が地面から離れ、宙吊りの状態になる。
気道が著しく狭まり、空気の通り道がなくなったことで叫び声がなくなった。そして、呼吸が滞り、血流が滞留し始める。顔色がどんどんと青白くなっていき、苦痛に満ちた表情に変わっていった。
「────ッァ”、────ッァ”」
「事実上の不死である吸血鬼を、まさか肉弾戦で仕留められるとは驚いた」
「これで俺達を邪魔するものは誰も────」
カーラが陥落し、絶体絶命の状況に陥る最中、一筋の影が夜を切り裂いた。
「────誰だか分からないが、加勢させてもらう」
その声の正体は、アデルだった。
「何だッ!?」
「ウガァ”ァ”!!!」
用心棒に全てを任せていた男の一人が驚いた。それに続いたのは人の叫びとは思えぬ、まさしく怪物の咆哮だった。
カーラを絞め殺す寸前のところで、アデルの渾身の蹴りが腕に命中した。その威力は男の腕の骨を破壊する。
「……ッ!!ハァハァハァ……ッハァ……ッハァ」
解放されたカーラは一心不乱に酸素を身体に取り込んでいく。
「ルナ、彼女を連れて逃げろ!」
「でも、アデルディアさん一人じゃ……!!」
「早く治療しないと彼女が死ぬぞ!!!」
ルナはアデルのただならぬ剣幕に押され、失った片腕から血が流れ続けるカーラを抱え、その場を急いで後にした。
***
アデルディアさんが何とかあの場から逃がしてくれたおかげで、家まで何とか逃げられた。しかし、本来ならば教会でカーラさんを治療するべきなのだが、カーラさんの事情……吸血鬼であることかそれを認めてくれなかった。
「ねぇ……私が怖くないの?」
震えていた。カーラさんの声は震えていた。
「なんでですか?」
「流石にバレちゃってるでしょう?私が吸血鬼だってことが。だから、怖いなら早く逃げたほうがいいよ。じゃないと、貴方のことを襲ってしまうから」
記憶喪失である私だけれど、言葉や常識、ある程度の知識はまだ残っていた。その中には、吸血鬼に関するものがあった。そのどれもが、いかに吸血鬼が怖い存在であるかについてだったが、目の前でベッドに横たわっているカーラさんをそんな風に思えなかった。
「そんなわけないです!だって、私を守るためにここまでしてくれました。怖くなんてありません。だから、逃げません!」
「バカね、貴方。あんなの打算よ打算。こうすれば貴方を襲いやすいって考えただけ。でも誤算だったわ。まさかここまで弱体化してるとは思わなかった。多分死ぬわ、私」
「そんな……何とかならないんですか?」
「ないわよ。でもいいの、私は十分生きた。これまで隠れて生きていたけど、もう限界だったからいいの」
「だめですよ、カーラさん!死んじゃだめです!」
徐々に元気をなくしていくカーラさんの手を掴もうと、私が近づいた、その時だった。
「近づかないで!」
「────ッ!?」
弱っているはずのカーラさんが、大きな声で私を拒絶した。
「お願いだからこっちに来ないで。じゃないと、貴方の血を飲もうとしちゃうから」
「飲んだらどうなるんですか?」
私は静かに聞いた。
「傷も治るし、力も戻る。でも、きっと暴走するわ。そうなったら誰にも止められなくなる」
「────私が止めます」
「無理よ!何も知らないでしょうけど、私は『始祖』なの!始まりの吸血鬼、その一柱。ただの人間がどうこうできる存在じゃないの!」
「だとしても、今度は私がカーラさんを助けます!」
私は自分の肩を爪で強くひっかいた。柔らかな肌に何本かの赤い線が現れたかと思うと、血がにじみ出し、溢れ始める。
「────ッ//」
血液の匂いに反応したのか、カーラさんの呼吸が荒くなり、色っぽい声をあげた。そして徐々に顔が赤く、そして目が蕩けていく。
「ほら、早く飲んでください」
私はカーラさんに肩を近づけていく。近づければ近づけるほど、カーラさんは残った片腕で私を拒むが、力は弱い。
「ダメ、よ。お、お願いだから、離れて?貴方を殺したくないの」
「私は死にません。だからカーラさんも死なないで」
「……ハァ//ハァ//」
限界といった様子だった。口元からはよだれが垂れており、二本の尖った犬歯が今か今かと待ち構えている。目は蕩けているとも、獲物を狙っているとも取れ、呼吸は乱れきっていた。
どれほど聞き分けのいい子供でも、目の前に好物が置かれていては、そう長くは我慢できない。自制できるのには限度があるのだ。時間も、好物の価値によっても、それは変化する。
まして、好物から食べられにくるのであれば、人間の理性など保ち続けられるはずもない。
まして、それが吸血鬼の理性であり、人間の血が好物であるカーラだとしても、例外ではない。
「もう限界。ごめんなさいルナ、どうなってもとう知らないからね」
首の後ろに手を回されて逃げられない状態で耳元でそう囁かれた。同性のはずなのに、何故かドキドキしてしまったが、怖くはない。
「吸血」
二本の牙が私の肌を貫いた。
【カーラについて】
本来存在しないキャラでしたが、描いてる途中で生まれてきました。『ルナ』がルナになったので、戦えなくなってしまい、代わりが必要になったことと、アデルの心労を考えた結果の、お助けキャラとしてカーラはいます。
なお、もう少ししたら、何気に描きたかった表現をやっとお見せできそうです。今回の吸血シーンもお見せできてよかったです。
【吸血鬼について】
作中の不死発言は正しいです。ですが、カーラは過去のとある一件から血を摂取しなくなっていたため、再生もできずにあそこまで窮地に追いやられました。また、吸血鬼も悪魔と同じく神聖魔法が弱点になります。こうなると、後の展開で教会と……なんてね。
【ルナの血について】
多分忘れていると思うのですが、三章でウロボロスがルナの血を狙ったのは『魔力増強剤(悪魔召喚の媒介)』を生産するためでした。
ルナの血(聖女の血)は神聖のため、悪魔にとってだけでなく吸血鬼にとって価値のあるものです。もし、取り込んだなら、どうなっちゃうんですかね。なお、神聖力は弱点のため、並大抵の吸血鬼は取り込めずに終わりますが、稀に取り込めます。もし、高貴な始祖であればどうなるのでしょうか。
【ルナの神聖力】
ルナの神聖力は、未だ健在です。ですが、使うためのパスに一部ロックがかかっており、持っている神祝も使えません。ですが、四章の作中で見せたように、聖女の力が使えないわけではありません。




