【幕間】妖精人ジグル3
意識が薄闇から浮上してきたとき、まず感じたのは驚くほどの軽やかさだった。つい先ほどまで全身を蝕んでいた毒の重苦しい痺れは跡形もなく消え去り、皮膚を裂いていた無数の切り傷も、まるで最初から存在しなかったかのように滑らかに治癒している。指先を軽く動かしてみると、血管を流れる生命力が健やかに脈打っているのを感じた。
そして視界に飛び込んできたのは、天を仰ぐほど巨大な純白のゴーレムだった。磨き抜かれた大理石のような表面が、どこからともなく漏れる神々しい光を反射し、まるで生きた彫像のように荘厳な存在感を放っている。その威容は神殿の石柱をも矮小に見せ、空気そのものが畏怖の念で震えているようだった。
鑑定の力を使うと、このゴーレムがほぼ神器で構成されており、神に匹敵する力を秘めていることが判明する。そのゴーレムが、感情の欠片もない機械的な声でこう告げた。
「お前を助けた者たちにお礼を言え」
冷たい金属の響きを持つその声に促され、ゴーレムが指し示した方向へ視線を向ける。そこに立っていたのは、それはこともあろうに人族だった。鑑定の結果に愕然とする。最低限の魔力すら持たない、文字通りのゴミのような存在。連れている魔物を調べても、こちらも大した力を持っていない。
その瞬間、胸の奥底から這い上がってきたのは、言いようのない屈辱感だった。高貴な妖精人族である自分が、魔力すら持たぬ下等な人族に命を救われたという現実が、誇り高き血筋への冒涜のように感じられる。まるで泥にまみれた靴で踏みにじられたかのように、プライドの根幹が音を立てて砕けていく。この屈辱を晴らさねば、自分という存在そのものが穢れてしまうような錯覚に陥った。
「貴様ら下等な人族風情が、この我を助けただと?笑わせるな!」
激情に任せて吐き捨てた罵倒の言葉は、石造りの空間に不快な反響を残した。
しかし、人族の男はただ薄い笑みを浮かべるばかりだった。その表情には明らかな侮蔑の色が浮かんでいる。まるで駄々をこねる子供を見るような、哀れみすら含んだ視線で我を見下している。そして何も言わず、音もなく闇に溶け込むように去っていった。
迷宮に配置されたゴーレムは、淡々と治療を継続した。世界樹の魔力による回復力も相まって、深夜には完全に動けるようになる。辺りを見渡すと、職人の手による完璧な手入れが施された神庭が広がり、その奥に息を呑むほど壮麗な神殿がそびえ立っていた。
神殿は濃密な魔力で満たされており、空気そのものが淡く輝いているように見える。微粒子のような光が舞い踊り、呼吸するたびに神聖な力が肺腑に染み渡ってくる。おそらく、この神殿こそがこの迷宮の神が封印されている聖域なのだろう。
神殿を見つめていると、重厚な扉が、まるで意思を持つかのようにゆっくりと開いた。暖かな光が差し込み、まるで我を招き入れるかのように。足音が石床に響く中、見えざる力に導かれるように神殿の内部へと歩を進める。神殿の空気は濃い白金色の魔力で満たされ、まるで液体の中を歩いているような濃密さだった。
愛の神からもらった力で確認すると、この迷宮には「転環の神ミルエル」が封印されているようだ。輪廻転生、文明の栄枯盛衰、四季の移ろい、栄光と失墜、全ての循環を司る古き神。そのランクは88位。世界樹ノクトグランよりも上位に位置する強大な存在だった。
神殿の最奥部に足を踏み入れると、台座の上に球形の美しい神器が鎮座していた。虹色のオーロラを放つその神器に触れた瞬間、電撃のような感覚が脳髄を貫く。瞬時に理解した。これはゴーレムの操作装置なのだと。これさえあれば、神クラスの力を持つゴーレムを思いのままに操ることができる。
歓喜の震えが全身を駆け抜けた。ついに、ついに真の力を手に入れたのだ。
外に出ると、すぐに操作装置である神器を使ってゴーレムを呼び寄せる。通常時でも10メートル近い大きさを誇るが、これは力を抑制している状態らしい。戦闘モードに切り替えると、その巨体は18メートルほどまで拡張された。胸部のコクピットのような空間に乗り込むと、まるで少年時代に憧れたアニメの搭乗型ロボットのような感覚に胸が躍る。
操縦桿に手をかけた瞬間、このゴーレムの真の力が流れ込んできた。ランク72位‥‥‥迷宮の神を上回る圧倒的な存在。なぜ迷宮の神より上位のゴーレムがこの迷宮を守護しているのか。疑問は残るが、今はそんなことはどうでもよかった。
テンションが振り切れた我は、操縦に慣れるため神殿の破壊を開始する。
「これが神の力だ!これこそが我が真の力だ!」
狂気じみた高笑いと共に振り下ろされた巨大な拳が、千年の歴史を刻んだ石柱を紙細工のように粉砕した。砕け散った石材が雹のように降り注ぐ中、胸部から放たれた灼熱のレーザー光線が神殿の壁を赤熱させ、溶鉄のように流れ落とす。破壊の轟音が迷宮全体を震わせ、古の静寂を打ち砕いていく。
この迷宮に棲む上位魔獣たちが襲いかかってくるが、まったく相手にならない。普段の我では手も足も出ないような強大な魔獣が、ゴーレムの前では虫けらのように蹂躙される。一撃で粉砕される魔獣の断末魔が、勝利の讃美歌のように響く。
これならば帝国はおろか、あの不可侵である自由都市でさえ手中に収めることができるだろう。確信に満ちた笑みが口元に浮かんだ。
