第二話 二筋の足跡
鉄舐め谷へ出た翌日、レノルは町の外へ行かなかった。
朝はまだ熱の残る肩と腿をほぐし、昼までに食べ物と布を買い足した。宿代を払い、残った硬貨を数えた。窓辺に吊るした葉は、縁こそ乾き始めていたが、太い葉脈にはまだ湿りがあった。裏返して重なりをほどき、もう一日、風へ任せた。
その次の朝には、身体から狩りの疲れは抜けていた。
長弓へ弦を掛け、十八本の矢が揃っていることだけを確かめる。前回持ち帰った矢も、ほかの狩猟矢と同じ手触りで袋口に並んだ。水と昼の食べ物を背負い具へ入れる。二日前と同じ道を選んでも、出ていく日の身体と空模様まで同じになるわけではない。
ラネダルの北東の門を出た時には、夜の青さが畑の窪みにだけ残っていた。空は高く、山地の上へ薄い雲が長くほどけている。川から上がる湿った風が、低地の草を町と反対の向きへ伏せていた。
朝待ち橋では、山側へ行く荷を二人がかりで背負い直していた。その脇では、空の籠を足もとへ置いた者が、紐の端を歯で引いている。レノルは橋の手前で歩みを緩め、荷が持ち上がるのを待った。それから空いた板の中央を渡った。
橋の向こうでは道がいくつにも分かれる。前に大盾の男が選んだ枝道にも、朝露を払った新しい跡があった。だが、同じ男のものかは分からない。獲物へ向かう足跡と違い、人の靴跡は道を共有する者が多すぎた。
レノルは鉄舐め谷へ続く登りを選んだ。
枝先の若葉はまだ薄く、朝日が透けると黄緑に光った。その下を歩く頬には、夜の冷たさが残っていた。
畑の外れでは、朝の仕事を始めた人々が水を分ける細い溝をさらっていた。土を上げる者の横を、籠を持った者が通る。道にこぼれた泥は端へ寄せられ、山へ向かう靴の幅が残されていた。レノルはその乾いた側を踏み、作業の邪魔にならないところで一度だけ後ろを振り返った。
門から出た人影は、それぞれ別の畑と道へ散っていた。町へ入る荷車は、遠くから見ればゆっくりしている。それでも目を離してから次に見た時には、城壁へいくらか近づいていた。自分の歩みも同じように、見慣れた町を背後へ小さくしていく。
日が昇るにつれ、背後の盆地が少しずつ広がった。初めは城壁の上だけだったラネダルが、畑を隔てた灰色の塊になり、その下では川が朝の光を細く返した。さらに登れば、町も川も薄い霞の中へ沈み、荷車の動きは道に落ちた小さな影にしか見えなくなる。
それでも、耳を澄ませば遠い車輪の軋みが風に混じった。前を向けば、山裾の岩が日の色を帯び、いくつもの谷筋がまだ冷たい影を抱えている。人の暮らす盆地と、その先へ重なる山地のどちらも、一度に視界へ収まった。
北東のさらに遠い崖には、石で支えられた水の道が、岩と空の境を細く渡っていた。朝の光を受ける部分だけが白く、雲の影が過ぎると崖の色へ紛れる。あの場所へ至る道をレノルは知らない。今日行く谷は、そのはるか手前に口を開けている。
道の土に石が増えたところで、レノルは弓袋を背負い具へ括った。長弓は手に持つ。風は谷から下りており、自分の匂いを先へ運ばない。昨夜から雨はない。乾いた足場を使える日は、涸れた流れ跡の上まで歩ける。
山側から差す光が道の右半分を越えた頃、鉄の匂いが風へ混じり始めた。ラネダルでは朝餉の火がとうに落ち、昼の支度にはまだ早い頃だった。
鉄舐め谷の入口では、赤茶けた水が白い石の間を細く走っていた。二日前より水量は少なく見える。斜めの日差しが濡れたところだけを明るく拾い、流れの端を石の色へ隠していた。
谷壁の上では風が低い草を波のように伏せていたが、底へ入ると音が遠のいた。代わりに、細い水が石の窪みから窪みへ落ちる音と、ときおり斜面を転がる砂の音が近くなる。外では一続きに見えた暗い谷筋も、中には日を受ける段と、岩壁に挟まれた枝道を幾つも持っていた。
レノルは水際へ下りず、泉上の乾いた段へ回った。
