21.私が⋯やりました
戦いが終わった数日後、学園の中庭のガゼボには、殿下からの呼びかけで、主要メンバーが集まっていた。
レオニダス・アルヴェントゥス殿下。
フロレンティア・ミラビリス。
ガルド・グラディウス。
ユリウス・セラフィヌス。
そして、私と、ヒメラ。
ヒメラは、私の少し後ろに立っている。ノートを胸に抱えたまま、視線を下げていた。逃げ出す気配はない。ただ、全身で「できればここにいたくない」と表している。
「みんな、よく集まってくれた。」
殿下が、静かに切り出した。声にノイズはない。クリアで、落ち着いている。
「先の戦い…戦いそのものは、うまくいった。森も、回復の兆しを見せている。だが……」
彼は、そこで一拍置いた。
「ここ数週間、自分の中に、奇妙な感覚があった。言葉にしようとした瞬間、何かが邪魔をするような。思考が、途中で霧に溶けるような」
フロレンティアが、小さく頷く。
「私も、です。皆様との距離が、急に開いてしまったような……誰かが、私を遠ざけるように、導いているような、そんな感覚がありました」
ガルドが、腕を組んで舌打ちする。
「俺は、もっと分かりやすい。いつの間にか、ユリウスのことが気になり始めてた。元々それ程仲が良かったわけでもねえのに、気づいたら目で追うようになってて……」
「私も、同様です」
ユリウスが、眼鏡の位置を直しながら続けた。
「ガルドのことが、戦友以上に気になり始めていた。理由が、自分でも説明できなかった。まるで、誰かに『そう思え』と操られたような……」
「そこでここ数日、手のものを使って調べさせた。」
殿下が続ける。感情を抑えた視線でヒメラと私をとらえたまま。
「そして判明した。宮廷魔道士が勘違いかと訝しむほど極微量の魔導の残滓が私に残っていることが。」
「更に、その魔導の質が特殊であり、それが…ヒメラ、キミのものであることが…」
四人の視線が、一斉に、私とヒメラに向く。
「お前たち二人は、何か知っているんじゃないか」
殿下の声は、責めているわけではなかった。ただ、真実を求めている。
私は、一呼吸置いてから、一歩前に出た。
「……知っています」
ヒメラの肩が、びくりと動いた。
「全部、話します。ただし——彼女の言葉で、聞いてほしい」
私は、後ろを振り返った。
ヒメラは、しばらくうつむいたまま動かなかった。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。目が、赤い。
「……私が、やりました」
小さな声。でも、はっきりと聞こえた。
「この世界の、物語を、少しだけ、書き換えました」
四人が、息を詰める。
ヒメラは、ノートを強く抱きしめたまま、言葉を続ける。
「私は、昔から誰にも見せない二次創作を書いていました。誰かが書いたカンペキな物語を自分の妄想で書き換えるんです。完璧な主人公やヒロインではなく、名前もない脇役同士が、静かに想い合う話が好きで。でも、誰にも言えなかった。笑われるのが、怖かったから」
風が、中庭の木々を揺らす。
「そしてある時、気づいたんです。この世界が織りなす物語をちょっとだけ、ワンシーンにつき数文字だけ書き換える力があるって。」
「ユニーク魔導……」
ユリウスの眉が、わずかに寄り、そんな単語が漏れる。
「それで、私は、書きました。ガルドさんとユリウスさんの間に、ほんの少しだけ、きっかけを。殿下の完璧さを、少しだけ、削るような言葉を。フロレンティア様が、一人で頑張らざるを得ないような、小さな邪魔を」
「……なぜ」
フロレンティアの声が、震えていた。
「居場所が、欲しかったんです。完璧な人たちばかりの物語の中に、私みたいな影の人間が、いてもいいんだって、証明したかった。誰も見ていない場所で、ちゃんと咲いている花が、あるんだって」
ヒメラの目から、涙がこぼれ落ちる。
「でも、止められなくなりました。書いたものが、本当に現実になっていくのが、嬉しくて。怖くて。やめられなくて。その結果——森がおかしくなって、皆様を、傷つけてしまいました」
