13.モブ×モブ
放課後、私はヒメラを探して、渡り廊下を歩いていた。
もう、確信は固まっている。あとは、本人に問いただすだけだ。
……そう思って、角を曲がった時だった。
庭の方から、話し声が聞こえてきた。
「レイスさん、……この花、名前は何ていうんですか」
ヒメラの声だ。いつもより、少しだけ、柔らかい響きがある。
「これですか? 特に名前はないですよ。名もない野花です」
答えたのは、庭師見習いの制服を着た青年だった。土のついた手で、丁寧に花壇を整えている。彼の顔には、確か見覚えがある。名前は、たしか……レイス。
名簿か何かで見たような、まぁなんでもいいや。二人の観察を続けよう。
「名前がない花なんて、寂しいですね」
「そうですかね。俺は、名前がなくても、ちゃんと咲いてるならそれでいいと思いますけど」
ヒメラが、小さく笑った。
見たことのない、柔らかい表情だった。
私は、その光景を、物陰からじっと見つめていた。
……モブ、だ。
彼は、ゲームの中では、名前すら与えられなかった背景の一部。庭の手入れをしているだけの、通行人以下の存在。
そして、そのモブに向かって、ヒメラは、あんな顔で笑っている。
頭の奥で、何かが弾けた。
……モブ×モブ。
そうだ。思い出した。
前世で、あの子は、いつも言っていた。「攻略対象同士より、名前もないような脇役同士が、静かに想い合う話が好き」だと。誰も見ていない場所で、誰にも気づかれずに育つ想いが、一番尊いのだと。
ヒメラ・ヴェラータ。
ヴェラータ――ヴェールに隠された。
ヒメラ――ひめか。
「……ひめか」
声に出した瞬間、全部が繋がった。輪の外側にいた、あの大人しい子。ノートに何かを書き続けていた、あの子。誰にも見せない物語を、そっと胸に抱えていた、あの子。
自分の名前にすら、その願いを忍ばせていたなんて。
……そこまでして、隠したかったんだ。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる感覚があった。怒りとも、驚きとも違う、もっと複雑な何か。
私は、物陰から、そっと視線を戻す。
ヒメラとレイスは、まだ庭で、他愛のない会話を続けていた。
「あの、レイスさんは、いつからここで働いて……」
「ん、もう三年くらいですかね。地味な仕事ですけど、性に合ってて」
「地味、なんかじゃ、ないと思います」
ヒメラの声が、少し震えていた。
「誰も見てないところで、ちゃんと綺麗な庭を作ってる。それは、地味なんかじゃ、ないです」
レイスが、驚いたように顔を上げた。
「……変わったこと言いますね、あなた」
「よく、言われます」
また、笑う。
その笑顔を見ながら、私は、拳をきつく握りしめていた。
――名前は、思い出した。
これで、もう、逃げ場はない。
「ひめか」
もう一度、今度ははっきりと、口の中で、その名前を転がした。
次に会った時は、絶対に。
私は、静かに、その場を後にした。