新しい蹄跡はすぐに見つかった。三頭以上が夜明け前に谷へ入り、鉱泉の周りを別々に歩いている。大きさの揃わない跡は、谷の奥へ向かっていた。レノルはそちらへ入らなかった。一昨日も仔を隠した雌の跡は追わなかったのだ。今日それを追わなければならないほど、獲物の跡が見つけられないわけではない。
若い雄の跡は二筋に分かれていた。一筋は水際から上の段へ折れ、低木の若芽を食んだ跡を残している。もう一筋は下流側の枝道を横切り、岩壁の陰へ続いていた。
レノルは上へ折れた一筋を選んだ。
蹄の前半だけが深い。首を下げ、斜面へ身体を預けてゆっくり歩いた重みだった。低木の先がまだ湿っている。葉を噛み切った縁も乾いていない。獣は遠くへ抜けず、段の上で食べ続けているらしい。
足跡の外には、夜のうちに落ちた細かな石が残っていた。蹄はそれを踏み分け、同じところを戻っていない。逃走の跡も、角を振って低木を折った跡もなかった。追う者に気づかず、食べられる場所を順に移っている。レノルは速度を上げず、その歩き方に合わせて間を詰めた。
腰を落として進むと、上流の石の間に背が見えた。
若い雄の岩剥ぎが一頭、前脚を高い石へ掛けていた。角の内側で薄い石肌をこすり、鼻先を白く現れた筋へ寄せる。肩から胸にかけての厚みは十分にある。近くに雌や仔の姿はなく、倒れた後に荷を下ろせる緩い斜面も背後に続いていた。
今日の一頭にできる。
レノルは獣とのあいだに低木を挟み、さらに上へ回った。長弓を立てても枝へ触れず、射ち損じたとしても一歩下がって岩陰へ退ける場所を探す。
下の枝道で、小石がひとつ転がった。
獣は顔を上げなかった。レノルだけが、音のした方へ視線を落とした。
幅のある大盾が、低い岩の間を動いていた。
朝待ち橋と前の狩りで見た男だった。今日は盾を背負わず、左腕へ通して斜面側へ向けている。右手の槍は穂先を前へ倒し、下流へ続く蹄跡を追っている。
男もこちらを見た。
開いた兜の縁から、濃い茶の短い髪が見えた。視線はレノルの顔に留まらず、立てた長弓へ移り、その先にいる岩剥ぎへ向かった。
男の追う跡は、レノルの獲物のものではなかった。下流側の枝道を通った別の若い雄が、岩壁の陰でまた新しい剥ぎ跡を作っている。低木に隠れて姿は見えないが、角が石をこする鈍い音がした。
二人の間には、谷を斜めに横切る細い踏み跡があった。
上から見ると、その踏み跡はレノルの右下をかすめてから、獣のいる段の裏へ消えていた。下の枝道を回れば、男は張り出した岩を二つ越えなければならない。細い踏み跡なら、ひと登りで同じ高さへ出られる。
ただし、上がってくる人間の頭と肩は、最初にレノルの矢の道へ現れる。獲物が驚いて上へ走れば、レノルが退く岩陰も、その人間の盾と身体で塞がる。踏み跡の土には新しい崩れがなく、いまなら男が登ること自体は難しくなさそうだった。
レノルは矢へ手を掛けずに待った。
男は細い踏み跡の入口まで来た。上段の獣を見る。レノルを見る。それから槍の石突を下の道へ置き直した。
上がってはこなかった。
男は盾を斜面へ向けたまま、低い枝道をさらに下った。岩壁が張り出す場所を回る分だけ、足取りは遠回りになる。やがて兜だけになり、それも低木の向こうへ消えた。
細い踏み跡には、誰の足も入らなかった。
レノルが一歩下がれば使える岩陰も、上段の一頭まで続く矢の道も、そのまま残った。
男は弓と獲物を見てから、下の道を選んだ。
岩剥ぎが角を石から外した。身体を横へ向け、前脚の後ろが見える。枝もほかの獣も重なっていない。
レノルは矢袋から狩猟矢を抜いた。
その時、下流の低木が大きく揺れた。
男の追っていた一頭が飛び出した。短い脚で石を蹴り、細い踏み跡を上へ駆ける。男が捨てた近道を、獣の方が選んでいた。
二頭が同じ斜面に入った。
レノルの獲物は上流にいる。飛び出した一頭はその手前を横切り、何にも遮られない横腹を見せた。距離も角度も、いま射つ方が容易だった。
