12.静かなる観察
次の日から、私はヒメラを観察し始めた。
といっても、露骨に尾行するわけではない。モブの真骨頂は「そこにいるのに、いない」ことだ。授業中は同じ教室にいるわけでもないので、休み時間と放課後だけを狙う。距離を保ち、視線を直接合わせず、あくまで「たまたま同じ場所にいる」ように振る舞う。
最初の発見は、すぐに訪れた。
ヒメラは、ほとんど人と話さない。
クラスメートと最低限の挨拶はする。必要な質問には答える。でも、自分から話題を振ることはないし、誰かの輪に加わることもない。昼休みは、だいたい一人で中庭の端か、図書室の奥の席にいる。ノートを開いていることが多い。 ペンを走らせている姿を、私は何度か見た。
……書いてる。
やっぱり、書いてる。
心臓が小さく跳ねるのを、意識して抑え込む。まだ証拠にはならない。日記かもしれないし、授業の復習かもしれない。でも、あの抱き方。胸にノートを抱えるとき、まるで宝物を守るみたいに腕に力が入っている。
二日目。
放課後、ヒメラはいつものように図書室へ向かった。私は少し遅れて後を追う。直接隣に座るのは危険だ。数席離れた場所に陣取り、再び魔導辞典を開く。
ヒメラは奥の席に座り、ノートを広げた。
ペンを持つ手が、止まっている。
時々、窓の外を見る。表情は変わらない。ただ、目だけが、少し遠くを見ている気がした。
……何を書いているんだろう。
三日目。
思い切って、距離を詰めてみた。
昼休み、ヒメラが中庭のベンチに座っているのを見つけて、私はわざとらしく近くを通りかかった。手には、わざと「解釈違い」と大きく書いたメモを持っている。落として、彼女の足元に転がす。
「あ、すみません」
拾いながら、さりげなく顔を上げる。ヒメラはメモを一瞥した。
一瞬だけ、視線が止まった。
「……どうぞ」
静かにメモを差し出してくる。声は小さく、感情が乗っていない。でも、指先が、またわずかに強張っていた。
「ありがとうございます。これ、本に挟まってたみたいで……『解釈違い』って、変な言葉ですよね」
私は、わざとらしく笑ってみせた。
ヒメラは、少しだけ目を細めた。
「……そう、ですね」
それだけ言って、彼女はベンチから立ち上がった。逃げるように、ではない。ただ、静かに、その場を離れる。背中が、いつもより少しだけ速い気がした。
……反応した。
また、反応した。
四日目。
決定的なものを、探しに行った。
ヒメラが授業中の間に、彼女の荷物を直接漁るのは流石にやりすぎだ。モブとして生きる私のポリシーにも反する。だから、間接的に行く。
彼女がよく座る図書室の席の周辺を、徹底的に調べた。引き出しの奥、棚の隙間、椅子の下。何もない。当然だ。彼女は慎重だ。
でも、一つだけ、引っかかった。
窓際の棚の、一番下の段。誰も手に取らなそうな、古びた歴史書の後ろに、小さく折りたたまれた紙片が挟まっていた。
広げてみる。
そこには、走り書きがあった。
『ガルドがユリウスの腕を掴む。距離が近い。吐息が——』
続きは、擦れて読めない。
でも、充分。
私は、紙片を慎重に元の位置に戻した。指が、少し震えていた。
……これだ。
これは、ただの感想文じゃない。
シーンの、草稿だ。
誰かが、物語を「書いている」。
しかも、ガルドとユリウスの、あの関係を。
机の下で、拳を握りしめる。
ヒメラ。
いや——
名前が、また喉の奥まで出かかった。
それでも、まだ届かない。
いい。
今は、名前なんてどうでもいい。
私は、ゆっくりと息を吐いた。
次は、直接、聞く番だ。




