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《三章 眠ル》


「貴方は────誰ですか?」


「ッ!?」


 冗談だと言って欲しかった。なのに、彼女の目に浮かぶのは困惑と恐怖だけ。嘘をついていないのは明らかだった。


「何も覚えていないのか!?」


「……ご、ごめんなさい」


 ルナは小さく頷いた後、慌てて謝罪を口にする。しかし彼女に非はなく、今重要なのは現状について知ることだった。


「いや、謝らないでいい。俺が悪かった、すまない。何も分からなくて不安だろうが、どうか聞かせてほしい。お前、いや君はどこまで覚えている?」


「……な、何も。あの、私は誰なんですか?貴方は誰?」


「そうか、自分の記憶すら消えているのか」


 もうあの頃の彼女はそこにはいなかった。どこまでも荒々しく、無鉄砲で気分屋、それでいて凛々しい『ルナ・カルディア』は、目の前の彼女ではない。


 なら彼女は誰なのだ。記憶とともに生き方すら変わってしまったであろう彼女を、俺はまたルナとして認められるのだろうか。そして彼女自身もそれを受け入れられるのだろうか。


 それならいっそ捨ててしまえばいいのではないか。自分の過去を、人を殺した事実すら忘れて新しい場所で新しい自分として生きるのが彼女の幸せになると、本気で思ってしまった。


「俺は……アデル……アデルディア。君はルナ。ただのルナだ」


 俺は彼女にそう伝えた。本当の俺も、本当の君も、何もかもを忘れてたままでいいと、そう心の中で呟きながら。


「アデルディアと言うんですね。なら、私と貴方の関係は何、ですか?」


「なぜそれが気になるんだ?」


「だって、私は貴方を知らないのに、貴方は私を知っているんですよね。じゃあ、友達だったんですか?」


 友達、そんな関係ではない。そんな子供みたいな関係では俺たちを表すのは不十分だ。


 ならば男女の関係?恋人?それも違う。体の関係は一切なかったし、そういうのを求めたこともない。きっと俺達はそんな関係ではいられない。 

 楽しい時間を共に過ごせるだろうが、きっといつか歪が生まれ、そして壊れる。


 ならば俺と『ルナ』はどんな関係だったのか、それを示すのに十分な言葉を俺は一つしか知らない。


「違う。俺と君は”主従関係”にあったんだ」


「ほ、本当に!?」


 少し頬を赤く染め、彼女は驚いた。


「────じゃあ私は貴方みたいな人に仕えられていたんですか?」


 仕えていたのは彼女ではなく俺である。勘違いしているようだった。


 だがしかし、魔が差したというのだろうか。


 決して彼女を憎んでいない。だがしかし、無茶ばかりを繰り返す彼女に思うところはあった。


(今なら彼女を変えられるのではないか?何も覚えていないのなら、俺がどうしたって問題ないはずだ)


 だが、それは明確な裏切りだ。他ならぬ『ルナ』に逆らう反逆者に成り下がろうと考えているのだ。そしてそれは実行された。


「違……違わない。俺は君を従者として数年間雇っていたんだ」


「何で私は貴方に雇われたの?」


「詳しくは君から教えてもらってなくて分からないが、家出をしてお金がなかったのを雇ったことは覚えている」


「じ、じゃあ!私はあなたに体を……」


 顔を真っ赤に染め、慌てる彼女を俺はすぐになだめた。


「いや、断じてそういう関係ではなかった。だからそんな不安そうにしないでくれ。仕事の関係ではあったが、君にそんな表情をされると辛い」


「……わかり、ました。それは信じます」


「随分と飲み込むのが早いな」


「だって、悩んでたって何も変わらないから」


 記憶のない彼女にとって、疑わしくはあっても今頼れるのは俺だけだ。だから全てを受け入れるしかない。そんな彼女を、いったい俺はどうしたいんだろうか。


 俺たちの関係に嘘をついた。それどころか、彼女自身すら偽り、今こうして話している俺はどれだけ醜い心を持っているのだろうか。


 こんな自分が嫌になる。彼女のそばにいていい人間じゃないとひしひしと感じてしまう。


「あの、まずここはどこですなんですか?」


 不安そうな彼女の声にハッとした俺は、すぐに正気を取り戻した。


「ここはノクス帝国だ。別の国から住まいを移すことになってのだが、その道中に急に君が意識を失って、今この状況というわけなんだ」


「そうですか……あ、さっきから君って言ってますけど、ぎこちないですよ?元々なんて言ってたんです?」


「お前……もしくはルナだな」


「じゃあ今後もそれがいいです。貴方がよそよそしいとこっちも困ります!」


「善処する」


「善処じゃなくて、約束してください!」


 全て失われたはずだった。記憶がない、そのはずなのに、彼女の行動はどこか『ルナ』を感じさせる。そんなところに俺はどこか惹かれてしまう。


「分かった、やはりルナには勝てないな」


「……あの、アデルディアさん。ひとつお願いしてもいいですか?」


「あぁ、もちろんだ」


 何と言われても俺は断るつもりがなかった。


「私から離れないでほしいんです」


「……?」


 予想していなかった言葉が俺に向けて放たれた。


「私のなかだと、貴方は出会ってまだ一時間も経ってません。だから、私は貴方のことをよく知らない。でも、今頼れるのは貴方だけなんです。他の選択肢が、ありません」


 汚れていく、俺の心は更に暗く。


 このまま何もかもを忘れ、いたいけな少女のままでいてくれたら。どうしてもそう願ってしまう。 


「たとえ裏切られたとしても、そういうものだったとして割り切り……ます。だから、貴方のそばにいてもいいですか?」


 俺は決して善人ではない。人も平気で殺すような屑だ。でも、『ルナ』は”それ”を受け入れた。


 だが、彼女には”それ”を知られたくはない。


 願わくば、どうかそのままでいてくれ。


「何も分からずに不安ばかりだろうが、こんな状況で信じようとしてくれてありがとう。命に代えてもルナを守ると誓おう」


 この日、『ルナ・カルディア』は眠りについた。


 覚めることのない永遠の眠りに。


『作者コメント』

アデルがアデルディアを名乗ったのは、『ルナ・カルディア』を忘れないためです。いつまでも『ルナ』に仕えている身であることを自分自身に忘れさせないため、ある意味マーキング的な。


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