つがえた矢を、レノルは弦へ押しつけたまま止めた。
下の岩壁から男が現れた。遠回りしたため、獣との間は開いている。それでも盾の向きも槍の穂先も、逃げた一頭から外れてはいなかった。
あれは男がここまで追ってきた獲物だ。
先に射れば、レノルの一頭として持ち帰ることはできる。谷に、どの獣を誰が追っていたかを記す札はない。男が遠回りを選んだ時間も、肉や皮の重さには残らない。
だが、男はレノルの矢の前へ入らなかった。
あの遠回りがなければ、男の盾はいまも上段のどこかにある。レノルは弓を上げられず、先に見つけた一頭まで走らせていたかもしれない。男が手放した時間のおかげで、レノルの射ち場は残っていた。
レノルは長弓を上げなかった。
飛び出した一頭が細い踏み跡を横切る。レノルの前を抜け、上段へ届く手前で風上へ顔を振った。追ってくる男の位置を探し、角を低くする。
男は斜面へ回り込む前に、土へ下げたレノルの鏃を一度見た。叫びもせず、獣を取り戻そうと駆け上がりもしない。下の道から斜めに進み、盾で獣の下り道だけを狭めた。
矢はつがえたまま、鏃だけを土へ向けた。レノルは獣が通り過ぎるのを待った。
獣は上段へ逃げず、盾のない側へ向きを変えた。低木に沿って下流へ走り、やがて張り出した岩の陰へ消えた。男はその後を追った。
今度は、男が一度だけレノルを見上げた。
言葉も合図もなかった。男は自分の足もとへ視線を戻し、槍を低くして岩陰へ入った。
上流にいたレノルの一頭も、もう同じ場所にはいなかった。二頭目が走った気配を受け、斜面を上がっている。レノルは元の射ち場を捨てた。矢を弦から外さず、低木を回って上へ進む。
蹄跡の間隔はまだ狭く、石の上に薄い粉を残していた。獣は何度か立ち止まり、下の音を確かめながら歩いている。
追えば、まだ射ることはできる。
斜面は上へ行くほど白い石を多く含んだ。鉱泉の湿りが届く場所では、表面だけが薄く起き、乾いた縁を作っている。古いものは人の掌ほどの欠片になって落ち、新しいものは岩へ貼りついたまま、朝の光を鈍く返していた。
岩壁そのものは動かなくても、剥がれた一片に足を乗せれば、靴と一緒に斜面を滑る。下にいる者には小石でも、上から勢いを得れば腕や膝を打つ。二日前に見た剥ぎ跡は獲物を探す印だった。いまは立てる場所と、石を落とさずに通れる場所を分ける印になっていた。
レノルは浮いた縁を踏まないよう、黒ずんだ固い石を選んだ。
上方で、別の角が見えた。
選んだ一頭より小さい若い雄が、岩壁へ首を押しつけている。角の平たい内側を、白い石肌の下へ差し入れていた。前脚が岩へ掛かるたび、薄い縁から粉がこぼれる。
レノルの獲物は、その下の低木に半身を隠していた。さらに下では、大盾の男が自分の一頭を追っている。三頭と二人は別々に動いていたが、斜面の石だけが上下をつないでいた。
レノルは幅のある石へ右足を置いた。
見た目には平らだった。体重を預けても、最初は動かなかった。
下の男が歩みを止め、レノルの足もとへ兜を向けた。石の下端から落ちた白い粉が、男の盾の前を細く流れた。
下から男の声が上がった。
「右足を引け。石の下が空いている」
レノルは問い返さなかった。
右足を引き、重みを左の固い岩へ戻す。身体を内側へ寄せた直後、踏んでいた石の縁が沈んだ。
乾いた音が一つ鳴った。
上で岩剥ぎが角を振る。浮かせていた石肌が長く裂け、レノルの足もとまでひと続きにずれた。平らに見えた石の下には隙間があり、薄い板のように岩へ重なっていた。
レノルが立っていた一片が傾き、斜面を滑り始めた。
斜面全体は動かなかった。それでも掌より大きな石片が三つ、細かな破片を連れて下へ走った。最初の一片は低木の根へ当たって止まり、二つ目は跳ねて向きを変えた。
三つ目が男のいる岩陰へ向かう。
