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神庭のゴーレム3

その夜、神庭の迷宮が異様な喧騒に包まれた。


普段であれば、霊苗の住居区画で気だるい時間を過ごしているはずだった。しかし今宵は違う。神庭相撲で蓄積された疲労が骨の髄まで染み付いており、その重苦しい痛みを癒すため、神庭の中心部にある温泉に身を沈めていたのだ。


湯気が立ち上る温泉の湯面に、星明かりが揺らめいて踊っている。目を閉じ、温かな湯に身を委ねながら、筋肉の奥深くに宿る疲労が溶け出していくのを感じていた。そんな静寂な時間を、急に響いた声が破った。


「ハマー、人族が迷い込んできたみたい。ケガしてるおそらく毒も」


声の主は、いつものように軽やかな口調だった。


「ふーん、俺が行って役に立つとは思えないけど行ってみるか。」


温泉から身を起こし、湯滴を振り払いながら衣服を纏った。心の奥底で蠢く野次馬根性と、見知らぬ誰かへの素朴な心配が、ほぼ半々の割合で混在していた。


夜の神庭は昼間とは全く異なる表情を見せていた。月光に照らされた石畳が青白く光り、風に揺れる草木の影が幻想的に踊る。普段は活気に満ちた神庭相撲の稽古場も、今は静寂に包まれ、どこか神聖な雰囲気を醸し出していた。


神殿に辿り着くと、クラティオスがいつも休んでいる草で編み込まれたベッドの上に、見慣れない男が横たわっているのが見えた。男は二十歳半ばほどに見え、病的なまでに色白な肌に、人間よりもかなり長い耳を持っている。エルフ――この世界では妖精人と呼ばれる種族だった。


月明かりの下で、男の顔は蒼白を通り越して青ざめており、額には脂汗が浮いている。浅く荒い呼吸が、彼の苦痛を物語っていた。


「クラティオス、この人は大丈夫そう?」


問いかけると、クラティオスは心配そうな表情で首を振った。


「分からない、傷はかなり深いが、何とかできる。それより毒が酷い。この毒の解毒剤は神庭にはない。でも助けたい。」


クラティオスの声には、見知らぬ者への純粋な慈悲が込められていた。その優しすぎる性格に、素敵やん、と心の中で呟いた。


「シド、なんとかなりそう?」


「うーん、毒か。あぁ、そういえばマンティコアの万能薬なかったっけ?それなら何とかなると思うけど‥‥‥」


そう言われて思い出した。確かに、以前に手に入れたマンティコアの万能薬が影収納の奥に眠っているはずだ。彼は意識を集中し、影の奥深くから小さな瓶を取り出した。液体は淡い金色に光り、神秘的な香りを放っている。


万能薬を妖精人の唇に垂らすと、その効果は劇的だった。死人のように青白かった顔色に、少しずつ血の気が戻ってくる。荒かった呼吸も次第に落ち着きを取り戻し、やがて男の瞼がゆっくりと開いた。


「う‥‥‥う‥‥‥ここは?」


かすれた声で、男は周囲を見回した。その瞳には困惑と警戒の色が宿っている。


「気が付いたか、ここは神庭の迷宮。歓迎する。」


クラティオスの言葉に、男の表情が一変した。


「迷宮?魔獣か?」


妖精人の声には明らかな警戒心が込められていた。体を起こそうとするが、深い傷のせいで思うように動けない。その様子を見て、クラティオスが優しく声をかけた。


「そんなことどうでもいい。お前はここに迷い込みケガをしている。治してやるから安心しろ。ひどい毒を受けていたが、そこにいるハマーが貴重な毒消しを使って直してくれた。礼をしろ。」


しかし、妖精人が俺に向けたのは感謝の視線ではなかった。その目には、明らかな侮蔑の色が宿っている。


「くっ。人族のような下等種族に助けられるとはな。今回は礼を言うが、今後私に話しかけるな。私はコガン妖精人王国の王太子のジグルだ。2級ハンターでもある。」


その傲慢な物言いに、笑みを浮かべてしまった。確かに癖が強すぎる。命を救ってもらった相手への態度としては、常識を超越している。


「何を笑っている!私への侮辱ととるぞ!魔力も無し‥‥‥珍しい愛玩動物を連れているようだが、お前と同様脳なしだな。」


ジグルの挑発的な言葉は続いたが、俺はもう興味を失いかけていた。元気になったようだから、もう十分だろう。


「じゃあ戻るよクラティオス。あとはよろしく。」


クラティオスの見送りを受けながら、自分の部屋へと向かった。霊苗区画までは約十キロメートルの道のりがある。最近覚えたばかりの影転移を使いながら、夜の迷宮をゆっくりと帰路についた。