沈黙が、落ちる。
ガルドが、最初に口を開いた。
「……で、俺とユリウスの、あの感覚は」
「きっかけは、私が作りました。でも、その先で二人がどれだけ本気になったかは、私には分かりません。巻物から、最初の改変は消しました。残っているものは——お二人自身が、育んだものだと思います」
ユリウスが、静かに息を吐く。
ガルドは、何も言わずに、空を見上げた。
殿下は、しばらく考えてから、ゆっくりと頷いた。
「……分かった」
「え?」
ヒメラが、顔を上げる。
殿下は、しばらく黙って彼女を見つめていた。長い沈黙だった。
「本来なら、これは重罪だ。王族への不正な魔導行使など、家ごと裁かれてもおかしくない」
フロレンティアが、小さく息を呑むのが分かった。ガルドの眉間に、深い皺が寄る。
ヒメラの体が、目に見えて強張った。
「……はい」
「だが」
殿下は、そこで一度言葉を切った。何かを選ぶように、視線を一瞬、地面に落とす。
「宮廷魔道士に調べさせた。お前の魔導そのものに、人の意思を完全に支配するほどの強制力はなかったそうだ。私に対しては――ただ、憧憬に似た感情を、微かに送っていた程度だという」
「……」
「正直、拍子抜けした」
殿下は、自嘲するように、小さく笑った。
「もっと大それた呪詛でもかけられたのかと思っていたんだ。だが、実際は――ほんの小さな『きっかけ』を、いくつか差し込まれていただけだった」
彼は、自分の手のひらを見つめた。
「この数週間、色々なものが見えた。私が言葉に詰まるたびに、見くびる者もいた。利用しようとする者もいた。……そして、心底案じてくれる者もいた」
その視線が、フロレンティアの方へ、ほんの一瞬だけ流れる。
フロレンティアは、何も言わず、ただ小さく頷いた。
「皮肉なものだな。お前の『きっかけ』が、私にとっては、これまでの自分を見直す『きっかけ』にもなった」
殿下は、もう一度、ヒメラをまっすぐに見た。
「先の戦いで、世界は持ち直した。お前が、自らの手で改変を消したことも、分かっている」
一拍、置く。
ヒメラの膝が小刻みに震えている。
「お咎めなしとはいかない。その力を使わせぬよう魔導封じのリングをつけてもらう。よいな。」
震えが止まった。
「……はい」
「それだけだ」
フロレンティアが、小さく息を吐いた。
「……私は、まだ、整理しきれていません。でも、少なくとも、あなたが悪意だけでやったわけではないことは、分かりました」
ガルドは、肩をすくめた。
「俺は、よく分かんねえ。ただ——」
彼は、一瞬だけユリウスの方を見た。
「残ったものは、残ったままでいい。俺がどうするかは、俺が決める」
ユリウスは、眼鏡を軽く押し上げた。
「同意見です。きっかけが何であれ、今の自分がどう在るかは、自分の責任ですから」
ヒメラは、その場に立ち尽くしたまま、何度も、小さく頷いていた。
涙が、まだ止まっていない。
私は、彼女の隣に立った。
「これで、全部だ」
殿下は、最後に私を見た。
「お前は、最初から気づいていたのか」
「途中から、です。モブなので、詳しくは——」
「モブ?…まあ、いい。お前にも、礼を言う。世界を、戻してくれたのだろう」
短く、そう言って、殿下は踵を返した。
フロレンティアが続き、ガルドとユリウスも、それぞれのペースでその場を離れていく。
最後に残されたのは、私とヒメラだけだった。
ヒメラは、ノートを抱えたまま、力なく笑った。
「……怒られるかと、思ってました」
「怒られはしたでしょ」
「でも、排除は、されなかった」
「されなくていいんだよ。貴女が、自分で戻したから」
私は、空を見上げた。
「これからどうするかは、これから決めればいい。少なくとも、ヒメラは『何もない人間』なんかじゃない」
ヒメラは、しばらく私の横顔を見ていた。
それから、小さく、本当に小さく、笑った。
「……ありがとうございます」
風が、中庭を優しく吹き抜けていった。
遠くの森は、昨夜より少しだけ、明るい光を湛えていた。