下からは張り出した岩と大盾が邪魔になり、落ちてくる石の横向きの動きが見えない。男の盾は追っている獣へ正面を向け、右側が斜面へ開いていた。
「盾の右側へ落ちる。岩壁から離れろ」
レノルの声に、男はすぐ反応した。
槍を引き、右足を外へ送る。盾を身体へ寄せたまま岩壁から離れた。石片は男がいた場所を通り、岩壁へ角を打ちつけて砕けた。白い粉が盾の右縁と男の脚へ散った。
獣も音に驚いた。
男の追う一頭は下流へ跳ね、レノルの一頭は低木を飛び越えて上へ走った。石肌を剥がしていた一頭だけが、さらに高い岩へ逃げていく。角の先が一度見え、谷壁の向こうへ消えた。
石の動きは止まった。
遅れて落ちた粉が日の中を漂い、赤茶けた流れへ白い筋を作った。さっきまで別々に聞こえていた水音が、急に谷の奥までよく通った。レノルは新たな石音が混じらないことを、息を二つ数えるあいだ待った。
レノルは足もとを確かめた。踏める石は残っている。長弓にも矢にも傷はない。下では男が盾の縁についた粉を一度払った。脚を引きずらず、盾を持つ腕も下がっていない。
互いに何も言わなかった。
レノルは上へ逃げた自分の一頭を見た。男も、下流へ走った一頭へ槍を向け直している。
二つの狩りは、まだ終わっていなかった。
レノルの獲物は、斜面の上で逃げ道を探していた。左は切り立った岩、右は低木の切れ目、その先には緩い草地がある。レノルが真下から近づけば、獣は角を振って左へ寄り、岩際で行き止まる。追い詰めれば、人へ向かってくる。
レノルは上がらなかった。
斜面を横へ移り、右の低木と獣の間を空ける。逃げ道を一つ残したまま、そこへ身体が向くのを待った。先ほどの石音に紛れて近づけた分だけ、距離は十分に縮まっている。
獣が風上へ鼻を上げた。
下の道では、盾へ角が当たる重い音がした。
レノルはそちらを見なかった。いま見るべきものは目の前にいた。
岩剥ぎが右へ踏み出す。低木の切れ目へ身体を向けた。前脚の後ろが開く。
レノルは長弓を上げながら引いた。
足は固い石にある。枝はない。獣の先に人はいない。外しても、矢は草地へ入る。
弦を放した。
狩猟矢が前脚の後ろへ入り、獣は草地へ駆けた。最初の数歩は速かった。次の数歩で身体が低くなり、低木へ届く前に前脚が折れた。そのまま草の上へ横倒しになる。
レノルは二本目をつがえ、斜面を上がった。
角の届かない側から近づき、耳と腹を見る。足もとへ小石を転がしても反応はなかった。矢を下げ、呼吸を一度整える。
下の道から、短い蹄の音が続いた。
岩の切れ目を通して、大盾の男と獣が見えた。
獣は男の正面を抜けようとしていた。男は大盾を斜めに立て、角を真正面から止めず、盾の面を滑らせて獣の頭を谷側へ向ける。短い脚が白い石粉を蹴った。
男の槍が盾の右から出た。浅い鉤が前脚の上へ掛かり、踏み出す向きを一歩だけ外へずらす。獣の肩が岩へ寄った。男は槍を引き戻し、今度は主穂を前脚の後ろへ深く入れた。
獣が角を振る。盾が受け、男の足が半歩下がった。
それでも盾の向きは崩れなかった。獣はもう一度進もうとし、力が抜けたように前へ伏した。男はすぐには槍を抜かず、盾の内側から動きを見ていた。
レノルも自分の一頭へ視線を戻した。
二人の間には斜面と低木がある。声を掛ければ届くが、男の手もとへ下りる理由はなかった。下の一頭は盾と槍の前に伏し、レノルの足もとには自分の一頭がいる。斜面から続く新しい石音もなかった。
日差しは谷底の流れまで届いていた。朝に青白かった岩壁は、上から下まで乾いた明るさを帯びている。二人が谷へ入ってから、獲物を選び、互いの道を空け、位置を失い、追い直すまでに、昼を迎えていた。
レノルは背負い具の定位置から刃物を抜いた。手の長さより少し短い片刃で、黒い背の下、丸みを帯びた研ぎ面だけが明るかった。
血を抜き、腹を開き、熱を逃がす。今日は草のある緩い場所へ倒れている。肉を置く布へ石粉が入りにくく、丸めた皮も斜面を転がらない。
