17. 話をつけに来ました
夕暮れの中庭。ヒメラは、いつものベンチに座っていた。
私は、真っ直ぐに彼女の前まで歩いて、立ち止まった。
「ヒメラ」
顔を上げた彼女の目に、私の様子から何かを察したような色が浮かぶ。
「森で、魔獣に襲われた。フロレンティア様も、限界近い。聖魔法すら、効かなくなってきてる」
ヒメラの表情が、強張った。
「……知って、ます」
「知ってるなら、なんで」
「なんで、まだ、続けてるのか、ってことですか」
ヒメラは、ノートを抱きしめる手に、力を込めた。
「……怖いんです。今更、全部を元に戻すのが」
「怖い?」
「私が、ガルドさんとユリウスさんの想いを、勝手に始めさせた。もし、今、私が全部を止めたら――あの二人の気持ちは、どうなるんですか。最初から、なかったことに、するんですか」
その声には、初めて、明確な反発の色があった。
「私が悪いのは分かってます。でも、あの二人が今、本気で想い合っているのも、本当のことなんです。私は、きっかけしか作れない。その先で、あの二人がどれだけ本気になったかは、私にはどうにもできない」
「だから、それを言い訳に、放っておくつもり?」
「言い訳じゃない!」
ヒメラが、初めて声を荒げた。
「じゃあ、聞きますけど。エリスさんは、私の理想の世界の、何が悪いって言うんですか」
「……何が、って」
「誰も傷つけないように、書いたつもりでした。ただ、日陰にいる人にも、想われる資格があるって、そう証明したかっただけなんです。主役じゃなくても、攻略対象じゃなくても、ちゃんと、幸せになれるんだって」
彼女の目に、涙が滲んでいた。
「それの、何がいけないんですか。テンプレ通りの、決まりきった話より、よっぽど……」
「森が、死にかけてる」
私は、静かに、でもはっきりと、言葉を挟んだ。
ヒメラが、口をつぐむ。
「フロレンティア様は、今日、死にかけた。討伐隊にも、怪我人が出てる。貴女の"理想"の代償を、払ってるのは、貴女じゃない」
「……」
「殿下は、自分の力を発揮する機会そのものを奪われてる。ガルドとユリウスの想いが本物だとしても、その代わりに、二人が本来持っていたはずの力――剣も、魔導も、全部、置き去りにされてる」
ヒメラの肩が、震え始めた。
「貴女の理想の世界に、悪いところなんてない。誰かを想う気持ちに、優劣なんてない。それは、私も、そう思う」
私は、一歩、近づいた。
「でも、貴女がそれを"証明"するために選んだ場所は、貴女一人の創作ノートじゃない。誰かが実際に生きて、傷つく、この世界そのものだった」
「……」
「貴女の物語は、貴女のノートの中でなら、いくらでも自由でいい。誰にも文句を言わせない。でも、ここでは、貴女の"理想"のせいで、本当に人が死にかけてる」
ヒメラの目から、涙がこぼれ落ちた。
「……分かって、ます。分かってる、んです。ただ……」
声が、震える。
「怖いんです。全部、元に戻したら。また、私は、誰にも見えない、何もない人間に、戻ってしまう気がして」
その言葉に、私は、一瞬、言葉を失った。
……これは、断罪だけでは、終わらない。
ヒメラの孤独は、まだ、何一つ、解決していない。
私は、震える彼女の肩に、そっと視線を落としながら、静かに、口を開いた。
「戻っても」
一拍、置く。
「貴女が、何もない人間になるわけじゃない」
ヒメラが、顔を上げた。
「それを、これから、証明する」




