7.誰かが世界を腐らせている?
う〜、情報過多で処理が間に合わない。転生したんならもっとハイスペックな脳ミソの持ち主になれればよかったんだけど、その辺りは前世と変わらないみたい。
オーバーヒートした頭を冷やそうと学園内を歩いていたら訓練場に出ちゃった。
放課後の訓練場は、いつもより静まり返っていた。
陽光が斜めに差し込み、剣を振る影が長く地面に伸びている。ガルド様だ。
ガルド様は一人で素振りを繰り返していた。でもなんだか、いつもより雑というか、剣が暴れているような感じがした。ゲームの中で光っていた荒々しさとは違う、イライラしたような、そう、八つ当たりでもするような、そんな剣の振り方だった。
私は物置小屋の影に身を潜め、息を殺して見守っていた。
モブの特権だ。誰にも気づかれず、全部見られる。
……でも、今日は様子がおかしい。
素振りの手が、途中で止まった。
ガルド様は剣を下ろし、空を見上げる。吐息が、熱を帯びているように見えた。
「……やっぱり、気になる」
ぼそり、と呟く声が聞こえた。
その瞬間だった。
「ガルド」
低い、落ち着いた声。
うわっ、ちょっと、ちょっと待ってよ…
私は慌てた。だってそこには、
振り返ったガルド様の正面には、ユリウス・セラフィヌスが立っていたんだから。
眼鏡の奥の瞳が、まっすぐガルド様を捉えている。
本を抱えてもいなければ、魔導書の類も持っていない。ただ、ここに来るために来た、という佇まいだった。
「……お前、なんでこんなところに」
ガルド様の声が、わずかに上ずっている。
「様子を見に来た。最近、お前の剣が乱れている」
ユリウスは静かにそう言って、一歩近づく。
距離が、近い。
「俺のことはいい。放っておけ」
「放っておけないから、来た」
短いやりとり。
なのに、空気が変わっていくのが分かった。
色が……、
見てはいけない色が広がっていく……。
ボンッ!
思考回路がぶっ飛ぶ音がした。
ムリ、これ以上考えられない、頭がついていかない。
ツッコミも入れられず、状況を静観することしかできない…。
ユリウスが、ゆっくりと手を伸ばす。
ガルド様の手首を、指先で軽く触れた。
「力みすぎだ。肩が上がっている」
「……知るか」
「知らないで済ませるつもりか?」
ユリウスの声が、いつもより少し低い。
ガルド様は視線を逸らしそうになって、それでも逸らせない。
ガルド様は、手首に触れたユリウスの指先をそっと、大事そうに握って、
「ユリウス、お前がフロレンティアに優しくしているのを見た。」
ユリウスが、息を詰めた。
「……見てたのか」
「見てた。そして、腹が立った」
「イヤ、違う、優しくなどしていない。転びそうになった彼女を、私は…」
「あぁ、彼女だけに優しくしたんじゃない。誰にでも優しくできる、そういうヤツだよ、お前は……。でもそれが…、俺じゃない誰かに優しくするのが、気に食わねぇ!」
熱い告白だった。
それは、訓練場の空気を一変させるには充分すぎた。
ユリウスの喉が、小さく鳴った。
「……私もだ」
押し殺したような声。
「お前が、あの女に二人っきりで剣の指導をしているのを見ると、哀しいのか、苛立たしいのか、自分の思考が制御できず…こんなことは初めてだ。」
「ユリウス…、お前…」
「ガルド…、こんなのって……」
「うるせえ。俺だって分かってる。こんなの、おかしいって」
ガルド様は剣を地面に突き立て、ユリウスの襟元を掴んだ。
引き寄せる。距離が、ほとんどなくなる。
「なのに、止められねえ」
二人の顔が、近い。
吐息が交じる距離。
ユリウスは、抵抗しなかった。
むしろ、穏やかな目でガルド様を見つめ返している。
「……止めなくていい」
その言葉が、最後の一線を越えた。
ガルド様が、短く息を吐く。
そして、ユリウスの唇に、自分の唇を重ねた。
一瞬だけ。
触れるか触れないかの、浅いキス。
離れた後も、二人は動かなかった。
額を寄せ合い、互いの呼吸を確かめるようにしている。
「……馬鹿みてえだな、俺たち」
ガルド様が、掠れた声で呟く。
「馬鹿でも構わない。少なくとも、今は」
ユリウスが、初めて柔らかく笑った。
その笑顔を見たガルド様が、今度は自分からもう一度、深く唇を重ねる。
…
サイキドウチュウ…サイキ動中…再起動中…。
えぇぇぇぇぇぇ!えぇぇぇぇぇぇ!!えぇぇぇぇぇぇ!!!!!
私は、物置小屋の影で、ようやく思考回路が動き出した。
キ、キス?
今、キスした???
ガルド様と、ユリウスが???
脳内が真っ白になる。
耳鳴りがして、足元が少し揺れた。
原作に、そんなシーン、ない。
絶対にない。
ガルド様はヒロインを守る脳筋戦士で、ユリウスはクールな戦略家で、二人は戦友以上でも以下でもないはずだ。
なのに。
目の前で、二人がキスをしている。
しかも、両想いにしか見えない。
「公式が……」
私は心の奥で、力の限り絶叫した。
「公式が、勝手に二次創作始めてんじゃねえぇぇぇ!!」
ハァ、ハァ、ハァ……
胸の奥で、何かが崩れていく音がした。
推しカプがすり替わった、なんて生易しいものじゃない。
世界そのものが、勝手に二次創作を始めている?
そして、頭の奥で、またあの感触が蘇った。
ページをめくる音。
ペン先が紙を引っかく感触。
誰かが、こっそりと物語を書き換えていた、あの記憶。
……まさか。
私は、震える指で唇を押さえた。
これは、ただのイベント改変じゃない。
誰かが⋯誰かが、意図的に、この世界を腐らせている⋯。