矢は傷の筋を確かめてから抜いた。箆に割れはなく、鏃も固い石へ触れていない。拭った後は別に包み、帰って洗うまではほかの矢へ戻さない。
胴を開いて熱を逃がしている間に、レノルは水を飲んだ。朝に包んだ固いパンを割り、燻した肉と交互に噛む。下で男が獣をさばく音も、しばらく止んだ。二人とも、自分の午後を歩ききるための休みを取っているらしかった。
空腹が薄れると、背と腿の疲れがはっきりした。朝から登り続けた腿と、石を避けて踏ん張った背が張っている。負傷はない。足首を回し、立ち上がった時に痛みが残らないことを確かめて、続きを始めた。
風下の離れた場所からも、刃が骨へ触れる音が時おり聞こえた。
下の道では、男が自分の場所で処理をしていた。姿はほとんど見えない。大盾の上端が低木から少し出ており、ときどき位置が変わる。
レノルは肉を左右へ分け、背負い具の腰に近いところへ重い包みを寄せた。皮は汚れた側を内へして巻き、角の先を布で包む。一度持ち上げて下ろし、左へ寄った重さを直した。
処理を終える頃には、谷口から入る風が涼しくなり始めていた。日はまだ高いが、上流の岩壁には細い影が戻っている。これから荷を背負って下れば、町の門が閉じる支度を始める前に着ける。
レノルは使った場所を見回した。残したものは水と獣道から離してある。血のついた石へ乾いた土を寄せ、布の端を洗い、刃を拭った。
荷を背負う。肉の重さが腰へ乗り、皮と角が背中の幅を変えた。肩紐の下へ指を入れ、呼吸をしても締まりすぎないことを確かめる。
谷を下る途中で、別の足跡が横から近づいた。
大盾の男が使った下の道だった。白い石粉の上に、深い靴跡と引きずらない槍の石突の跡が続いている。そこへ、レノルの短い歩幅の跡が別の角度から重なった。
男も一頭分の荷を背負って、低木の向こうから現れた。丸めた皮と肉の包みを盾より内側へ収め、角の先を外へ出していない。盾は左腕へ通さず背へ戻していた。
二人とも朝より歩幅が狭い。
谷口までの道は、二人分の荷が並ぶにはところどころ細かった。先を取るために足を速めることも、相手の後ろへついていくこともなかった。道が広がれば足跡が近づき、岩が張り出せば、先に通れる側がそのまま先へ出た。
レノルが前になった時、後ろの足音は一定の距離から近づかなかった。男が前になった時も、大盾が道を塞ぐことはなかった。
谷の外へ出ると、目の前が急に開けた。
山裾の草地が午後の光を受け、その先に盆地が薄く霞んでいる。ラネダルの城壁は朝より明るく、川面は傾き始めた日を長く引いていた。人の姿までは見えない距離でも、町へ向かう道には荷車の動きがあり、畑の間から細い煙がいくつも上がっていた。
朝には空の色へ浮いていた遠い山々も、いまは斜面の重なりを見せていた。近い尾根は草の緑を残し、その奥は青く、さらに先は雲の影とほとんど同じ色になる。どの谷にも水と獣道があり、その外にも、レノルの知らない歩き方で一日を終える者がいるのだろう。
二人が狩っていた谷は、振り返れば山肌の暗い割れ目の一つに戻っている。その上にはさらに高い尾根が重なり、白い雲の影がゆっくり渡っていた。
谷口から少し下ったところで、道が分かれた。
レノルが戻る道は盆地へ下り、朝待ち橋とラネダルへ続く。もう一方は山裾を回り、上流側へ延びている。
大盾の男は、そちらへ身体を向けた。
レノルは町へ下る道へ入った。声は掛けなかった。男も立ち止まらず、山裾の道へ進んだ。獲物はそれぞれの背にあり、今日の残りには、それを傷ませず運ぶ仕事がある。
分かれ道の白い土に、二つの重い足跡がしばらく並んだ。
やがて一つは盆地へ下り、もう一つは山裾へ曲がった。レノルの背で、自分の選んだ一頭が歩みごとに揺れる。別の道からも、同じように荷を負った足音が、遠ざかりながらしばらく聞こえていた。




