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【幕間】妖精人ジグル2

10歳になると、王位を継承するための勉強も本格化した。執務室で父王と向き合うたび、その重厚な責任の重さが幼い肩にのしかかった。一人称を「僕」ではなく「我」に変えた。初めてその言葉を口にした時、舌の上で転がる音の硬さに戸惑いながらも、王族としての威厳を身につけるための必要な変化だと我は理解していた。



そして10歳の誕生日、ついに迷宮への初めての礼拝が執り行われることとなった。石造りの祭壇の前で、神官長の厳かな詠唱が響く中、我は緊張で心臓が早鐘を打つのを感じていた。迷宮の名は「世界樹ノクトグラン」。入らなければ神の真名を知ることはできないことを知った。ランク100位、迷宮数は全部で1,000以上あるということなので、それは相当な格を持つ迷宮であり、我が初めて足を踏み入れる聖域としては申し分ない威厳を備えていた。



礼拝の瞬間、世界樹ノクトグランから使徒としての魔力が降り注いだ。緑色の光が我の全身を優しく包み込み、まるで大地の生命力そのものが血管を駆け巡るような、言葉では表現しきれない至福感に満たされた。光に包まれながら、我は自分が特別な存在になったのだという確信を抱いた。それは傲慢とも呼べる感情だったかもしれないが、10歳の少年には純粋な喜びでしかなかった。



この妖精王国で使徒が誕生するのは実に500年ぶりの出来事だった。城下町には色とりどりの絹の旗が風にはためき、石畳の通りには花びらが撒き散らされた。民衆の歓声が石造りの建物に反響し、まるで祭りのような熱狂に包まれる。周りの大人たちは競うように我を褒め称え、その視線の中に畏敬と期待が混じり合っているのを我は敏感に感じ取った。承認欲求が満たされるたび、胸の奥で小さな優越感が芽生えていく。藤原道長が「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んだ時の心境とは、きっとこのようなものだったのだろう。



11歳からはこの国唯一の学校に通い始めた。しかし、羊皮紙に記された教科書を手に取った瞬間、我の心は複雑な思いに包まれた。前世で中学3年程度だった我の知識でさえ、ここでは圧倒的な秀才として扱われる。それは喜ばしいことである反面、この世界の教育水準の低さを痛感させるものでもあった。魔法、学力、世界樹の使徒という三つの称号を得た我は、同世代の誰よりも高い評価を受けていたが、その孤高さがかえって心の奥に小さな寂しさを残していた。



15歳でハンターとしての活動を開始してからは、我の世界は一気に広がった。最初は世界樹ノクトグランの迷宮で経験を積み、7級から徐々にランクを上げていく。外の迷宮へ向かう時は、妖精人王国でもトップクラスの3級ハンターを2名護衛として連れて行った。彼らの経験豊富な眼差しには、若い王太子への心配と、同時に我の実力への静かな敬意が宿っていた。



迷宮の中は、まさに幻想と恐怖が織りなす異世界だった。青白く光る苔が石の壁面を絨毯のように覆い、地下深くにいることを忘れさせるほど柔らかな光を放っている。湿った空気には甘い花の香りが混じり、まるで秘密の庭園のような美しさがある。しかし、その美麗な外観の裏には、牙を剥く凶暴な魔獣が潜んでいる。美と死が隣り合わせの世界で、我は鑑定の力で敵の弱点を見抜き、全属性魔法を駆使して戦った。炎で焼き、氷で凍らす。我の戦闘スタイルは確かに完璧と呼べるものだった。そしてその度に、自分の才能への確信がより深く根を下ろしていく。

 

30歳で3級ハンターの称号を得た後、我は妖精人王国へ凱旋し、正式に王太子として任命された。各国を巡る長い旅は、我の見識を飛躍的に広げた。敵対国である帝国には足を向けることはできなかったが、この大陸のほぼ全ての国を自分の目で見ることができた。それぞれの国の文化的成熟度、特産品の豊富さ、治安の良し悪し。街角で見かける庶民の表情、市場で交わされる商人たちの活気ある声、宮廷で出会う貴族たちの洗練された立ち振る舞い。これら全てが、いずれ王となる我にとって何にも代え難い財産となることは間違いなかった。



しかし、愛の神が告げた黄金の魔力を持つ迷宮を見つけることはできなかった。迷宮の場所を探知する能力は、護衛の二人にさえ秘密にしていた。この世界で迷宮が持つ重要性を考えれば、軽々しく明かすべきではないと判断したからだ。だが、そのことが効率を大幅に下げる原因にもなっていた。毎夜、天幕の中で地図を広げながら、我は歯がゆい思いを噛み締めていた。



旅の途中で最も強烈な印象を残した場所がある。それは「自由都市」と呼ばれる、約100個ものダンジョンが密集する奇跡の都市だった。石畳の通りを歩けば、数十メートル置きにダンジョンの入り口が口を開けている光景は、まさに圧巻としか言いようがない。かつては一つの国だったが、あまりにも巨大な恩恵をもたらすため、その覇権を巡る戦争が絶えることがなかった。最終的に全ての国が不可侵条約を結び、中立地帯として「自由都市」と名付けられたのだ。



現在の盟主は、迷宮踏破者でもあるバンジョウという男で転生者として広く知られる人物だった。街を歩けば、江戸時代の町屋と現代建築が不思議に調和した光景が目に飛び込んでくる。瓦屋根の建物に魔法で作られた電灯が灯り、着物を着た商人がガラス製品を売っている。その異様な光景に、我は深い違和感を覚えた。間違いなく日本人の仕業だ。さらに魔力からインターネット環境を作る準備を着々とすすめているという。同胞への複雑な感情と、この混沌とした文化に対する嫌悪感が入り混じり、我は自分がこのまま留まれば精神に異常をきたすと感じ、早々に立ち去った。