すぐさま迷宮から脱出し、我が祖国コガン妖精人王国へと向かう。世界樹ノクトグランの迷宮の封印を解くためだ。徒歩で2ヶ月を要した道のりが、このゴーレムならばわずか数時間で到着できる。
蒼穹を切り裂きながら飛翔する中、心の中で雄叫びを上げた。ついに、ついに真の力を手に入れたのだ。
薄暗い迷宮の奥で、古代の石造りの壁が微かに光る苔に照らされ、幻想的な緑の光を放っている。湿った石の匂いと、どこか甘い花の香りが混じり合う空気の中、世界樹ノクトグランの迷宮は階層ごとに景観が変わる特殊な構造を持つ階層変異型迷宮だった。現在は8層まで攻略されているが、実際の総層数は謎に包まれている。
「しかし、このゴーレムさえあれば問題なく攻略できるだろう」
神器で構成された巨体が、迷宮の狭い通路を軋ませながら進んでいく。金属と石がこすれ合う音が不穏な反響を生み出していた。
世界樹ノクトグランの迷宮は全10層で構成されていた。最深層である10層に足を踏み入れると、迷宮と同じ名を持つ巨大な世界樹がそびえ立っていた。その幹は天井を突き抜けて見えないほどの高さを誇り、青白い光を放つ葉が風もないのに神秘的にざわめいている。根幹部は地面から突き出し、まるで生きているかのように緩やかに蠢いていた。
「世界樹の中に世界樹がある‥‥‥」
亜空間であることは知識として知っていたが、目の前の光景は理解を超越していた。
世界樹ノクトグランは防御に特化した神で、翠の障壁が何重にも展開され、ゴーレムの力を持ってしても時間を要した。神器の拳と緑の盾がぶつかり合う轟音が迷宮全体に響き渡る。金属と魔力のせめぎ合いが火花を散らし、空気を震わせた。
「薙ぎ払え!」
最終的に必殺技が炸裂し、眩い光の奔流が世界樹を包み込んだ。光の洪水が障壁を砕き、世界樹の幹を貫通する。世界樹ノクトグランの封印は解除された。封印を解いた結果、世界樹ノクトグランは独立した神として存在するようになったが、解放者である我が神への支配権を有するようだった。
迷宮の外に出ると、墨を流したような濃紺の空の下に、常識を逸脱した巨大なカバが鎮座していた。
「これは‥‥‥カバオ君10万人分と言われても納得してしまうほどの大きさだ‥‥‥」
その巨体は小さな丘ほどもあり、黒い小さな目がこちらを見据えている。明らかにこのゴーレムを追跡してきたのだろう。地面に残された巨大な足跡が、その推測を裏付けていた。
「世界樹ノクトグランよ、あの巨大なカバを攻撃せよ」
命令を受けた世界樹が真紅に染まり、その枝から数えきれないほどの火炎弾が放たれた。しかし、それらの弾道は明らかに町の方向へ向かっている。
「なぜ町を攻撃するのだ‥‥‥この、バカちんが!」
世界樹を睨みつけるが、世界樹はその視線に全く気づくことなく、必死に赤く染まって攻撃を続けている。妖精人王国の美しい白い城壁と花々に彩られた街並みが、劫火に包まれようとしていた。
「王国を中心に世界征服をする計画が‥‥‥」
絶望が胸を締め付けた時、火炎弾が町に落ちようとするその瞬間、天から黄金の光が走った。その光は暖かく、神々しく、ほぼ全ての火炎弾を包み込んで消し去った。まるで太陽の化身のような圧倒的な魔力だった。
「こんなバカげたことができるのは何者だ?」
急いで光の発生源へと飛ぶ。そこにいたのは、気味の悪い大剣を片手に構えた、神庭の迷宮で会った人族の男だった。
「だれかと思ったら下等生物ではないか」
冷静に語りかけるつもりだったが、声が僅かに震えているのを自覚した。
「強い言葉を使うなよ。弱く見えるぞ」
その一言が、まるで氷の矢のように胸を貫いた。血の気が一瞬で引いていき、手の平に冷たい汗が滲む。なぜこの男が、自分がいつか格好良く決めてやろうと密かに温めていた台詞を知っているのか。心臓が不規則に跳ね上がり、喉の奥が乾ききってしまう。
そうか、こいつは転生者なのだ。しかし、人族でしかも魔力なし‥‥‥哀れな境遇だ。だが、チートスキルを持っている可能性が高い。
「お主は異世界人だな。それも日本人。お前も我が世界征服をする仲間に入れてやろう。どうせお前も何かしらチートを持っているのであろう。それを我のために使え」
こいつを仲間に引き入れて利用してやろう。このゴーレムの前では全てが無力、世界征服の野望を語れば否応なしに従うだろう。それにこの魔力を浴びれば、力の差が歴然と理解できるはずだ。
「それ何が楽しいの?」
あっけらかんとした返答に、思わず言葉を失った。まるで子供の遊びを見るような、退屈そうな表情を浮かべている。
「こ、こいつ断りやがった……」
その後、ガキだの中坊だの甘ちゃんだの、容赦ない罵詈雑言を浴びせられる。高貴な血筋を持つ妖精人族という優れた種族である我を前にして、である。屈辱で顔が赤く染まり、拳が震えた。
「まぁいいや、じゃあ死ね」
その瞬間、男の姿が闇に溶け込むように消失した。次の瞬間、気づいたら目の前に奴の姿があり、黄金の魔力を纏った漆黒の大剣で、神器の装甲ごと胸を貫かれていた。
痛みよりも先に、圧倒的な絶望感が意識を覆い尽くした。
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