翌朝、日の出と共に目を覚ました。


毎朝の習慣となった、だらだらとした散歩を楽しみながら神庭へと向かう。この時間が、彼にとって一日で最も心地良い瞬間だった。そして何より、クラティオスが用意してくれる朝食が彼を待っている。


クラティオスの朝食は、神庭相撲の力士のように栄養バランスに優れながらも、味にも妥協のない素晴らしいものだった。香ばしく焼かれたパンの香り、新鮮な野菜の瑞々しさ、丁寧に煮込まれたスープの深い味わい――それらすべてが完璧に調和した、まさに芸術作品のような朝食だった。


この朝食はシドも大好物で、普段は見せない満面の笑顔でバク食いしている姿が印象的だった。神庭でのシドは、そのかわいらしい容姿のおかげで多くの魔獣たちをメロメロにしており、はっきり言ってアイドル的存在だった。


「ハマーも勉強してクラティオスの料理を作ってよ。あれが無いと生きていけない体になっちゃった。責任取ってよ。」


シドの地雷女のような発言に、苦笑いを浮かべる。


「俺もあれが無くなると思うと悲しいよ。でも神庭相撲は……な。俺が強くなって鼻水カバやんみたいになったら嫌だろう?」


そんな他愛もない会話を交わしながら神庭に向かう道中、俺の心には一抹の寂しさが宿っていた。次の神庭相撲までにはこの迷宮を出なければならない。つまり、近いうちにこの素晴らしい朝食とも別れなければならないのだ。


健康のための散歩と称して、のんびりと一時間ほど歩を進めた頃、遠くに神庭の輪郭がぼんやりと見えてきた。いつもなら、この距離からでも神庭の荘厳な美しさが感じられるはずだった。


「あれ?神庭壊れてない?」


シドの冗談めいた声が聞こえたが、なんとなく冗談ではない気がする。目を凝らして見てみると確かに、いつもの神庭とは明らかに様子が違う。


「そんなわけ‥‥‥ホントだ‥‥‥急ぐぞ。」


瞬時に影転移を発動し、一瞬で神庭まで駆けつけた。


そこに広がっていたのは、想像を絶する惨状だった。美しく整備されていたはずの神庭は、まるで巨大な嵐に襲われたかのようにボロボロに破壊されている。石畳は砕け散り、美しい庭園は荒らされ、建造物の多くが瓦礫と化していた。


そして、近くに住んでいた神庭相撲の上位力士たちも、皆大きなケガを負って倒れている。彼らの強靭な肉体に刻まれた傷跡は、一体何が起こったのかを物語っていた。


「なにが起こった?クラティオスはどうしたんだ?」


【星砕】のドラムが、重苦しい表情で答えた。


「クラティオスが暴走したんだ。昨日来た妖精人に操られて……」


ドラムの説明によると、俺が妖精人ジグルの毒を消した後、クラティオスが傷の治療を続けていた。傷が治ったジグルを休ませるため眠らせていたのだが、いつの間にか彼は神殿の奥深くへと侵入していたという。


神殿の扉は、ミルエル様の神力によって封印されており、通常の力では決して開くことができない。クラティオスを含め、誰も立ち入ることができなかったはずの聖域に、なぜジグルが入ることができたのかは謎だった。


そこでジグルは、クラティオスを操る神機を手に入れ、神庭の破壊を始めたのだ。

クラティオスを止めようと、神庭相撲の上位力士たちが総出で取り囲んだ。しかし、『天冠』の実力を持つクラティオスの力は圧倒的だった。善良だった彼が敵として立ちはだかった時、その優しさは残酷なまでの強さへと変貌していた。


「シド、この迷宮の状態は?神の封印は解かれてるの?」


「封印は解かれていないね。でもなんか変なんだよね。この結果を望んでいたかのような。うーん。」


「神庭は元通りにできないの?」


「もちろんできるよ。ちょっと時間かかるけど。でも管理するクラティオスがいないと意味がないよね。」


「そうだな。ここを元通りにするだけじゃダメだな‥‥‥ひとまずはケガしている人の治療を行おう。」


あの美しく管理されていた神庭の荒れ果てた姿を目の当たりにして、心は深い落胆に沈んだ。しかし、今はやるべきことがある。彼は気持ちを切り替え、ケガを負った者たちを探して駆け回った。


幸いにも、クラティオスに殺された者は一人もいなかった。どれほど操られていても、彼の根底にある優しさが、最後の一線を越えることを防いだのかもしれない。


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