帝国との国境での戦いも幾度となく経験し、気がつけば50歳近い年齢になっていた。戦場では我の魔法が圧倒的な威力を発揮した。炎の魔法で敵兵を焼き尽くす時の断末魔の叫び、氷の魔法で騎兵の馬を足止めした時の馬の嘶いた。勝利の度に、我は自らが選ばれた存在だという確信を深めていった。ハンターランクも2級まで上昇し、もはや我に敵う者はいないと思えた。同時に、能力を持たぬ者たちを見る目が次第に冷たくなっていく。彼らの必死な努力さえも、我には滑稽に映るようになっていた。



将来の王位継承に向けて自由な時間がますます制限される前に、我は最後の大きな冒険を決意した。黄金色の魔力を持つ神の迷宮を探すため、「ジグの大森林」への単独遠征である。



ジグの大森林は、浅層こそ一般的な魔獣しか生息していないが、奥へ進むにつれて危険度が跳ね上がる魔境だった。樹齢数百年の巨木が幾重にも重なり合って空を覆い、真昼でも薄暗い森の中には人の理性を狂わせる瘴気が立ち込めている。腐った落ち葉が積み重なった地面からは、甘ったるい腐敗臭が立ち上り、時折聞こえる不気味な鳴き声が神経を逆撫でする。そして深層では稀に神獣さえも出現するという、まさに死と隣り合わせの危険地帯だった。



それでも我は迷宮を探す使命に駆られ、一人森の奥へと歩を進めた。迷宮探知の能力を隠すため、護衛も連れずに単独行である。今思えば、それは傲慢な判断だったかもしれない。



森の中では鑑定の力が生死を分ける武器となった。遭遇する魔獣を瞬時に鑑定し、弱点を突いて倒すか、勝ち目がなければ即座に撤退する。いくつかの迷宮を発見したが、探している黄金の魔力を持つものではなかった。簡易的な地図に場所と封印されている神の名前、おおよその強さをメモし、先へ進む。そんな日々が2ヶ月以上続いていた。



深層に入り、慎重に迷宮の気配を探っていた時だった。少し離れた場所から、これまでとは明らかに格が違う強大な迷宮の気配を感じ取った。長期間の探索で蓄積した疲労が体を重くし、判断力も鈍りつつあった。次の迷宮が外れなら一度王国に戻ろうと考えていた矢先‥‥‥頭上から何かが落下してきた。反射的に見上げると、体長わずか数ミリの黒い蜘蛛が、まるで羽毛のように軽やかに我の衣服の隙間に潜り込んだ。漆黒の体に不気味な光沢を持つ、明らかに毒蜘蛛の類だった。即座に世界樹の魔力を全身に巡らせ、毒から身を守ろうとする。しかし、わずかに反応が遅れた。



チクリという針で刺されたような鋭い痛みの後、徐々に痺れが指先から始まり、手足全体へと広がっていく。慌てて魔力に火属性を纏わせ、蜘蛛を燃やし殺した。しかし、すでに血管を駆け巡った毒素は消えない。世界樹の魔力は本来なら強力な治癒能力と状態異常回復能力を持つはずだが、それを上回るほどの猛毒のようだった。魔獣が跋扈するこの森で意識を失えば、それは確実な死を意味する。前に進むしかなかった。



迷宮に逃げ込んで集中的に治療を行おうと駆け出した瞬間、進路を大人ほどの大きさの黒い蟷螂が塞いだ。漆黒の甲殻に覆われた巨大な体躯、鎌のような前足が月光を受けて鈍く光る様は、まさに死神の化身のようだった。おそらく蜘蛛と連携して獲物を狩る習性なのだろう。我の脳裏に、自分が完全に罠にかかったという絶望的な現実が浮かんだ。

鑑定を使おうと意識を集中する。これまで何千回と使用してきた我の能力だ、毒による痺れ程度で使えなくなるはずがない。そう思った次の瞬間、目にも止まらぬ速さで鎌が振り下ろされた。



辛うじて反応できたものの、左肩から左腕にかけて深々と切り裂かれた。温かい血液が服を染め上げ、骨まで達したであろう激痛が脳天を突き抜ける。左腕は完全に使用不能となり、握力も失われていた。これまで経験したことのない絶体絶命の状況に、我の心は恐怖で凍りついた。



光魔法で目眩ましを放ち、闇魔法で気配を消し、風魔法で移動速度を上げる。3属性同時発動という高等技術を使い、何とか蟷螂から逃れようとする。しかし、蟷螂はそんな小細工など意に介さないとばかりに的確に我の位置を捉え、背中に深い傷を刻みつけてくる。



傷の痛みを無視して走り続けるが、背中から流れ続ける血が地面に点々と痕跡を残し、蟷螂の追跡を助けてしまう。死の影が確実に迫ってくるのを感じながら、我は必死に足を動かし続けた。幸い、迷宮近くに張られた結界の領域に入ると、蟷螂は追跡を諦めたようだった。おそらく迷宮の力を恐れたのだろう。



意識が朦朧とする中、何とか迷宮の入り口に辿り着いた。古代文明の技術で作られた石造りの門は、精巧な装飾が施され、長い年月を感じさせる威厳を放っている。しかし、我にはもうその美しさを鑑賞する余裕はなかった。そこで意識が途切れた。


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